34年間生きてきて、友達もおらず、まともに社会性を築くこともできなかった主人公。ついに精神を病み始め、病院で入院することになるがそこで彼は医者からある薬の治験を勧められる。その薬を飲めばネガティブな性格を変えることができるという。薬の服用後、徐々に主人公の性格は改善されていき、職場に復帰する頃には同僚とも快活に話せるようになり、長年抱えてきたコンプレックスも克服し、やがて彼女もできる。しかし本人の自覚のないところでもっと大きな変化が起き始め……。
冴えない日常を送る主人公が病んでいく様子のディテールがとにかくリアルで読んでいるこちらまで憂鬱な気持ちになって引きずり落とされる劇薬のような作品。主人公がお前と呼びかけられる少し珍しい二人称形式で物語が進むのだが、途中で明らかになる語り手の正体にはゾッとさせられる。冒頭から主人公に浴びせられる冷酷な言葉の数々もちゃんと意味があるとわかるから恐ろしいという極上のサイコホラーだ。
また余談ではありますが、この小説を読んでからしばらくは爪切りを直視できなくなりました……。
(「悪い人たちの物語」4選/文=柿崎 憲)
最初は自虐的私小説のような体で始まるので、すっかり騙されてしまった。供述のリアルさは元より「お前小説」というべき新しいジャンルを開拓したかに思える。
勘のいい読者ならこの時点で解離性の人格障害を予想するかも知れない。その通り、これは歴としたホラーであり、SF小説なのである。現代科学はキチガイの脳の中に正常な人格を形成することに成功したのだ。
もともと精神の異常と正常の境界などは普遍性を基準にしただけの曖昧なものだ。
夢野久作の『ドグラ・マグラ』を彷彿とさせる彼らの錯乱した世界は、読み進むうちにその価値観の垣根を徐々に曖昧にさせ、やがて読者である私たち自身が外側にいる傍観者から彼らの側へと一気に引き寄せられる。
この小説は、「私(お前)小説」の形態を取りながら、最後まで私は出てこない。彼は第三者視点で自分自身が語り部となるための装置でもある。最後の最後まで真相を明かさないストーリー構成も見事だった。
書き表されている内容の好悪と面白さは関係がない、その概念を体現したかのような話です。道行く片っ端から口に突っ込んでおすすめしたいが、それをするのがはばかられるという全く希有な作品です。向こうから語りかけてくる形の文章なので特段難解な部分もなくするすると読めてしまうのですが、するすると入ってくるのがどろどろとした『嫌さ』みたいなものなので次々いやな気持ちになります。そのほとんどが『理解できる』『身に覚えがある』類いの嫌さなのでめっちゃ嫌になります。しかし面白い。
ストーリーは『居場所のなかった主人公が居場所を見つけるまでとそれから』が投薬を絡めて繰り返し描かれており、ほしかったものを手にしたり、奪われたり、救いを見つけたり、またそれを失ったりということが行われます。この光と闇の間で揺れては戻る一進一退が、この先どうなるのだろうとスクロールする手を進めさせます。ストーリーの先が気になって一気に読んでしまいました。前述のことから個人的に描写がきついのは導入に当たる最序盤で、あとはつらいのとまあまあしんどいのが波状になってくる感じでした。
この話は緻密です。解像度が異様なまでに高いです。もしくは、『これは自分の話だ』と思わせる力が強いです。生きていることに対して後ろ暗い気持ちを抱えたことがある人には実体験として『わかる』部分があると思います。読んでいる途中、何度か吐きそうになりました。夜食を食べていたら実際に吐いていたかもしれません。それくらいの実感を伴った痛みをもたらします。しばらくカップラーメンもチーズも食べられそうにないです。あと緻密と言えばもう一つ、二人称さんが『おまえのことはわかっているよ』というように口をきく描写の出来が非常に良いです。
それはそれとして、論理性と(ある種の)正義感のあるタイプの狂人の醸し出す可愛げのマニアの人にもおすすめです。少し読み進めると出てきます。表面上好きになる要素がほとんどないのにあなたもきっと好きになる。これは運命なのではないか? 運命です。フェイタル、もしくはドゥームのほうです。逃れ得ぬ破滅。人間が破滅に突き進む様って美しいと思いませんか? そうして身に持つ因果の糸が引かれたとき、一等強く光るのです。私はそこに光を見ました。目もくらむほどの強い光です。作中では否定されていますが。私は見ました。私は。
そこはあなたにも見てほしいと思います。三回くらい光ります。光っていました。そこには光が。おすすめです。
この人と仕事したくないなー という相手、一人や二人いる。いい人なんだけどなー、とか、仕事もふつうなんだけどなー、などと思いつつ、なんとなく、その人と仕事したくない気持ちをずっと抱えている。こんな経験、私だけでしょうか?
