ガーベイジコレクター

南河 十喜子

一章 夢の惑星、ぼくらのゴミ惑星

第1話

『新條! 新條空乃しんじょう あきのぉ!』

 機械越しのざらついた声に、名前を呼ばれる。

 頭痛を覚える酷い濁声は、微睡む僕に二度寝を許すつもりはまったくないようで、なにかとしきりに文句を垂れていた。

 内容が聞こえていないわけではないが、僕の本能は聞いていない振りを決め込んでいる。いわゆる自衛、防衛本能ってやつに近い。

 まともに取り合えば、腹が立つと経験から学んでいたからだ。

(誰だよ、馬鹿)

 数少ない友人の顔を思い出してみるが、わざわざモーニング・コールを入れてくれるような親切な奴がいたのなら、もっと待遇の良い会社にいたはずだ。

 自慢じゃないが、僕の寝起きはすこぶる悪い。悪すぎて、一年同じ職が続いたためしがないくらいだ。人口だけは大都市並みの数字を持つ違法ハブコロニーは、ちょっとのミスですぐにクビを切られる、わりとシビアな就労状況だった。

『おい、新人クズ! 返事をしろってンだよぉ』

「あぁ、そうか。そうだった、僕はもう、ニートじゃないんだ」

 苛つきしか感じない声に、ようやっと合点がいった。

 機械を通しているせいで、ただでさえ酷い声がさらに酷くなってわかりにくかったが、声の主は新しい職場のシャマイム社長のものだ。

 ノイズよりも煩い金切り声は、労災を申請したいほどに頭に響く。とはいえ、いくら不快であろうと無視できない。職歴最短記録をつくるわけにはいかなかった。

 気合を入れて、重い瞼をなんとか抉じ開けた。

 薄暗い室内、ぼんやりと光るモニターには、不機嫌そうなアルパカの顔が映し出されている。

「……ふぁい。おほようございまふ」

『なんだ、その寝ぼけたフリは何かのギャグか? てめぇ、寝ていたんじゃなくて、気絶していたんだろうが! しゃっきりしろ、新人クズ。皮も剥かずにミンチにして、コンポストに突っ込んでやるぞ!』

 アルパカ。もとい、〈バイコーン〉と呼ばれる異星人は、首から提げているカウベルにしか見えない翻訳機を揺らして鼻の穴を膨らませた。

 額から突き出た鋭い角が、モニターから出てきそうなほどに憤慨している様は、言っちゃ悪いが滑稽でしかなかった。僕の顔は電波に乗って向こうにのモニターに届いているだろうから、あからさまに笑えないのが非常につらい。

 まあ、上司相手に失礼でしかない返事になったのは否定できない。けども、社長だって野菜屑みたいな、失礼きまわりない渾名を僕につけているじゃないか。

 失礼加減は、どっちもどっちだろう。

 埃っぽい空気に咳払いし、身じろぐ。怪我はなさそうだ。ほっと息をついた。

 補償は付いているとは言え、建前程度だろう。怪我なんて、している場合ではないのだ。

 今の僕は、家賃どころか医療費を払う余裕もない。怪我を治すために内臓を売るんじゃ、本末転倒だ。

 背中にあたる硬い感触は、確かにベッドではない。操縦席の、安っぽくて長時間の仕事には絶対向いていなさそうな硬いシート。

 働いているという、実感が沸いてくる。がんばれ、僕。せめて給料を貰うまでは!

「よかった! 僕、生きてるみたいですね!」

『備考欄に書いてあった〝悪運がつよい〟ってのは、伊達じゃなかったようだなァ。勤務三日で死亡なんて笑いぐさにしかならんが、なくはない仕事だからな。しゃんとしやがれ』

 ふんふんと、鼻息荒くシャマイム社長は言う。

 僕はどうやら、逆さまに吊られているらしい。シートベルトが体に食い込んで苦しい上に、頭がぐらぐらする。血が昇っているからだろう。

「なんだか僕、横転どころかひっくり返っていますね」

 理由は、分かっている。はっきりと、思い出せる。

 空から振ってきた落下物を避けようとして、バランスを崩してひっくり返ったんだ。

 作業に加わってから三日目の、ド新人らしい失態だ。注意深く慎重に、ゆっくりと落下予測ポイントから避難するだけで良かったのに、慌てすぎたのだ。

『潰されなくてよかったわねぇ、空乃ちゃん。逃げようとしてひっくり返るなんて間抜けな失敗を笑えるのも、命あっての物種なのよ。死人相手に笑ったら、不謹慎だって叩かれるだけだもの』

