ごくフツーの中学校生活
あれからすでに、一週間が過ぎた。
日ごと深まりゆく秋とともに、オレも日高も、ごくフツーの中学校生活を満喫している。
日高も何もいわないし、あの日のことは、全部夢だったのではないかとも思うが、妙に生々しい記憶がしっかり残っているし、さらに時折、もっとずっと昔のことが、ふと思い出されたりもする。
いわゆる、前世の記憶というヤツだ。
そこでオレは、弟橘姫というお姫さまで、しかも、日高と夫婦だったという。
日高は、ヤマトタケルとして知られる、花彦小碓尊だったのだ。
だからといって、オレたちの関係が、何か変わったということはない。
席が隣だから話をする、ただのクラスメート。
以前より多少親しみが湧くことはあっても、それは単に、同じ冒険をした仲間だからに過ぎない。
だって、オレは初めから、アイツを異性としてどうこう思っては、いないのだから。
美少女だとは思うけど、すごく話しやすいけど、いいヤツだってこともわかってるけど、変なヤツだとも思うし。
ただ、時折見せる心の闇のようなものは、すごく気になる。
向こうが何もいわないから、今は何も出来ないが、出来ることがあるのなら、してやりたいとは思う。
そもそも、日高はオレをどう思っているのだろう。
仲のいい友人のひとり、くらいの認識だろうか。
まあ、それでいい。
前世で夫婦だからといって、またそうなるとは限らないのだから。
オレは、教室のドアを開けた。
放課後だし、静かだから誰もいないかと思ったら、日高がいた。
今日は残り勉ではなく、自分の席でひとり、本を読んでいる。
「帰らないのか?」
声をかけると、顔を上げた。
相変わらず、綺麗だ。
見た目だけは。
「これ、あと少しで読み終わるから、帰りに図書館寄って返してこようかと」
それから、サッカー部の黒いジャージを着たオレを、物珍しそうに見てくる。
「アズマは部活?」
「ああ。タオル取りに来た。そういや、部活は? 今日、見学会なのに」
確か、コイツは茶道部だったはずだ。
お茶菓子目当てで入部したといっていた。
「先生の都合でお休み。間が悪いよね」
日高は本を伏せて、机に置いた。
ハードカバーの分厚い本で、近松全集と書いてある。
近松門左衛門?
江戸時代の劇作家だっけ。
オレも本をよく読む方だと思うが、日高はかなりの読書家のようで、こうして小難しい本を読んでいるときもあれば、ラノベやBLのときもある。
まあ、人様のシュミにケチつける気はないけどな。
「そういえば、ミヤズ、来ないね」
唐突に、日高がいった。
彼女の話題が出るのは、あれから初めてだ。
ふたりきりになる機会がなかったからかもしれないが、ちょっと驚いた。
「来ないって?」
「いや、ほら、これがマンガとかラノベなら、彼女の生まれ変わりが、急に同じクラスに転校してくるとか、あるでしょ」
確かにありがちだ。
とはいえ、残念ながら、うちのクラスにも、
「会えたら面白そうだけど、やっぱすぐには無理か」
やはり花彦の妻である美夜受姫は、生まれ変わったら、また、花彦に逢いたいというようなことをいっていた。
最初、あんな迷惑そうにしていたのに、今では会いたがってるなんて、コイツも物好きだよな。
「なんか廊下が騒がしいね」
日高がドアの向こうを気にする。
「ああ、部活見学の小学生が来たんだろ」
近隣の小学六年生が、翌年の中学入学に備え、部活動の見学に来るという行事で、オレたちも去年やった。
あれからもう、一年経つのか。
「そろそろ戻らないと」
「部活、頑張ってね。見学の小学生と間違われないように」
あーもう、本当にコイツは、どうして一言多いんだ。
「うるせー。ばーか」
ムッとしていうと、日高が笑った。
「あ、でも、そのジャージ、すごくカッコいいね」
「えっ!」
今さらっといわれたのはなんだ。
ジャージ。
ジャージを誉めたんだよな、オレじゃなくて。
やべぇ、なんかドキドキしちゃったじゃないか。
くそっ。
日高のクセに。
やっぱ、この容姿はズルいよなぁ。
そのとき、教室の戸が音を立てて開いた。
思わず振り向くと、戸口には、見知らぬ男が立っている。
制服でも、ジャージや体操服でもなく、藍色のTシャツの上に薄手のアイボリーのシャツを羽織るという私服姿だ。
前世の日高のように、すらりと背が高いので、臙脂色の細身のパンツがとてもよく似合っている。
サラサラとしたストレートの黒髪が、色白の額に軽くかかり、どこかインテリジェンスな感じがする。
中学生ではなく、高校生だろうか。
でも、なんで、こんなところに?
彼はオレではなく日高を見ると、にこやかに笑った。
そうすると少し、幼さが滲む。
どこか懐かしいような笑顔。
「よかった。ここにいたんですね、日高センパイ」
明るく柔らかな声とともに、彼はずかずかと教室へ入ってきた。
コイツ、日高の知り合いなのか?
しかも、センパイってなんだ?
