第2話

 ゆっくりと、瞼を持ち上げる。

 視界いっぱいが、赤く染まっていた。血ではない、赤く染まった空だ。

 どうやら、衝撃に宙を舞ったまま、上手いこと《ケージ・コンベヤー》から投げ出されたようだ。

 体中のあちこちから痛みが存在を主張してくるけど、生きている。打撲はあるにしろ、骨折はないみたいだ。

 運が良い。死んだって、おかしくはない状況のはずだった。

「すごい! 私たち、生きている!」

「瓦礫に半分まで埋まっている状態で、どうして生きているんでしょうね」

 動けば、絶妙なバランスで崩落を免れていた瓦礫がぱらぱらと落ちてくる。《ケージ・コンベヤー》をぼこぼこにしたゴミだろうか。

 動くに動けない状況で、真理香先輩は僕の膝の上で子猫のように丸まっていた。こちらは、打撲もなさそうで、なにより。犠牲になったかいもあるってもんだろう。

「適度に柔らかくて、丈夫なクッションのおかげね!」

「僕のことですか?」感謝なら、もっと素直に表現して貰いたい。

「違うわよ、後ろ。空乃が座布団にしている奴よ」

 真理香先輩が、僕の肩口を指差した。そういえば、瓦礫に埋まっているはずなのに、座り心地は、わりといい。

「全ての生命は、何らかの使命を帯びてこの世に生み出されてくるのだ! って、叫んでいたホームレスのお爺ちゃんがいってたわ。アル中で、年がら年中、楽しそうに歌っているろくでなしの言葉も、なかなか侮れないのね」

 体を少し捻るだけで落ちてくる、高度技術の結晶だったモノに軽く打撃されながら、真理香先輩が指差す彼方を振り返ってみれば……。

 僕たちが一命を取り留めた救世主がいた。グラジュスさんだ。

「う、うわああああっ! す、すみません! 退きます、いま、退きます!」

「ちょっと! いきなり動かないでよ!」

 僕が慌てて飛び退けば、当然、膝の上に寝転んでいた真理香先輩も、転げ落ちるしかない。

 真理香先輩の抗議の声が上がるが、ピンヒールを脳髄に叩き込まれるよりも、硬く握った拳で殴られるほうが、まだ生存率が高い気がする。どっちもすごく痛そうではあるが。

「痛いじゃないの、空乃! 頭、頭ぁ打ったわよ! 馬鹿になったら、どうすんの!」

 って、拳でなく瓦礫が飛んでくる。

 自分が頭を打ったからか、僕の後頭部に狙いが定まっている。

 慌てて、腕を組んで頭をガードし、グラジュスさんの様子を窺う。

「あれ? 大丈夫……ですかね? グラジュスさん?」

 殺しても死なないと有名な《シルフ》であるグラジュスさんも、一定の負荷が掛かれば気絶するらしい。

「いっちょまえに生物らしく、気絶してるっての? 生意気ね」

 僕を押しのけ、グラジュスさんへと詰め寄っていった真理香先輩は、心配するどころかツンと存在を主張する鼻を抓まんだ。ついでに、口も塞いでいる。

 殺す気か!

「やめてくださいって! 起きちゃうでしょ!」

 割と本気で力を掛けている真理香先輩を背後から羽交い絞めにし、ずるずるとグラジュスさんから引き剥がした。

 ほっそりと長い手足を伸ばし、沈黙を保つ顔に、とりあえず、ほっと息をつく。

 できるなら、クッション代わりにされた屈辱も、窒息死させられそうになった記憶も残っていなければいいが。

 僕の平穏は、神に祈るより他になさそうだ。

「投棄計画がめちゃめちゃだからって、量にも、程度があるんじゃないの? あっという間に、瓦礫の山! 宝の山も、腐るほど積もれば、ただのガラクタね! ゴキブリ女、偉そうな口を叩いていたけどさ、どんだけ上でゴミを溜めていたのよ? 職務怠慢よ。訴えてやる!」

「どこに訴えるんですか。まあ、確かにゴミの量は半端ないですね」

 積み重なるゴミの山は、量が多すぎて巨大な生き物のようにも見える。おどろおどろしい赤い空も相まって、終末映画のラストシーンを匂わす景色になっていた。実に不吉だ。

 僕たちが避難していた《ケージ・コンベヤー》の区画は、残念なことに真っ二つどころか三つ四つ、数え切れないほどに裂けている。辛うじて、粉々になっていない程度の損害だ。

