第2話

 ゴミ投棄惑星《セブンス》の外気を、よもや美味いと感じる日が来るとは、夢にも思わなかった。息苦しいマスクを脱いで、息をつく。

「ひっさびさに、疲れたわ」

 真理香先輩は切れ切れの息で言って、外聞も気にせずへたり込んだ。

 僕のほうはというと、すでに力尽きていて、背負ったコーノさんをベッド代わりに、大の字に寝転んでいた。抗議の声が聞こえてくるが、体を起こす余裕など欠片(かけら)もない。

 大きく息を吸って、吐いて。吸って、吐いて。額に滲んだ汗は、服の袖で拭うそばから溢れ出る。

 ばくばくと鼓動を繰り返す心臓の音が、妙に生々しかった。

 トレーニング以外でこんなに汗を搔いたのは、久しぶりかもしれない。いや、冷や汗なら、絞れるほどにかいてきたけども。

「無我夢中で登ってきたけど、下手をしたら、頭を出した途端、新規に落ちてきたゴミにぶつかって終了って、未来もあったのよね。ぞっとしないわ」

「よかったですね、経験しなくて。すっごく、怖かったですよ」

 ずしん、ずしんと体に響く衝撃は、徐々に遠のいているように感じた。

「まあ、本当に危なかったら、ちゃんとナオミさんが教えてくれるはずですし」

「通信が、できていたらね。空乃は、気付いてないの?」

 硬い表情で、真理香先輩は《モノクル》をコツンと叩く。反応しきれないでいると「信じられないッ」と、呆れ声で僕をなじった。

「ちょっと前から、途絶していたのよ。脱出ルートはデータ化されて《モノクル》にインストールされていたから問題なかったけど、ナオミさんのカウントは三十を切ったとこで途絶えていた」

 夢中だったので、よく覚えていない。……というか、三十メートル以上もフリー・クライミングできた自分に改めて驚く。重力が低いとはいえ、よく頑張った。

「そういえば。頑張ったのに、なんのご褒美もなくて寂しかったんですよ」

「はいはい、そうですか」

 ぶよぶよしたコーノさんをクッション代わりに、反動をつけて立ち上がる。

「聞こえていますか、ナオミさん。僕たち、地上に出られましたよ」

 先行していた潜望鏡が、ゴミだらけの不安定な足場から飛び出している。返事は全くないが、潜望鏡は頷くようにゆっくりと上下した。

「電波障害とは、奇妙きわまりない。《セブンス》の空が、ハイランカーの中でも最上位種族である《オンディーナ》の御髪でできているのは、ご存じでしょう?」

「御髪? この空、《オンディーナ》の髪の毛で、できているんですか?」

「ねえ、空乃。茶色のゼリーに合わせて、わざと惚けているの? それとも、本気で言ってるの? スラム上がりのガキンチョでも、もっとモノを知ってるよ」

 立ち上がった真理香先輩は、一拍おいて、とりあえず潜望鏡を踏みつけた。

 三百六十度、自由自在に稼働できる潜望鏡は、あろうことか真理香先輩のスカートの中身を覗こうとしていたのだ

「あの、草臭いクソアルパカめ。毛皮を剃って売り飛ばしてやる」

 ナオミさんがスカートを覗くわけがない。犯人は、シャマイム社長だ。「せめて、皮は残してあげてください。肉だけでは辛いでしょう」と、コーノさんの余計なツッコミが入るが、「丸裸は譲れないわ」と、真理香先輩の意思は硬そうだ。

「履歴書にも一応は記載されていると思うんですけど、僕、諸事情あって、記憶と一緒に一般常識のあれこれが欠落してるんです。日常生活に慣れるまで、結構、苦労したんですよ」

「あぁ、そういえば書いてあったような。あれ、本当の経歴だったんだ。ナオミ社長の気を引こうとして出鱈目を書いたんだとばっかり思ってた」

 事実にしては胡散臭く、嘘にしては面白くない。僕の経歴は、自分で言うのもなんだがふざけている。

 僕には、記憶の欠落がある。

 宇宙遊泳船に乗り込んだ五歳の誕生日から、《セブンス》の違法コロニーにある、おんぼろ孤児院の玄関先で目覚めた十四歳の誕生日まで。九年間という長い年月を、僕はどこで何をしていたのか、いまだに思い出せないでいる。

