第9話 サスピシャス・セーブポイント①

「し……し……しかい?」と、ホワイト・ヘリアンタス。


「どの?」と、威圧的かつ挑発的にアマビエ。以下交互に。


「目の方だ。視界」


「いし」アクセントは“い”の方に。


「どれ? というかどっち?」


「お医者さまの方。ドクター」


「だー! また“し”か! し……あ、四肢! 体の四肢だ! ふふーん、遂にやり返してやったぞ」


「獅子。ライオン」


「くっ……もう“し”無いぞ……あ、紫蘇しそ! 酸っぱくて美味しいの!」


阻止そし


「だーぁ」


 いつの間にか『しりとり』で遊べる程度の関係になった女二人(と言っても好意はヘリアンタスから一方通行で、かつ通行止めを食らっている)。ヘリアンタスが退屈しのぎに『地球の遊びを教えろ』と言ったのがそもそもの始まりなのだが、その呑気さに到はいい加減呆れ気味で、リコリスにいつまでも追いつけないことに焦燥感を覚えていた。敢えて口にせず、自分を背負っているヘリアンタスの肩を右手の指先で控えめにつついてアピールをするのだが、如何せんこのエージェント、余程娯楽に恵まれない人生を送ってきたのだろう、しりとりで童心に帰ってしまったらしい。いい加減尻を叩いてやろうかと到は考えたが、手が届かないのでやめた。


「ヌフフ、ヘリ子ちゃんまだまだね」


「くっそー負けないからなちっこいの! し……し……シードは言った……鹿……言った」


 ヘリアンタスが顎に手を当てたその瞬間、空気に変化がもたらされたことを三人がほぼ同時に察知した。遊びに夢中だったヘリアンタスも素早くロッドを腰から引き抜いて戦いに備える。シードがまたしても襲い掛かってきたのだ――――と、ヘリアンタスはそのつもりでいた。だが、到はそう思えなかった。決定的だったのは足音だ。“静か”でも、敢えて誤魔化していない、ワザとらしい足音が響いている。すぐ近くに迫ってくる“気配”は、たった一人だ。


「……“死神”なんていかが?」


「なっ……!」


 そいつは背後に! ヘリアンタスは驚愕しつつも、素早く振り返ると同時に、声の主たる謎の男の喉首にロッドを突き入れる――――つもりだったが直前で止めた。男は気だるそうに背筋を丸めながら立ち尽くし、恐怖が欠落しているかのように少しも動じない。猫背を正せばヘリアンタスより頭ひとつ半くらい高い長身だろうか。くしゃくしゃの黒髪の中から覗く碧眼が三人の顔をそれぞれ丁寧に観察していた。


「ほう……妙な取り合わせだと思っていたが、これは面白い」


 ねっとりと笑みを浮かべ、男が言った。


「……お前は?」ヘリアンタスが問うと、男は鼻の頭を指で擦り


「セイント・セイントと書いて、ひじりさとし。ちょっと喧嘩の強いただのプーさ。ああ、ちなみに未来の結社じゃないから安心してくれよ」と、懐から名刺を差し出して答えた。そこには二頭身にデフォルメされた死神のキャラクターが描かれていた。ヘリアンタスが受け取らないので、聖は露骨に残念がっている。


「俺はあんたたちの味方だ……いや、すまん。今のは嘘だ。正しくは味方になりたい……だな」


「お前はたぶん……『死の教示者』の一員?」


「ご名答、べっぴんさん。未来の結社が大嫌いで仕方のない抵抗組織。いっつもエージェントに狙われてビクビクしてる反乱者、そのリーダーが俺だ。地上の仲間がアイアンヒルでの出来事を伝えてくれたよ。エージェントの中からカインを裏切った奴が現れて、ダムネーション・イヴを勝ったってな。その中に地球人が紛れてるってことも含めて……」


 聖は到を一瞥し、再び懐に手を忍ばせた。指先でつままれて取り出されたのは錆びた小さな鍵だった。


「あんたたちと協力したいが、まずは商談に相応しい場所に案内しよう。ついてきてもらおうか」


 その誘いが、半ば強制的であることは到にもすぐに分かった。シードが四方八方を固めている以上、彼に従わなければ生きる術は無い。しかし従えばこの胡散臭い男に大きな心理的アドバンテージを握られ、不利な商売を持ち掛けられることも明白。ヘリアンタスもアマビエもそれを承知している。


「私が従わなかったら?」


「勝手にしてくれ。シードの部隊の規模は俺の想像をはるかに超えていた。俺もこのままじっとしているわけにもいかない。一頭のゾウも億のアリに噛まれりゃ死ぬさ」


 低い声で警告するように言い、聖はコンクリートの壁に古びた鍵を突き立てた――――すると、灰色の壁が自動ドアのように音もたてず横に開き、人ひとりが通れる四角い穴が開いたのだ。