この物語は、「この人と仕事したくないなー」が「この人が生活圏内にいてほしくないなー」果ては「世の中にいてほしくないなー」レベルまでに広がったディストピアの一歩手前を描いています。主人公の変なおじさん34歳は、関わりたくない代表。そんな関わりたくない代表の人生を、第三者が語っています。だから関わりたくない変なおじさんの人生を「うわー、関わりたくない」という気持ちのまま読み進めることができます! やったー!
ところがなぜか、読み進めていくうちに、その気持ちが塗り替えられているんです。関わりたくない変なおじさんに、むしろ関わりたくなっている。彼の物語が気になって気になって、途中からスクロールが止まりません。なぜかっていうと… 嫌悪感もあったけど、この変なおじさんってなんと自分のことだったんだ。むしろ、登場人物のほとんどが自分なんですよ。自分じゃない登場人物なんていないくらい、嫌悪と共感が入り乱れます。
千葉さんの作品は、個人をひたすら深く深く深く掘ってくるんですよね。もう底に着いたでしょ、これ以上はマグマがあるだけだし浮上しないと読者も息苦しいよ、という地点にたどりついても手をゆるめることなどなく、むしろ更に力をこめてマグマに飛びこんでいく。恐怖を直視することが耐えられない(だから恐怖を茶化す)というような話が作中に出てくるのですが、まさに、ほかの人が直視できず思わず目をそらしてしまいたくなるようなことに、じっと視線をそそぎ続け、恐怖の色や形や手触りを事細かに教えてきます。でもそれは怖がらせるためにやってるわけではありません。むしろ、直視できない私たちの代わりに見てくれているような気がしています。そしてその先にあるものへと導いてくれるのです。
まともってなんなんでしょうね。社会から排除していいと判断された人間と、社会に残っていいと判断された人間。その判断をするのは結局のところ人間です。この作品の未来に待ち受けるものがディストピアならば、現実社会はすでにディストピアに片足をつっこんでいます。集団で個人を排除する光景、私たちは知っているはずです。どうか、こぼれおちた人の受け皿となる手が奇跡でなくなりますように。
ところで千葉さん作品に登場する女性って本当にいい味出してる……。おじさん(女)に、おじさん(私)キュンとしちゃいましたよ。
とにかく「まともになりたいか?」この一言が心に刺さった人間は出来るだけ前情報抜きで早く是非読んでほしい
そして私と語ってほしい これだとレビューにならないのでちゃんと書く
出来るだけネタバレを抜きにして語るが多少展開を含んでしまうので
そういうのが気になる人はここでやめて早めに読んでほしい
ある日ストレスが重なって精神を病んだ主人公は奇行に走り入院する
そこで「性格を矯正出来る」というある新薬を試すことになるが……?
もうとにかくめっちゃ怖い。
これ性格が治るっていうより性格がいいとされる人格が生まれちゃう
そして「俺のがいい奴じゃん。だからお前は消えちゃえ」と自我を消しにかかってくるのだ。
怖い。怖すぎる。
何が怖いって今まで関わって来たありとあらゆる常識が通用しない。
通用しないどころか常識が牙を向いて襲いかかってくる。
だってあっちの方が「まとも」だから……!
「気の利いたこと言わなくちゃ」「変なこと口走ったらどうしよう」「すてきなあいさつを」「友好な人間関係を築くための必要なスキル」「愛されるための振る舞い」「バーベキューに呼ばれたい」「彼女ほしい」「豊洲とかすごい街に住みたい」
言葉にすると「いや気にすんなってw」と思わず否定してしまいたくなってしまうような響きだが無意識化で私たちはどこかもっとこうでありたいと願ってしまっているところは…ないだろうか……
心の隙の突き方が尋常でなく良い意味でえげつない。おのれ角山製薬め
しかも傍目から見るといい(とされる)ことづくし!なので誰も助けてくれない
こんな孤独が許されてたまるか!?悲しくなっちゃうだろ!
