三段

その目赤加賀智の如くして

「花彦さまには、もう少しのんびりしていただきたかったのですがっ」


 かなり不機嫌な様子で、ミヤズはいった。


「あの愚鈍な輩を、とっとと成敗していただきたく存じます」


 ギロリとこちらを睨み付けてくるから、オレを成敗してくれなんていい出すんじゃないかとヒヤヒヤしたが、どうやらそうではなさそうだ。

 あのあと、風呂から出たオレと日高は、またあの女に導かれ、さっき見た茅葺屋根の建物に通された。

 そこでミヤズから大事な話があるのだといわれ、今がその真っ最中である。

 真新しい木の香りがする内部は、板張りの床で、ふすまなどの間仕切りがなく、はりもむき出しになっているため、とても広々としている。

 たんやテーブルといった家具もないから、余計そう感じるのだろう。

 ただ、扉を閉めると外光がほぼ入らなくなってしまうため、結び合わせた三本の木を三脚のように広げて置き、その上に灯芯と油の入った皿を乗せ火を灯した照明が、至るところに置いてある。

 でも、それだけでここまで明るくなるとは思えないくらい明るいので、何らかの特別な力が働いているのかもしれない。

 あと、入り口の真正面に当たる奥の壁際には、白木の台があって、上に三方さんぼうが並び、それぞれに供物らしきものが載っている。

 中でも一番目を引くのは、一段高い台の中央にある棒状のもの。

 紐を使い、立った形で固定された白銀のそれは、昔の剣だろうか。

 とにかくオレたちは、その祭壇らしき台の前に向かい合わせに座り、ミヤズの話を聞いているのだ。

 ミヤズは息を整え、高らかに謳う。


「『その目あかの如くして、身一つにがしらあり。またその身ひかげすぎなど生ひ、そのながさ谿たにたにわたりて、その腹見ればつつがに常に血ただれつ』。それが、古き言い伝えに残された、彼の敵の姿です」


 さあ、想像してご覧なさいとでもいうように、彼女は言葉を切った。

 アカカガチというのは、熟して赤くなった鬼灯ほおずきだったはず。

『その目は鬼灯のようで、一つの体に八つの頭と八つの尾がある。また、その身に植物や杉などを生やし、長さは八つの谷八つの峰に渡り、腹はいつも血で爛れている』――彼女がいったのは、大体そんな意味だろう。

 そして、そんな姿の怪物を、オレは知っていた。

 重要なのは、一つの体に八つの頭と尾があるという部分。

 つまり、それって――。


「それって、ひょっとして、八岐大蛇やまたのおろち?」


 日高が問うと、ミヤズは満足げに微笑む。


「やはり、ご存知でしたか?」


 二人して、こくこくと頷いてしまう。

 八岐大蛇。

 おそらく、日本神話でもっとも有名な怪物ではないだろうか。

 だが、それは――。


「スサノオノミコトが倒したんじゃないの?」


 日高のいうとおりだ。

 以前ミヤズの語りに出てきた花彦の祖神・天照神の弟である素戔嗚尊すさのおのみことが、乱暴狼藉を働いて天を追放され、出雲国に降り立ったとき、幼い少女を挟んで泣く老夫婦と出会った。

 少女は名をくしといい、彼女には七人の姉がいたが、みな八岐大蛇という怪物に喰われてしまい、次はとうとう彼女の番だという。

 話を聞いた素戔嗚は、櫛名田を妻にくれたら八岐大蛇を倒してあげるといい、老夫婦が承諾すると、実際その通りにした。

 八岐大蛇は素戔嗚の手でズタズタに切り裂かれ、そのとき尾から出てきた剣も、素戔嗚によって天照神に献上された。

 その剣こそが、ヤマトタケルが叔母から借りた草薙の剣である。


「仰る通り八岐大蛇は、素戔嗚尊に倒されました。ですが、その御霊はぶき山に宿って、少しずつ力を取り戻し、ついには山の神となったのです」

「伊吹山」


 日高がぼそりと呟く。


「はい。あの日、花彦さまが討伐に行かれた、伊吹山の荒ぶる神こそ、かつての八岐大蛇なのです」


 伊吹山の神は、ヤマトタケルを殺した神といってもいいだろう。

 白い猪の姿で現れた山神を、タケルが小物と侮辱したため、怒った山神が氷雨を降らし、それに打たれたタケルは、身体が弱って死んでしまったのだから。

 そういえば、猪ではなく、大蛇の姿で現れたという話もあった気がする。

 なるほど、ミヤズの話が本当なら、八岐大蛇とヤマトタケル――花彦には因縁があるということか。

 だからといって、なぜ今、八岐大蛇を倒せだなんて話が出るんだ?

 仇討ちを自分でやれってこと?

 それとも、一度討つと決めたからには、最後までやり通せとでも?


「実は、花彦さま亡きあと、わたくしの夢に、伊吹山の神を名乗る大蛇が現れ、わたくしの持つ神の剣を返して欲しいと仰るのです。あれは本来、自分のものであると。ですが、あの剣は、花彦さまから託された大切な形見。それに、伊吹山の神となれば、花彦さまのお命を奪った憎き仇ではございませんか。ですから、わたくし、申し上げました。欲しいのなら取りにいらして下さいと。もちろん、返す気などいささかもございませんわ。わたくしはただ、この手で花彦さまの仇を討って差し上げようと思っただけで」


 うわ、さすがミヤズ姫。

 ヤマトタケルすら勝てなかった神を、倒す気満々だ。

 まあ、タケルの最大の敗因は、草薙の剣を手放したことだろうから、それさえあれば、神の祟りにも打ち勝てるのかもしれない。

 ただ、その神が剣の本来の持ち主だというなら、どうなるのだろう。


「すると、大蛇は答えました。確かに自分の剣であったが、素戔嗚が天に属するという意味の新たな名を付けたがため、それがじゅとなり、触れることが出来ぬと」


 そうか。

 確かに草薙の剣には、天を冠した別名がある。

 天叢雲剣あめのむらくものつるぎという名が。

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