第4話 デッド・オア・ドライヴ②

 久方ぶりの歩行で目が回りそうになった到だが、暫く足を動かすうちにかつての感覚を取り戻し、三十分もしないうちに走ったりジャンプしたりできるようになった。夢中になっているためか、歩いている間は幻肢痛のことを忘れられる。足を失った事実も、痛みも、まるで本当に幻だったかのようだと感じていた。


 しかしそんな到をアンが制止し、また車いすに座らせたかと思うと、今度は胸や両腕にも機械を取り付け始めたのだ。なすがままと言った状態にされた到だが、胸に赤く発光する宝石のようなものを取り付けられたころにようやく思い切って疑問符を主張する。


「ねぇアンちゃん、ぼく見ての通り腕は健在なんだけど……これは?」


「戦闘用のアーマーだ。ショック光線、リモートミサイル、フック付きワイヤー、握力補助装置、必要最低限だが、とりあえずこれだけあれば身を守るのには困るまい」


「いやいやいやいや物騒な単語が並んだけど十二分に重武装だよ。過剰防衛にもほどがあるって」


「胸の疑似魔核イミテーション・コアにセットした濃縮固形アストラリウムが動力だ。二グラム程度の結晶だが、五年は動き続ける」


「うん、ご丁寧にありがとう。でもこれはいくら何でもぼくが持つには……」


「レースはマシンに搭載しているか、搭乗者が装備しているなら武装が許される。レース開始したらそれは殺し合っていいという合図だ。万が一に備えて到にも武器が必要というわけだ」


 淡々と言ってリコリスが到の肩に手を置いた。気持ちは汲むが、覚悟を決めろというだ。そして、到がこれほどに重武装しなければならない重要な理由がもう一つあった。


「デステニー・ストリングスにはもう一つ致命的な弱点がある。それは対象を操っている最中、私が動けなくなることだ」


「つまりリコちゃんがたるたるを操っている間は、たるたるの武器や私の魔法で守らなくちゃいけないってことね」


「いや、魚介は燃料補給担当だ。すまないが俺も闘えない。骨をバラして“骨壺”に入れておいてくれ。このままだと席が足りないからな」


 作業台に置かれた真っ白な箱を指し示してアンが言った。


(ブロックかプラモじゃあるまいし……)





 レースの準備がほぼ整い、到達はアリーナへと向かう。調子に乗った到は歩いて行くと豪語したが、三十分も歩いたところで結局車いすに収まった。ダムネーション・イヴ・パーティの会場には、レース前日にも関わらず、既に多くの観客が集まっていた。もとより街全体がスラムと化していて、ここも例外ではなく明日を失った人々が行く当てもなく無意味に集まっていたが、このイベントのときだけは彼らも特別に活気づくのだ。


 アリーナの中央にある宮殿のような建物にはレース出場者の部屋があり、マシン調整のための設備は勿論、レストランやスパのような施設も用意されていた。外の荒廃具合からは全く想像もできない豪華レジャーランドのようだ。ブラック・ソニックを格納庫に収めた一行は、今回リコリスと勝負するエージェント『レッド・クローバー』のもとを訪れる。


「ブラック・リコリスだ。入るぞ」


 それだけ言って躊躇いもなく彼女はドアを開けた。あまり広いとは言えない部屋には高級感のある木製のデスクがあり、ダイスだったりゲームに使うチップだったりがその上に乱雑に置かれていた。壁は全て色々なダーツボードで埋められていて、その全てがキレイにダブルブルを射止められている。そしてそれは現在進行形でもあった。ちょうど到が部屋に一歩踏み入ったのと同じタイミングで、彼の顔を掠めるように矢が飛ばされ、その先にあるボードの中心に突き刺さった。


「ひっ……」


「おお、すまん。今日はあんまり調子がいいから、ところだ」


 ワインレッドのスーツにブルーのネクタイを締め、両手の指の全てに色とりどりの宝石のついたリングを嵌めた長身の女が、矢を投げたポーズのまま一行を切れ長の目で見つめていた。


