二章 電子の妖精は語る

第1話

『電波状態は良好かしら、空乃ちゃん』

「はい、ナオミさんの美声は、余すことなく、僕の耳に届いています。が、ドアを開けるだけで、もう、へとへとです。ごめんなさい、弱音を吐きます。やばそうですよ、これ。登りきれるかなぁ」

『ごめんなさいね、頑張って、としか言えないわ』

 耳に引っかけた小型装置、通称《モノクル》と呼ばれている通信機から、ナオミさんのちょっと甘えた調子の声が聞こえてくる。

「ねぎらいの言葉があるだけで、僕は頑張れます」

 大丈夫です。

 人差し指をふっくらとした唇にくっつけて、可愛らしく首を傾げるナオミさんの仕草が頭の中に浮かびました。見えていないだろうけど、ゴミに埋もれている社屋に向けて親指を立てる。

「なに、ぶつぶつ言ってるのよ。頭を打っている訳じゃなさそうだし、もとからおかしいのね。可哀想」

「全然、可哀想じゃないですし! ちょっとした逃避なんで、まったく気にしないでいてください」

 妄想に口元がにやつくのをなんとか押し留め、緊張した筋肉を和らげようと、少しだけ息をつく。

 多少は手間取るが、外作業用のスーツに着替えてくればよかったかもしれない。

 檻のように積み重なるゴミの隙間から、なんとなく、酸っぱいような異臭が流れ込んできているように思える。

「まさか、生ゴミまで、お構いなしに投げてるんじゃないでしょうね」

 とりあえず、空気清浄マスクを装着する。

「さてさて、どうしますかね」

「どうするもなにも、上に行かなくちゃ始まらないでしょ? 馬鹿?」

 ちょっとした軽口も、真理香先輩はびっくりするほど真面目に捉えるようだ。

 上に行かなきゃいけないのは、罵倒されなくたってわかっている。

「時間がないってのに、ずいぶんと時間が掛かったじゃないか。外に出るだけなんだよ、空乃。サボってるんじゃないでしょうね」

「サボっているのは、真理香先輩のほうだと思いますけど。僕が独りで扉を開けたんですよ。むしろ、良くやったって褒めてくれても良いと思いますけど」

「新人風情で、なにを偉そうに! だいたい、私は足を負傷してるの。怪我人なんだからね! いたわるべきよ」

 僕のお尻を蹴り上げる、元気そうな右足の怪我の程度は、どんなものなのだろうか。せめて、左足で蹴るべきだと思うのだけど。

 アイデンティティを守るためにも、しっかりと抗議したいところだ。が、事態は切迫していた。

 想定できる面倒な事態は、できる限り回避すべきだ。時間が過ぎれば過ぎるほど、ゴミは積み重なっていく。死活問題だ。

 一番の新人だけど、物事の分別が付くくらいには、僕も大人だ。

「ほらほら、お二人さん。はよぉ上さいかねぇと、本格的に生き埋めになってしまうですよ」

 頭から振ってくる訛り声に、顔を上げた。

 軟体を生かし、先に外へと出ていたコーノさんが、鉄塔のようなゴミにぶら下がっている。いや、乗っかっているといったほうがいいのだろうか? 

「何やっているんですか、コーノさん」

 わからないので、聞いてみる。 

「おんや、まあ。見てわからねぇですか?」

 だから、聞いているのだけど。

 コーノさんは二つ折りになって、洗濯物のようにぷらぷら揺れていた。わかれと言われても、推理するには、ちょっと情報が足りていない。遊んでいるわけでも、ないだろう。

「とりあえず登ってみたけど、無理だった。――じゃないの?」

 なるほど。真理香先輩の素晴らしい解説に、コーノさんは大きな声で「正解っ!」と答えて、朗らかに笑う。

 どう繕っても、格好なんて全然つきはしないだろうに、堂々とした態度は見習うべきかもしれない。

「そういえば、コーノさん。スキンはどうしたんです?」

「外に置いといたら、ゴミに潰されてしまったのです。いやぁ、困りました。予備は部下と一緒に爆散してますからねぇ。無事に生還するまで、生身を曝したままとは、お恥ずかしい限りです。恥ずかしついでに、助けてくださいませんかね? 降りるも、登るもできなくて」

