第5話 レーサー・イン・ザ・ダーク①
レース開始と同時に、檻から放たれた猛獣の如きマシンたちが咆哮し、一斉に風になる。アストラリウム=ライト・エンジンが爆発的なパワーを発揮し、到は体を仰け反らせた。しかしすぐさまリコリスの“糸”によって姿勢が整えられた。ブラック・ソニックは文字通り音速の黒い矢となってガラクタ山の間を駆け抜けた。
(速い! 体の感覚が変に感じるのはリコさんに操られているからかな!?)
グリップを握る手はこの一瞬で汗だらけになった。固いゴムの感触はあるが、まるで添えているだけのような感覚で、そのまま離れてしまうのではないかと錯覚する。
リコリスの技術無しでは今頃衝突していたか、スタートできずにエージェントに殺されていただろうと、到は自嘲する。
コースの序盤は狭いガラクタ山の麓を走る都合上、操縦技術の差がそのまま順位に結び付く。マシン前部のスクリーンに表示されたリアルタイムの情報で、到達が四位であることを示している。前方を走る三機にはまだ大きく差を付けられていない。リコリスは大胆な加速で三位を走るギルバレムの紫色のマシンに斜め方向から迫った。細身のマシンはこちらの接近に気づき、連続するカーブの中で如何にこちらをクラッシュさせようかと目論んでいる様子だった。スピードを殺さず、小回りの利く小さなボディを生かし徹底してこちらを正面で妨害するつもりだ。だが、この先のコース情報をアマビエが伝える。
「リコちゃん! 古いハイウェイに乗り込むよ!!」
その一瞬でリコリスは次の戦術に切り替える。巨大なガラクタ山をぐるりと回りこむ急なカーブの手前で、ギルバレムから目を逸らしてカーブに集中した。前方のマシンはやはり速度を落とさず、旋回性能に物を言わせてインサイドを責めた。当然距離は瞬時に離され、後方からも二機が迫っていた。そしてカーブが終わった直後、前方のハイウェイ入り口には既にギルバレムと一・二位がいた。リコリスはここでエンジンの回転数を一気に上げ、更にコンソールのスイッチを操作し、マシン後方に備え付けられていた“ある装置”を展開した。坂道の終点、ハイウェイに乗り込む瞬間にグリップのトリガーを引き、さっき展開した
「ハイウェイを降りるまでコースに変わった特徴はないわ!」
「だがホワイト・ヘリアンタスも攻撃の余裕ができるだろう。ほかのパイロットも然りだ。気を付けろ、リコリス」
例のエージェントは六位。まだ余裕はあるが神経質にならざるを得なかった。道幅の広いハイウェイではマシンのパワーを発揮しやすい。リコリスはほぼ並んでいる一位と二位に攻め込むべくエンジンを吠えさせた。真っ先にこちらの接近を察知したのは二位のデル・グアドロンだった。奴は僅かに差を付けられたイール・ジールとルブランのコンビを破るより、到達を撃破しようと目論んでいた。グアドロンのマシン『CDIP-014 フレイム・オーガ』は四つの筒状のエンジンの先端に球状のコックピットがある。超強化ガラスで守られたコックピットは見通しが非常に良く、三六〇度あらゆる方向を見通せる。グアドロンはそのガラスに表示されたコンソールでマシンに備えられていたブラスター・マシンガン二基をコックピット下部から出現させ、真横から追い抜こうとするブラック・ソニックに照準を合わせようとしていた。
「リコちゃん!! 左!!」
「到、使うぞ!!」
「へ?」
到が間抜けな声を出すと同時に、彼の左腕が一人でに動き、ミサイル発射装置を起動しながら真っすぐ左に伸びた。次の瞬間にはミサイルが発射され、耳をつんざく爆発音とともにフレイム・オーガのエンジンが炎上した。グアドロンを乗せた頑丈なコックピットだけがゴロゴロとハイウェイを転がっていく。
「奴のエンジンは装甲が薄かった!! だが他はそうもいかない!!」
「欠陥マシンで挑むやつが悪い。安心しろ到、このブラック・ソニックの装甲は俺が最高のものを用意した。並みの攻撃では落とせん!」
アンの言葉に安心感を覚えたのも束の間、到は前方のマシンとブラック・ソニックの間のタダでは埋められない距離が見た目以上に長大だと感づいてしまう。一位のジールとルブランが駆る黄金のマシン『P3-05 ゲート・ガーディアン』は前後二つのコックピットがあり、前方のジールがマシンの制御、後方のルブランがサポートを担当している。ゴツゴツとした分厚い物理装甲を備えながら、巨大なアストラリウム=ライト・エンジンによる最高速とマシン全体に備えられた小型の制御ブースターによる細やかなスピード制御を可能にしている。ルブランはブラック・ソニックとフレイム・オーガの闘いをしっかりと観察していた。ゲート・ガーディアンはその機体重量のために武装は最低限だが、徹底して防御に特化したことでまさに難攻不落の音速要塞と化しているのだ。その最大の盾は機体の回りを浮かぶリング状のユニットから展開される紫色のシールドだ。
「あのリングは“ヴァイオレットⅢユニット”だ。惑星防御衛星のシステムを流用したとはな」感心したようにアンが言った。若干呑気な声色だったので、到が僅かに顔をしかめる。
「どんな攻撃なら破れるの!?」
「星を一つ粉々にできるようなレーザーでも持ってこないと無理だな」
「残念! デス・スターは二つとも去勢済みよ!」
アマビエのマニアックな知識を黙殺しつつ、到はリコリスに期待を寄せる。
「撃破する策がないわけじゃない! だがここでの勝負は分が悪い! 次のエリアで仕掛ける!」
