第8話
「き、貴様! それぇ」
ベビードールを着こなすエリカを指差し、グラジュスさんが大きな声を上げた。「私の、一張羅を」と、僕を気にしてか、声を小さくして続く。
ちら、ちらと向けられる視線が棘々しくて痛かった。知らんぷりが、いつまで通用するだろうか。
薄ピンクの可愛くてエロティックな衣装が誰のモノなのか、すでに僕は知ってはいる。
とんでもない秘密を握っているわけだが、交渉には使えない。口に出したが最後、問答無用に首をねじ切られるに違いない。
「ふふ。エリカ、似合うでしょ? まあ、どんな服を着ても、困っちゃうくらい似合うんだけどねぇ。うらやましい? ごめんなさいねぇ、《シルフ》ってごっついもんねー」
なんとも、あからさまな挑発だ。
僕が隣にいる手前、怒りを前面にできないグラジュスさんは、《ラーテ》の装甲もすり切れそうなほどに奥歯を噛み締めている。
「くっそ! 離しなさいよ!」
エリカの腕の中で、真理香先輩がじたばたと暴れた。よかった、とりあえずは、無事のようだ。
「やだやだ、乱暴な物言いね。初めて対面した母親に対して、つれないんじゃないの?」
「感動の再会なんて、一ミクロンも期待してなかったし! むしろ、会いたくなんてなかったわよ。絶対に、相容れないって、分かってたもの!」
身長は真理香先輩よりもあるとはいえ、エリカの体躯は華奢だ。若々しくもあり、老熟しているようでもある、年齢不詳の女。
「真理香ちゃんったら、怖いィ~。最後のお別れの前くらい、仲良くしましょうよ~。ほら、交流ってやつ。親子の交流~」
箸より重いものを持たなそうな細い腕で、暴れる真理香先輩を、難なく押さえ込んでいる。
「母と子の交流? ふっざけんじゃないわよ! まあ、ハグぐらいは、してやってもいいけどね。そのムカツク顔と胴体を、真っ二つにねじ切ってやるけど!」
「できないって、分かってるでしょ? ハイブリッドだとはいえ、マリカちゃんのベースは《地球人》だもの。この、可愛らしい顔と、素晴らしいナイスなボディに嫉妬しちゃうのは、わからなくもないけどねぇ~」
したり顔のエリカ。
誰が見ても不快感を覚えるその顔に、僕の背中が、ぞくっと震えた。
悪戯を楽しむ子供の顔。それはどこか、ミドゥバルにも通じるものがある。嫌な予感がした。
宙ぶらりんの状態でも、懸命に背中を反らして宿敵を睨み付けようと顔を上げた真理香先輩のガスマスクを、エリカは花びらを抓むように取り攫った。
「あら、案外いい顔しているじゃないの、マリカちゃん。顔の作りは、ちゃんとエリカに似せられたみたいね。グッジョブ、グッジョブ。グッジョブ、エリカ! やっぱり、可愛い顔~」
放り投げられる、ガスマスクと真理香先輩。
明後日のほうに投げられたガスマスクを、拾って戻ってくる余裕はない。無視して、僕は一目散に真理香先輩へ向かって走った。
「あら、紳士ねぇ。アキノちゃん。助けてあげるのぉ~?」
生ゴミに埋もれる真理香先輩へと駆け寄る僕へ、銃口が向けられる。
撃たれるのか?
