第2話 ふきのとう味噌と天婦羅と山菜への応援コメント
ふきのとうもミズもコシアブラも……ああ、山菜大好きです。
山菜取りは春レクですね、見ていると。山菜園の斜面を皆さん楽しそうに器用に取っていらっしゃいましたっけ。ホームセンターにガラス瓶や、別売りのフタがわんさか並んでいるのを見た時は、おおっ、と驚かされました。
毎日食べさせられるのは子供さんだと苦痛なのでしょうが、大人になってからご縁ができた身としては、羨ましいばかりです。
第1話 お米に神様? への応援コメント
はじめまして。
母のいとこが長井市在住な為、ご縁ができて、子供たちが小さかった時分に何度も遊びに行っていました。母は今でもあちらからお米を送ってもらっています。それがいつもとても美味しくて、懐かしく楽しく読ませて頂きました。
これからゆっくりと読み進めさせて頂きます。
よろしくお願いします。
第24話 祖父と「ちーずけーき」への応援コメント
レアチーズケーキを初めて食べた時に、ケーキなのに焼かないということに衝撃を受けたのを覚えています。
第12話 柿の実の赤くなるころへの応援コメント
う~む、…いつもながら食材に関しての細かい知識と丁寧な描写…!
今回は柿ですかぁ…
素晴らしい!…
個人的にはあまり私は柿は好きじゃないんですが、逆に言えばこのように丁寧に手を加えて作られた甘柿を食べたことが無いからかも知れない…という気がしてきました
ところで私は現在、「道の駅 長井 川のまち」に居ます
今日は年に一度のさくらんぼ狩りに寒河江に行ってきました
山形は本当に良いところですね
新潟と同様、雪さえ降らなければなぁ…
さくらんぼを食べ過ぎて、ちょっとお腹が緩くなったので、どこかの温泉に浸かってお腹を温めようと思います
編集済
エピローグ まいにちのことへの応援コメント
面白かったです! 文章力があり、文字を読んでるだけなのに匂い・音が感じられそう。
郷土・昭和のグルメ物としても、1つの家族の物語としても楽しめました
他の人にもおすすめさせていただきます~
そして、エッセイのお仕事が来たと!? すごい!
まぁこれだけのクオリティなら目に留まるのも当然ですねぇ
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます。最初は本当に記録に軽く家族の物語を載せた、思い出話だったのですが、記憶を探るうちに、この年になって分かった気がする、親のあの当時の行動や言葉など、書き綴るようになりました。
特に「お前はちっとも私に似ていない」「お兄ちゃんと違ってお前は好き放題やって来た放蕩娘だから」と何かにつけ兄と比較していた母親の、そうせずにはいられなかった気持ちや、初めて生んだ男の子に対する女としての執着など、いろいろ思いめぐらせました。
今は母世代の、婦人部でバリバリやっていた母ちゃんたちが年老いて、地域のコミュニティも変容している由、ある記録にはなったかと思います。
連載の話は、本当にびっくりしました。ランキングが低くてもどこかで読んでくれている人がいるんだなと。
ともあれありがとうございました。
第12話 柿の実の赤くなるころへの応援コメント
うちの実家では、柿を取る時に、先端にヒビのはいった竹の竿を使っていました。高い場所の柿の実が付いた枝をひび部分で挟み、そのまま竿を手の内でくるりと回転させて枝ごともぎ取るのです。小さい頃は、柿が好きというよりも、その取り方が好きだったことを思い出しました。
作者からの返信
桃やリンゴの生産農家は樹高を調節して、脚立に上ればとれるくらいにしてあるのですが、いかんせん我が家の柿の木は育ち放題で。果実を木からもぐのって、ワクワクしますね。
第3話 くじらの味噌汁への応援コメント
子供の頃の経験で苦手な食べ物ってありますよね。
私にとっては、とうもろこしがそれで、祖母が隙あらば茹でていたため、もう見たくもないという食べ物になってしまっています。
たまに仕方なく食べると、別にまずくないのです。でも、なにか嫌なのです。笑。
食べ物も音楽と同じように、体験も一緒にいただいているような所があるのかもしれませんね。
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます。
食べ物や音楽、テレビ番組ってその時の状況込みで記憶されてしまうので怖いですよね。なので子供が小さい時は、なるべく食事時は叱らないよう励みましたけど(ムリ)
吉岡さんにとってのトウモロコシに該当するのが私にとっての化粧と洋服ですかね。
スリム美人だった母が服を買いに行くたびに「この子はデブだから合いそうなもの持ってきてください」初めての化粧品を買う時も「この子は不細工だから」
このエッセイは、そんな母親に怨念を感じつつも成長する一人のデブスの物語でもありますw
エピローグ まいにちのことへの応援コメント
完結おめでとうございます。わたしは山形県の山形市の出身ですが、短大が米沢。なんとなく、あるあると感じたり、置賜の方は少し違っているなあと思ったりしながら、拝読しておりました。
web版でのエッセイ、早速「まいにち・みちこ」を検索してみます。
作者からの返信
完読ありがとうございます。
県庁所在地の方だったんですね。
長井市からだと白鷹町を越えれば実は米沢より近かったりするのですが、ひと山越えると違う言葉と習慣ってありますよね。
「まいにち・みちこ」では息切れしつつもなるべく違うネタを書くように頑張っています。
写真が実は一番大変だったりしますが、そちらもよろしくお願い致します。
第31話 お米は神様への応援コメント
やっぱりお米、やっぱりご飯!
