第7話

 グラジュスさんを、乗っ取った。それは、本当のようだ。

 姿形はグラジュスさんだが、ちょっとした仕草や雰囲気が、まるで違っている。よく似た別人――そんな印象だ。

「キミは、運命というモノを信じるかい? オレは、こう見えて、結構、信じているんだよ。キミとオレには、妙な縁がある」

「僕は、別段縁なんて感じたことは、一瞬でもない」

「オレの片思いか? まあ、構わないさ。こうして……出会えたんだから」

 ニヤリ。

 ここまで口が持ち上がるのかと、ビビらずにはいられない笑顔でミドゥバルは笑い、地面に沈む僕に、短いスカートの中身を見せつけるよう片膝を突いた。

 異星人、特に、単体で生殖を行う相手に性別を問うのもナンセンスだが、ミドゥバルの意識は男性に近そうだ。

 僕が堪らずに顔を逸らすと「失礼、失礼」と、笑いながら、膝を閉じた。

「ハブコロニーでキミを見かけたとき、オレは歓喜したよ。思わず、周りにいたクソ野郎どもに酒を奢っちまったぐらいにはね。まあ、すぐに正気になって代金を取り返したが」

 ミドゥバルはぎゅっと拳を握り締め、僕の頭上でジャブを繰り出した。海賊らしく、物騒な思考だ。一杯ぐらい、気持ちよく奢ってやればいいのに。

「失われた、世界の中心に至る航路を、再び追える。キミの中には、世界の英知が潜んでいるんだ」

「世界の、中心? 航路? なんなんだ、それ?」

 ミドゥバルは「ずっと、追い求めているものさ」と独りごち、胸元を止めていたボタンを外した。

 ふくよかな胸元が弾けるように露わになり、女傑といったグラジュスさんのイメージからは懸け離れた可愛い白ドットの赤い下着が露わになる。

 性癖をつぎつぎと暴露されるグラジュスさんには、同情を感じずにはいられない。

 縊れた腰、鳩尾の辺りに明らかに異質な膨らみがある。弦のようにも根のようにも見える血管が、寄生生物スプリガンの種子か?

「隠れてないで、出ておいでよ、スルンツェ。キミの大事な人の仇が目の前にいるってのに、だんまりなのかい? 相変わらず、つれないお姫様だ」

 伸ばされた手が、僕の髪を一房むんずと掴み上げる。

 むりくり引っ張り上げられるかと思ったが、ミドゥバルの手付きは、とても柔らかだ。それこそ、恋人にする愛撫のように、ちょっと艶めかしい。

 僕の両親が死んだ日。

 五歳の誕生日に起きた、吐き気のする惨劇。

 乏しい記憶を手繰り寄せれば、脅えて小さいほうを垂れ流しにしていた僕の前には、スルンツェがいて……

 髪を撫でていた手が頬を摩り、そのまま首元へと潜り込んできた。尖った指は、僕の喉を軽く引っ掻いて、ガスマスクに引っ掛けられる。

「これを取ってしまえば、アキノは死んでしまうのかな? 《地球人》は、とにかく脆くてね、すぐに壊れるから、扱いにとても困っている。繁殖能力の高さだけは、褒めてあげてもいい。けれど、特筆できるのって、そこだけだ」

「別に、褒めて貰いたいところでもないな」 

 むしろ、〝繁殖能力の高さ〟は、悪口として言われる定型語句だ。

「謙遜するなよ。数の多さは、どんな怪力にも勝る。オレなんてこの五十年、《スプリガン》に出会えたためしがない。生殖能力を捨てた、保護区にいる連中は抜きにしてね。同種はもう、オレ以外にいないかもしれない。つまり、オレが死んだら《スプリガン》は絶滅ってわけだ。《地球人種》よりもずっと、儚い存在に思えてこないか?」

「なら、自分を大事にすべきなんじゃないか? 誰もいないところで、余生を大人しく過ごしてればいいだろ」

 ぐっと、女性にしては大きな手がガスマスクを掴んだ。

「残念だが、オレは自殺をするためにうまれてきたんじゃない。生あるかぎり、命を繋いでゆく。生命としての義務をはたしているにすぎないのに、なぜ、嫌われなきゃいけないのかねぇ?」

 頑強な《シルフ》の指先は細くても、しっかりとした凶器で、みしみしと音を立てるガスマスクに、地面に埋まった背中が湿る。

 ……いや、なんかぬるぬるしてないか?

「お会いしたかったば、グラジュス様!」

「ひいいいいいいいいっ!」

 ずるん。と、僕の背中を何かが過ぎ去っていく。冷たくて、しっとりとしているのに、どこか、ぬるぬるした粘体。覚えがある、覚えがあるぞ!

「なにやら、散々ゴミが降って参りましたけんど、愛しきあなたがご無事のようでよかったです!」

 ぐにゅっと、僕とミドゥバルの間に飛び込んできたのはコーノさんだ。生きていたのか。いや、どうやって後を従いてきたのか?