「脅えなくても、いいわよぉ。お頭からは、アキノちゃんは殺しちゃダメ、っていわれているの。つまり、〝死なないくらいに痛めつけてオッケー〟て、ことよね?」
過大解釈のようにも思える。だが、相手は海賊だ。大量殺戮の前科持ちを大将に据えている、常識など、まるでない相手だ。
「グラジュスさん!」
足に体重を掛ければ掛けるほど、ずぶずぶ埋まってゆく、柔らかすぎる地面に四苦八苦しながら、僕は声を上げた。
「グラジュスさんの私服、他にも絶対、このエリカって海賊に持っていかれちゃってますよ!」
ぱくぱくと、グラジュスさんが口を動かした。
声にならない悲鳴が、こっちに聞こえてくるようだ。
「知っているのか?」と問い掛けてくる視線に、僕は知っていると頷き返した。
そう、僕は知っている。
グラジュスさんの、見た目からは想像できない秘められた趣向を。
バレバレなんだから怒りを抑えつける必要なんて、少しもないのだ。思う存分、暴れて欲しい。エリカの注意が逸れるくらい、本気でやり合ってくれると助かる。
ばちばちっと空気を震わせたのは、《シルフ》の背中にある二枚の羽根だ。
「小娘! 丸裸にしてくれるッ!」
「あらあら、開き直っちゃったの?」
銃口が、僕からグラジュスさんへと移った。
エリカの口調は相変わらず人を小馬鹿にしているようだが、表情は別人と思えるほどに引き締まっている。流石に《シルフ》が相手となると、本気にならざるを得ないようだ
「よしよし、今のうちに」
背後を気に掛ける心配が薄れただけで、だいぶ心境が変わる。道具がないので手を使って、生ゴミを掻き分けて真理香先輩を掘り出す。
やはり、周囲に漂うスモッグは有毒であるようだ。僕は自分のガスマスクを外して、苦しげな真理香先輩に被せた。
「ばっ! 馬鹿、空乃! 自分は、どうするのよ!」
「簡易清浄機があるんで、少しの間なら大丈夫です。すぐに詰まっちゃうかもですけど。引っ張ってきた脱出艇に、ガスマスクの代わりになるようなものがあるかもしれないし。なんなら、そのまま上に避難してもいいでしょう。とにかく、逃げましょう」
服の内ポケットからスティック型の清浄機を取り出して、咥える。
強がって言ってみたとおり、気休めにしかならなそうだ。すでに、スモッグを吸い込んだ肺が、重く感じていた。
「空乃だけで、逃げてよ。アイツに、エリカ相手に尻尾を巻いて逃げるなんて! 一発、せめて一発お見舞いしてやんないと、気が済まないんだからぁ!」
「一発お見舞いしても、代わりに死んじゃったら元も子もないですよ」
「空乃?」驚く真理香先輩の顔が、ぐにゃりと歪んだ。
おかしい。真理香先輩は《地球人》だ、コーノさんのような軟体ではないはず。
ああ、違う。おかしいのは、僕のほうだ。
『ごめんなさい、空乃。限界です。しばらく、休息モードに移行します』
スルンツェの、思惑の分からない謝罪と共に、視界が歪んで、膝が震え出した。
とにかく、体に力が入らない。すぐに立っていられなくなって、せっかく掘り出した真理香先輩を巻き込んで、僕は倒れ込んでいた。
「ちょっと、どうしたってのよ、空乃! すっごく、顔色が悪いじゃない。もしかして、死ぬ? ねえ、死んじゃうの? 労災なんか出ないよ、もったいないよ! つか、退いてよ、重い! 私たち、沈んでるからっ!」
世話になった孤児院に、お返しの寄付ができる程度でいいから支給して欲しい……なんて、考えている場合じゃない。
スルンツェが残した言葉から察するに、僕の体に起こった唐突過ぎる異常の原因を何かしら知っているように思える。詳細を問い質したい。だが、彼女を出現させる方法を僕は知らない。
「だい、丈夫ですよ! まだ、死ねませんっ」
二人分の体重を受けて、生ゴミが堆積した地面は僕たちを飲み込むように沈んでいく。
