第5話 レーサー・イン・ザ・ダーク②

 マシンを加速させる度、それに同調して腹の底から湧き上がるマグマのごとき怒りの感情をホワイト・ヘリアンタスは抑えかねていた。彼女のマシン『グレート・ホワイト』の推進バーを握る両手は、リコリスの背中が迫るほどに強く握りこまれていく。それでも彼女のドライビングテクニックは寸分の狂いもない。狭い廃ビルの中は崩れた壁や天井の瓦礫がそのままトラップになる。レッド・クローバーから予めコースの情報を聞いていたとしても、時速六〇〇キロ近くのスピードでこれを駆け抜けるとなれば、そんなものはアドバンテージとして機能しない。センスとマシンスペックだけが頼りだ。


 ハッキリ言って、グレート・ホワイトの性能はブラック・ソニックや前方のゲート・ガーディアンには劣る。速さでは前者に、攻撃・防御では後者にどうやっても勝てない。だが、怒りに駆られた彼女の意識は、より鋭く研ぎ澄まされながら、芯の強さを失っていない。自我を失いながら、ただリコリスを倒すという目的に特化されたプロトコルと化しているのだ。どこまでも奴を追い、執拗に、激しく攻撃する精密機械。攻撃のチャンスを虎視眈々と狙っているが、まだその必要はない。このまま放置しておけば標的がゲート・ガーディアンの餌食になるのは避けられないからだ。ホワイト・ヘリアンタスはただ、自分の番が回ってくるのを、手を出したい衝動を抑えながら待ち続けて走ればいい。


 対して到は、背後から刺さるその殺気に焦りを感じ始めていた。ただでさえゲート・ガーディアンの威圧感に押しつぶされそうなのに、そこにコースの難しさと刺客の脅威が加わり、胃に鉄塊でも押し込まれたかのような錯覚を覚えていた。


(どうするどうする……!? 早くこの建物を抜けないとクラッシュしてミンチにされちゃうよ……!!)


 どこまでも続く迷宮のような廃ビル。前進しているという感覚を麻痺させる泥沼。状況を打開するには、要塞に攻め入る以外方法はない。


「リコさん、このまま奴らに好き勝手させるのはダメです!!」


「言ったはずだイタル!! 私はここで奴を潰す!! アマビエ、燃料補給だ!!」


「アイアイ!!」


 指示に従いアマビエが指を鳴らすと、瞬時に燃料の詰まったシリンダーがその手に出現した。小さな体をサイドカーから乗り出して後部のソケットに差し込み、レバー操作でリボルバーを回転させて空のシリンダーを外した。


「まだタンクには余裕があったんじゃないです?」


「いや、これから加速する。また体を借りるぞ」


 リコリスが自信を感じさせる声色で言うと、到の左腕が素早くミサイルを構え

、間髪入れず発射した。ミサイルは正面の壁で爆発を起こし、マシンがギリギリすり抜けられる穴を開けた。リコリスは針孔に糸を通すように、しかし躊躇いなくブラック・ソニックを加速させた。全員が揃って頭を伏せ、壁の穴をすり抜ける。続いてゲート・ガーディアンとグレート・ホワイトもその後を追った。


『コースを破壊してショートカットか。だがこのままでは同じだ』


「分かっている。次が勝負だ」


 そう言ってリコリスはスクリーンに映し出されたビルの情報に目をやった。廃ビルの迷路はまだ中盤。彼らビル一階の中央部を走っていた。一旦開けたスペースに出た後でもう一度迷路を進み、最後は『イヴ』に残された最後の自然、渓谷と洞窟のコースに出る。


「イタル、またミサイルを使うぞ!!」


「はい!!」


 また迷路で不利な状況に追い込まれる訳にはいかない。方角で考えれば真っすぐ突き進むだけでこのビルを脱出できる。到の左腕が再び正面に伸び、ミサイルが連続で発射された。狙い通り全ての壁が破壊され、その先から光が差し込んだ。しかしショートカットだけではゲートガーディアンを引き離すことはできない。むしろこの直線でブラック・ソニックを押しつぶそうと急加速をしてくる。


(これで左腕のミサイルは残弾ゼロ……ホワイト・ヘリアンタスとやりあうなら右腕のは残すべき……)


 と、到が考えた瞬間に彼の体が反転し、真後ろに右腕が伸びた。驚く暇も無く、ミサイルが床に向けて連射され、全て使い切った頃にやっと到は声を絞り出せた。


「り、リコさん何を!?」


「見ていろ!!」


 いつになく楽し気な声色のリコリス。爆風で舞い上がった砂と埃が晴れ、見事に破壊された床――――否、そこには巨大な穴が開いている。


「地下だ!!」


 加速したゲート・ガーディアンは最早方向転換などできなかった。たった今作られた落とし穴に頭から最高速で突っ込み、シールドがガリガリと床と壁を削っていくが、最後にはコントロールを失って転倒し、遂に無敵の移動要塞がクラッシュした。スクリーン上からジールとルブランの名前が消失し、到とアマビエが歓声をあげた。


