四章 女の子はね、お腹が空くの
第1話
薄ぼんやりとした光が、閉じた瞼から透けて見えた。
「分かっているね」
「お前は、禁忌を犯したのだよ」
体を包むふわふわとした感覚は、何処か夢心地だ。
遙か上から響いて聞こえてくる声は、酷く固い。
激しく怒っているようにも感じるが、同情にも似た悲しさも感じる。
情報源が声だけだから、はっきりとはわからない。
男声なのか女声なのかすらも、良くわからなかった。
ただ、とんでもなく沢山の気配を感じた。どこだろう、ここは?
真理香先輩と乗り込んだ救命艇は、ちゃんと動いたのだろうか。動いていてほしいのだが……まさか、死後の世界ってやつじゃないだろうな。
「わかっています。罰は、何なりとお受けいたしましょう。この少年は、命を賭して私を守ろうとしてくれたのです。なれば、私も命を賭して守らねばなりません。それに、この子供はあの人の大切な命です」
耳元で囁いたのは、スルンツェだった。
ノイズが僅かに残る《モノクル》越しの機械めいた声とは違う、はっきりとした語気は、新鮮な感じがして……懐かしさも感じる。
閉じていた瞼を持ち上げようとしてみるが、意思に反して体は全くの無反応だった。声も出ないし、自分が息をしているのかすら、分からない。
「それに、この少年がいなければ。ミドゥバルが私たち《オンディーナ》の知識を……世界の中心に至る航路を渡していたかもしれない」
そうか、合点が行った。
今、僕は夢の中にいる。いや、もっとリアルに言えば、過去の繰り返しを見ている。
五歳の誕生日に起こった惨劇をスルンツェが僕に見せたように。
僕は今、過去にあった事象を夢に見ている。いや、聞いていると言ったほうがいいのだろうか。
どちらにしろ少し気が楽になる。死後の世界じゃないのは、確かだ。
審判を受けているのは僕でなく、スルンツェのほうらしい。
物騒な声が、彼方此方から飛んでくる。
「命を賭す、とは滑稽だな、スルンツェ。お前の中にある意思は、我らが培ってきた記録の集合体より集められたもの。我らと同じように、お前も含め、我々の存在はすべてかりそめのものである。賭ける命など、元からないだろうに」
「少年の行動は貴い」
「悼む思いは理解できよう」
「なれど、犯してはいけない領域がある」
「わからぬ訳では、なかろう。何を言っても、もはや手遅れではあるが」
雨が降るように、言葉が降り注ぐ。
黙っているスルンツェを、ばらばらに引き裂くような強い語気だ。
この体が動くのなら、怒鳴り返してもやれたのに。当時の僕は、何も行動に移さなかったようだ。
瞼から透ける光は、裁きを下されるだろうスルンツェと同じ場所にいると教えてくれるが、僕は立っているのか寝ているのかすらも、分からないでいた。
「個の一存で、全の存在に危機を齎してはならない」
「そもそも、少年の愚行がなくとも、なにも変わらなかったであろう。感謝など無用」
「けれど! わたしは、彼を助けたい。せめて、彼だけでも。この世界から、去る前に」
浮遊感の中で漂う僕を締め付けたのは。確かな感触のある小さな手だった。
「わかっている」
「お前は我らであり、我らはお前である」
「……わかっているな、スルンツェ」
「分かっています。私は、彼を助けます」
「どのみち、お前を我らは取り込むわけにはゆかん。追放だ」
◆◇◆◇
柔らかな重さを感じながら、僕は瞼を持ち上げた。
体はちゃんと動く。生きているようで、ほっとする。
真理香先輩と救命艇に乗り込んで早々、僕は気絶した。
なので、救命艇は空を飛んだのか、無事に《ケージ・コンベヤー》に辿り着けたのかは、見当も付かない。
僕がいる空間は真っ暗で、目が慣れるまでは、もうしばらく掛かりそうだった。
終わりよければ全て良し。と言うわけでもないけど、命があるなら、なんとかなるだろう。
体のほうも、ずいぶんと良くなっている気がする。倦怠感は抜けないが、もう苦しさはない。
「起きたの、空乃?」
僕の腹の上に転がっている真理香先輩も、無事のようだ。
「僕たち、どうなったんですか? なんで、真理香先輩は僕をお布団にしているんですかね?」
「電源が、ぜんぶ落ちちゃってるのよ。空調が効かないし、外にも出られないしで。じっとしてたら、寒かったの。文句を言われる筋合いはないわよ。むしろ、感謝して欲しいくらいね。だって、空乃、女の子と寝たことなんてなさそうだし
」
今の状況を〝寝る〟と表現する真理香先輩の真意を探ったところで、出てくるのは毒蛇だろう。噛まれたくないので、スルーして、体を起こす。
「小さい頃は、同じ孤児院の女の子と一緒のベッドで寝てましたけど」
「やだ、空乃ったら、ロリコン?」
「……小さい頃って、言いましたよね? で、
真理香先輩は乱れた髪を結び直しながら「たぶん!」と、自信ありげに曖昧な返事をしてくれた。どっちなんだ?