私の父親の新潟の本家の叔母さんが昔そういう事を言っていました。
「東京ん食堂はまんまがいっこうまねぇすけだめど!」
※東京の食堂はご飯が全然おいしくないからだめだね
まあ逆に言えば新潟はお米しかないってことかなとも思うけど…
ご飯、お餅、煎餅、お酒…新潟の特産物って…!
最近はしかし私も感じるようになりました。
「ファミレスのライスってのは、どうしてあんなに不味いのか?…」
お米は新潟県の人間のソウルフードだぜっ!…おんなじだな !?
作者からの返信
新潟には豊かな海岸線と海の幸があるじゃないですか。あと野菜も。
私は瀬波やまじまの海岸にしか行ったことはありませんが(しかも町内会の海水浴 で)、おおー、これが日本海かと感動しましたよ。
囲まれていない、開けた空の所があるというのは、すごい事だと思いますよ。
お米は山形のつや姫も負けていませんから。
第29話 女子寮生活と週末自炊への応援コメント
なるほど…さもありなんと思える話ですね。
私の母親の里の新潟県旧山古志村も、まぁこちらは残念ながら中越大地震で有名になりまして、実は被災後少しして「マリと子犬の物語」という映画が作られました。
内容は山古志に住む一家が自衛隊に救出され避難する際、家に残してきた愛犬が心配になり、後日子供が避難先から山を登り苦労して探しに行く話ですね
子供と子犬とくれば号泣必至の感動映画!…
ところが山古志の人間はこれ見て白けました!
なぜなら肝心の主人公一家のセリフが全部標準語なの!
山古志の人で新潟弁で喋らない人など居ないし…!リアリティー無いぞ!
泣かせるシーンも絵空事っぽ~い!
…ただ、新潟の人間以外の者は普通に感動落涙するんじゃないかな?
地方を舞台にした話って、多分にこういうことがある気がします。
第18話 フルーツパフェと祖母のサヨナラ への応援コメント
お裁縫が得意だった自分の祖母を思い出しました。
おうちパフェいいですね。息子と一緒に盛り付けたいなぁ。
作者からの返信
おうちパフェ、楽しいですよー。アイスを色んな種類そろえても楽しいし、小さなスティックアイスを盛り合わせてフルーツ飾ったり、少し大きくなったら「自由研究」的にレポするのもありです(我が家の息子君はそれしてました)
そこらじゅうべたべたになるので濡れタオルとテーブル布巾を忘れずに。
エピローグ まいにちのことへの応援コメント
完結ですね。お疲れさまです!
なんだか寂しいです。
これからは「まいにち・みちこ」での連載を楽しみにします。
毎度、何かふっくらとした読後感のある素敵なエッセイでした。
コンテストがどうあろうと、『お米の神様?』の読者にとっては間違いなく、とても「イイ話」ばかりです。
大切な思い出の数々を読ませていただき、本当にありがとうございます!
東北の地と味への憧れが広がる、深まる!
作者からの返信
いつも声援ありがとうございました。
第一話を書き始めたのが2017年の6月ですから、ほぼ1年前。
書き始めたころはこんな風に繋がるとは思っていませんでしたねえ。
「地域の話」というより「ちいさな家族の物語」ですが、まあご当地ものという事でお許しいただきたいですw
もし許されるなら、中高生編をもう少し書きたかったかなあ。
夏は暑く冬は寒く雪の降る、なかなか厳しい地域ですが、ぜひ是非雪見温泉なんかにどうぞー。
第17話 ローストチキンとクリスマスへの応援コメント
せせりのレモン焼き、とても美味しそう。せせりが手に入ったら作ってみたいです。
作者からの返信
美味しいですよー。レモンだけでなく、ゆずの果汁も美味しいです。焼くと大量の油が出ますから、クッキングペーパーなどで吸い取らせながら焼く方が危なくないかも。葉野菜にベビーリーフを盛りつけた上にバーッと並べて野菜ごと食べるのが好きです。肉は何でもいいし、最後に青じその千切りを絡めたりすると、ビールが無限にいけちゃうそうです
第8話 紫蘇と梅干し への応援コメント
梅干し作り……!
手製の梅は最高ですよね。。。私はどうも市販されている減塩の梅が好きになれなくて、月に数個でいいのでシソで真っ赤になった、昔ながらの梅干しが食べたいです……。いつか梅をつける日のためにこ、のページを永久保存版として置いておきたい。
梅ふきんというのは初めて聞きました。なるほど。
作者からの返信
保存しておいてください。でも環境変化で、昔のように庭に広げて、とは出来なくなりましたね。我が実家も最後の方は、屋根の上でざるに広げて、となっていました。減塩無しでつけた梅って、しょっぱくて酸っぱいんですよねえ。
梅布巾、科学雑巾の無い時代の艶出しだったらしいです。
第5話 メロン爆弾への応援コメント
枝から取れたての果物は、皮も柔らかくて甘くて、ほんとうにおいしいですね……。スーパーでは味わえない味です。
子供の頃、サクランボが好きだと言ったら、祖母が山に木を植えてくれたのを思い出しました。日に当たった果実のやわらかさ、みずみずしさと言ったら。
水がきれいなところは羨ましいです。井戸水すいか、憧れでした。
水に漬け続けていると、水を吸って膨らんでしまうんでしょうか?