「ぃやっほーう!! 最高だぜリコちゃん!!」


「やった!! このまま一位で突っ切ってやる!!」


「みんな落ち着け。まだ一週目だ。それに……あのエージェントは健在だ」


 白いマシンは落とし穴をすんでのところで回避していた。まだ到たちは窮地を脱したとは言えない。ビルを脱出したブラック・ソニックはガラクタのアーチを抜けて荒野を進み、アイアン・バレーへと向かった。そのあとをグレート・ホワイト、そして遅れていたほかのマシンが追い上げていく。





 賞金稼ぎのカート・レインズは、レッド・クローバーの依頼を受けてリコリス達を狩ろうとしていた。序盤でホワイト・ヘリアンタスから不意に妨害をされたが、彼は僅かでも賞金を他のパイロットに譲るつもりはないと意気込んでいた。


 搭乗するのは円盤状のラピード・マシン『GLAS-065 ナチュラル・ディザスター』だ。装甲こそ薄いが視認範囲が非常に広く、機体が小さく軽いため攻撃を躱すことに特化したマシンと言える。後方からのブラスター攻撃をまるで受け付けず、リコリスが用意した落とし穴もふわふわとした挙動で軽々と回避した。前方を走るホワイト・ヘリアンタスだけが彼にとっての障害だ。彼は背後からの攻撃を殆ど気に留めなかったが、同じ獲物を追うホワイト・ヘリアンタスだけは許せなかった。


 アイアン・バレーの入り口に差し掛かった時、遂にホワイト・ヘリアンタスが武器を構えた。その原始的なやり方にカートは目を疑うと同時に、腹の底から下品な嗤い声をあげた。彼女が構えたのは大型のアーチェリーだった。精密射撃スコープを用意したブラスター・ライフルならともかく、時速六〇〇キロで、しかも狭い谷間でそんな武器が通用するはずがない。しかし彼は嗤うのを止め、冷徹なハンターとして彼女の隙を突かんと身構えた。攻撃システムを起動し、マシン底部ハッチから全方位射撃ができるブラスター・マシンガンを出現させた。照準装置を目元に引っ張り、その中心点がホワイト・ヘリアンタスの背中と重なる瞬間をじっと待つ――――つもりだった。


 レンズの先でホワイト・ヘリアンタスはカートを睨んでいた。邪魔するなと言わんばかりの鋭い眼光を光らせ、アーチェリーをカートに向けている。彼はゴクリと唾をのみ、その一瞬戦慄しながらも、恐怖心を飲み込むほどの高揚感が沸き上がり、血が滾った。滅びが眼前に迫った彼にとって、この世界で唯一の愉しみは“強い敵を狩ること”だけだった。ホワイト・ヘリアンタスは間違いなく自分より強い。そう確信しながら、彼は挑むことを止められなかった。





 白いエージェントは自らをつけ狙う賞金稼ぎを睨みながら、まるで後ろが見えているかのように細やかなハンドル操作で突き進んでいく。リコリス達は引き離すチャンスだと考えていたが、その様子を見て彼女の超人的な身体能力を思い知った。


「あいつは後ろに目でもあるんですか!?」


「この谷の先は洞窟だ。三位のレインズとの勝負が長引いたなら、奴らはクラッシュを免れん。今は進むことに集中しろ!」


 到はリコリスに進言してショック・ブラスターモードで攻撃するのはどうかと考えたが、それが有効なら今頃リコリスの手でやっていたことだろうと思い、躊躇った。寸分の狂いもないホワイト・ヘリアンタスの操縦は驚異的だった。カートの攻撃にいち早く気づいたのも彼女の研ぎ澄まされたセンスによるものだ。到はただ、リコリスに身を任せて前だけを見つめていた。


 ホワイト・ヘリアンタスはブラック・リコリスが更に加速したのを察知し、依然カートに対する警戒を解くことなくグレート・ホワイトのエンジンを吠えさせた。その姿をカートは、彼女が鋭い感覚を持つ獣のようだと思っていた。さっきまでは草食動物の尻を追い回しているつもりだったが、これはもうただの狩りではない。奴は鋭い牙を持った肉食獣だ。ハンターに怯える獲物ではなく、逆に殺してやると激しく吠え猛る巨大な魔獣だったのだ。ここは奴のテリトリーで、自分は狩場に踏み入った愚かな密猟者――――カートは魔獣の眼光に曝され、自分の心がみるみるうちに萎縮していくのに気づいていなかった。照準は奴を簡単に捉えられる。しかし手が震え、操縦が覚束なくなってしまう。このまま睨み合いが長引けばクラッシュするか後ろの奴らに攻撃される。この狭い谷ではナチュラル・ディザスターの能力を全開することはできない。例えブラスターを回避したとしても、直後にホワイト・ヘリアンタスの矢を受けてしまう。その逆も然り。


 ――――負けていた。この状況を作らされた時点で、カートは敗北していた。賞金稼ぎとして、勝負師としてあまりにも挑戦的過ぎた彼は、その事実に気づいてしまい、意識と視界が真っ白に侵食されていく錯覚を見ていた。絶望の色に染め上げられた彼を待っていたのは、谷底の岸壁に潰されたマシンの残骸が体を裂く“痛み”だった。


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