底があるのか、底なしか。分からないが埋まりすぎると這い上がれなくなるのは、ついさっき体験している。手遅れになる前に、這い出なくちゃいけない。
分かっているが、体がなかなか自由に動かない。
おかしい、これ、絶対おかしいぞ。
とうとう顔すら上げられなくなって、僕は真理香先輩の衝撃吸収性を期待できない胸元へとダイブした。
「きゃあ!」と、意外と可愛らしい悲鳴が耳元から聞こえてくる。
「離れなさいよ! この、変態!」
「死んじゃダメだって、アキノちゃん。お頭がご入り用だって、言ってるでしょ?」
ぐっと、首元が詰まる。
猫を抓むように、襟首を掴まれて、持ち上げられた。苦しい息が、さらにきつく締まった。
悲鳴も、抗議の声も、もちろん命乞いすら言葉にならない。簡易清浄器をしっかり噛み締め、息を吸い込んで吐くだけで手一杯だ。
「救命艇を運んできてくれたおかげで、手間が省けて助かったわ。さあさ、悪名高い海賊の、新しい根城にご案内してあげるわね」
「申し訳ないけど、案内は断るよ。自分たちでなんとかできる年齢なんでね」
にっこり笑うエリカの向こう、生ゴミの中を泳ぐようにして迫り来るグラジュスさんの姿が見える。まだ、グラジュスさんのプライドを懸けた戦いは、終わってなどいない。
必死の思いで、僕はエリカの腹を蹴った。
反撃が来るとは思っていなかったか、襟首を掴んでいた指が外れ、僕は生ゴミの上を……真理香先輩の腹の上を転がった。
「殺す! 滅する!」
「てめぇ、クソ生意気にしつけーんだよ! 殺しはしないつってんだ、大人しくしていやがれよォ!」
今までの甘ったるいエリカの口調が崩れた。ずいぶんと、猫を被っていたようだ。
男勝りの荒々しい声と、吊り上がる眦は、エリカに海賊に相応しい凄みを感じさせる。着ている衣装が、残念ではあるが。
「《シルフ》め! 痛い思いをしたくないんだったら、這い蹲ってな!」
くっきりと僕の靴跡がこびりついた腹をさすり、怒りの形相のまま銃を構えたエリカの頭が……ぶれた。
「這いつくばるのは、貴様のほうだ! よくも、大事な時のために取っていた〝マイスイートハニー〟を開封してくれたなぁ!」
容赦のないグラジュスさんの蹴りが、エリカを吹き飛ばした。身体能力の高い異星人は、基本的に争いを好まないが、ここぞと言うときは容赦がない。
「真理香先輩、今のうちに……救命艇で……!」
生ゴミに埋もれる真理香先輩を引っ張り出したところで、視界がブラックアウトするほどの目眩に、僕は蹲った。やっぱり体に力が入らない。
スモッグのせいなのか? もっと別の要因があるように思えるが、さっぱりわからない。入社前に受けた遺伝子検査では、全くの健康体だったはずだ。
「真理香先輩、一人だけでも……いい、ですから。僕を置いていってもいいですから、早く」
「馬鹿ね、空乃。あたしは貴方の先輩よ。置いていけるわけないでしょ! ……ガスマスクの借りもあるし。こう見えて、けっこうあたし義理堅いんだから。感謝してよね! お礼は、言葉じゃなくてフィルミのパフェで手を打って上げる。言っておくけど、高いよ!」
なんだかんだと理由をつけながら、真理香先輩が僕の懐に潜り込んできた。
小柄なくせに力は強い真理香先輩だが、さすがに甘えてばかりはいられない。バランスを崩して転倒なんて、下手したら自力で起き上がれない事態にもなりかねない。
脂汗を掻きながら、なんとか腰に力を入れる。
「了解です。どうせだから、サクランボが乗ったスペシャル・パフェにしましょうよ」
「いい案ね」
怒れるグラジュスさんの奇声の合間から、僕たちを制止するエリカの声が聞こえてくる。大人しく、待ってなどやれるか。
僕たちは飛び込むようにして、救命艇に乗り込んだ。
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