主人公がおじさんなのも最高だ。
かわいそうな少年少女とかじゃないので全然同情を誘わない。
いわゆるフィクション上のアバターとしての逃げ場にならないのだ。
「あなたはあなたのままでいい」ありとあらゆる物語で役に立つ(とされる)
この伝家の宝刀がこの物語を読んでいる際には通じない
だって女性器の名前を意図せず叫んでしまうおじさんにあなたは言えるだろうか
いきなり癇癪を起こしてわめき散らし爪切りで自傷するおじさんに
あなたはあなたのままでいいなんて心から言えるか?
私は初めて見た時正直関わりたくないと思った
(一見の判断であげつらう風潮を的確に撃ち抜いている小説でもあると思う)
だからこそこの小説は「まともになりたい」私やあなたの痛みに正面から向かい合ってくれる物語だ
上記のようなどうしようもない振る舞いを魔法のように消せるとしたら思わずすがりついてしまうのも無理はない……
というかそう思わせる描写のリアリティと底力がこの作品にはある
そしてこの小説の視点がわかったとき本物の恐怖が襲ってくる
一体誰のために戦うのか、本当に考えなくてはならないその時がやってくる
めちゃくちゃ痛いし怖いけれど私は" "が苦しんで考えて悩んで下した答えを尊敬しているし、大好きになった。
もうちょっとなんか本当にいいのでとにかく読んでくれ〜!
おすすめ!
性格を薬の力で変えられる、って言われたら、どうする?
他人とまともに喋ることもできないお前は、とある薬の治験を受けることになった。
「お前」という二人称で綴られる、珍しい小説。
その意味がわかった瞬間、世界がグルリと反転します。
暴力描写・残酷描写があります。
この著者の描写は本当に心を抉ってくるので、苦手な方は読まないほうがいいです。
物理的に痛い描写もですが。
知らなければ無かったことにしておける、気付きたくなかった、「逃げ」を直視させられる心理的負荷が凄いです。
精神的に凹んでいるときは避けたほうがいい。
それでも。
読み始めた方は、ぜひ最後まで読んでほしい。
まともってのは、何だ?
読み始めたら止まらず、一気に最後まで読んでしまいました。
吐き気がするほど面白い!
現代に生きづらさを感じている人、死んでしまえたら楽なのにと思っている人。
そういう人にオススメの作品です。
この作品を読めば、自分を苦しめている『価値観の呪縛』を解くヒントが、きっと得られるはずです。
ただし、この作品は刺激が強すぎるため、心にある程度の余裕があるときに読むようにして下さい。
自己嫌悪で死にそうなときに読んでしまうと、さらにしんどくなる恐れがあります。
最後に。この作品を書き上げた作者は天才だと思います。感情を言語化する能力が素晴らしい!
