第3話 デステニー・ストリング①
どんよりと重苦しい雲の中から、陽の光がひょっこりと顔を覗かせた。『イヴ』の太陽が眠ろうとしている。短い命を削りながら巡る滅びかけの星で、必死にもがく人々を尻目に、太陽は呑気に眠る。工場内の埃っぽさから逃れたつもりが、眩い光に照らされ、骨と血管の浮いた白い肌がジリジリと痛んだ。立ち並ぶ廃工場の影に入り、他に誰もいないというのに遠慮した溜息を静かに吐き出す。
さっきの『能力』の実演で自分が倒れたりしなければ、彼女の計画はうまくいっていたのだろうか?足さえ失くしていなければ、或いは……
「お前が悪いなんてことはないだろうに」
背後からかけられた声の主に目を向けると、骸骨男がぶっきらぼうにタバコの箱を差し出した。到は無言で拒否する。
「ぼくがしっかりしていれば……」
「あんな力を見せられて……ましてや操られる側にされて気分が悪くならない方がどうかしてる。到って言ったな。あの女に拘る理由はなんだ?」
「それは……」
到には答えられなかった。リコリスのもとに突如現れ、成り行きで脱出計画に乗ったに過ぎない。そこに特別な理由は無い。この星を脱出できるのなら何だって構わない筈なのに、到はリコリスという女についていく理由を何とか見つけ出そうと躍起になっていた。予想以上に頭を抱えるので、アンが思わず助け舟を出した。
「そんなに悩むな。意地悪いこと聞いて悪かったよ」
「だってぼく、ホントにリコさんに拘る理由なんてないし……」
「だからって他に当ても無いんだろ?だったらあの女に頼るのもいいんじゃないか?お前がそれでいいのなら」
「まあ、確かにそうですけど……」
そう簡単に割り切れないのは、自分自身の無力さ故だと到は気づいている。せめて自分がただの同行者ではなく、共に並んで闘えたのならと、到は“かつて膝関節だった部分”に爪を立てて苛立ちを露にする。今でもその“空間”に、まるで足があるかのような感覚があるのに、決して動かせず、触れられない。
(せめてこの足で歩けたなら……)
「義足、作ろうか?」
「え?」
「だから義足。車いすは不便だ」
言われてみればと、到は顎に手を当てる。仮にレースに参加することが確定したとしても、結社に狙われているリコリスと同行する以上、車いすはあまりにも不便で、危険も多い。義足を作らなかったことを後悔しかけたが、その前にアンの提案を受けてみようと到は考えた。
「そんなに簡単に作れるものなんですか?」
「ああ、ここにある素材じゃ特別凝ったものはできないがな。とりあえず歩いたり走ったりは困らない代物でよければ……」
「欲しい!」
食らいつくように懇願され、アンは話を切り出した側にも関わらず返答に困ってしまった。僅かに固まってから「待ってろ」と一言だけ残して再び工場の中へと消えていくアンの後ろ姿を、到は目を輝かせて見つめていた。
「義足、作ってもらうんだ」
「うわぁ!? ……なんだエビちゃんか」
視界の端から飛び出され、到は尻が浮く程に飛び上がった。アマビエは「にひひ」と歯を見せて笑う。が、直後に眉を寄せて困ったような顔になり、
「車いす押す役、早速解雇だね」と、残念がって言った。
「でもね、歩くの辛くなったら言ってね。いつでも車いす押してあげるから。あっ、何だったら抱っこしてあげてもいいよ?」
「うん、ありがとエビちゃん……抱っこは勘弁してよ」
「おやおや照れちゃってる? 遠慮しなくていいんだぞ~?」
再びイタズラに微笑むアマビエに釣られて、到もニッコリと笑い返した。
「ねぇたるたる? ほんとに地球に帰らなくていいの?」
「……うん、帰らない。せっかくこうして異世界に来たのに、あんなつまらない所に戻る理由なんてないよ。エビちゃんは? 人魚の家族とか友達とか……」
「いないよ」
「……そっか」
不自然なほどキッパリと言い切ったアマビエを不審に感じながら、到は敢えて追及しない。彼も家族のことは踏み入られたくない、話したくもないことだから、彼女もきっと同じ気持ちだったのだろうと察し、彼なりに配慮したのだ。
「それにほら、地球の海って汚れるばっかじゃない。いい加減地上で暮らそうとは思ってたんだけど、なっかなか機会がなくってねぇ。こうしてやっとこさ出てきたんだし、下手に迷うよりは良いかなーって」
「……そもそも人魚なのに足、あるんだね」
