三章 ブラックウィドウ

第1話

 感動的な親子の再会、ってわけではなさそうだ。

 血の気の引いた顔の真理香先輩に配慮してか、スルンツェが元の少女の姿に戻った。

「貴様! 目が合ったときからクソ生意気な小娘と思っていたが、やはり、海賊の仲間だったか! よくよく見れば、人相も反吐が出るほど醜いな。海賊一味といわれても、何ら違和感を覚えんよ」

「海賊顔って、どんな顔よ!」

 怒る真理香先輩に、僕も両手を挙げて賛成する。なんて、言いがかりだろうか。

 しかし、グラジュスさんのこの理不尽な反応。僕も映像の中に母親がいたなんて、言い出せない雰囲気だ。

「まあ、いい。仲間だと言うのなら、貴様を人質にとり、即刻あの忌々しい、野蛮人らを退去させる算段を考えねばなるまい!」

 ピンヒールを神経質そうに鳴らし、グラジュスさんが真理香先輩に詰め寄ってゆく。

「待ってくださいよ。真理香先輩は、僕の上司です。海賊なんかじゃなくて、《ゆめほし社》の社員ですから! ガーベイジ・コレクターなんです。僕も同じくね」

「ガーベイジ・コレクター? どっちみち、まともな職ではないだろうが。ゴミを違法に持って行くのも、《ケージ・コンベヤー》を違法に占拠するのも、たいして変わらん! どっちも、違法だ!」

 綺麗な顔をしているが、考え方は酷く大ざっぱらしい。

 表向き、確かに僕たちの商売は違法だ。なのに、今まで見逃されていたうえに、投棄計画の情報も垂れ流しにされていたのは、上層部にとって有益である以外に理由はない。

 僕らがゴミを回収して回っているからこそ、ゴミを捨てる空間ができる。投棄惑星にゴミを投棄できる間、グラジュスさんのような管理官は食いっぱぐれないでいられるのだ。

 持ちつ持たれつの関係で、一方的に悪く言われるのは、正直かなり気持ちよくはない。

「真理香先輩も、ほら。なにか言い返さないと! もっともっと」

 グラジュスさんの暴言を止めるには、僕だけでは無理だ。感情的になった女性を止める方法など、全ての男は持ち得ていないのだ。

「あんな、女。私とは、何一つ関係ないつってんのよ! 生まれたその日から、もう居なかったような奴よ。育児放棄も良いところだわ、親なんてたいそうなもんじゃないわよ!」

「関係ない? 今さっき、自分で母親だといったじゃないか? 遺伝子を継いでいるとなれば、無関係とは言えまいよ。よくよく見れば、そっくりではないか」

「だから、関係ないって言ってるでしょ!」

 風を切る拳の音。

 真理香先輩の懇親の一撃が、グラジュスさんの鼻を掠めた。

「ふん。そんな、へなちょこなパンチなど、わたしに通用するもの……」

 余裕綽々と言ったグラジュスさんの顔が――歪んだ。

「舐めないでよね! ゴキブリ触角女! 唐揚げにされるのと、素焼きでチョコレートをつけて食べられるのとどっちがいいか、選びなさい! 選んだところで、生ゴミにつっこんでやるけど!」