 ショック性の記憶喪失だと診察した医者の言葉をまにうけた児院仲間に、階段から突き落とされたこともあったが、残念ながら記憶は戻らなかった。

 落下が僕の記憶喪失と関係ないってだけは確かになったが、感謝できないほどには手痛い代償を押しつけられた。親切心も、ほどほどにして貰いたい。

 記憶は曖昧なままだが、データベースに残る宇宙遊泳船の乗客名簿から、最愛の母の死を知った。ショックだった。

 十四年前、五歳の僕を乗せた宇宙遊泳船は海賊に襲われていた。

 僕は数少ない生存者ってわけなのだが、記録上は母と共に死者として処理されている。母はどうなったのか、実家はどうなったのか。知りたいことはたくさんあるが、今の僕にはできない事が多すぎた。

 事件に巻き込まれた当時、五歳だった僕は年齢制限から埋め込み式IDの施術を受けられなかった。代わりに発行されていたはずのカード式IDも無く、現在の身分は、不法滞在者と大差なかったりする。

《セブンス》の主コロニーにさえいければ、遺伝子検査から本人確認がとれる。

 IDの凍結解除は勿論、再発行だってできるだろうし、母の詳細な情報も引き出せるはずだ。が、IDがなければまずコロニーには入れない。つまりは、お手上げだ。

 記憶をなくした切っ掛けは、この海賊襲撃事件にあると僕は思っている。データベースに記載されている死者の数を見ただけで、酷い体験をしたんだろうと想像ぐらいはついた。

 想像しかできない状況は、ひどくもどかしい。

 孤児院の前に転がされていた僕は、五歳から急に十四歳になったせいで結構なパニックを起こしていたが、貧しいながらも心の温かい先生たちのおかげで、今、こうして社会復帰ができている。

 まさか、命がけでゴミ拾いをする羽目になるとは思ってなかったけど、ちゃんとお金を稼いで生きている。

 苦労話はまだまだ、ネタに困らないほど大量に持ち合わせているが、興味を持って聞いてくれそうな人はいなそうだし、今は僕の身の上話で時間を潰している場合でもない。

「空が青く見えるのは、光が大気中に存在する粒子にぶつかり散乱することによって起こる現象でありますでしょう? 地球では太陽が。《セブンス》では、《オンディーナ》の《御髪ライン》が光の役割を持っているのです」

「光っていうか、正確に言えば電磁波。《オンディーナ》は電磁波とか電子とかの集合体……と言われてる。滅多に文明人と接触してこなくて、生態はよくわかっていないけど、《御髪》は投棄惑星だけじゃなく、コロニーにも編み込まれているのよ。主に、通信手段ね。生体部品だから、故障なんて有り得ないはずなんだけど」

 真理香先輩は耳から《モノクル》を外し、両手の中で、ころころと転がした。

 登るときに何らかのトラブルが起きて壊れたとしても、併走して地上に出てきた潜望鏡も通信不能となると、疑うべきは頭上に広がる青空となる。

「あの、真理香先輩。ちょっと、上を見てもらえませんか?」

 相変わらず綺麗な青空と、リング型宇宙ステーション《ケージ・コンベヤー》の巨大な影。

 そう、影だ。

 僕の気のせいであればいいが、なんとなく影が太くなっているように思える。

「あのですね、僕の気のせいじゃなければ、ですけど。あの《ケージ・コンベヤー》なんか大きくなってません?」

「巨大化なんて、ありえないでしょ。下に、降りてきてるの?」

 通常は、宇宙空間で《セブンス》を取り囲んでいるはずの《ケージ・コンベヤー》なのだが、どうしてか、青空を閉める黒の割合が多くなっているように感じる。

 いったい、何が起こっているのだろうか?

 僕たちは、ゴミ投棄惑星から脱出できるのか? 一抹の不安に揺らぐ僕を叱るように、真理香さんが声を上げた。

「逃げるのよ!」と、金切り声に近い真理香先輩の叫び声に、僕はいつのまにか下を向いていた顔を持ち上げた。

「なんだ、あれ?」

 飛び降り自殺か? 