「とにもかくにも、電源を回復させないとドアが開かない……って状況なんですよね」
「寒いし暗いし、おまけに、シャワーも浴びられないわけよ」
救命艇なのに、シャワーが付いているのか。
半信半疑の僕に、真理香先輩が棒状の硬いものを投げつけてきた。肩がくっつくほどに接近しなければ表情も分からない暗がりで、たいした腕をしている。
渡されたのは、スティック・タブレットだ。手探りで起動スイッチを押し込むと、青白い光が救命艇をうっすらと照らし出した。
「これ、緊急マニュアルか。あ、本当だ。シャワーがありますね、おまけに食糧も常備されているみたいだ」
「そこそこ、美味しかったわ。《シルフ》の非常食だから、とんでもなく硬かったらどうしようって思ったんだけど、案外いけるのよ。ついつい、完食しちゃった」
「完食って、全部たべちゃったんですか? 資料を見るからに、備蓄は一年分って書いてありますよ? 冗談も、ほどほどにしてくださいよ」
考えてみれば、ずっと食事を摂っていない。昼に作ろうと思っていたカレーは、野菜の皮も剥いていない。緊張の連続で、すっかり空腹感を忘れていた。
きゅう~っと、か細くなる腹の虫。僕のものではない、真理香先輩だ。
「非常食を全部すっかり食べたんじゃないんですか?」
「お、女の子はね。なんでもかんでも、お腹が空くの。ちょっと歩いても、走っても、話しても体力をつかっちゃう生き物なの! しかたないんだって!」
「どういう、言い訳ですか」
スティック・タブレットのおかげで、真っ赤に染まった真理香先輩の顔がよく見える。傍若無人な性格だけど、照れたりもするんだな。ちょっと、意外だ。
「言い訳じゃないわよ! 空乃のためでも、あるんだからね」
非常食を食べ尽くすのが、僕のためだなんて。
慌てる真理香先輩はちょっと新鮮で、からかいたくなる。僕は不機嫌をめいっぱい顔に塗りたくって、見詰め返した。
びくっと肩を震わせた真理香先輩のお腹が、きゅるると悲鳴を上げる。どんだけ、お腹が空いているのだか。
「みてんじゃないわよ! 馬鹿空乃!」
さらに顔を赤くした真理香先輩が、大きく片手を挙げて僕の手からスティック・タブレットを吹き飛ばした。
再び、暗くなる視界。これじゃ、まともに動けないぞ。
『大丈夫ですか、空乃?』
スティック・タブレットの代わりに、もっと明るい光源が現れた。
休眠モードに入ると言っていた、スルンツェだ。掌サイズでも充分に周囲を照らし出す灯りに、真理香先輩は膝を抱えて顔を隠している。
「キミこそ、大丈夫なのか? 具合が悪いとか? 僕たちは、《ケージ・コンベヤー》に辿り着けたのかな」
尋ねれば『もう、大丈夫。辿り着けています』とスルンツェが微笑んだ。小首を傾げ、僕を見上げてくる。
「僕も、大丈夫だ……おっっつ! なんで、抓るんですか? 抓る必要ありますか、真理香先輩!」
膝を抱えたまま、真理香先輩が僕の太股を抓んで思いっきり
「ねえ、スルンツェ。さっきみたいに、この救命艇に電気を流せない? 《シルフ》製じゃ、壊す前に壊れちゃうもん、空乃」
間違ってはいないが、間違っていると思う。
『空乃が壊れてしまうのは、困りますね。がんばってみましょう』
「やった、これでシャワーが浴びられる!」
僕の太股から手を離して、真理香先輩が飛び上がった。
とたん、パーカーのポケットから長細い何かが落っこちた。なんだろう? 真理香先輩は〝しまった〟と苦い顔をしている。
「全部、食べたわけじゃないんですね。残っているじゃないですか」
「どのみち、私の胃袋に収まる予定なんだから、間違いじゃないし、嘘でもないわよ。ほら、返してって! 私の非常食!」
返せと言われて大人しく渡すほど、僕の胃袋は寛大じゃない。
これから、海賊が占拠している《ケージ・コンベヤー》内を散策しなくちゃいけないのだ。エネルギーは、どうしたって必要だ。
銀色のパッケージを抓んだところで、なんとなしに印刷されている数字に目が行った。
本能が、危機を悟ったのかもしれない。数字を読んで、思わず「うわぁ」と声が出た。
表示されている賞味期限は、十年前にすでに切れていた。
賞味期限の隣に印字されている製造年月日は、五十年前を示している。つまり、僕が生まれるずっとずっと前に作られた製品ってわけだ。
なんだか、タイムカプセルを見ているような気分になってくる。
五十年も備蓄できる非常食もぶっ飛んでいるが、トータルして六十年も経った食品を構わず食べる真理香先輩自身も、相当ぶっ飛んでいるな。
「いや、流石に、これはダメでしょう? 賞味期限から、十年も経っちゃってますよ。真理香先輩が六歳の時には、すでに食べてはだめとされている代物ですよ?」
「口が開いていないから、大丈夫よ。臭くもなかったし」
自信満々に言ってくる真理香先輩だけども、僕はちょっと挑戦できない。
「真理香先輩に、お返しします。代わりと言ってはなんですけど、先にシャワーを浴びさせて貰いますね」
また、取られては堪らないと思ったのか、真理香先輩は本当に何の頓着もせず非常食のパッケージを破った。僕の言葉は、耳に入っていないようだ。
「ほんとに、食べちゃうんですね」
スティック状にフリーズドライされたスープ片を抓み出し、真理香先輩は大きく口を開けて囓った。
……本来なら、水かお湯で戻してから飲むものだと思うのだけど、なんともワイルドな食べっぷりだ。
「スルンツェ。《ケージ・コンベヤー》内に、食事を摂れる施設は、あるかな?」
『検索してみましょう。近くにあると、良いですね』
真理香先輩の、「ずるーいー!」という罵声を背中に聞きつつ、僕は足早にシャワー・ルームを目指した。
ガーベイジコレクター 南河 十喜子 @shidousyouko
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