田舎の豊かさと、同居ならではのいろいろと、いろんな色が垣間見えるエッセイ。とても楽しいです。
作者からの返信
あれはただ忘れてしまっただけらしいですw
サクランボも、トマトも、人の家の畑から勝手にもいで食べて、めっちゃ怒られていました。当たり前。
あとは蚕を飼う農家が多かったので、桑の実とか。
マザコン息子の所に嫁に行った母の同居事情、大事にされたのは違いないですが、完成された関係の中に入っていくのはとても大変で、祖母が死んで初めて中に入れたのではないかと思っています。
第3話 くじらの味噌汁への応援コメント
鯨肉…!私も小学生の頃、給食で出ましたので食べましたけど、やっぱり好きじゃないですね!
給食の鯨肉は大和煮や竜田揚げで出てくるんですが、硬いし、冷めてるし全く美味しくなくて残した記憶があります。
現在は貴重な存在なんでしょうが別に食べたいとは思わないなぁ。…今思うと、けっこう学校給食って功罪ある気がします。
…先割れスプーンって、今も使われてるんでしょうか?
総じて私は学校給食はあまり好きになれなかったですねぇ。
基本的に御飯食も無かったし…
作者からの返信
反対に私は給食大好きで、家ではどうしても年寄りに寄せた料理が多かったので、給食で「子供向けの料理」を補充していた感じです。
ちなみに先割れスプーンって見たことないんですよ。どう使ったのかも謎。そして米どころだったのでご飯給食バリバリでした。炊き込みご飯とか美味しかったなあ。
東京生まれ、東京育ちの夫はもろに先割れスプーン世代、鯨カツが頻繁に出たらしいのですが、校内の給食室で作った熱々が出て、美味しかったらしいです。
第23話 父とこたつみかんへの応援コメント
今回も興味深く拝読しました。
私の両親もそれぞれ商売をしてたので、一度私が中学生の頃に2人が喧嘩して、
「お前は私達が別れたらどっちに着く?」
と言われたことがありました。
私は、
「どっちにも着かない。1人暮らしをする!」
と言った記憶があります。
喧嘩の原因は父が趣味でやってた株式投資で大損して母の店の権利書を担保に借金しようとしたからです。
結局、別れませんでしたけどね。
胡桃ゆべしは私も大好きです。
週末にドライブに出掛けた時などに道の駅で見つけるとつい買っちゃいます。
ゆべしは全国的なお菓子かと思ってたら、会社の同僚の中にはゆべしを知らない者もいたりしてびっくり!
そう言えば静岡に行った時には見かけなかったかも?
北関東から東北地方にかけてのものかも知れない?…う~む!
私は東京生まれだけど新潟育ちなので、魚が故郷の川に戻るように、つい北の方向に出掛けることが多いのか、GW中もふらっと会津から米沢に車で行きました。
道の駅米沢がこの春にオープンしたので向かったら、すごい混み具合で買い物を諦め、高畠に移動。こちらの道の駅は割に空いてたのでゆっくり寛いで愛猫と散歩して帰りました。
やっぱり東北は良いなぁ!…。
作者からの返信
ご訪問ありがとうございます。東北って湿度が違うんですよね。水も空気も柔らかいというか。(ただし自然は厳しい)
ゆべしは柚餅子って書くらしいです。私も福島以南ではあまり見かけないですねえ。
米沢の新しくできた道の駅、福島からも来やすいルートなんで、ものすごく混んだみたいです。
高畠町のはゆったりしていたでしょう。吹き抜けの広場があって、私も好きなんですよ。秋のラフランスの季節はまた賑わうと思います。
私は帰省して、地元長井の道の駅でゆったりしていました。
最上川の土手のすぐ脇にあって、建物後ろの土手を上がると皮がバーッと開けるといういい場所なんですよ。
今度は是非。
第26話 真冬のアイスクリームへの応援コメント
悲しくないわけでも 冷たいわけでもなく、『じじちゃ』を静かに見守って送ってあげようという 中3の伽耶子ちゃんの心のうちと、1月の雪が 重なっていくようでした。
最期の思い出作りは バニラエイト。お祖父様のしゃんとした姿と言葉は今も生きているのですね。
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます。「年を取ると当たり前の事なんだ」と納得していたせいか、不思議と私は落ち着いていましたが、お世話をしていた母は平成ではいられなかったようですね。後になって悲しみが一気に来たようでした。
祖父は明治の人にしては自分もまめに働くし、愛情表現を隠さない人でした。
第3話 くじらの味噌汁への応援コメント
「くじら」と表記するのですね。こちらでは「くぢら」で、名前が「あいうえお作文」みたいになっていて、それが由来だとされています。地域が違えば違うものですね。
作者からの返信
母曰く、戦時中から塩漬けの鯨の脂身が配給物資の中にあったそうなんです。新潟にも同じものがありますが、あちらは更に具沢山で、夏のスタミナ源なんだそうで、日本海側の山間部に共通の食材かもしれませんね。こちらでは郷土菓子は「くぢら餅」で、海の生物の方は「くじら」だった気がします。でも割と気質がてーげーなので、どっちも構わず使っていたかもしれません。
編集済
第1話 お米に神様? への応援コメント
このコンテストで同郷の方とお会いするとは、思ってみませんでした。米沢や長井の御関係者の方でしたか。お米には家もうるさかったです。なんだか思い出して、ほっこりしました。ゆっくり拝読させていただきます。