「新顔が多いな。私はレッド・クローバー。けれどこの名前はあまり好きじゃないから、四つ葉よつはと呼んでほしい」


 色に、花の名前。その命名法則が『未来の結社』エージェントのソレだと聞いていた到は、咄嗟に腕のショック・ブラスターを起動させようとした。しかし、リコリスが黙したままそれを制止した。レッド・クローバーもニヤリと不敵に笑みを見せ、降参したように両手を上げた。


「おっとっと~! ここでやり合う気はないさ!私は確かにエージェントだし、君らの敵だが……しかしカインの味方ではない。君たち次第でいくらでも利用できる」


「安心してイタル。少なくとも今の奴に私たちに敵う戦闘能力はない」


「でも……」


 ワザとらしく丸腰を演じているようにしか見えないと到は言ってやりたかったが、レッド・クローバーは打って変わって真面目な口調で語った。


「素顔の女より仮面の女の方が信じられるときだってあるさ。この部屋には護身用のブラスター一丁が用意してあって私は炎の魔法を使えるが、それでもあなたたちを一度に相手にするのは無理だわ。私自身の能力『クローバーズ・フィールド』は“半径三メートル以内に入ったら攻撃が必ず当たるだけ”。間合いを取られて警備が来る前に私は敗北する。さてと、本題に入ろう。まあ……私と勝負するんだろう?」


 自信満々に、囃し立てるような口調でレッド・クローバーが言う。無論、賭けのことを言っているのだろう。対してリコリスは声色を変えたりせず、普段通りの態度で返答する。


「ああ、私が一位でゴールしたら金をいただく。たとえ私がこの街にいなくても、必ず支払ってもらう」


「ただし二位以下ならお前の情報を『結社』に売る。お前のマシンも頂戴する。異論はないな?」


「無い。負けたところで私たちはこの街を脱出し、必ずゴールドランドにたどり着く。金はなくても旅はできる。お前に情報を売られたところで私は必ず逃げ切る。確かにこの勝負、大方決着がついていたようだな」


 リコリスが言い返したと思った途端、レッド・クローバーが更に凶悪な表情で一歩前に出た。能力の効果範囲に入らぬよう、リコリスはアマビエに手で合図し、車いすを後退させた。


「おいおいおいおい、勘違いしていないかリコリス。私が何の決め手も無しに勝負に出ると思うか?」


「どういう意味だ?」


「勝負ってのは勝算無しにやるものじゃない。私が勝つための一手、お前を負かす刺客を用意した。ブラックを塗りつぶすには、ホワイトってわけだ」


 言葉の意味をリコリスだけが理解していた。彼女の声が初めて表情を変える。彼女は何かに驚いていた。


「まさか…………」


「怒りに燃えてるぜ。あんたをぶち殺したいってね。でも安心しな。レースが始まるまで本当の勝負じゃない。スタートの合図まではあんたの命は保証されてるよ」


「……それは有難い。遠慮なく休ませてもらう」


 リコリスが踵を返すと、到達も遅れて部屋を出た。その後ろで、深紅のエージェントがねっとりとした手つきでその背中に矢を投げる振りをしていた。





 翌日、日が昇り始める頃には既にアリーナの観客席の八割が人で埋められていた。大よそ十万人ほどだという。その様子を控室の窓から眺めていた到は、いよいよこの街を脱出し、計画を一歩進める時が来たのだと息を飲んだ。緊張感は最高潮だったが、それでも彼は不思議な安心感に守られていた。リコリスが彼の肩を叩き、「大丈夫だ」と囁くだけで、高鳴る心臓も落ち着きを取り戻す。


 重苦しい雲の重なるスタート地点に立ち、それでも到は特別胸が高鳴るようなことはなかった。じめっとした空気と騒がしさがむしろ不快で、さっさと走り出したいとさえ考えていた。何せ彼は先日義足を手に入れてから調子づいている節がある。奇妙な万能感さえ感じている。ある意味普通の人間とは違う状態になったその体に絶大な信頼を置いているからだ。


