深い眠りの底

 ミヤズの合図で、女たちはバラバラに散っていく。

 何事だろうと思っていると、やがて、四角く折り畳まれた草葉色のものを手にした女たちが戻ってきて、地面にそれを広げて敷いた。

 ござだ。

 ミヤズがそこへ座るよう促してくる。

 どうやら、屋内ではなく外で、をくれるらしい。

 空は相変わらず雲っているが雨が降りそうな様子はないし、風も穏やかで暑くも寒くもないから、別にそれでも構わないが、遠足みたいで、なんか変な感じもする。

 今度は、四角い盆をささげ持った女がやってきて、並んで座ったオレたちの前にそれを置いた。

 盆には素焼きの大きな皿が一つ載っていて、平べったくて丸いクッキーのようなものが山盛りになっている。

 さらに、つきが三つ載った盆と大きなかめまで運ばれてきて、そこからどろどろとした赤黒い色の液体が、しゃくでなみなみと杯に注がれた。

 何だろうと思って覗くと、甘酸っぱいいい匂いがする。


「エビカズラの絞り汁です。そちらは、砕いたカシの実に蜜などを加え、焼いたものです。どうぞ、お召し上がり下さい」


 どうぞといわれても、食べて大丈夫なのか?

 躊躇ためらうオレの横で、日高がいただきますといいながら、杯を取った。


「あ、美味しい。ちょっと酸っぱくて渋い感じもするけど甘みもあって、すごく濃厚なベリージュースって感じ。このクッキーみたいのも素朴でいいよ。あれ? アズマちゃん、食べないの? 美味しいのに」

「…………いただきます」


 なんかあれこれ考えているのがバカらしく思え、オレも杯を口に運んだ。

 おお、確かになかなか美味しい。

 苦みというか渋みというか、気になる部分も多々あるが、甘酸っぱくて濃厚で、なんかクセになりそう。

 そのまま一気に飲み干すと、女がお代わりを注いでくれる。

 クッキーの方も、甘さはあまりないが、香ばしくて美味い。

 そうやって飲み食いしていたら、なんだか無性に眠たくなってきた。

 ひょっとして何か薬でも入っていたのか、と焦ったが、同じ皿や瓶から一緒に飲み食いしている他のヤツらは、なんともなさそうだし、そんなことあるわけな……。

 やばい、頭がぼおっとする。


「アズマ、どうしたの? 顔赤いけど」

「なんか、すげぇ眠い」

「あら、まあ。こんなところで眠ったら、風邪を引いてしまうわ。彼……彼女を、寝所へお連れして」


 ミヤズの優しさが胡散臭くて怖かったが、意識が朦朧もうろうとしていたオレは、二人の女に支えられ、いわれるがままに立ち上がった。

 いったいどこに連れて行かれるのか、かなり不安ではあったが、そのまま素直に歩いていくと、掘っ立て小屋といった感じの簡素な建物に通される。

 中は薄暗いが、意外と広く小綺麗で、床には蓙と布が敷いてあり、そこで休むよういわれた。

 起きているのもいい加減辛くなってきたので、そのまま横たわろうとすると、頭の飾りや肩掛けを外し、身体に布をかけてくれる。

 至れり尽くせりで申し訳ないくらいだ。

 何かあったら遠慮なく声をかけて下さいという声を聞きながら、オレの意識は深い眠りの底へと落ちていった。


        *


「もし良かったら、一緒に来てくれないか」


 真っ直ぐにオレを見つめ、花彦がいった。


「東方十二道の平定なんて、いつまでかかるかわからないし、危険もすごく多いと思う。キミが傍に居てくれないと、怖くてやりきれないよ」

「ええ。わたしも一緒に行きたい。連れていって」


 オレの口が勝手に答える。


「やだな、冗談だよ。そんな危険な場所に、キミを連れてけるわけないだろう」


 いつもの軽口と同じ調子でいい、花彦は笑った。


「キミは今まで通り、ここでオレの帰りを待っていてくれ」


 これはウソだと、オレの中で誰かが呟く。

 危険な目に合わせたくないというのは本当。

 でも、一緒に来て欲しいというのも本当。

 だってほら、こんなに震えているじゃない。

 膝を突き合わせて座る花彦の右手を取り、両手でそっと包み込む。

 花彦の、すがるような眼差し。

 図体はでかいくせに、迷い子のようで、ほおってはおけないと思う。


「大丈夫よ……オウス」


 手を握ったまま、彼の本当の名を呼んだ。


「あなたは強いわ。誰にも負けたりしない。絶対、大丈夫だから」

「タチバナ……」


 左手で肩を抱かれ、そのまま、ぐいっと引き寄せられる。

 痩せてはいるが、オレより遥かに逞しい胸、力強い腕。

 どこか懐かしい温もりとニオイ。

 顔を上げると、額に柔らかなものが押し当てられた。

 くすぐったくて目を閉じると、それは、右の目蓋に触れ、頬に触れ、唇をかすめて、反対の頬に触れ、耳の下に触れる。

 左手がしっかり肩を支える中、右手は慣れた動作で、オレの上衣の紐を解き、はだけた胸元に潜り込んだ。


「あ……」


 思わず漏れた吐息が、彼の髪にかかる。

 耳の下から、首筋、露になった左の鎖骨へと、彼の唇はうように進む。

 その間も、彼の指は貪欲にうごめき、今度は下の帯を解くと、緩んだ衣の内部へ入って太股に――。


「ヤメローっ! それ以上進むと、何か指定付いちゃうからーっ!」


        *


 必死の絶叫とともに、オレは飛び起きた。

 心臓がバクバクいって、頭もガンガンする。

 サイアクの目覚めだ。

 あれが夢だという自覚は、最初からあった。

 あの夢の中のオレは、オレであって、オレじゃなかった。

 花彦も、日高じゃなかった。

 あれは多分本当の花彦で、あの夢も多分本当のことで、あそこにいたオレを、花彦はこう呼んでいた。


「タチバナ」


 彼がそう呼ぶ人を、オレは一人しか知らない。

 弟橘姫。

 花彦を救うため、走水で入水した、彼の妻だ。

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