作者からの返信
こんにちは。はじめまして。山形県南部にどっぷり一族から東京に来ました。そちらにとっては大分昔の話だと思いますが、ゆるりとお読みくださいませ。
第25話 じじちゃに桃のシャーベットをへの応援コメント
食が細くなっていく人を見守るのは辛いことですが、味覚が鈍化していく『じじちゃ』であっても、伽耶子ちゃんが作った氷菓子は 甘く美味しく感じられたのでしょうね。
一言多かった娘さんに対する ご両親の言葉、謝るお祖父様にかける言葉、お国言葉のせいもあってか どれもより情が深く 柔らかく響いてきました。
作者からの返信
味覚って不思議で、最後まで食べてくれたのが「冷たくて軽くて甘い物」でした。子供の頃に戻っていくのかもしれませんね。嫁である母も感心するほど愛情深い祖父でしたので、ぎりぎりまで家で、という判断になったのだと思います。でも自営だからできたことですね。
第24話 祖父と「ちーずけーき」への応援コメント
帰りの車内で読んでしまい、食卓に運ばれてしまった 白いケーキで思わず噴き出すはめになってしまいました。
(田舎者の私はクールンで作ってました)
伽耶子ちゃん達の成長が嬉しいはずなのに、離れていく寂しさを抑えきれず 本音を呟くお祖父様。奥さまの大きな仏壇からも とても愛情深い方だったのが伝わってきました。それだけに ひとり座る姿が堪らなく小さく浮かんできます。
作者からの返信
クールン、当地にはまだまだなかったんですよ。四角く切ってしまったのも敗因だったかといまは思います。
しかしためらわず醤油をかけましたからねえ。
晩年は本当に寂しそうで、母も「先立たれると可哀想だから、お母さんはお父さんよりは長生きする」としきりと言っていました。
色々あっても夫婦なんだなあと思いました。
第24話 祖父と「ちーずけーき」への応援コメント
懐かしい粉のホイップクリーム。生クリームというものがあるんだよと、家庭科の時間に知らしめた時の男子どもの歓声はすごかったです。
子ども頃のお菓子作りや、祖父母との思い出を、わたしも思い出しました。
作者からの返信
クリームというとバニラの香りのきつい粉末だったので、「生クリーム」という者の存在は、これで私もプロの味、と喜んでしまいましたね。(泡立てるのに疲れましたが)
女の子たちの間に一時手作りブームが起こったのですが、あれは何だったのでしょう。おかずじゃなくてお菓子、というところが非日常だったのかなあ。
今は買ってきますw
第18話 フルーツパフェと祖母のサヨナラ への応援コメント
私の父方の祖母は子供時代の私を大変可愛がってくれました。豪雪地区には珍しく105歳で老衰で亡くなるまでほとんど病気もせず長寿を全うしました。昔は病気や入院の見舞いというと、パターンがある程度決まっていましたね!…風邪で寝込んだとかだと、まぁミカンの缶詰。入院した時は白桃の缶詰。…余命宣告を受けると、マスクメロン玉で!…とか。…私の祖母が亡くなった時、私は38歳でしたから、泣くようなことはありませんでしたが、最初亡くなったと聞いても信じられず、新潟に駆け付けて棺のなきがらを見て初めて「本当に死んだんだ!」と思いました。…哀しみより、「人は必ず死ぬ」という現実を実感した、そのリアル感が強烈でしたね。
作者からの返信
105歳の天寿を全うされたとはすばらしい。ご家族や地域、医療機関の支えがあっての事だと思います。お年寄りって生まれた時から居たせいか、「永遠にいる」ような妙な錯覚がありますが、全然違うんですよね。今は父母とのお別れを考えて、そんな年になったんだなと思っています。
第8話 紫蘇と梅干し への応援コメント
梅干しは毎年漬けますよ。出来るだけ減塩にするので下漬けでカビないように管理するのが大変です。土用干しも暑さの中で頑張ってしてます。
消えていく原風景なのかもしれませんね。
作者からの返信
いまは減塩が主流ですから、大量に漬けられないんですよね。保存食というより健康食みたいになっているかも。土用干しも、ほこりを避けながらですから。
第6話 いい虫悪い虫への応援コメント
だしに似たようなものを、我が家も夏に作ります。生姜を使っていないのと、オクラを生で刻んでいるのが違うくらいです。今は、スーパーでパック売りされていますね、山形のだしって商品だったかな。
さっぱりとして美味しいので食欲が無いときに重宝します。
作者からの返信
だしは、テレビで取り上げられるようになってからでしょうか、あんなに有名になったのは。
火を使わないしとても美味しいんですが、私の子供の頃はあまりなかったような気がします。母曰く、あれは村山地方の料理なんだそうで。
豆腐にのっけたり、刺し身コンニャクとあえたり、色々美味しいですよね。我が家もよく作ります。
第14話 ストーブスープとおこた甘酒への応援コメント
私の母の里は新潟県の旧山古志村、山間の豪雪地ですが、やはり同様に甘酒や雑炊などが好きで、昔はよく作って家族に出してました。…私は小学生の時、一度だけ真冬の山古志に母と行ったことがありますが、バスは途中で運行打ち切り、必死にたどり着いた家屋内は極寒で、本当に炬燵に全身潜って泣きました。…やっぱり甘酒だよね!
