第3話
自分の身に何が起きたのか、確かめるためにはまず、起きなくちゃいけない。
わざとだと思いたくないが、押し潰すようにして僕の上に寝転んでいるシャマイム社長を押しのけ、いや、放り投げて、立ち上がる。
足元でくぐもった悲鳴が上がるが、気にしちゃいられない。
「大丈夫ですか、ナオミさん」
「ありがとう、空乃ちゃん。あなた、すごい力持ちなのね?」
「シャマイム社長が通行の妨げになったときは、いつでも僕を呼んでください。掴んで、持ち上げて、放り投げます。ご希望であれば、壁に投げたりもできますよ。体力だけは、自慢です」
倒れたときにぶつけたのか、肘をさするナオミさんを助け起こす。
背後からじっとりとした視線と「痛いなぁ」と声を掛けられる。シャマイム社長だ。「痛い、痛い」としきりにアピールしてくるが、もこもこの毛皮を着ていて、どうして怪我ができるのか。
あからさまなフェイクに、引っかかるつもりはない。助けようと伸ばした手に、噛みつく気だろう。僕は、さっくりと、無視を決め込んだ。
「まさか、輸送船の上にゴミが落ちてきたとか?」
作業車はちゃんと固定されていて、衝撃前と変わらない位置にある。
マニュアル通りに、ちゃんと止めておけたようで良かった。固定具から外れて倒れてきたらと思うと、ぞっとしない。
周囲の安全を確認しつつ天井を見上げてみる。が、これといった凹みは見当たらなかった。
上からの衝撃ではないのか?
「みんな、大丈夫?」
格納庫を出て行った真理香先輩が、声を上げて戻ってくる。
「ええ、転んだけど、大きな怪我は……真理香ちゃん以外は、なさそうね」
よほど派手に転んだのか、真理香先輩のおでこにはタン瘤ができている。本人はけろっとしているが、とても痛そうな見た目だ。
「え? おでこ? あたしのおでこ、どうなっちゃってるの?」
「おでこ、すっごい腫れてきてますよ。跡が残るといけないし、すぐに冷やしたほうが、いいんじゃないですか?」
言われて初めて痛みに気付いたか、真理香先輩は「嘘っ! すっごい腫れてる!」と今更ながら、大きな声を上げて蹲った。
「おい、新人クズ! キッチンから氷水を取ってこい。そしたら、すぐさま通信室に来い。グズグズしてんじゃねぇゾ、クズ!」
「了解です、クズ社長」
「おう! ……って、空乃てめぇ!」
言われるまま、僕は貨物室を出てキッチンに向かった。
気持ちは、全速力で駆け出したいところだが、《セブンス》には月と同じくらいの低重力が発生している。急いで移動するには、少しばかりコツがいるらしいのだが、今の僕には難しい。
勢いをつけすぎると、天井に頭をぶつけて失神なんて醜態を曝しかねない。……ちなみに、僕は経験済みだ。シャマイム社長と真理香先輩は爆笑していたけど、誰もが必ず通る道だと思っている。
赤い扉を潜り、キッチンに入ってまず、僕は肩を撫で下ろした。
転けるほどの衝撃のわりには、キッチンは綺麗なままだった。
外作業員として採用されているが、特技を生かされ厨房も任されている。キッチンは数少ない僕の城だ。
アパートから持ってきた調味料が固定棚から数本ほど転がっているだけで、大がかりな掃除はしないで済みそうだ。調味料を片付けつつ、冷凍庫を開け、手早く袋に氷を詰め込む。
ついでに、タオルを拝借しておこう。この様子だと、シャワーを浴びる暇はなさそうだ。隙を見て、体を拭くしかない。
「うっわ、僕ってば、臭いな。こりゃ、酷い」
意を決してマスクを取ってみれば、ツンとした薬品臭に鼻を刺激された。棚に入っているスパイスを頭っから被りたくなるほど、酷い臭いだ。
作業スーツのベルトにマスクを引っかけ、申し訳程度に氷で濡らしたタオルで顔を拭きつつ、通信室も兼ねた操縦室へ、できるだけ急いで向かった。
「お待たせしました、真理香先輩」
「おっせーな、新人クズ。つか、クセェな!」
出迎えた声は、真理香先輩ではなく、シャマイム社長だった。ぬっと視界に入ってきた毛むくじゃらの顔は、驚く僕をたいそうおかしそうに笑うだけ笑い、氷の入った袋を引ったくっていった。
「あの、氷。真理香先輩のタン瘤を冷やすためじゃ?」
「タン瘤? 治療キットがあるじゃねぇか、高い
知るか。全くもって、理不尽だ。なんで、氷食病の宇宙人のために僕が走らなければいかなかったのか。
シャマイム社長が言ったように、真理香先輩は「うーうー」唸りながら、ガーゼの巻かれた額を抑えていた。
治療は、ナオミさんがやったのだろう。小さな白い医療キットの箱を抱えたまま、「お帰りなさい」と声を掛けてくれた。ありがとう、僕の天使。貴方だけが、僕の心のオアシスです。
「あのですね、社長。僕、出前じゃないんですからね。わかっています?」
些細な懇願も、聞き入れてくらないようだ。シャマイム社長は袋に顔を突っ込んで、氷を無我夢中で貪っている。ぱんぱんに詰め込んであるのに、「すくねぇなぁ」と文句さえ言っている。脳天気なものだ。
「で、ナオミさん。救難信号を出していたのは、誰なんですか?」
「皆さん、どうやらお揃いのようですね。じゃあじゃあ、ではでは、説明ば、始めさせて貰ってもいいんだずんなぁ?」
なんとも、酷い訛りだ。もちろん、ナオミさんではない。
誰とも分からない、知らない声だった。
通信機を見るが、待機状態のままで動いている様子は一切ない。不思議だ、声はどこから聞こえてくるんだろう?
