第4話

 真理香先輩を転ばしてちゃっかり逃げ切ったコーノさんは、重力がよほど辛いのだろう。

 水溜まりのように薄っぺらい形のまま、蛇のように体をくねらせながら積み重なるゴミの隙間を器用にくぐりながら戻ってきた。

「空乃さんは、本当に地球人なんですかね?」

「謝罪はないんですか、まったく」

 ふてぶてしい限りだが、お仕置きは真理香先輩に任せておこう。僕は今まで全く音沙汰のなかった過去の登場に、結構な具合で揺さぶられている。

「何を疑っているかわからないですけど、僕は地球日本系人種です。真理香先輩と同じ、ね」

 僕は、れっきとした地球人だ。

 IDは凍結されていても、履歴書作成で必要不可欠な、簡易DNA検査でちゃんと保証されている。

「……履歴書が、本当だったらね」

「本当ですよ! だいたい、不正を働く余裕とかないですし。一日一食とるだけでも苦労するような生活だったんですからね。生きるだけで精一杯なんですよ!」

 心外な。と、食いついて……慌てて頭をガードする。

 真理香先輩は仁王立ち、対する僕は座り込んだまま。

 蹴られては堪らないと、慌てて首を竦めたが、飛んできたのは苛立った声だけだった。

「不幸自慢なんて、やめてよね。だいたい、自慢にもならないから。違法コロニーには、空乃みたいな身の上の連中ごろっごろいるし」

 ふん。と鼻を鳴らすだけで終わらせた真理香先輩。なんだろう、ちょっと、らしくないような気がする。

「本当なんですかねぇ、だって、ほら。あげなでっけえものを吹っ飛ばすなんて、地球人みたいな下等生物じゃあ、無理ですよ。いくら重力が軽いからって、無理なもんは無理なんですよ」

「軟体動物じゃあ、もっと無理だと思うけどね」

 コーノさんが、指し示す方向。不自然なまでにゴミが積み重なり、砂漠の稜線みたいな光景が広がる先。 

「あ、あんなものが落ちてきたんですか?」

 悶々と、過去に浸っている場合じゃなさそうだ。慌てて立ち上がり、背伸びをする。

 十メートル四方の巨大な四角い箱――のようなものが、ゴミ山の中に埋もれていた。

「……なんで、僕たちは無事なんですか? あんなの、いくら全力で走ったからって逃げ切れませんよ」

 あれほど大きなモノでなくても、たとえば、拳ぐらいの小さなゴミでさえ、当たりどころが悪ければ死ぬだろう。

 問題は、避けきれるか否かであり、降ってきた四角い箱は、どう考えたって逃げ切れない大きさをしていた。

「わからない」真理香先輩は、僕の足に絡んでくるコーノさんを引っぺがし、ゴミ……おそらくは廃棄された小型宇宙船の残骸に叩きつけた。

 さすが軟体、ぺたっと軽い音がしただけで、ダメージは大してなさそうで、真理香先輩の表情は渋いままだ。

「あれに潰される寸前、なにかが光ったのよ。とっても眩しい青白い光に目を閉じて――開けたときには、もう、こうなってた。空乃は倒れてるうえに、なんだか魘されてるし」

「もしかして、心配してくれたんですか?」

 夢から覚めた直後の、真理香先輩の顔を思い出す。

 男よりもよほど男らしい凛とした顔も似合っているが、不安に揺れる感じは、年頃の女の子っぽくて新鮮だった。

「空乃、あんたなんで笑ってるのよ? 気持ち悪ッ!」

 罵声と一緒に、鳩尾に差し込まれる鋭いエルボー。当然、僕は悶絶した。

「見る限り、《ケージ・コンベヤー》の一部でしょうね。なんで落ちてきたのかは、わからねぇですけど、《御髪》に障害が出ているうえに、投棄計画の乱れ。やはり、上でトラブルがあったに、ちげぇねぇでしょう。グラジュス様にアピールする、最大のチャンスと見ました! 吊り橋理論で、攻めて攻めて攻め抜いて、あんの素晴らしいボディをいただいてやりまっ……」

「黙れ、ゲスが!」

 叫んだのは、真理香先輩ではない。

 ゲスい、コーノさんの未来設計を阻止したのは、バーベキューの串のように尖ったピンヒール。

 軟体に埋もれるようにして、深々と突き刺さっていた。

「ぴゃーぴゃーと、小煩いと思ったら、貴様か、アウローラぁ!」   

「おおぉう……この、芳しき靴の香! 桃の香りが、するような、しないような甘酸っぱさ! たぶん妄想ですが、とても良い香り。おんや、愛しのグラジュス様ではありませんか! どうぞ、コーノと! なんなら、ダーリンと呼んでくださっても構いませんよ!」