「おい、日高。オマエ、アイツと……」
オレが日高に尋ねるのなんてまったく気にせず、彼はいきなり日高の両手をとった。
「逢いたかったです、日高センパイ」
「うわぁっ!」
手を振りほどいた日高が慌てて立ち上がり、オレの背に隠れる。
コイツ、またオレを盾に。
「なんなの、あんたっ」
オレの背中越しに日高が問い詰めると、彼は少し困ったような、でも嬉しくて堪らないという顔付きでいう。
「わかりませんか、花彦さま」
左目下のホクロが目立つ、奥二重の涼しげで大人びた眼差し。
赤みの強い明るい色の光彩には、どこか見覚えがある。
それに、今、日高のことを花彦って。
いや、でも、まさか、そんな……。
「ボク、
「「ミヤズぅっ!」」
オレと日高の声が、綺麗に重なった。
「はいっ。ちゃんと、また逢えてよかったです」
うわぁ、本当に来ちゃったよ、ミヤズ姫。
やっぱり、噂をすれば影ってヤツか?
この日高に対する積極的な態度といい、花彦を知ってることといい、ミヤズの生まれ変わりで間違いないだろう。
「でも、なんで、センパイなんだ? オレら、一年だぜ」
気になっていたことを尋ねると、ミヤズもといイブキは初めてオレを見た。
見下ろした。
「あっれぇ、いたんですか、穂積センパイ。小さ過ぎて、気付きませんでしたよ。っていうか、小さそうとは思ってたけど、本当に小さかったんですね」
「てっめぇ」
今何回小さいつった。
っていうか、昔はオマエのが小さかったのに、すっかりデカくなりやがって。
くそっ。
「あ、ボク、来年ここへ入学しますから、センパイでいいですよね。それとも、ヒコちゃんって呼んだ方がいいですか? それとも、
「却下」
日高がぼそりと否定する。
って、今なんつった。
来年入学って、コイツまさか……。
「小学生っ!」
イブキはさらっとオレを無視し、日高に話しかける。
「今日は部活見学に来たんです。センパイは、何部ですか?」
「茶道部」
「へぇ。いいですね、雅やかで。僕も来年入ろうかな」
「えーっ、勿体無いよ、その身長。何センチ?」
「えっとぉ、175はないと思いますけど、最近また伸びたみたいで、よくわからないです」
「すごーい。小学生には見えないね」
「色々不便ですよ。子供料金のあるとことか」
あっそうですか、オレなんて未だに子供料金OKですよ。
すっごいお得ですよ。
楽しそうなふたりの姿に、なんかイラッとする。
「ああ、でも、本当にミヤズが現れるとは思わなかった。また逢えて嬉しいよ」
ニコニコと微笑みながら、日高がイブキを見上げる。
「ありがとうございます。そういっていただけて、ボク幸せです」
日高はさらにニコニコと続ける。
「そういえばさ、花彦には、他にも奥さんいたよねぇ。大タラシといわれた親父ほどじゃないけど」
「「はぁっ?」」
今度は、オレとイブキの声が重なってしまう。
あと、ついでにいうと、大タラシって、そういう意味じゃないから。
まあ、確かに奥さん多かったけど、花彦のお父さんも、花彦も。
「他のみんなも、生まれ変わっているのかなぁ。だとしたら、逢ってみたいなぁ。みんな、美人だったし、可愛かったし、すごいイケメンになってるといいなぁ」
いつにもまして上機嫌な様子の日高を、つい白い目で見てしまう。
「何いってんだよ、オマエ。逆ハーレムでも作りたいのか」
一方、イブキは、日高に詰め寄り、猛烈にアピールした。
「センパイには、ボクがいるじゃないですかっ」
「いや、たださ、みんなにも逢えたら嬉しいなって思っただけで」
ヘラヘラ笑う日高の姿が花彦と重なって見え、オレはため息を吐く。
昔は一夫多妻が当たり前だったから、それでよかったかもしれないけど、博愛主義も大概にしないと、オマエ、いつか刺されるぞ。
と、花彦になら、いってやりたいところだ。
でも、まさか、本当にミヤズが現れるとは、思わなかったな。
だとしたら、他の関係者たちも、オレたちの傍にひっそりと、生まれ変わっているのだろうか。
そして、いつの日か出会うときが来るのだろうか。
かつて、敵として屠ってきたものたちも……。
急に背筋がゾクリとした。
と、同時に、すぐ傍でバイブの音がし、オレはさらにビクッとする。
イブキが慌てたように、尻ポケットからスマホを取り出す。
「うわっ、すぐ戻らないと、勝手に抜けてきたの、先生にバレちゃう」
こんだけデカイのが消えたんだから、もうとっくにバレてんじゃねぇの。
っと、やべぇ。
オレも戻らないと、先輩に怒られる。
「じゃ、センパイ、ボクはこれで。あ、なんか連絡先とか、教えてもらっていいですか?」
「いいけど、校内はスマホ禁止だから、後でね」
「はいっ。それじゃあ、また今度」
元気よく手を振りながら教室を出ていく、育ちすぎな小学生を見送ってから、オレもタオルを肩にかけ、じゃあなと日高に背を向ける。
「あ、アズマっ」
ひとり取り残される日高が、急に大きな声を出した。
「何?」
振り向くと、どこか不安げな眼差しが、じっとオレを見つめてくる。
「日高?」
どうかしたのかと問うと、日高は笑った。
「ごめん、何でもない」
日高は何もいわなかったが、ひょっとして、オレと同じ不安を感じたのだろうか。
でも、別に何も、心配することはない。
オレたちの日常は、これまで通り、平凡に続いていく。
明日も、明後日も。
ああ、すっかりだらだらと長く語ってしまったし、ここらでお開きにしないとな。
「大丈夫」と心の中で日高に呟き、オレは教室をあとにした。
贋作・日本武尊吾妻鑑 一視信乃 @prunelle
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