作者からの返信
やっぱり甘酒と、熱燗ですね。高血圧と脳血管症まっしぐらの生活になりますよ。
第8話 紫蘇と梅干し への応援コメント
紫蘇ってのは言ってみれば日本を代表するハーブですね!…私個人的には赤紫蘇というと、連想するのは「マムシ酒」です。…両親の里の新潟県中越地区は蛇が多く、マムシを捕まえると大抵マムシ酒にします。
作り方は割愛しますが、最後に一升瓶の中に生きたマムシを酒浸けにして、赤紫蘇の葉をどっさり入れる!
マムシの生臭さを消し、赤くワインみたいな色になり、飲みやすくなる。滋養強壮、肉体疲労時に新潟で祖母が飲ませてくれました。…当時私は小学生だったのに!…
作者からの返信
マムシ酒は作っている人いましたね。当地はマムシというより青大将が多くて、床下に居たり、家の中に入ってきたりもするんですよね。鼠を捕ってくれるからいいんですけど。
今は亡き近所の八百屋さんが、捕ってきたマムシをよく庭先でペリペリ皮剥いていました。一度やらせてもらったことがあります。
第11話 芋煮会への応援コメント
山形県は個人的には必ず年一回以上は訪れています。…実は私は果物の中ではサクランボが一番好きなので、毎年6月に車で寒河江にサクランボ狩りに行きます。ルートは国道287号線を行くので白鷹、長井、川西経由で会津喜多方に抜ける道筋…
山形の芋煮会は楽しそうですね!もはや立派な郷土文化ですよ。…最近は東京近郊のスーパーなどで「山形のだし」を売るようになったので、私は冷や麦やそうめんの薬味などに大変便利に美味しく利用しています。
作者からの返信
山形訪問ありがとうございます。6月に行かれた時は是非、小さなローカル路線の『フラワー長井線』にも乗ってあげてください。日本最古の鉄橋や、大正二年建築の西大塚駅など見どころありますが、車窓ぎりぎりに植えられているサクランボの木や、果物畑の中をがたがた走る一両だけの列車です。
芋煮会は、芋煮の味そのものよりも「やる事」自体がレクなんですねえw
287号線はニッパナと呼ばれている山の中の幹線道路。ちょっと外れますけどここはいいお店ですよ。『獅子宿 燻亭』
http://shishiyado.club/
第6話 いい虫悪い虫への応援コメント
茄子!…はもう、子供の頃は大嫌いでしたが、これこそ劇的に大人に(というか中年過ぎたら)なったら急に食べるようになり、今では大好き!不思議ですねぇ!…私自身は東京生まれですが、理由有って幼少時に父親の里の新潟の山中で育てられ、祖母始め本家の人々に可愛がられたので田舎には良い思い出しかありません。…その新潟の話を近々ここで連載読み物として書きますので興味頂けたら是非一読を願います。…では!
作者からの返信
うちは料理上手の母がいろいろ工夫して食べさせてくれたので、好きな材料になりましたが、好き嫌いはありますね。旦那も大嫌いですが、息子は大好きとか、同じように食べさせていても別れますし。
森緒さんの書かれるものが良きものであることを祈ります。
第2話 ふきのとう味噌と天婦羅と山菜への応援コメント
…私の両親は新潟県の豪雪地の出身なので同様にふきのとう味噌始め山菜を食べていました。私も子供の頃は「何でこんな物を有難がって食べるんだろう?」と思ってましたが、不思議なもので、30過ぎた頃からやはり山菜の旨さ有り難みが分かるようになりました。今月、父親の実家で法要があり、新潟に行きましたが、親戚一同の話の種はほとんど山菜採りに関するものでした。良いなぁ!山菜料理!
