紅蓮の業火
あれ以上話していても、いい案は出ないだろうということで、話し合いは一旦お開きとなった。
オレは、また、さっきの女に案内され、寝所とやらへ連れていかれる。
ミヤズにまとわりつかれた日高が、どうしているかはわからないが、まあオレには関係ないことだ。
何気なく見上げた空は、白い曇に覆われたままで、明るさにも全く変化が見られない。
ミヤズの話によれば、この空間には、時の流れがないらしい。
だから、夜になることも次の朝が来ることもなく、本来なら食事も睡眠も必要ないそうだ。
ただ、身体は、外にいたときの感覚を覚えているから、慣れるまでは、お腹が空いたように感じたり、眠くなったりするのだとか。
「あの、あなたも大変ですね」
無言で歩いているのも、なんとなく気詰まりなので、オレは女に話しかけた。
「ミヤズ……姫と一緒に、こんな所へ閉じ込められて」
「問題ありません。わたくしたちは、一心同体ですから」
使用人の鏡のような言葉だ。
「でも、さっき、怒られたりしませんでした? その、風呂のことで」
最初ミヤズが不機嫌だったのは、日高と二人で入ろうと画策していた風呂に、オレがいたからだろう。
オレを風呂まで連れていってくれたこの人にも、相当八つ当りしたんじゃないか。
「怒ってはいましたね」
やっぱり、そうか。
「なんか、すみません」
「わたくしの裁量でしたことです。気に病む必要はありません」
うわぁ、この人、めっちゃイイ人じゃん。
「ですが、
「は?」
低く呟かれた言葉の意味がわからず聞き返すと、もう小屋の前だった。
「では、どうぞ、ごゆっくりお寛ぎ下さい」
用は済んだとばかり、女はとっとと去っていく。
一人残されたオレは、特にすることもないので、中へ入ると、明るい戸口に背を向け、ごろりと床に寝転んだ。
そうして、壁の隙間から漏れる外の光をぼんやりと眺めながら、今までのことを思い返してみる。
放課後日高と教室にいたら、突然ミヤズが現れ、日高をヤマトタケルの生まれ変わりだとかいって、どこかへ連れて行こうとした。
それを止めようとしたら、オレまで変な世界へ行くことになり、そこではなぜか、女になってて、挙げ句、八岐大蛇を倒せだなんてことに……。
これ、全部、夢だったりしないかな。
頬をつねれば、確かな痛みがある。
やっぱ、夢じゃないか。
草や土の臭いもするし、これは紛れもない現実なんだ。
オレは寝返りを打って仰向けになり、両手両足を大きく拡げ、天井板のない、剥き出しの屋根裏を見る。
そういえば、変な夢を見たんだよな。
花彦が、オレをタチバナと呼ぶ夢。
あれは一体、なんだったんだろう。
妙に生々しい夢だったが、さすがに今では実感も薄い。
右腕を、目の上に乗せる。
もし、眠ったら、またあの夢を見るのだろうか。
もし、眠ったら……。
目蓋を閉じると、意識がだんだん遠退いてゆく。
ああ、このままではきっと、またあの夢を見てしまう。
確信はあっても、どこか抗いがたく、オレはまた、夢の中へと引き込まれていった。
*
「タチバナっ! どうしてここに?」
花彦が、オレを見て目を丸くする。
「あなたを追いかけてきたの」
東国平定の命を受けた花彦が、日代宮を出立してからというもの、オレ、いやタチバナは、不安で仕方なかった。
あの人、本当は、虫も殺せぬ優しい人なのに、自分を大きく見せようと、つい調子のいいこといっちゃったりするから、心配だわ。
それに、彼は、二度と大和へ戻れないような、そんな気がしてならないの。
居ても立ってもいられなくなったタチバナは、彼の処へ行こうと決めた。
そして、伊勢、熱田を経て、相模国へ向かう途中の花彦に、無事追い付くことが出来たのだ。
「バカだなぁ。あれだけ危険だといったのに」
困った風を装っていても、彼が喜んでいるのはわかる。
「まあ、来ちゃったものは仕方ないよな。大丈夫。キミはオレが守るから」
全力の笑顔でいうから、オレも微笑み返してやった。
「ええ。頼りにしてるわ」
夢はまだまだ続く。
ようやく相模国に着いた花彦一行を待っていたのは、相模の国造を名乗る男。
花彦以上にやたら調子のいい彼は、花彦を散々持て囃したあと、野の中にある大きな沼に荒ぶる神がいて困っているなどと言い出した。
おだてに弱い花彦は、二つ返事で沼へ行くことにしたのだが、これが実は罠だった。
花彦と、彼が心配で同行したオレが沼へ着くなり、国造は野に火を放ち、オレたちを焼き殺そうとしやがったのだ。
「くそっ、よくも騙しやがったな」
「……オウス」
オレが花彦の腕に触れると、動揺していた花彦はハッとしたように表情を引き締めた。
「ああ、大丈夫。オレには、叔母上に貰った神の剣とお守り袋がある」
オレの手を軽く握り返した花彦は、
「おおっ、スゲー切れ味。これからは、草薙ぎの剣と呼ぼうかな」
そうやって、自分たちの方にまで火が回らないようにしてから、彼はお守り袋を開き、火打石を取り出す。
それでこちらも火を放つと、炎は外に向かい舐めるように広がっていった。
単なる偶然か、それとも、何か特別な力が働いているのか。
花彦の切り出した火は、国造の火を呑み込み、逆に彼らへ襲いかかる。
燃え盛る、紅蓮の業火。
遠くで、悲鳴が聞こえた気がした。
「タチバナ」
花彦の腕が、背後から伸びてくる。
「無事で良かった」
強く抱きすくめられ、オレも安堵の息を漏らした。
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