到はスクリーンのコース情報に目を向けた。次はハイウェイを降りて旧市街地を抜けるコースだ。迷路のように入り組み、建物と建物の細い隙間を走る道や、廃墟と化したビルに空いた穴を抜ける道もある。どのルートを通るかはマシンの性能や敵の戦術を見極めて判断しなければならない。後方からは差を付けていたと思っていたほかのマシンが迫りつつある。
◆
レッド・クローバーは手にしたタブレットのスクリーンでリコリスの様子を眺めていた。無論、この女は彼女の敗北を願っている。仮に彼女が勝ったとしても十分に甘い汁を啜ることができるが、そうでない方がうま味が多い。その為に打った布石は、着実にリコリスの喉首に手をかけようとしている。
スクリーンに映る被写体がホワイト・ヘリアンタスと彼女のラピード・マシン『B2-04 グレート・ホワイト』に変わった。攻撃性能に特化し、加速こそ悪いが最高速は七〇〇キロをたたき出すことができる白いマシンだ。邪魔なレーサーを次々とコースの残骸に変えていく、口元を仮面で隠した白い鎧のこの女こそ、レッド・クローバーが放った刺客だ。虚ろな目に憎悪だけを宿した“白い絶望”。
「さて……お手並み拝見ね」
◆
旧市街地にはガラクタ山のアーチが不規則に並び立ち、パイロットたちの判断力を狂わせる。到もリコリスを信じてこそいるが、本当に前に進んでいるのか不安に感じるのは避けられなかった。前方を走るゲート・ガーディアンを追っている限りは、少なくとも間違いはないだろうと、人任せな安堵に甘えざるを得ないのだ。
しかし、そんな付け焼刃の安心感は、スクリーンに映し出された背後からの刺客によって容易く破られてしまった。大きく差を付けていたはずのホワイト・ヘリアンタスが既に三位まで上り詰めていたのだ。それだけではない。十三組いたはずのパイロットが六人まで減っている。
(こんな序盤で!? クラッシュするような場所はまだ無かったはずだ!! 潰しあったのか……それとも……)
到の抱いた嫌な予感は的中していた。即ち、ホワイト・ヘリアンタスが次々とパイロットたちを抹殺したのだ。スクリーンに映し出された後部カメラの映像に、ついに刺客の姿が映し出された。尋常でない状況はジールとルブランにも伝わっており、彼らも急加速し、分かれ道を左へと進もうとする。直線が多い旧道方面でマシンスペックに物を言わせて差を付けるつもりだろう。
ルブランがハッチを開けてコックピットから顔を出し、手に持った小型ブラスターを滅茶苦茶に撃って来た。ブラック・ソニックの固い装甲の前では豆鉄砲にも等しい。到達はその目的が攻撃ではなく、見え透いた挑発だとすぐに看破した。
分かれ道にはガラクタの巨大なアーチが設置され、どちらのルートも急なカーブを描いている。しかしリコリスは一向にマシンをどちらかに傾けようともしない。
「開けた旧道は危険だ! 廃墟の中を抜けるルートを選ぼう!」
「アンに賛成だ! だがあの二人は潰す。到!! 体を使うぞ!!」
「はい!!」
今度は心の準備ができていると、到は力強く返事をした。刹那、彼の両手は操縦していたグリップを離し、体全体で十字を描くように広がった。左腕からはミサイルが、右腕からは楔付きワイヤーが発射された。
ミサイルはゲート・ガーディアンをすり抜けてアーチに直撃した。ガラクタはけたたましい音を響かせながら崩れ落ちていき、要塞マシンの行く手を阻んだ。例え強力なバリアを張り巡らせても、クラッシュしたらその内側で潰れてしまうのだ。しかしそこはジールの冷静な判断力により間一髪方向転換を許してしまった。僅かなスピード低下を見逃さず、ブラック・ソニックが真横をすり抜けるが、距離のアドバンテージを思うように稼げない。
ワイヤーの楔はコースの壁に突き刺さり、到の腕は外骨格のパワーを頼りに無理やりブラック・ソニックを右に向かせた。ギリギリまで挑発に乗ったように見せかけるためにワザと安全な手段でコーナリングをしなかったのだが、リコリスの目論見は半分外してしまったのだ。
目前に迫った建物にはトンネルのような風穴がぱっくりと口を開けていた。マシンは巨大な生き物に飲み込まれる羽虫のように次々とそこへ飛び込んでいく。内部は薄暗く、しかも狭い。そこら中に散らばった机や椅子、棚などの残骸に掠っただけでも壁に突っ込んでクラッシュしてしまいそうだ。だが少しでも臆病風に吹かれてスピードを落としたなら、背後から迫るゲートガーディアンに追突され、瞬時にクラッシュされてしまうだろう。例え無視されたとしても、ホワイト・ヘリアンタスの攻撃は必ず来る。今のブラック・ソニックは順位で見れば一位でも僅かな誤算も許されない窮地に追い込まれているのだ。
モニターからリコリス達のもがく様を見つめ、レッド・クローバーは不敵にほくそ笑んでいた。全ての駒が思い通りに進み、彼女は快感さえ覚えていた。このレースは最初からレッド・クローバーの手で操られているに過ぎない。コース、参加者、ルール、あらゆる要素に彼女の息がかかり、しかし悟られないように重なり合い、絡み合うことでカムフラージュされている。リコリスの脱出計画を阻止するべく、盤面上の駒から盤面自体にまで仕掛けられた多重トラップ。レースで勝って良し、死なせて良し、殺してよし、そしてレース自体に負けてさえ許される絶対的な“奥の手”が彼女には残っている。
「リコリス、これで学んだだろう。ギャンブルは絶対に勝てなければ賭ける意味などない」
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