 低重力下であっても、ジェル状の体を支えるスキンがない《サラマンデル》は、行動に制限を受けるようだ。気が逸るのは仕方ないが、少しは落ち着いてもらいたい。

 まだ始まってもいないのに、いきなり無駄な仕事が増えるなんて、まいったもんだ。さい先が悪いと、嫌な予感が込み上げてくる。

「はいはい、今すぐ行きますよ。ちゃんと回収するんで、安心してください」

 でこぼことした金属片に指を引っかけ、腕の力だけで体を持ち上げる。

「僕が先行します。後ろから付いてきてくださいね、真理香先輩」

「うまくやりなさいよ」と、声援ではなく不機嫌な声が飛んでくる。

 どうやら、真理香先輩が先行したかったようだ。背中に刺さる視線が、気のせいではごまかせないぐらいに痛い。

『準備はできたか、新人クズ。オレのアンテナは、脱出ルートを探るだけで手一杯だ。お前らが登るのと並行して、潜望鏡を伸ばす。深さと、地上の様子を伝えてやる。《モノクル》は、ちゃんと立ち上がってるだろうな?』

 貰ったマニュアル通り、《モノクル》のセンサー・スイッチを人差し指で軽くタップ。虫の羽音のような音がして、半透明のスクリーンが目元をぐるりと覆った。

「問題ありません、ちゃんと起動しています」

「よし。通行できそうなルートを、スクリーンに出す。ついでに、潜望鏡の映像も追加。足場の頑丈さまでは面倒を見てやれないから、現場で判断して進め」

「「了解」」と、真理香先輩と声がハモる。なんだか、おかしくなって首を巡らせば、真理香先輩のむっつり顔が、さらに膨れ上がった。

「なに、見てんのよ。さっさと、上に行く」

 ごん。と、真理香先輩が手近にあったゴミを蹴る。まったくもって、足癖が悪い子だ。

「空乃さん、私はこれ以上は自力で登れないので、お助け願えねぇでしょうか?」

「わかっています、心配しないでください。僕の背中に、しがみつけます? まあ、できなくても、やって貰わないと困るんですけど」

 コーノさんが引っかかっているゴミに手を掛け、横に並ぶ。

「いやぁ、かたじけねぇです。でば、遠慮なく、お背中お借りいたします」

「うわぁ、見た目どおりに、ぬるっとしてるよ」

 ぬっと、伸びてきたコーノさんの手が肩に、足が股に巻き付いてくる。

 重さはまったく感じないが、いかんせん、どこか湿っているような感触には、生理的な嫌悪感が込み上げてくる。

『潜望鏡を伸ばします。地表まで……五メートル』

 シャマイム社長の脱出ルートとは別に、スクリーンの端に真っ黒い映像が現れた。潜望鏡からの映像だ。

 僕らよりもずっとスムーズに上昇してゆく潜望鏡と、一メートル毎に増してゆくナオミさんのカウント。

『八メートル、九メートル』

 徐々に、明るくなって行く映像。地表は近い。

『十メートル、空が……』

 嘘みたいな。

 いや、作られた真っ青の青空が、スクリーンに映し出されたのもつかの間。

 すぐに視界が閉ざされて、ナオミさんのカウントが再開される。現在進行形で、ゴミの雨は続いているようだ。

「いやぁ、まさに時間との闘いといったところですかね」

「暢気なコメントですけど、わりと僕たち瞬間で死にそうになってましたよ」

 ゴミが積もるのが先か、地表に出られるのが先か。

 顔を出した瞬間、ゴミが降って死亡なんて終わりを迎えないよう、僕は祈る。時間というよりは、体力と気力の勝負のような気もする。余計な考えに力を裂いている場合じゃない。

「一気に行くわよ、空乃!」

 足元から響く真理香さんの激励に、僕は「はい」と一つ返事をして、頭上に迫り出した金属片へ手を伸ばした。

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