 鋭い右ストレートは、陽動はつたりだ。

 本命は、足。

 折り曲げた真理香先輩の膝が、グラジュスさんの腰の縊れに治まるように差し込まれた。ほれぼれするほど、綺麗に決まっている。

 瞬きほどの硬直の後、「あぎゃああ!」と。広いコンテナに、蛙を潰したような悲鳴が二つほど響き渡った。

 一つは、真理香先輩。もう一つは、グラジュスさんだ。

「痛い! 蹴ったのに、こっちが痛い!」

 怒声と悲鳴をまき散らしながら、真理香先輩は蹲る。

 グラジュスさんは、そこら中に置いてあった備品を蹴散らしながら転がっている。目を背けられないほど、派手な転倒だ。

 正論も屁理屈も通らない相手となれば、あとは物理的な手段しかないとは思うけど。ちょっと、やり過ぎだろう。

『大丈夫、《シルフ》は見た目と違って丈夫ですから』

「体が頑丈だからって、心がおおらかってわけでもないでしょう? 見ているこっちだって、ひやひやしっぱなしだよ!」

 蹴られても笑って許すような、反暴力主義な人種など聞いたことがない。

 真理香先輩がグラジュスさん相手に暴れられるのも、まだ、向こうに余裕と侮りがあるからだ。下級人種にマジギレするなんて愚行を許せない、ありがたいプライドだ。

「あの、真理香先輩のお母さんは、なぜ僕のお母さんと似ている海賊……ミドゥバルでしたっけ? と一緒にいるんでしょうか?」

「はぁ? あんたミドゥバルと親子だっての?」

 顔を思いっきり崩して、真理香先輩は首を傾げた。瓦礫の中から這い出てきたグラジュスさんと不意に目が合って、僕は「まさか」と、勢いよく手を振って否定した。

「母さんは、その……死んでいるはずなんです。死亡者リストに載ってましたから。ありえない」

 政府の発表がどれほど当てになるか分からないが、公式では僕の名前と続いて、新條海里の記述があった。

 母さんは、記録上では死んでいる。

 もし、母さんが生きていたとしても、海賊をするような理由が見つからない。そもそも母さんは僕と同じ《地球人》であって、《スプリガン》ではない。

「よく似た他人のそら似、とかじゃないの? 一瞬だったし。生きていて欲しいって願望が、全く関係ない赤の他人に重ねちゃってる。って、類いの」

「だったら、いいんですけど」

 スルンツェに頼めばもう一度映像も見れそうだが、ちょっと踏ん切りが付かない。

「……あぁ、クソ。痛い。なんて硬い皮膚よ」

 真理香先輩は、涙目でグラジュスさんを睨んでいる。

《シルフ》は見た目の可憐さからは想像付かないほど、とにかく生命力の強い種族と言われている。

 いつだったか、《シルフ》に痛い目に遭ったオッサンは、ゴキブリのような女だと愚痴を垂れていたっけか。

「真理香先輩のお母さん、あまり酷い人に見えなかったんですが」

「外見だけで、なにがわかるってのよ。空乃は、超能力者なの?」

「いいえ、まさか」

 映像で見た顔は女性らしく、言葉に出せば理香先輩の機嫌を損ねそうなので黙っておくが、嫌味のない好感の持てる顔立ちをしていた。

 まあ、全ては両手にごつい銃を提げていなければ、の話だが。

「全部、私の主観よ。詳しい人となりなんて、知らないの。知っているのは、顔だけ。写真で見たまんまだから、ちょっと驚いてる。私が生まれる前に撮った写真だから、十六年前? どんな若作りよ」

 痛みに滲んだ涙を拭い、真理香先輩は立ち上がった。

 蹴り飛ばしたグラジュスさんの、何とも言えない怒気の滲む顔に追い打ちを掛けるように中指を立て、乱れた髪を掻き上げて挑発している。

「私が生まれたときには、もう姿を消していたから、何もわからないってのが正解。とはいえ、生まれたての娘と瀕死の旦那を放置して消えるようなクソ女よ。何をやったって、不思議じゃない。宇宙規模で指名手配されているような海賊の一味に加わっていても……ね」

『詳しい遍歴は、外部データベースと繋がれないのでわかりませんが。ミドゥバルと共にいた女性の固有名称は、エリカ。《トゥエルブ》にて、連星警察により拘束、投獄された後に脱獄し、以後、行方をくらましているようです』

 スルンツェの補足に、声を上げたのはグラジュスさんだ。

「《トゥエルブ》の危険指定収監所? 相当の、極悪人だな」

 予想よりもずっと、グラジュスさんが怒っているように見えないのは、まったく真理香先輩の攻撃が利いていないってアピールなのか。

 僕の背後で、「もっと蹴っておけば良かった」なんて、悔しそうな真理香先輩の舌打ちが聞こえてくる。

「他人の親子事情なんて、どうだって良いでしょ! ゴミがひっきりなしに落ちてくる現状で、どうやって脱出するかを話し合うのが、重要じゃないの? 頼みの綱だった管理官は、頑丈が取り柄だけの馬鹿みたいだし。まあ、ゴギブリ並みの生命力を持ってるっていうなら、ゴミだらけの状態はむしろ好都合なのかもしれないけど。部屋も結構、汚いんじゃないの?」