作者からの返信
お読みいただきコメントをありがとうございます。
ご両親の新潟の豪雪地帯というと、恐らく山に接しているあたりですね。山菜の美味しさは、正直今も分からないものがあります。苦いだけでなく、独特の香りが強いものがありまして。こんなのより普通におさい食べたほうがいいよお、と思っていました。
今でも「アイコ」や「ショデコ」と呼ばれる山菜は苦手です。
やはりそちらでもご近所や親戚が集まって山菜採りのお話になりますか。春の山に入ること自体が楽しいですものね(^^)
第3話 くじらの味噌汁への応援コメント
鯨の竜田揚げは給食で食べました。生姜を効かせて臭みを押さえてあった記憶が。私も鯨の臭みが苦手で。その鯨の味噌汁の描写で思い出したのは、猟師さん宅で出された熊肉の味噌汁です。脂の層といい臭みといい、似ているような気がしました。
一切手をつけられず、申し訳なかったなぁ…。
獣臭って、辛いですよね。
作者からの返信
東京育ちの旦那もよく給食に昇ったし、お惣菜屋で売られていたというのですが、山形では見たことなかったんですよ。そして熊肉は確かに獣臭凄いですね。雑食だからかな。脂が匂うので、熊カレーとかも辛いです。ともあれ故郷には熊鍋を出してくれるマタギ宿もあるのですが。
第2話 ふきのとう味噌と天婦羅と山菜への応援コメント
なるほど、炒めないふきのとう味噌、色がきれいでしょうね。我が家は炒めて作っていましたが、これを来年は試してみたいです。
とは言え、実は私もふきのとうは苦手です。アク中りをするので、アクが強い山菜はあまり食べられません。
主人がふきのとう味噌、大好物で、ウコギご飯も、ふきのとう味噌も結婚してから覚えました。
作者からの返信
白味噌を使うとさらに色が引き立ちますが、実際作ってみるとなんというか、タイのグリーンカレーのような微妙な色でした。混ぜた後非加熱な分日持ちしないので、少しずつさっと作って食べきる方が無難かもしれません。もしくは毎日レンチンするとか。私もあくの強いものを食べると痒い湿疹が出てしまうので、帰省した時など気を付けています。ご近所からたくさんいただくので。
第1話 お米に神様? への応援コメント
はじめまして。
ウコギご飯、我が家も毎春、庭の新芽を摘んで炊きます。
このレシピでもう一回、炊いてみたいと思いました。
米沢には時々行きます。
私はお隣の福島県に住んでいるので、山形には親近感があります。
方言はかなり違うのですが、東北の素朴な言葉の響きは、なんとなしに郷愁を誘われます。
楽しみに読んでいきます。
素敵なエッセイをありがとうございます。
作者からの返信
はじめまして。子供の頃はほろ苦さが正直苦手、しかもシーズン中何度も登場するので飽きていたんですよ。でも大人になるとまた感じ方が変わってくるものですね。
山形県と福島県は、吾妻連峰と飯豊連峰を隔てて南北、県の北部に移動するより近かったりします。
40年位前のお話しですが、お楽しみください^^
第3話 くじらの味噌汁への応援コメント
赤みか脂身の違いのような気がする。大和煮が1番クジラを美味しく食べれる料理だと思う。
作者からの返信
脂身はそれだけで癖がありますし、加熱しているのでなおさら湯気と共ににおいます。缶詰が一番好きです。
第2話 ふきのとう味噌と天婦羅と山菜への応援コメント
ふきのとう味噌、大好きです。
お豆腐の田楽にも、ほかほか焚きたてご飯にも、若いたけのこをさっと焼いたのにも、合いますよね。
出始めのふきのとうは、春間近の味ですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。フキノトウは当地では普通に庭に生えてくるので、各家庭で摘んで、いろいろ工夫して「その家庭の味・作り方」を披露しあう感じですね。
今はまだまだ雪深く、つららが2メートルにもなっている実家回りですが、一斉に芽吹く季節はこれから。思い出しながら書いています。
(でも未だにフキノトウ味噌は苦手…)
編集済
第15話 兄と妹と、冬至カボチャへの応援コメント
美味しいですよね~☆二十代の頃、社会人になってから社員食堂で初めて食べました「かぼちゃのいとこ煮」というネーミングにもグッときました。うちの母(青森県人)は作ってくれなかったです。ワタシは時々、缶詰と冷凍カボチャで作ります。でも、息子が小豆などの、あんこものが苦手で残念。
作者からの返信
美味しいんですよねー。今年は私もゆであずき缶で作りましたが、写真で見た「いとこ煮」は醤油も入った甘辛味、小豆か赤いささげ豆と結びこぶが入っていました。各地で色々あるんでしょうね。
我が家の息子はあんこは好きですが、ぽくぽくのカボチャが苦手。だから小豆カボチャにすると喜んで食べます。離乳食では喜んで食べていたのに。
第14話 ストーブスープとおこた甘酒への応援コメント
小さな身体で 吹雪の中帰ってくるなど、積雪数センチの地方に住む私にとっては恐怖でしかありませんが、
ストーブの熱と混ざり合う煮物やスープの香り、冷たい手足をほかほかにする おこたと作りたての甘酒、どれもほのぼのとした冬の団欒そのもので 羨ましいです。