「《サラマンデル》? なんだ貴様! どこから湧いて出た」

 困惑するミドゥバルを覆い隠すように、コーノさんが飛びついた。

「さあさ、グラジュス様。感動的再会の後は、勿論あつ~いチッスをいたしまんしょ!」

「なにをす――ふぐっ!」

 大きく開いた口を埋め尽くすように、コーノさんが粘体をねじ込んでいく。

 ディープすぎる、ディープ・キスだ。あれが、《サラマンデル》の求愛行動なのだろうか。

 異種間交配は特定の種族以外は、物理的にできない。遺伝子情報が違いすぎて、子孫が形成されない上に、そもそも、性交の方法事態が違っている場合が多い。

 恋する気持ちに垣根も障害も偏見もないが、遺伝子的な障害は今のところ取り払えない。むしろ、すべきではない、との考えが一般的だ。

 生殖方法が違えば、求愛行動も違ってくる。コーノさんは、なおもグラジュスさんの中へ中へと入るよう、体をぶるぶると揺らしている。

「愛していますよ、グラジュス様! 貴女の美貌と権力と地位と資金力と技術力はぁ! 全部、私めのものでございますっ!」

 熱烈ではあるが、愛を語るには方向が大きく間違っているような気がする。

 ……とはいえ、今がチャンス。

 とんでもなくグロテスクな告白に、どん引いている場合じゃない。

 コーノさんがむりやり押し出ていったおかげで、身じろげる隙間ができた。なんとか、ゴミから脱出できそうだ。

「おお! なんたる熱い抱擁! これは、脈アリと考えてもよろしいですかねぇ!」

 歓喜に震える、コーノさん。見れば、ミドゥバルが《サラマンデル》の粘体を抱え込むように、腕を回している。

 一見すると、抱き締めているように思える。だが、僕的には、少し強すぎるように見えた。

 抱き締めているのではなくて、腕力で粘体を千切ろうとしてないか?

「脈アリと、考えてもいいんですよねっ!」

「え? 僕に言っているんですか?」

「他に、誰がいまずかぁ!」

 いえいえ、貴方の体を千切ろうとしています。なんて真実を言ったところで、コーノさんが信じるとは、とても思えない。

 告白どころか、結婚式まで予定表に描き込んでいそうなほど興奮している相手に掛けるべき言葉を、彼女いない歴イコール年齢の僕は知らない。……それにしても、《サラマンデル》の粘体も、かなり丈夫にできているようだ。

 ちぎれず、上下に偏るばかりの粘体に諦めたか。ミドゥバルは右手を持ち上げ、口元の粘体を鷲掴んだ。

 ずるり、と。音が聞こえるような勢いで、コーノさんが引きはがされてゆく。

「あれは、《スプリガン》の寄生種子か?」

 なんとか地面から這い出て、コーノさんと一緒に、グラジュスさんの口から丸い核を持った触手が現れる。

「気絶するほど良かったとは、嬉しい限りです! ささ、もっとあつ~い夜を過ごしましょう」

 支配から逃れたのか、大きく仰け反りながら倒れ込んだグラジュスさんに襲いかかるのは、粘体の中にミドゥバルの寄生種子を含んだコーノさんだ。

 グラジュスさんからの反撃が来ないからか、いくぶん調子に乗っているように見える。

「だめですよ! 相手の気持ちを確認しなくちゃ!」

 再び、グラジュスさんが乗っ取られては面倒だ。

 地面を這うようにして移動するコーノさんを踏み潰す勢いで、半透明の粘体の中にある寄生種子を目がけて足を突っ込んだ。

「へげぇ! なにをすっとです!」

「そのまま、じっとしていてください。今、大事なところなんです!」

 当然の抗議をまるっと無視して、ぐりぐりとコーノさんごとミドゥバルの寄生種子を踏み潰す。

 念入りに。しつこいまでに。足先が地面にめり込むほど大胆に、寄生種子を踏みつけ破壊する。

 コーノさんの何度目かの泣きが入ったところで、足を持ち上げる。

 ばらばらに、元の形も分からなくなった寄生種子は、半透明の粘体の中でもひときわ濁った部分へと流れ、消えていった。

「へんなもの、食べさせないでほしいですね。どうせ食べるのなら、愛しのグラジュスの卵がいいですね。ほれ、産んでくだせぇ。大切に育てますから」

 ゲップをしながら、コーノさんは邪魔者はいなくなったと、グラジュスさんへ躙り寄り……ぐにゃっと変形した。

「《シルフ》は、卵を産まぬ」  

 あからさまに不機嫌なグラジュスさんは、コーノさんの頭部を片手で潰し、そのまま手首を軽く捻って、ねじ切った。

 おまけとばかりに、《ラーテ》の残骸へと、勢いよく投げつける。

「礼を言うぞ、アキノ。《スプリガン》に寄生されて正気に戻れる例は、そうそうないのだ。まったくもって、油断した。いつ寄生されたのか、まるで見当もつかない」

神妙な顔で腕を組んで、グラジュスさんは自分の今の状態に気付いたようだ。

 可愛らしい白ドットの赤い下着を、そそくさときっちりとした制服の中へ押し込んだ。僅かに俯いた顔は、すこしばかり赤みが差しているように見える。

「……忘れろ。でなければ、貴様も頭をねじ切ってくれる」

 ねじ切られたくないので、素直に頷いておく。コーノさんは、再び仮死状態に入ったようだ。ぴくりとも動かないが、無視していいだろう。

 問題は、もう一人。

「あぁ~ら。ミドゥバルったら、やられちゃったの? あっさりしすぎぃ~! 油断大敵じゃないのォ~」

 ぺったん、ぺったん。と粘着質の足音とともにやってきたのは、エリカだ。小脇には、真理香先輩が抱えられていた。

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