 どんっと、押されて、つんのめる僕。

 目の前には、切れ長の目をさらに細くしたグラジュスさんの顔がある。涼しい顔なんて思った僕が甘かった。とんでもない。とんでもなく、怖い。

「数を増やすだけが取り柄の《地球人》は、みんながみんな、お前みたいにぎゃあぎゃあと煩いのか? 条約がなければ、ペットの生き餌として飼育してやってもよかったんだがな」

 睨み合うなら、僕を挟まないでやってもらいたい。いや、そもそも喧嘩をしている場合じゃないでしょうに。

「啀み合うのは、安全が確保されてからで良いじゃないですか! とにかく、早く脱出の算段を考えましょうよ」

『脱出は、不可能です。少なくとも、現状では無理です』

 コンテナを揺さぶる衝撃に、足元がぶれる。

 見上げれば、天井が四角く凹んでいた。ゴミの落下軌道が、重なり始めているのだろうか。

 衝撃にすっころんだ僕とは対照的に、美女、美少女の足腰は逞しいようで。まったく微動だせず、まだ睨み合っている。

 もう、勝手にしていればいい。立ち上がる気力もなくて、床に這いつくばったまま、スルンツェを窺う。

『空が赤く染まったのを、見ましたね? オンディーナ・ラインの波長を故意に変化させて、外部だけでなく、《セブンス》内部の通信経路も絶たれています。そこへ持ってきて、投棄されるゴミの量。飛んで逃げるにしても、重力圏より抜け出る前にゴミに衝突して墜落するでしょう。そもそも、動ける宇宙船が、どれほどあるか――』

 絶望的なスルンツェの言葉は、真理香先輩とグラジュスさんの怒声と一緒に、とてつもない地響きによって掻き消される。

 雷雨。いや、雨じゃない。無数のゴミだ。

 張り上げた声も通らないほどの轟音と共に、コンテナの天井が変形してゆく。

 ハリネズミの皮を裏返しにしたように凸凹に歪む天井。頑丈なせいか、壊れずに衝撃によってじわじわと歪んでいくさまは、恐怖でしかない。

 天井が衝撃に耐えられず瓦解するか、へこんだ天井に押し潰されるか。どのみちじっとしていては圧死は免れない。目に見えて迫ってくる死線を前に悲鳴すらも掻き消される。

「ちょっと、これ! 外に出ないと押し潰されちゃう!」

「出たら、出たでぺしゃんこですよ!」

 コンテナを抉る衝撃に、胃がひっくり返りそうだ。寝そべっているせいで、体が痺れてくる。

『空乃、身構えて。せめて、口を閉じて、息を止めていてください。大きいのが、来る。避けきれません』

 忠告と同時に衝撃が襲ってきたのは、幸いか。馬鹿みたいに「どうして?」と聞く間がなかったおかげで、僕は舌を噛まずに済んだ。

「あきぐぉ!」

 真理香先輩の悲鳴、たぶん僕の名前を呼んでいるのだろうが、残念ながら言葉になっていない。スルンツェの忠告も虚しく声を上げて、舌を噛んだんだろう。僕の名前なんて、叫ぶからだ。

体が、ふっと軽くなる。

 床に寝そべっていた僕は、気付けば空を飛んでいた。手足に力を込めて懸命に這いつくばっていたのに、である。

 さっきまで頭上にあった天井は、ぐるりと一回転して足元に広がっている。酷く歪んでいるが、壊れていない。なんて、頑丈さなんだろう。

 なんて、観察している場合じゃない。

 重力が軽いとはいえ、無重力ではない。ぶつかれば、当然衝撃も襲ってくる。圧死ばかりを考えていたが、予想もしていなかった激突死が、選択肢として急浮上してきた。

 為す術もなく、投げ出される体。

 恐怖に目を閉じそうになって、頬を叩く打撃に手を伸ばす。真理香先輩だ。

 華奢な体をぐっと引き寄せて、体の中に抱き込む。

 見上げてくる顔を胸に引き寄せて、来たるべき衝撃に、僕は息を飲み込んで待つ。可能性がどれくらいあるかわからないが、少なくとも、真理香先輩は助かってくれるだろう。

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