「こっちです、こっち。足元でごぜぇますだ。あら、おめさま見ない顔だべね。新人さんだんずな。ならば、自己紹介ばしなくてはいけないですね」
こっちと呼ばれて、足元を見る。
床に、黒い染みが浮いていた。掃除し忘れたのか? いや、これほどまでに大きい汚れを見逃すわけがない。
「初めまして。わたくし、《タスキン》社《セブンス》管理担当の、コーノ・アウローラと申じます。大型輸送船《シリウス》の艦長ば、やっておりました」
影は見る間に質量を増し、ぐっと隆起した後、人型を取った。
人型といっても、なんとなく人間っぽく見えるだけのお粗末な代物だ。
視線の先、申し訳程度にくっついている丸いものは、頭部か。殻を剥くのに失敗したゆで卵みたいに、とにかくツッコミどころ満載のいびつな物体が目の前にある。
頭部に限らず、胴体のほうもなかなかの適当っぷりだ。
左右の長さが違う、紐のような棒が二つ飛ほどとびだしていて、足にあたる部分はない。幼児が学校の課題で描いたお父さん象が、目の前でゆらゆら揺れている。僕は残念ながらコーノさんのお父さんではないので、不快感が満載だ。
面倒くさかったのか忘れたのかは定かでないが、中途半端にも程がある。まるで、僕ら地球人類をおちょくっているようだ。
「スキンを被っていない《サラマンデル》を見るのは、初めてですよ。《ゆめほし》社屋外作業員の、新城空乃です」
スキンとは、《サラマンデル》の骨格の無いぷよぷよとしたジェル状の体を支える外骨格だ。
「名刺を交換したいとこだばてぇ、あいにくとスキンの中に置きっ放しでしてね。いやぁ、ご挨拶しようと輸送船に入らせて貰おうと思ったんですが、ハッチが歪んでいて開かなかったんでずよ。損害賠償請求されても腹が立つんで、壊して入るわけにもいかねぇでしょ。なんで、隙間から入らせていただいた次第です。口頭だけの挨拶になってしまって、申し訳ねじゃ」
ぺこりと、コーノさんは、体を二つに折った――というよりは、畳んだ。百八十度に曲がる体は、正直、見ていて気持ちが悪い。
《サラマンデル》は、《バイコーン》同様、地球人と生活圏を共有している宇宙人だ。ただし、文化進展レベルはワンランク下のC。
シャマイム社長は自慢の角を見せつけるように突き上げ、氷をほおばりながら、器用に鼻の穴を大きく膨らませて下級ランクであるコーノさんを威圧している。
「いやぁ、スキンってのは窮屈で嫌なものと思っておりましたが、無いなら無いで不便ですねぇ。低い重力下でも、礼儀を保つのはしんどいです」
コーノさんは「失礼して」と前置きしてから、水溜まりのような形に戻った。ぷるぷると揺れる無骨格の体を、立体的に保つのは確かにつらそうだ。
「おわかりのように、緊急事態が起きましてね。困っていたところに、《ゆめほし》社さんのちいせぇ輸送船を発見しまして。立ち寄らせて貰いました。困りもの同士、助け合ってゆきまんしょ」
焦げ茶色の体表に、大きく×マークが浮かび上がった。ぴかぴかと瞬いて、趣味の悪い電飾のようだ。
「困りもの、同士?」
なにか、困っていたっけか?
首を傾げた僕を叱るように、大きな打撃音が響いた。
驚いて振り返ってみれば、真理香先輩が椅子に右足を乗せていた。丈夫そうなフレームが、足の形に歪んでいる。さすが、我が社のエース。とんでもない脚力だ。
「埋まったのよ、私たち」
「へ?」
「ゴミ山の中に、埋まったの! さっきの衝撃は、大型輸送船の爆発のせいで崩壊したゴミと一緒に埋まった音だったのよ! って、いったーーーーぁい!」
苛々と声を張り上げる真理香先輩は、椅子を蹴り上げた足を抱えて呻く。当然だ、鉄板を仕込んだ作業靴とはいえ、フレームを歪めたのだから相当の衝撃のはずだ。
が、真理香先輩を笑えない。社屋ごと埋まった事実、無差別に落ちてくるゴミ。
状況は、とかく最悪のように思えた。
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