「嗅ぐな、気持ち悪い!」

 もう片方のヒールを振りかぶった格好のままで動きを止め、青みを帯びた肌の女は叫んだ。血の滲むような叫び声と一緒に、背中の薄い二枚羽が、ぎちぎちと震える。

 まあ、当然か。なんの関係のない第三者の僕でも、コーノさんの反応には、ちょっと鳥肌が立った。

「その、虫みたいな羽……《シルフ》ってことは、ハイランカーよね? 《セブンス》の管理人で、合ってる? あんたが、グラジュスねぇ」

 真理香先輩に人差し指を向けられ、グラジュスさんは、細い眉毛をぴくりと持ち上げた。

 高度技術を有するハイランカー様としては、真理香先輩の我の強い態度は、わりと屈辱的だったんだろう。

「ちょっと、真理香先輩。僕たち、見逃してくれてるとは、いってもですよ、違法にゴミを持って行っているんですから、もうちょっと、穏便に話を進めましょうよ」

 ハイランカーとか、ローランカーとか。

 勝手に線引きされた階級を真に受けて、下手にへり下る必要などないとは僕も思う。が、さすがに初対面の相手に見せる態度じゃないだろう。

「いかにも、私は《セブンス》の投棄事業管理の責任者である。《地球人》の女、すまないが、私の靴を取ってくれないかね」

 さらりと、長い髪を掻き上げるグラジュスさんも負けちゃいない。

 口調こそ丁寧で大人の態度ではあるが、綺麗に縊れた腰と制服を着崩してしまうほどに大きな胸。武器を最大限強調するようなポージングと、上から目線。全てが、侮れない。

「でかいからって、なによ。所詮は、虫でしょうが」

 苦虫を擂り潰したような、苦しい真理香先輩の負け惜しみは、聞かなかった振りを決め込む。グラジュスさんに、聞こえてないと良いけれど。

「聞こえなかったのかね? 聴覚まで足りていないとは、見た目通りに薄っぺらいのだなぁ」

 あぁ、参ったな。真理香先輩の負け惜しみは、聞こえていたようだ。

「流石は、ハイランカー様ですねぇ。あんな、得体の知れない茶色のゼリーに臭いまで嗅がれた靴を、気にもせず、また履けるだなんて素晴らしくも鈍くさい感性をお持ちのようで、驚きですわ! ちなみに、私は手を突っ込んで取り出したりなんて、したくないわよっ!」

 いったい、どんなキャラだ。口調が、まったく定まっていないじゃないか。

「そこの、いまいちパッとしない男。貴様で構わん、私のヒールを持ってくるのだ」

 いまいちパッとしないってのは、僕のことか。まあ、男って言ったら僕かコーノさんしかいないのだから迷うわけもなく。なまじ、パッとしない自覚があるだけに反論し辛くて困る。

 いや、僕だってコーノさんに腕を突っ込むなんてしたくない。背負うだけでも、理性の効くギリギリの範疇だってのに。

「グラジュス様! 一言、この私めにお命じになってくださればよろしいのに! 喜んで、このお靴ごと踏まれにゆきますのにぃ!」

 ぶるっと大きく震えたコーノさんが、唐突に、なんの前触れもなく、二つに割れた。

 ころころと、転がり落ちてくるピンヒールを、誰も拾おうとはしなかった。あまりにも唐突過ぎて、動けないでいた、ってのが正しい。

『空乃が、困っていたようだから』

 ぱちっと、目の前の空間が爆ぜる。姿はない、声だけが……《モノクル》から吹き込まれる。

「まさか、ハイエストがいらっしゃるだなんて」

 数秒前まで態度の大きかったグラジュスさんは、四角い箱から飛び降りると間も置かずに膝を着いた。埃で肌が汚れるのも、気にする余裕のない、強張った顔をしている。

「ねえ、空乃。この声、さっき聞いたよね?」

「ええ、聞きました。潰されそうになる寸前……って、真理香先輩も聞いたんですか?」

 驚いた。僕だけが聞いた幻聴かと思ったのに。

『早く、ここから逃げてと言いたかったのですが……間に合わなかった』

 ぱちっ、ぱちっと何もない空間に光が弾け。

 中古のホログラム映像のような、酷く不鮮明な少女が唐突に現れた。

「逃げてって、どういう?」

 問えば、少女は人差し指を突き出して、空へと向けた。

『世界は、外界より閉ざされました』

 地球を思わせる青い空が、見覚えのない赤色に染まっていく。

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