二重人格物。
この作品は乱暴にいったら現代版ジキルとハイドだ。
そして世間様から見て元人格のジキルの方がロースペック。
薬で作られた人格のハイドの方がハイスペックという、ざっくりいうとそんなお話だ。
ロースペックと書いたが、まあこのジキル役が・・・・・・この作品を語る上で、人をはかる物差しめいた言い方はあまりしたくないが、ネットでよくいわれるダメダメな「俺ら」よりもしんどい性格をしており、トラウマを抱えている。
ケチのついた人生を送っている人物なのだ。
この点がこの作品のとんがっているところであり、人によって読み進められるか途中で読めなくなるかのキズでもあると思う。
また一方のハイド役が外面のいい、社交的なキャラクターであるところが読者を悩みもだえさせるだろう。
・・・・・・ただ見方を変えれば「パスみ」のある高機能社会不適合者であるところも注目していただきたい。
他のレビュアーの方が書かれているが、途中から読みたくなくなった場合、途中中断してもいいと思う。
でも、いつか気が乗ったときに最後まで読んでみて欲しい。
そんな作品だ。
読んでいる間、震えと悪寒が止まらなかった。
自分がずっと感じていて、それでいて気付こうとしていなかった、いや目を逸らしていたものを語彙と表現に富んだ鋭い文章で突き刺され続けた。
「辛かった」のは事実だが、それでも読むのを止められなかった、止めるわけにはいかなかった。一度読み始めたら最期、結末を読むまで心からは血が流れ続ける。
だが、最後まで読み終えた時、読んでいる間の苦痛の意味に気付く事が出来た。耐えることが尊いとか、根性が大事とかそういう話ではなく、辛いと感じることについてだ。
一度読み始めたら読了まで時間はかからないと思うけど、念のため時間や気持ちに余裕のある時に読むことをお勧めします。
なんかもう、すごい。すごいとしか言えない。
嘲笑われる自分が恥ずかしくて、普通の人がうらやましくて、「まともになる」薬の治験に参加した34才おじさんのたどる道のり。
まともとは何か、自分とは何か、「生きていてもいい価値」とは何か。様々突きつけられる現実。問いかけ。
自分と自分でないものが混ざり合い、入れ替わる不気味さ。作り替えられていく自分への恐怖。
そして、それは、誰にでも平等にやってくる。
無垢であるが故の残酷、無知。そして無垢であるが故の弱さ。
読んでいてすごくえぐられるし苦しいけど、やめられないのは、物語が痛みだけではないから。
みじめな事であろうとも、積み重ねていく上で得ていく強さ。
痛みの向こうから、「価値なんて誰に肯定される必要もない」と、叫び続けてくる物語でした。
私の師匠のわかつきひかる先生はおっしゃいました。
二人称小説は一般的でないからやめておけと。
でも思いっきり突っ走ります。
精神病質の人が、精神病を感知する薬を飲みます。
すると、突然まともな人が生まれるんです。
心療内科のお医者さんが言う、健康にいいこと、自己肯定をはぐくむことをやり始めます。仕事もみつかり、自分の欠点は現れず、生活習慣は改善、心身ともに健康。
さあ、憧れの彼女もできました。いよいよ人生が開けます。みんな変わった後の彼が大好きです。
でも、それって、変わる前の彼と同じ人なんでしょうか。
テーマ的には、コンビニ人間と共通するものがあるのかも知れませんね。
心の闇、存分にえぐってみてください。あらゆる古典が肯定する人間的な幸せにノーを突き付け、存分に相対化して全てを壊してみてください。何かが生まれるか、それとも――。
やっぱりこういう小説を、『文学』と呼ぶのでしょうかね。
いつかこの作品がバーンと評価された時に「俺はあの作品があまり知られていなかったころから目をつけていたんだぜ」とドヤるために今のうちからここに記しておきます。
作中でも言及されているように、チャック・ポーラニック(わざわざポーラニックと表記するあたりにわたしのめんどくささを感じてください)の影響が強く見受けられる独特のタフな文体で、設定的にも底本としてファイトクラブがあるのはたぶん間違いないとは思います。
しかしある種のカルチャーに親しんだある種の世代においてはチャック・ポーラニックは影響を受けないのが不可能なほど強烈な存在感を放っているので、「チャック・ポーラニックの影響を受けているよね?」というのはほとんど「あなた人間ですね?」と言っているのと変わりませんから、あまり意味のない指摘でしょう。
そもそも真似しようと思ったところでそう易々と真似できるものではないからこそチャック・ポーラニックは今日でも燦然と輝くジェネレーションXのマイルストーンたり得ているわけで、そこにきて本作は、ただ表面上の(今のところ観測できている)設定がファイトクラブを彷彿させるだけでなく、もっと芯の部分でしっかりとポーラニックしています。
〇〇っぽいというのが作家にとって一般的に褒め言葉とはならないことは重々承知していますが、レビューという性質上、どんな読者を想定して連れてきたいかというとチャック・ポーラニック好き好きマンなので、こういった表現にならざるを得ないところがあってご了承頂きたいというか。
ポーラニックにハマッた経験のある人は是非「ほほう、チャック・ポーラニックっぽいとな? どれどれナンボのもんじゃい」と心理的ハードルを上げて読んでみてください。レビュー時点ではまだ未完ではありますが、この時点ですでに本作はそんなあなたをも興奮させるだけの十分なポテンシャルを持っています。