《ケージ・コンベヤー》から、なにか小さな影が飛び出すのが見えた。いいや、落ち着け。落ちてくるのは、人間なんかじゃない。

 高度があるから小さく見えるだけと気付いて、一秒。

 僕は先に走り出した真理香先輩とコーノさんを追って、走った。

 慌てすぎて、自分でもよくわからない言葉を口走っている。「死にたくない」とか、「嘘だろ?」とか、そんな類いの言葉だ。

 全力を出したところで、逃げ切れるかどうかはわからない。落下物の形状やら大きさやらを冷静に観察している余裕がなく、徐々に大きくなって行く足元の四角い影に脅えるばかり。

「僕はまだ、死にたくないです!」

「私だって、同じよ!」

 視覚的にはゆっくりと、実際にはぞっとするような早さで落下してくるのは、《ケージ・コンベヤー》の一部だろう

 脱出装置なのか、白いパラソルが開いているようだ。が、落下地点で右往左往している僕たちには、気慰め程度でしかない。

「こんな終わり方、認められません! わたしだけでも、生き残ってみせます。お墓は立ててもゴミで埋もれるばかりですし、必要ありませんよねぇ!」

 叫ぶコーノさんが、真理香先輩の足を引っ掴む。

「何なのよ、最悪!」と、この期に及んで、余裕さえ感じさせる悪態をついて転ぶ真理香先輩を軸に、コーノさんは自慢の軟体をぐっと縮めて……弾き飛んだ。

 落下予測区域、つまりは巨大な影の向こうへと飛んで行くコーノさんを、責める余裕も呪う余裕もない。が、中指だけは立てておいた。

「大丈夫ですか? 走れますか、真理香先輩」

 僕は、走った。安全圏ではなく、落下物の影に埋もれる真理香先輩の元へと。

 だって、見捨てられるわけがない。

「走れるけど、手遅れよ」

「諦めないで、行きましょうよ!」

「偉そうに、指図してんじゃないわよ! 誰も、諦めなんていないんだから! 覚悟決めてるだけよ!」

「強がりも、ほどほどにしてくださいよ!」

自力で立ち上がった真理香先輩に、手を伸ばす。

 はたき落とされたら格好付かないなと危惧もするが、意外にも、真理香は素直に僕の手を握り返してくれた。二人、しっかりと手を繋いで走る。

 迫る影はとても大きくて、まるで闇の中を進んでいるようだ。

 吹き下ろしてくる強い風に、積もるゴミが崩れ飛んでいった。足元を掬われないよう、気を遣わないと大変だ。

「馬鹿、空乃。わたしを置いて走っていたら、逃げれたかもしれないでしょ? なんで、わざわざ戻ってきたのよ! 恩を売ろうとしたって、無駄なんだから」

「持久力には自信あるんですけど、瞬発力はからっきしで。真理香先輩見捨てて走ってもぺちゃんこになるなら、ちょっとは格好いいところ見せた方がマシかなって」

 照れているのか、真理香先輩が「馬鹿」と呟き、顔を逸らす。

「履歴書に、これも書いたんですけどね。僕って悪運だけは、昔から強いんです」

 真理香先輩を引っ張って、走った。

 落下物の影は逃げる僕たちを追うように、どんどん大きく広がっていく。

 もう、駄目かもしれない。そんな不安が、頭をよぎったときだ。

『だいじょうぶです、空乃』

 少女の声が、鼓膜を撫でるようにそっと耳元で響いた。

「どうしたの、空乃!」

 気付けば、僕は立ち止まっていた。

 困惑する真理香先輩に腕を引っ張られながらも、僕は惹きつけられるよう空を……四角い落下物を仰いだ。

「空乃!」『空乃!』

 上ずって高くなった真理香先輩と、静かに落ち着いた少女の声が重なった瞬間、横っ面を殴られた……と、思わせる衝撃に視界が眩む。

 真理香先輩が、叫んでいる。疑いたくないが、僕は叩かれたんだろうか?

 問い質したくても、まずい、意識を保てない。

 傾ぐ体の感触と、意外にも女の子らしい真理香先輩の悲鳴。

 ぼやける視界の中で弾ける鮮やかな光に包まれて、僕の意識は……落ちた。

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