「すっごい……忍者屋敷みたい……!」


「楽しんでくれたなら幸いだぜおチビちゃん。だが、答えを急いでもらおうか。そこでぼーっとしてアリに噛まれるか。それとも――――ここで休憩セーブしていくか?」


 聖が穴の中に姿を消す。残された三人は一度顔を見合わせてから、すぐにそのあとに続いた。一瞬だけ視界が完全に黒く染められ、平衡感覚が奪われたようにフラフラしてしまう。だが、それが収まったと同時にパッと世界に火が灯った。カビ臭さや肌寒さはまるっきり消え去り、汗と酒の臭いと人に満たされた室内へと躍り出たのだ。驚いたヘリアンタスが振り返ると、冷たいコンクリートは跡形もなく、でこぼこした古いレンガの壁に変わっている。酒を呷る男たちはアイアンヒルの人々とは違い、酔いつぶれていてもそれなりに活気があるらしい。


「驚いたろ?」


 聖が『どうだ?』と自慢げに両手を広げて、ミュージカルの演者のようにくるりと一回転した。


「ああ、ビックリだ。これなら結社がお前たちを見つけられないのも納得だ」


「コソコソ隠れててまともに闘ったことなんて数える程度だったから、情けない話だがな。情報を握らせない戦略のつもりだったが、どうにも格好悪い。おっと失礼、そちらの席にどうぞ」


 案内されてヘリアンタスは到を椅子に降ろし、その隣で聖と向かい合うように腰かけた。アマビエは到がバランスを崩さないよう、隣で彼の背中に手を回す。ウェイトレスと思わしき女が頼んでもいないのに形の不ぞろいなグラスをテーブルに置き、無言で立ち去る。グラスの中の泡立つ鮮やかな緑色の液体に口をつけたのは聖だけだった。


「早速だが、元エージェントのお嬢ちゃん。えーと……」


「ホワイト・ヘリアンタスだ。だが今はヘリ子と名乗ってる。エージェントじゃなくなったからな」


「そうか。じゃあヘリ子の嬢ちゃん早速だが、俺たちと一緒に闘ってほしい。ああ、ゴールドランドに隠された『箱舟』のことは知ってる。勿体ぶる必要はない」


「そんな勿体ぶったつもりは無かったんだがな」


(やっぱり、『箱舟』か)


 到はイヴにおける各勢力の共通点として宇宙船『箱舟』の存在があるのだろうと、大雑把に推測を立てる。しかし、そんな彼を余計に混乱させる一言が聖の口から飛び出す。


「そもそもあのロボットはうちのメカニックが設計したものだからな」


「ん、待て。何の話だ?」


 ヘリアンタスと聖は同時に眉を寄せ、互いに困惑した顔を見せあった。到とアマビエもその隣で首を傾げている。到は誰かが勝手に話を進める前に割って入った。


「ちょっちょっちょっと待った! 箱舟って結局……何なんです? リコさんはただ宇宙船って言ってて、ヘリ子さんは宇宙戦闘機って……レッド・クローバーも何か言いたげだったし、挙句ロボットだって? 何が何だか分からないよ」


「逆に俺が聞きたいところだがな。俺はアベルが設計した戦闘用ロボットだと……」


「そんなもの使って何するつもりだったんだよ!!」


「……聞いて驚け。神を連れ戻すつもりだったんだってよ」


 あまりに荒唐無稽な返答だったので、到は面食らうよりも耳を疑うほかなかった。脈絡なく現れた『神』という単語。脱出船・宇宙戦闘機・ロボット――――これらのひとつとさえ繋がらないあまりにも刺々しい名詞だ。しかしリコリスと初めて出会ったとき、彼女も『神が去った』と言っていたことを思い出し、それが無視できない重要なファクターなのだと到はようやく認識する。考えに耽って到が黙っているのを見計らい、聖がグラスの中身を飲み干してから再び口を開いた。


「イヴが何故滅びるのか、地球人の坊ちゃんは考えもしなかったろう。いや、責めちゃいない。そんなのは当然だ。だが、イヴはそこに住む俺たちでさえ考えもしなかった面倒な因果に苛まれちまったんだ……」


「どんな……?」 問いかける到の方に体を乗り出し、聖が声を潜めて言う。


「神話の時代……今から大体千年は昔、遥か彼方の銀河に住まう金ぴかの女神様がほかの神々を裏切って行方をくらましちまった。それに怒った『万能神ばんのうしん』が次々に“しもべの神”を呼び戻した。結果、世界を支えていた神を失ったイヴは、柱を丸ごと取っ払われたビルも同然な状態だ」


