私もこういう小説を書きたいけど、千葉さんにしか無理ってわかってる

この人と仕事したくないなー という相手、一人や二人いる。いい人なんだけどなー、とか、仕事もふつうなんだけどなー、などと思いつつ、なんとなく、その人と仕事したくない気持ちをずっと抱えている。こんな経験、私だけでしょうか?

この物語は、「この人と仕事したくないなー」が「この人が生活圏内にいてほしくないなー」果ては「世の中にいてほしくないなー」レベルまでに広がったディストピアの一歩手前を描いています。主人公の変なおじさん34歳は、関わりたくない代表。そんな関わりたくない代表の人生を、第三者が語っています。だから関わりたくない変なおじさんの人生を「うわー、関わりたくない」という気持ちのまま読み進めることができます!  やったー!

ところがなぜか、読み進めていくうちに、その気持ちが塗り替えられているんです。関わりたくない変なおじさんに、むしろ関わりたくなっている。彼の物語が気になって気になって、途中からスクロールが止まりません。なぜかっていうと… 嫌悪感もあったけど、この変なおじさんってなんと自分のことだったんだ。むしろ、登場人物のほとんどが自分なんですよ。自分じゃない登場人物なんていないくらい、嫌悪と共感が入り乱れます。


千葉さんの作品は、個人をひたすら深く深く深く掘ってくるんですよね。もう底に着いたでしょ、これ以上はマグマがあるだけだし浮上しないと読者も息苦しいよ、という地点にたどりついても手をゆるめることなどなく、むしろ更に力をこめてマグマに飛びこんでいく。恐怖を直視することが耐えられない(だから恐怖を茶化す)というような話が作中に出てくるのですが、まさに、ほかの人が直視できず思わず目をそらしてしまいたくなるようなことに、じっと視線をそそぎ続け、恐怖の色や形や手触りを事細かに教えてきます。でもそれは怖がらせるためにやってるわけではありません。むしろ、直視できない私たちの代わりに見てくれているような気がしています。そしてその先にあるものへと導いてくれるのです。


まともってなんなんでしょうね。社会から排除していいと判断された人間と、社会に残っていいと判断された人間。その判断をするのは結局のところ人間です。この作品の未来に待ち受けるものがディストピアならば、現実社会はすでにディストピアに片足をつっこんでいます。集団で個人を排除する光景、私たちは知っているはずです。どうか、こぼれおちた人の受け皿となる手が奇跡でなくなりますように。


ところで千葉さん作品に登場する女性って本当にいい味出してる……。おじさん(女)に、おじさん(私)キュンとしちゃいましたよ。

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