大鍋で炊いたスープは濃縮されて 最後まで美味しいでしょうね。水炊きの豆腐の熱さは 読みながら噴いてしまいました。ごはんの後の定位置もすっぽりとはまって暖かそうです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。小学校までは結構距離もあったし寒いと思うのですが、子供の頃って不思議と感じないものですね。吹雪の中で雪遊びなんかしていましたから。今では信じられないです。
ストーブは本当に生命線で、でも消し忘れて夜中に大火事で死亡事故、等という悲劇もありました。甘酒もスープも、作っては見るのですが、やはりあの味とは違う気がします。
第13話 菊と温泉への応援コメント
山形の秋の味覚と湯の旅、 朝からゆっくり頂きました。ありがとうございます。
読んですぐ『もってのほか』を調べると、漢方にも使われるだけあって 生活習慣病に良さそうな効能が一杯。子供には ちょっと渋すぎる味?(笑) でも鮮やかな色が食卓に上るのは産地ならですね。アケビの詰め揚げは 湯上がりに日本酒と頂けたら最高に違いないです。ああ 食べたい。
お祖父様とお祖母さまの 小さな旅に くまさんと一緒にお供する伽那子ちゃんの様は愛らしく、温泉とともにお祖母様の癒しにもなっていたでしょうし、お祖母さまは きっとその時間を伽那子ちゃんに覚えていてほしかったのではないかなあと。
時に辛い思いをなさっても、歳を経て 素敵な時間を過ごされたのは、 美しいお祖母さまのお人柄による所が大きいのでしょう。とても真似はできませんが、憧れます。
作者からの返信
「もってのほか」もたまにすこーし食卓に上ればいいのですが、産地なのでどさっと出るんですね。子供にはきつかったですねえ。
祖父は本当に献身的に祖母に尽くして、無口だけど仲のいい夫婦でした。一回も「できないのか?」とか文句言ったりしないし、お手洗いもお風呂も、足の悪い祖母が膝を曲げないで入れるように作ってありました。父が結婚相手に兄弟の沢山いる母を選んだのは、義理であっても「兄妹」がほしかったから、もあったと思います。アケビの皮を食べる地域はあまりないらしく、山形では中身より皮の方が珍重されていました。アケビが入手できたら是非。
編集済
第8話 紫蘇と梅干し への応援コメント
まず赤紫蘇の逞しさとサッカー男子に 思わず噴いてしまいました。赤紫蘇の生命力恐るべし。
広く風通しのよい家、梅干し作りに参加する子供たちの様子が 夏らしくて微笑ましく、田舎の家に従兄弟達と集まって遊んでいた頃を思い出しました。あのときは 毎年ずっと変わらず同じ夏が来ると思っていましたが。
梅干しは農家の叔母に貰ってばかりで作った経験がなく、紫蘇マジックを幼い目で体験できなかったのが 残念に思えてきました。
梅干しが低塩になった今でも、幼い頃の感覚をかなり瑞々しく蘇らせる作者さんの記憶の箱。まだまだストックがありそうで 期待してしまいます。
作者からの返信
赤紫蘇は本当に逞しくて、横にも縦にも枝を伸ばすので藪になります。
子供も参加の梅干しづくり、何の役にも立たない邪魔ばかりだったと思うのですが、いつか伝えていかなくてはと母たちは考えていたのだと思います。でも作ると大量にできるので、「買う方が早くて少量手に入れられる」のがいい世の中になってしまいましたから。私も専ら買う派です。紫蘇の色マジックは今思うと化学の実験ですよね。
この時叱られていた男の子たちも、今は良いおっさんたちになっています。
第6話 いい虫悪い虫への応援コメント
夏の菜園は緑と白と茄子の紫、色とりどりで美しいですね。
採れたて茄子はみずみずしくて美味しいですが、あのとげは厄介。
お祖母さまの治療は優しく画になって、きっとお母様も同じように伽耶ちゃんにしてあげたかったのでしょう。刺さったトゲは、治療してもなかなか抜けなかったのかと想像してしまいます。
レシピを読んで、冷蔵庫の中を確認。今日はオクラと茗荷を買って 山形の夏の味を頂きます。
作者からの返信
冬が長く春と秋は短く。夏は長らく日本最高気温の記録を保持したほど暑く。四季がとてもはっきりとして居るので田畑は本当に美しく、また手間がかかります。母が私に素直に向き合ってくれるようになったのは大学に進学して地元を離れてからかもしれません。理解したかな?と思えるようになったのは自分も子供を授かってからです。あの頃はひたすらに反発していましたからねえ。山形の夏の味、色々応用が利くので是非どうぞ。
第5話 メロン爆弾への応援コメント
どれも美味しそうな果物ばかり。山形の地の水と気候はお米以外にも様々な実りをもたらしてくれるようですね。
桃の僅かに固くて口の中でゆるりと溶けていく食感に滴る果汁等々 読んでいると香りまで想像してしまいます 。スイカ風呂の香りを想像するのは恐ろしいですが(笑)
果物狩りでの園児の手、おばあさまにお願いされて 仏壇ふきふきする伽耶ちゃんの小さな手の可愛らしさに 朝からほっこりできました。ありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。野菜の話が続いたので果物の話にしてみましたが、スイカ風呂もメロン爆弾で全て実話というのが怖いことで。果物はきりっと冷やすものとぼんやりと室温が残ったものと、食べる温度で甘さが違っていた気がします。今後もお楽しみいただけると幸いです。
編集済
第4話 野草のお澄ましへの応援コメント
ほぼ、同年代だと思うのですが、
転勤族で核家族の我が家とは、
かなり違うな~と思って読んでおります。
心のこもった、丁寧な生活。
昭和の主婦は大変!
