まさかの温泉

 なぜオレが、そう呼ばれていたかはわからない。

 でも、このオレの今の姿は、タチバナのもので間違いないと思う。

 花彦が日高として生まれ変わったように、タチバナもオレに……なんてことは、正直なんともいえないが、オレの姿を変えたのは、彼女の意志であるような気がする。

 ああ、それにしても、身体がべたべたして気持ち悪い。

 そういえばさっき、お風呂にするかと、ミヤズが花彦に聞いていたけど、ここにはそういうものもあるのか?

 あるなら、速攻入りたい。

 汗を流してさっぱりしたい。


「あのっ、すみません」


 何かあったら遠慮なく、といっていたから呼んでみると、外で待ち構えていたかのような速さで、女が顔を出した。


「汗かいたんで、風呂とか入りたいんですけど」

「では、こちらへどうぞ」


 おお、やっぱりあるのか。

 ドキドキしながら付いていくと、硫黄の臭いが漂ってきた。

 ええっ、まさかの温泉。

 さすが、ミヤズの造った異空間、なんでもありだな。

 家屋の立ち並ぶ場所から、かなり離れた木立の向こうに、それはひっそりとあった。

 大きな岩に囲まれた、露天風呂。

 いや、柱と屋根はあるから、露天とはいわないのか。

 屋根の端の方には、木の板で簡単な目隠しが作られ、すのこの上につたで編んだかごが置いてある。

 多分、ここで服を脱いで入るのだろう。

 そこで、はたと気付いてしまった。

 オレ、今、女になってるんだった。

 どっ、どうしよう。

 ここまで来といて、今さら入らないってのもあれだし。

 さっきの夢で、花彦に解かれた上衣の紐。

 これを引っ張りさえすれば……。

 ええいっ、男は度胸だ。

 いや、今、女だしって自分にツッコミを入れながら、オレは紐に手をかけた。

 ゴメン、タチバナ姫サマ。

 なるべく見ないようにするから。

 そうやって、白日の元に晒された胸は、想像以上にでかかった。

 はち切れそうなほど膨らんでいて、なんかコワイくらいだ。

 触ってみようかという思いをなんとか振り切り、今度は下を脱ぎにかかる。

 そっちは胸で隠れて見えないから、躊躇ちゅうちょは一切ない。

 よし。

 いざ、風呂へ。

 目隠しを出て湯壺へ近付くと、湯煙の中、誰かの後ろ姿が見える。

 纏め髪に女かと思いドキッとしたが、あの筋肉質の背中は、どう考えても違うだろう。

 よく目を凝らせば、それは花彦のようで、彼は太股まで湯に浸かったまま腰に手を当て、ケツ丸出しで突っ立っている。


「って、なにやってんだ、オイ。露出狂の変質者かっ」


 思わずツッコミを入れてしまったら、花彦がいや日高が振り向いた。


「アズマ」


 日高の視線が、オレの顔からだんだん下がってきて足元まで行き、また上っていって、胸の当たりでピタリと止まる。


「デカイね」


 率直な感想だ。


「触ってもいい?」

「いくない」


 オレは、胸を隠して白く濁った湯に飛び込み、肩までしっかり浸かった。

 だが、日高もじゃぶじゃぶと、湯の中を近付いてくる。


「いいじゃん、女同士なんだし。ちょっとだけ」

「いや、今、オマエ、立派な成人男性だから。露出狂の変質者だからっ」


 その揉んでやろうという指の動きなんて、痴漢以外の何者でもない。


「失敬な。せっかく男になったんだから、外風呂を思う存分楽しんでただけなのに」

「どんな楽しみ方だよ。つうか、それ以上近付くな、変態」


 湯気でボヤけている、あまり見たくないモノが、はっきり見えてしまうだろうが。


「わかったよ。照れ屋さんだな、アズマちゃんは」


 そういうと日高も、その場で湯に浸かった。

 すると、辺りが急に静かになる。

 波立っていた湯もすっかり落ち着き、張り出した近くの木が映っているのか、湯気の立ち登る白い水面が、ほのかに緑がかって見える。

 湯はちょっと熱めだが、それもなかなか気持ちがいい。

 これで天気がよければ、もっといいのに――。

 チラリと目を動かせば、手の届きそうなところに、日高がいる。 

 パッと見細いくせに、オレよりずっと広い肩幅。

 そこから続く腕はきっと力強く、胸だって逞しく、オレなんて簡単に抱き寄せられて……。

 って、何考えてんだオレ。

 さっきの夢が、急に生々しく思い出される。


「アズマちゃん。顔赤いけど、のぼせた?」


 オレに語りかけてくるあの唇が、頬や首筋を……。

 って、ダメだ。

 これ以上ここにいたら、頭おかしくなる。

 オレは日高に背を向け、立ち上がった。


「あれ、もう出るの? やっぱりのぼせた? 大丈夫?」

「大丈夫だから、ほっといてくれ」


 そのまま湯から上がろうとしたら、中に思わぬ段差があって、思い切り蹴躓けつまずいてしまった。


「危ないっ!」


 眼前にゴツゴツした岩肌が迫り咄嗟に目を閉じると、後ろから思いっ切り腕を引かれ、身体がぐるんと回転して、今度は逆方向に倒れ込む。

 ザブンと頭まで湯に沈んだが、すぐに下から強い力で押し上げられた。

 水中から顔を出したオレは、咳き込みながら飲んだ湯を吐き出す。

 すぐ横では、頭から水を滴らせた日高が同じように、せ返ってあえいでいる。

 だが、オレの視線に気付くと、真顔で声をかけてきた。


「大丈夫? 怪我はない?」

「ああ」


 どうやら日高がオレを引っ張り、助けてくれたようだ。


「ありがとう」


 素直に礼をいうと、日高は照れたように笑った。


「いったじゃん。アズマは僕が守るって」


 確かにいってた気もするが。


「それより、そろそろ退いてくれないかなぁ。そこに乗っていられると、重いというか、ムズムズするというか」

「は?」


 よくよく確かめると、オレは日高の太股に、横向きで座っていた。

 さっき衝撃が少なかったのは、日高の上に倒れたからのようだ。

 オレは慌てて、横に飛び退く。


「ゴメン」

「ああ、うん」


 どことなく気まずい空気を誤魔化すよう、オレは話題を変える。


「そういや、日高はなんで風呂に?」

「ああ、ミヤズが人の服にジュース溢しちゃってさ、すぐ着替え用意するから、ついでにお風呂もどうぞって」

「花彦さま、湯加減はどうです?」


 噂をすれば影がさすというが、まさにそのタイミングでミヤズが顔を出した。


「わたくしもご一緒に……」


 笑顔でずかずかと風呂へ入ってきたミヤズだが、オレと目が合うと、たちまち顔を強張らせる。


「なんであなたがここにっ?」

「いや、別に、偶々……なんか、ゴメン」

「なにがです?」

「いや、その、見ちゃって」


 風呂だから当たり前だけど、ミヤズ、何も着てないし。

 あれが年相応であって仕方ないことかもしれないが、今のオレと比べてかなりものすごく貧弱な胸が、一応同世代の男子としては、リアルに恥ずかしいというか、なんか気の毒で見てられないというか。


「ゴメン」


 もう一度謝ると、ミヤズはカアッと頬を染め、胸を隠しながら出ていく。


「なによっ、淫乱変態男女っ! 花彦さまに変なことしたら許さないんだから」


 かなり酷い悪態も、どんどん遠ざかっていった。

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