「まさか……神なんて……」


 そんなものは初めからいないと言ってやりたい。到は自らの足、その後で右腕のあった場所に目をやった。怒りで左手が自然と拳を作っているのには気づいていない。口を閉じたまま歯を食いしばる到をなだめるようにヘリアンタスが彼の膝にぽんと手を置いた。


「イヴじゃ祈りを聞いてくれる神様がいないことなんてスプーンの使い方より早く学ぶ。いないものの話なんてこの際どうでもいい。ロボットだろうが船だろうが、長時間宇宙を飛べるというのは確かなハズだ。もし私たちが手を取り合うなら、まずはゴールドランドまで急ぐのが重要なんじゃあないのか?」


「フフッ……確かに、言う通りだヘリ子の嬢ちゃん」


「方法を言え。まさかこの“空間”に移動する力でゴールドランドまで行けるわけではあるまい」


「ああ、この酒場はどこからでも入れるが、出られる場所には限りがある。それは今は伏せさせてくれ。手始めに――――」


 作戦自体は非常に単純だった。この街とアイアンヒルの境くらいにある廃棄された飛行場『アイアンズグラウンド』でガラクタにカモフラージュされた輸送機を手直しし、そのまま一気にゴールドランドまで侵入するというものだ。が、そこまで聞いて到は呆れかえり、ため息が漏れるのを隠しきれなかった。


(無茶苦茶だ。向こうだって飛行機くらい予測してるだろうに)


 そもそも到にとって重要なのはリコリスと合流することだというのに、この作戦では彼女を追い越してしまう。ただでさえ難しい状況で余計に面倒を増やされるのを避けたかったが、だからと言って何か案があるわけでもない。到はもどかしかった。


「ヘリ子さん、これじゃリコさんに追いつけない」


 我慢ならず、ヘリアンタスの肩を揺すって訴えかけた。本心ではやはり、リコリスと共に行きたいと考えている。目の前の女がいくら協力的だとしても、ついさっきまで敵対していた以上、心証が良くないのも理由として数えられる。ヘリアンタスはというと、ストレートに困ったように表情を歪め、口をへの字に曲げている。


「んー……イタル、信じてもらえるかはこの際どうでもいいが、私だってリコリスに追いつきたいのは同じだ。だが、どちらにせよ私たちの目的地は同じだろう? だったら先回りするのも手じゃないか? このまま追いかけたって会えるかなんて不確実だろうし……」


「けどこんな作戦……」


「まぁまぁ、気持ちは分かるけど俺たちの言い分も言わせてくれよぉ坊ちゃん」


 二人の背後に回って、聖が割って入る。胡散臭さを誤魔化す気がないのか、ワザとらしい手つきで肩や腰をポンと叩く。


「無謀なのは百も承知だぜ坊ちゃん。だが地上を進んだところで無茶に変わりはない。シードはこっちの頭数を遥かに上回る。急がば飛び回れ」


(回るな)


「それに備えが無いわけじゃない。連中が空からの攻撃に対策を怠ってるなんてことはまずありえねぇ。聞いた話じゃ魔法で風を操って空を飛ぶエージェントなんてのもいるらしいからな。だから俺たちはゴールドランド南端の、シルバーシティにかなり近い場所にパラシュート降下して、現地の仲間と合流してから結社に乗り込むのさ。その辺はカインのに飼われてる奴隷たちの住居エリアで、警備が他と比べて手薄だからな。ゴールドランドまで飛ぶのを死ぬ確率九九パーセントとしたら、結社の本丸に直接乗り込むのは百パーセントってことになる」


「地上を進むのは?」


「死ぬ確率は同じだろうが、辿り着いて死ぬか十歩進んで死ぬかの違いだな」


 聖を信じるなら取れる手はただ一つということになる。到はやはり、自分が手段を選べない立場にあると三度思い知らされた。彼は一度、『本当にこれでいいのか?』と問いかけるように、そして縋るようにアマビエに視線を送った。ただ無言で到の手を握り、小さく頷くアマビエを見て、到はようやく覚悟を決める。


「分かった……ぼくも連れて行ってほしい」


「よし、決まりだな。出発は一時間後だ。それまでここで休んどけ。ウェイトレスに適当に注文すれば簡単な食い物を用意してくれる。……納得してくれて助かったぜ。死ぬときはできる限り大勢で繋いでいたいからな。ひとりぼっちはもうこりごりだぜ」


「まるでいっぺん死んだみたいな言い草じゃないか」


 冗談めかして言ったヘリアンタスに、聖はにやりと笑むだけだった。彼が去ったのを見届けた後、到は目の前のグラスを乱暴に掴んで、若干ぬるくなった液体を思い切り飲み干した。


「……メロンソーダだコレ」

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