“人魚”という単語から連想されうる『上半身ヒト、下半身魚』という姿にアマビエは全く当てはまらない。真っ赤な髪の和服を着た少女であって、それだけだ。故に人間以外の何物にも見えないし、エラや鱗、ヒレと言った海の生き物の特徴などどこにも見当たらない。風呂で全裸を目撃している以上、服で隠しているということもあり得ない。視線を彼女の足元に向け、そこからゆっくりと上げていく……が、やはりそれらしきものは無いらしい。
「ヤダ、たるたるってばあたしの体に興味ある?」
アマビエが両手を真っ赤な頬にあてて体をくねくねさせた。
「だってそりゃ人魚って言われちゃうと……ぼくオカルト好きだったから」
「オカルト扱いされると複雑だわ。いやまあ妖怪ですし……人間からしたらそりゃThe オカルトよね……あ、リコちゃん帰ってきた」
仮面に黒装束の女は、やはり目立つ。到は車いすを自力で動かして彼女のもとへ行こうとしたが、結局アマビエの力を借りた。リコリスも二人に気づき、工場には入らず立ち止まる。
「リコさん!」
「イタル……体の具合は?」
相変わらず無機質なしゃべり方だが、到は彼女の気遣いが嬉しかった。
「平気です。ぼくこそごめんなさい」
「謝るな。君の意志を無視した私の責任だ。安心しろ、アレは私が運転する。この程度の怪我なら強い鎮痛剤を飲めば……」
「リコさんぼく……」
到の言葉が途切れる。その瞬間に彼でさえ気づくほどの空気の変化が起こったからだ。背筋をねっとりとしたモノで撫でられたような
「リコちゃんまさか……」
「もう来てる。すまないがエビ、イタルを工場へ」
「あームリ、囲まれてる」
「シード
“気配”が次第に増えていく。そう感じたときには到の目に“彼ら”――――リコリスが『シード』と呼んだ者たちの姿が現れていた。ひとり、またひとり……前方に、後方に、左右を囲むようにゾロゾロと。リコリスと同じ黒い服と、打って変わってのっぺらぼうのような起伏のない仮面で顔を隠している。
リコリスの前の集団から一人が一歩踏み出した。二人のエージェントは互いに睨み合っている(ように見える)。が、それ以上のアクションは起こらない。到も、アマビエさえも息を殺して固まったまま動けなくなってしまう。ほんの僅かでも音を立てたなら、始まってしまう気がするから。
「……カラーレスから」
永遠にも感じられた沈黙を破ったのはシードの一人だった。ごくりと唾を飲み、到は状況が動き出すのを待ち構える。
「あなたを殺すようにと」
リコリスと同じ機械のようなノイズの混ざった女の声で話す。しかし、どこか言い辛そうにしていると感じ、到は思わず首を傾げた。少なくとも彼女らは敵対していて、『カラーレス』なる人物(と到は考えた)から指示を受けてリコリスを殺しに来たことは間違いない。だがそれは、不本意なのかもしれない。となると、かつてリコリスが結社においてどのような立場だったのかますます謎めいてくる。
――――リコリスは一向に返事をしない。
「どうしても、戻ってくれませんか?」
「…………」
「……致し方ありません」
シードがそう言った刹那、リコリスの右腕が振り上げられたのを到は見逃さなかった。当然、シードたちも。袖から出現した刃渡り三〇センチ程の漆黒のブレードが陽の光を受けて煌く。それが合図となった!!
「危ない!!」
対峙していたシードもそっくりのブレードを構え、リコリスよりも速く走り出し、大きく跳躍した。真っ先に反応した到が叫ぶ。ガンッ!! と、重く鈍い金属音が耳をつんざく。シードの凶刃をリコリスが受け止めたのだ。全体重を乗せたその一撃は見た目以上に強く、リコリスは膝の動きで衝撃をできる限り殺そうとしたが、それでもなお両足が地面を抉り、意思とは関係なく後退る程の力を発揮している。だが、到の目にはその攻撃が余りにも軽率な一手に見えていた。
(技の破壊力は抜群だ。重力の加速も手伝ってそれは間違いない。ただ、それだけだ!! 跳躍後の滞空時間が長すぎて、あの姿勢からは追撃できないし、防御も中途半端になる!!周りの奴らも動き出したが、それでも遅い!!)
この時点で到はリコリスの反撃を想定できていた。返しの一手でリーダー格のシードを分からせ、周りの雑魚を蹴散らすまで造作もない――――そう、本来のブラック・リコリスの実力なら、間違いなくそうだったのに。
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