 ファンやスポンサーがパイロットたちのアイコンが描かれた旗や横断幕を振ったり、人と人の間を縫って売り子が飲み物や食べ物を売って回っている。スタートライン前には格納庫から運び出された様々なマシンが並び、レース開始の時を待ちわびている。競技コースに出た到はブラック・ソニックのもとに駆け寄り、広大なアリーナを仰ぎ見た。宮殿の見晴らし台に立ったレッド・クローバーが大げさに手を振っている。


「四つの街から遥々集まってくれた皆を歓迎する!!」


 会場全体に彼女の声が反響し、人々が歓声をあげた。続けてパイロットの名前が呼ばれ、それに合わせてファンファーレが鳴り響いた。


「デル・グアドロン!! ノーヴ=ザルカニア!! ブラック・リコリス!! ユウキ・イタル!!」


 名前を呼ばれドキリとしたが、到は観客たちに向けて手を振って雄叫びをあげた。観客たちもそれに応じて甲高い声援を送った。


「ぼくらにもファンがいるんですね!」


「単に賭けてるだけさ。連中からしたら私たちはただのギャンブルのコマだからな。アマビエとアンは?」


 到は初めて二人がいないことに気づき、辺りをキョロキョロと見まわした。如何せんアマビエは小柄だから広い会場を探すのは骨が折れる。もうレースが始まるというのに何をやっているのかと、少しばかりの焦りさえ感じた。


「ふーっはっはっは!呼ばれてないけどじゃじゃじゃじゃーん!!」


 背後からの声に到とリコリスはそろって振り向く。そこにはアンの頭蓋骨をヘルメットのように脇腹に抱え、胸を張って高笑いを続けるアマビエがいた。


「よし、全員揃った。さあ乗った乗った」


「ちょっと! 無視しないでってば~!」


「カート・レインズ!! ルパーツ・ドロセーラ!! ホワイト・ヘリアンタス!!」


 コックピットに乗りかけた姿勢のまま到は反射的に。エージェントの命名法則に当てはまる名が読み上げられ、新たな襲撃者が来たのかと直感的に防御態勢に入ったのだ。そんな彼の肩にリコリスが手を置き、なだめる様に、しかし警戒心を張り巡らせた静かな口調で言った。


襲ってこない。レースに集中しろ」


「けど……いるんですよね?」


「ああ、私も知っているエージェントだ。間違いなく私を殺しに来ている。しかし『結社』は民衆の心の拠り所を簡単に血で汚したりしないさ」


「ということは、レース中に……」


「そう、競技の最中なら参加者同士の妨害はあらゆる手段が認められている。スタートの合図と同時に攻撃が始まるだろう。だがお前は気にしなくていい」


 異論を唱えようとしたが、リコリスはまた肩をポンと叩いて言った。


「安心しろ。私は巧い」


 彼女を信じない理由は到には無かった。いよいよ全てのパイロットたちが名を呼ばれ、到たちもヘルメットを被り、ブラック・ソニックに乗り込む。リコリスはサイドカーで膝にアマビエを座らせ、体をキツくベルトで固定した。


「しっかり掴まってなさいよアンちゃん!」


「どこに」


「さあパイロットは揃った!! エンジンスタートだ!!」


 レッド・クローバーの宣言と同時に、会場から降り注ぐ全ての視線がパイロットたちに集まった。一斉にエンジンが獲物の前で舌なめずりする獣のような唸り声をあげ、観客たちのどよめきと混ざりあう。リコリスの指先から出現した“糸”が到の全身の支配を奪い、ブラック・ソニックのエンジンを始動すると、咳き込むようにマシン全体が震えはじめた。スタートラインのアーチに設置されたレースの開始と終結を示すスリットのライトがブザーを鳴らしながらチカチカと赤く明滅する。あれが緑に変わった瞬間から到達の命を懸けた死闘が始まるのだ。パイロットたちは今か今かとエンジンを吹かし、そのパワーを発揮する時を待ちわびている。


(大丈夫……ぼくたちは必ずこの街を生きて出る)


 到は決して声には出さず、自分に言い聞かせるように心の底で唱え続けた。呪文のように、呪詛のように。背中に刺さる冷たい気配と、嫌な予感を何とかしてかき消さんとするために――――


 ライトが鮮やかな緑に変わり、今、ダムネーション・イヴ・パーティが開始された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る