『死んでも、作業車だけは壊すなよ、新人クズ。オペレーターの換えは利くが、機械を買うのも修理すんのも、うちにとっちゃ死活問っ……へぎゃっ』

 アルパカの草臭そうな顔が画面から消え、浅黒い肌の美女が姿を現す。

 副社長のナオミ・ワッツさんだ。僕を清掃会社〈ゆめほし〉社に採用してくれた恩人であり、ウェーヴした黒髪が魅力的な、僕の女神だ。

『車両もオペレーターも、大事な備品ですのよ、社長』

『痛い、痛いよ、ナオミくん! 叩かないでおくれよぉ! 親族もいないし、何かあっても安く済みそうな良い人材を見つけたって、嬉しそうに言っいたのは、君っ』

 モニターの向こうから、鈍く、骨っぽい音が聞こえてくる。

「あの、ナオミさん。いま、僕のこと備品って……」

『キーを回しても動かないんじゃ、外からエンジンを始動させる必要がありますねぇ』

 女性には、触れちゃいけない領域ってものがあることくらい理解している。

 殺伐とした作業環境で、ナオミさんの笑顔が救いであるのは確かなのだ。裏に悪魔や魔女が潜んでいようと、とりあえず女神の表面があればかまわない……と、言うことにしておこう。僕も、命は惜しいのだ。

「しゅ、手動ですか? マニュアルは読みましたけど、初めてやって成功するか、不安です」

『不安に思っていたって、やるしかないわ。それも、手早くね。どこから〝ゴミ〟が落ちてくるのか、さっぱり読めない状況です。仕入れた情報と、投下計画がずれるなんて、滅多にありません。緊急事態と考えて良さそうです。ほら、こうして話している間にも、降ってくるかもしれませんよ? 急いで、急いで~』

 モニターの向こうで手を振るナオミさんは、天候計画情報を知らせるキャスターのように晴れ晴れとしている。

 緊急事態ってことは、また突然降ってきたりするってことだ。まいったな。

 ひっくり返ったままじゃ、避けようにも避けきれない。ぺしゃんこに潰されるなんて、御免被りたい。

『大丈夫よ、空乃ちゃん。ちゃんとフォローは……あっ、空乃ちゃん! 歯を食い縛って、シートベルトにしがみついて! すぐに、瞬時に、早く!』

 どうしてか、疑問は機体を揺さぶる振動に掻き消された。

珠洲城真理香すずしろ まりか、ちゃっちゃと、作業に入りまーす』

「うわっ! むぐっ」

 ナオミさんの忠告も虚しく、大きく揺さぶられる振動に驚いた僕は、当然ながら舌を噛んだ。

 痛い、とても痛い。

 千切れはしなかったが、夕飯のカレーは美味しく食べられそうにないなと、口の中に滲む血を飲み込みながら、猛烈な痛みと遠心力から逃避を図る。

 中にいる僕をまったく考えてくれていない、乱暴な作業はじつに真理香先輩らしい。

 僕の二つ下、ぴっちぴちの十六歳。

 頼れる先輩作業員様は、カワイイし、よく仕事もする。

 が、少しばかり雑なのだと、ナオミさんがぼやいていたが、その、少しばかりってのは、すぐに機嫌を損ねる真理香先輩を配慮しての言葉に違いない。

 実際は、超弩級に雑。大ざっぱにも、程があった。

 腰から胃に掛けて、登ってくる酷い鈍痛。砂時計をひっくり返すように、僕は機体ごと反転させられた。……吐きそうだ。

(終わりよければすべてよしってのが、モットーだったっけか。強引だぁ、真理香先輩)