「ううっ、鼻がむずむずする」

 瓦礫を押しのけて、グラジュスさんが立ち上がった。

 僕と真理香先輩に襲いかかっていただろう衝撃の全てを吸収しても、行動に支障を来す怪我はないようだ。さすが、頑丈って二文字が先行している《シルフ》だ。

「ほ、埃アレルギーとかじゃないですかね? ほら、ゴミばっかりですし」

「アレルギー? ハイランカーであるこの私が? ……馬鹿な。なにやら抓まれたような感触が残っているような気がするのだが」

「気のせいですよ」

 グラジュスさんは、しきりに白手袋をつけた手で鼻をこすっている。真理香先輩が余計なことを言わない限りは、くだらない闘争に発展しないはずだ。

「……で、どうするの、空乃。ぐずぐずしてたら、またゴミが落ちてくるよ? 次、降られたら流石に死ぬわ。頑丈なだけが頼りのハイランカー様を傘にしても、無理よ」 

「誰を、何にすると?」

 ああ、注意する前からすでに始まっている。慌てて睨み合う真理香先輩とグラジュスさんの間に入り込み、二人を引き剥がす。

「さっそく、いちゃもんつけに行かないでくださいよ! とにかくですよ、今は、このどうしようもなく危険な状態をどうにかやり過ごすほうが先決でしょ?」

「空乃は黙ってなさいよ!」「わたしに指図するな!」

 なんで、僕を詰るときだけぴったり息を合わせてくるのか。

 飛んでくる唾を喜んで舐めそうなコーノさんの姿は、残念ながら何処にもない。降ってきたゴミに紛れて、行方不明だ。

『ぎゃあぎゃあ騒ぐ暇があるンなら、さっさと動け、クズ』

《モノクル》ごと、鼓膜を破壊されそうな大声は、シャマイム社長だ。

「通信が、回復したんですか? でも、空はまだ真っ赤だ」

『おい、空乃クズ! てめぇ、天下の《オンディーナ》様と友達ダチだって、なんで黙ってたンだぁ? 履歴書に載ってなかったぞ、コラ!』

 履歴書は見ないで記入できるほど沢山書いてきたが、交友関係まで記さなきゃならない職場に出会った覚えはまるでない。だいたい、僕だって、ついさっき知ったばかりだ。

『限定的に通信できるよう、スルンツェ様が取り計らってくださったようです。此方からでは外の様子はあまり良くわかりませんが、とっても大変な事態に巻き込まれているようですねぇ』

 理不尽なシャマイム社長の罵倒を押しのけて、ナオミさんは「まさか、海賊に乗っ取られているなんて」と、ぼやいた。本当に、まさかの展開だ。

「空乃、なにぶつぶつ言ってんの? 気持ち悪いし。ねえ、《モノクル》からなにか生えているよ」

 指差す真理香先輩に、《モノクル》に手を伸ばす。

 指に、糸状の何かが絡んでくる。引っ張れば、ぼんやりと発光するコードのようなものが、瓦礫の隙間から伸びている。

 おかしい、《モノクル》は無線のはずだ。状況から考えるに、スルンツェの仕業だろう。

 真理香先輩には、シャマイム社長とナオミさんからの通信は届いていないようだし、投棄惑星全体の通信は、空を見る限り回復していないように思える。

「べつに、頭がおかしくなったわけじゃないですからね。スルンツェが、ナオミさんたちと通信を取り計らってくれているみたいで」

『ゆっくり、井戸端会議をしている場合じゃねぇだろうが! 地表で右往左往していても、なぁんにもできないってのは、わかってンだろうな? とにかく上に行け。海賊がいようが、なんだろうが《ケージ・コンベヤー》に行かないことには、なんにも始まんねぇ』

「わかってますよ! 耳にできたタコが潰れて瘡蓋になるほど、嫌と言うほど死にかけてますって! でも、どうやって上に行けばいいんです? 宇宙船があったとしても、ゴミが落ちてくる中じゃあ、まともに飛べないですよ!」

「ちょっと、落ち着きなさいよ、空乃」

 容赦ない平手打ちが、僕の頬を弾く。

「で、落ち着いた?」

「落ち着いたって言うか、なんと言いますか。怒りのベクトルが動から静に変わっただけですね!」

「おかしいわね、失敗だった?」

 打たれた頬が、じりじりと痛い。不意打ちだったので、口の中を切っているのかもしれない。

 冷静にさせたいなら、もっと優しい方法を選ばせて貰いたかった。たとえば、そう。不意打ちのキスとかなにか。

 ……いけない、発想がコーノさんと被りそうで嫌だ。

投棄惑星セブンスに、ゴミが落ちてこない場所など、存在しない」

 服を汚す埃をしきりに叩き落としながら、「だが」とグラジュスさんが尖った顎に手を持って行く。

「落ちてくるゴミの種類は、きちんと分別されているのだよ」

「……生ゴミ、ですか」

「《ケージ・コンベヤー》のなれの果ての中に、まだ使えそうな救助艇が残っているよう、祈っておくのだな。メタルクズは跳ね返せないが、生ゴミ程度ならば、問題なく飛べるであろう」

 さすが、腐っても投棄惑星の管理人だ。僕の返答を肯定するよう微笑むグラジュスさんが頼もしすぎて、なんだか女神のように思えてくる。  

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