(ましてや嫁は、なおさら)
「野草のお澄まし」とは、
思いで深い、ほろ苦い料理だったのですね。
作者からの返信
うちは戦後に家を建てたのでまだ新しい住民だったと思います。周りも何代も住んでいる人たちばかりでした。都市部はもっと近代化した台所だったと思うのですが、寒冷地で四季の天候の変化も激しいところなので大変だったと思います。野草のお澄ましはねえ、おばあちゃん本当にごめんなさいですよ。
第3話 くじらの味噌汁への応援コメント
くじらの味噌汁ですかー…。
比較的くじら肉が手に入りやすい(ベーコンとかジャーキーみたいなのとか)地域に住んでいるのですが、それは聞いたこともありませんでした。
たしかに、味噌汁にするとちょっとにおいがキツそうですね…。
作者からの返信
私も鯨ベーコンとかは見たことあるのですが、熱々の汁物となると匂いがダイレクトすぎて、郷土料理ではありますが受け継ぐことのなかった料理です。でもお好きな方は結構いらっしゃるんですよねえ。
第3話 くじらの味噌汁への応援コメント
鯨の竜田揚は食べていた読者です。
子供時分はくさみのある食べ物は苦手ですよね。
伽耶ちゃんにとってはツラすぎて忘れられない母の味。
味を引き継ぐ事はできなくても、文章で味の記憶を残すのも親孝行なのではないかと思います。(親不幸ものは胸がちりりと痛みます)
作者からの返信
鯨の竜田揚げはお目にかかったことありませんでしたねー。曖昧な記憶を思い出すために母に電話をかけると弾んだ声であれこれ喋ってくれるので、やはりうれしいのかもしれませんね。
第2話 ふきのとう味噌と天婦羅と山菜への応援コメント
レシピのきちんと書かれた飯テロ的エッセイ(´・ω・`)
僕は大好きです。
んーっと旬のものということばと「土地のもの」という言葉には若干、思うところはあるのですが、でもやっぱり海苔の代わりに高菜の葉で巻いた握り飯や豚の脂で炒めた味噌をのせたご飯、そしてアジの干物。喰いてぇよ母さんの飯が喰いたいよ(´;ω;`)お腹減りました。
作者からの返信
雪の残る県境の山の奥に採りに行く、という行為自体が「春のレク」なので、山菜採りは地元意識と強く結びついているんだろうなあと思いました。地元にも高菜に似た「青菜(せいさい)漬け」はあったのですが、細かく刻んで糸切りするめやニンジンと混ぜて漬けなおした「おみづけ」や、塩出しして糸コンやちくわの輪切りとゴマ油で炒め煮して食べたりで、広げておにぎりを巻くという習慣はなかったんですよねえ。飯テロになっちゃうのでおなかが空いていない時にお読みくださね。
第1話 お米に神様? への応援コメント
夜中とかお腹空くから読んだらアカンやつですわ(´・ω・`)
お米は正義。
「じじちゃ、納豆でご飯食っていいが?」
で目頭から水が出ました
作者からの返信
お米は正義。戦争中は働き手の男たちが兵隊にとられ、お米その他の生産力もがくんと下がったのだと聞いています。じじちゃたちは大正・戦前の贅沢できた世代ですが、『米は国のかなめ』と思ったんでしょうね。
自分は母に聞くより父に聞くより、まずじっちゃ、ばっちゃにおねだりするのを覚えた孫でしたw
第2話 ふきのとう味噌と天婦羅と山菜への応援コメント
機を織る音、天ぷら食べる音、雪解け水の冷たさ、山菜採りの土の香り。
忘れていた 田舎暮らしの幼い頃の感覚を思い出しました。
ふきのとうみそ をごはんの上にのっけたいですよ お祖父様。
作者からの返信
機を織る音も一台だけなら風情になりますが、何台もあると立派な騒音で、裏の家からよく苦情が来て母が付け届けをしていました。とはいえ廃業した今はとっても静かな実家で何だか変な感じです。おじいちゃん、お亡くなりになる直前はお粥に母の味付け味噌を乗っけて食べていたみたいです。全く頑固だったんだなあ。明治の男。
第2話 ふきのとう味噌と天婦羅と山菜への応援コメント
んおぉ…美味しそう…。
山菜大好きなんです。素晴らしい描写力のおかげで、お、お腹がすいた…(笑)
作者からの返信
山菜って中華や洋食は今一つ合わない(今ではいろいろ工夫されているかも) のでどうしても単調になってしまうのと、季節物なのでそれだけがワーッと食卓に並ぶんですね。しかも毎日。だから好きになれなかったのかも。昭和40年代の光景ですね。
第1話 お米に神様? への応援コメント
とってもほっとします…!
私はギリギリ昭和生まれの若輩者ですが、すごく「好きだなぁ…」と思います!
ご飯の描写、レシピはさることながら、ご家族のあたたかさが堪りません…!
すてきだなぁ…
作者からの返信
コメントありがとうございます。どっぷり昭和の、今の朝ドラ「ひよっこ」のあたりに生まれた者なので、時間の流れ方や家族の距離の取り方が全然今とは違いますよね。我が家は自営だったのでなおさらです。三世代同居で六人。たまに職人さんの子供達ものまじるので8人くらいになる時もあり、母は内心「もっと自由がほしい」と思っていたかもしれません。ま、こんな家が昔ありましたよという事で、時々ホッとしに来てください。読むところ増えているかも。(^^)
第1話 お米に神様? への応援コメント
地元ごはんエッセイは、東北の家族の雰囲気も味わえてレシピもついて と 短い中にもなかなかの情報量でした。 おうちの約束にちょっとがまんの かなちゃんを想像するのも楽しいです。
耳慣れないけれど人柄が伝わるお国ことばって いいですね。
作者からの返信
これから書き進めようと思う郷土食も方言も、徐々に受け継ぐ人口が減っている感じが、都心に居ながらにして感じます。ちょっとずつ書いていきますね。
第1話 お米に神様? への応援コメント
お米大好きで楽しく拝見しました。ラノベの中でとてもほっとしました。
ご飯のお供も美味しそうです。
作者からの返信
お料理エッセイはいつか書いてみたいと思っていたので、カクヨムさんが書きやすいサイトで助かりました。ホッとしたり、うーんとなったり色々小ネタをぶち込んでいきたいと思います。続きをお楽しみに(^^)
第13話 菊と温泉への応援コメント
いい温泉ばかりですよね。赤湯、白布、天元台。小野川にはホタルを見に行きました。
もってのほか、好きです。でも、たしかに子供ウケはしないんですよね。うちの子たちも、食卓に出すと苦い顔をしていました。