『大丈夫? 空乃。まあ、大丈夫じゃなくても空気清浄マスク被って、機外に出なさい。出やすくしてあげたんだから、感謝してよね』

 大丈夫なものかと言い返したくなるが、口を閉じておく。大丈夫でないと、真理香先輩も分かっているようだし。吐いたらなおさら、ドヤされそうだ。

「あの、真理香先輩がエンジン掛けてくれないんですか? ほら、先輩として手本をみせてくれたら嬉しいかなって」

『嫌よ。この辺りは変なガス出てそうだし、臭そうだもん。作業服に臭いが染みたら地獄よ?』

 これから外に出なければならない僕に、真理香先輩は泣きたくなるほど嬉しい助言をくれる。

 必然的にためらう僕に、『臭くなっても、嫌わない努力はするから』と背中を押してくれるが、建前でしかないのは明白だった。

 臭くなったら、「寄るな喋るな、さっさと死ね」と嫌うに違いない。パートナーを組んでから三日と関係こそ浅いが、生死をかけた濃密な時間を共にしていれば、大体の人柄は把握できてくるものだ。

 真理香先輩は、良くも悪くも、嘘がつけない。言葉と行動が先行するだけ先行して、理性がカヴァーできないと匙を投げているのだ。

『早くエンジンをかけなよ、空乃。異常事態ってのは、本当っぽいよ。降ってくるゴミの量が、半端じゃない。雨が降っているみたい』

「やります。やりますから、見捨てないでください」

 外に出てエンジンを始動させなければ、僕はホームに帰れない。臭いぐらい何だ、死ぬよりマシだ。やるしかない。

 拘束帯を外すと、圧迫されていた肺が膨らんだ。軽く咳き込みながら、首から掛けていたゴーグルをつけ、座席に備え付けられている屋外作業用マスクを装着した。迷っていれば確実に尻込みするだろうから、とにかく無心で、手順を踏んでいった。

 手探りでハッチ開放レバーを見つけ出して思いっきり手前に引くと、プシュッと零れる空気音に、前髪が踊る。

『いい天気よ、空乃』

「いつも、良い天気じゃないですか。《セブンス》の管理人さんたちは、雨がよっぽど嫌いなんでしょうね」

『私だって、雨は嫌いよ。地球になんて、降りたくないな。天気予報があっても、外れたりするんでしょ? 濡れるなんて、最悪』

「安心してください、僕らみたいな辺境の底辺にいるような身分じゃ、地球に降りられませんから。宇宙船から眺めるだけでも、せいぜいって感じでしょうよ」

 真っ暗だった操縦席に、光が差し込んだ。

 口と鼻を覆うマスクのおかげで臭いも息苦しさも感じないが、頭上を流れる色の付いた風は不穏なものしか感じない。

 嫌々ながらタラップを登り、外に出る。

 間断なく落とされるゴミが積み重なってできた、脆くていびつな大地を、嘘みたいに蒼く晴れた空が覆っている。

 まあ、嘘なのだが。

 美しく見えるよう調整された波長が作り出す空の色は、地球の空を知る人にとっては、吐き気を催すほどに違和感を覚えるらしい。まあ、気分を悪くするような世代はほとんど残っちゃいないだろうけど。

色の付いた雲さえなければ、限りなく地球に近い投棄惑星《セブンス》の青空は、《ケージ・コンベヤー》と呼ばれるリング型巨大宇宙ステーションによってぐるりと囲まれている。

 青一色ではなく、《ケージ・コンベヤー》の影が至るどころにあるせいか、今にも落ちてきそうな途方もない質量を感じさせる。

 空を飛ぶ鳥のように、それぞれに形の違うゴミが、ひっきりなしに地上へと落下する様を、僕はゴーグル越しの視界で追った。

 ゆっくりと落ちてゆく黒い影は風船のようで愛らしくも感じるが、のんびりと構えていたら最悪、ぺしゃんこだ。ぶるっと、今更ながら悪寒に体が震えた。

 いやいや、脅えている場合じゃない。ここが、僕の新しい職場だ。

 投棄惑星を囲むリング型宇宙ステーションから落ちてくる資源ゴミや生ゴミやらを掘り出して持ち帰り、必要な場所に卸すのが、僕の――ガーベイジ・コレクターの仕事だ。

 ただのゴミ漁りと、思うことなかれ。

 ガーベイジ・コレクターがもたらす様々な成果物が、人類、その他ローランカー文明の発展速度に直結しているといっても過言ではないのだ。

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