別れの時

 ミヤズは恥ずかしげに、頬を染める。

 すごく可愛いとは思うが、なんかイラッとくるのはどうしてだろう。


「というわけで、わたくし決めたのです。あんな輩と縁を切り、花彦さまと幸せになろうと。それで、花彦さまに、伊吹山の神を倒して下さるよう、お願いしたのです。しかし、そこでまた、予想外のことが。花彦さまが素手で出かけられ、大蛇を倒すどころか返り討ちに遭って、死んでしまわれたのです」


 ああ、うん。

 相変わらずの調子に乗った行動に、オレも吃驚したわ。


「素戔嗚の呪が解けても、身を守るくらいは出来たはずなのに、花彦さまは剣を、我が元へ置いてゆかれてしまった。いくらわたくしが心配だからとはいえ、あんまりですわ」

「いや、剣ね、その……トイレいったとき、置き忘れちゃって」

「は?」


 なんかまた、とんでもない告白きたか?


「それをミヤズが見つけてくれたんだけど、忘れたっていうの恥ずかしいから、キミを守るために置いたと口から出任せを」

「アホかーっ!」


 そんなことのために死んだのか、オマエは。

 さすがのミヤズも呆然としている。


「とにかく、わたくしは、そのことを大いに悔い、益々大蛇が憎くなった」


 花彦の告白は、なかったことにされたらしい。


「そんな折、大蛇が剣を持って山へ来るよう促してきました。剣の今の所有者はわたくしですから、元は同一の存在であっても、容易くどうこう出来なかったのです。ですがあれは、大切な形見。憎き長虫などにくれてやるなど真っ平御免と思い、無視していたのですが、向こうも執拗で、それでわたくし、申し上げたのです。あのとき花彦さまに勝てたのは、彼が本気でなかったからで、もし本気を出した花彦さまに勝つことが出来たら、剣を返してもいいと」


 本気じゃなかったって、なんか負け犬のセリフっぽいな。

 まあ、負け犬だけど。


「ただ、死人を甦らせるのは、神といえども無理なので、生まれ変わられた花彦さまを、時の間へ連れていこうということに。そこでなら、己の意志で望む姿になれますから。ところが、八岐大蛇まで、元の姿に戻ってしまった。わたくしや剣を欠いて、完璧ではありませんが、万に一つのこともある」


 花彦なら、ありまくりだよな。


「そこであれこれ画策し、酒に毒を入れたのです」


 そこでミヤズは、身を乗り出した。


「ですから、わたくし、天地神明に誓って、花彦さまに害をなそうなどとは、夢にも思っておりません。本当に八岐大蛇を倒していただきたかったのと、ただ、もう一度お逢いしたかったのです」


 ああ、同じだ。

 タチバナと同じ。

 花彦にもう一度逢いたいと。

 だが――。


「あんたのしたことは、日高を危険にさらすことだ」


 実際、危ない目に遭ったのは、オレの方だけど。

 本気で死ぬかと思ったけど。


「それに、あんたは己の正体も隠していた。騙していたことには代わりないし、そんなの、許せるわけないよな」


 オレが問うと、日高はいった。

 たった、一言。


「許すよ」

「そう、許せるわけな……って、オマエ、なんつった」

「許すよ、許す。例え本当に、ミヤズが僕を殺そうとしていたとしても、許す。最初からずっとそう思ってた」

「なんでだよ」

「ミヤズが、僕を必要だといってくれたから。例えどんな理由であっても、本気で僕を求めてくれたから。だから、すべて許すよ」

「オマエ、そんな簡単に」

「簡単? 家でも学校でも、みんなから愛されてそうなアズマには、きっと絶対わからないよ。子供がいなければって仮定の話、母親からされたことある? 男なら良かったっていわれたことは? あるわけないか。アズマ、男だもんね」


 真顔で一気にまくし立てるようにいってから、日高はいつものように笑う。


「それに、結構楽しかったし、可愛いアズマちゃんも見られたから、許す」


 さっきの言葉は気になったが、聞いても何もいわないだろう。


「花彦さま……ありがとうございます」


 ミヤズは零れた涙を拭うと立ち上がり、祭壇にある剣を手にする。

 前に花彦へ用意したものよりいくらか丈が短く、菖蒲の葉のようにほっそりとした、白銀色の剣。

 刀身は空気より冷たいのか、無数の露が生じていて、それだけでそれが特別な剣だとわかる。


「これが、クサナギの剣です。氷のように冷たくて、いつも冷気を発し、それが漂い雲を生むのです。ですから、素戔嗚はこれを天叢雲と名付け、また大蛇の上には常に雲気があるともいわれておりました。この地を覆う雲たちも、ここから生じたものです。そして――」


 ミヤズは、腰に提げた鏡を示す。


「これは大きさこそ小さいですが、天照神のお姿をお映ししたの鏡を模したもので、これにも天照神のお力が宿っております。今からこれで雲を払い、この閉じた場所を開きます。それでお別れです、花彦さま」


 潤んだ瞳で、日高を見下ろすミヤズ。

 日高も立ち上がり、ミヤズを見つめた。


「……これから、どうするの?」

「元の世に戻り、立派な御社を建て、この剣を生涯守っていきたいと思います。そして、お役目を終えたあとは、また花彦さまのお側に生まれ変わりたい。ダメですか?」

「いいよ。ずっと待ってるから」

「ありがとうございます」


 ふたりのやり取りを見ていると、なんだか、変な感じがする。

 先の世でも花彦の傍にいたいという、ミヤズの一途な想い。

 それは、前世の自分を見ているようで、つい後押ししたくなるような、それでいて、何となく面白くないような。

 唐突に、日高がいった。


「ただ、僕はどうなろうと別にいいけど、アズマを危険な目に遭わせたことだけは謝ってほしい」

「……わかりました」


 ミヤズがオレを見たから、オレも立ち上がった。


「ごめんなさい、タチバナさま。正直、あなたのことは邪魔だと思ってました。どさくさに紛れて、どうにかなっちゃえばいいのにって。本当にごめんなさい」


 前言撤回。

 後押しなんて、絶対したくない。

 つうか、コイツ、オレが何者なのか、やっぱり知っていたのか。

 知っていたからこその、あの態度。

 大蛇が最期、ミヤズに気を付けろといったのは、ひょっとして、この抜け目のなさに対してだったか、なんて。


「お子さまはとっととお家にお帰りなさい」


 無意識に、言葉が出た。

 オレの奥から沸々と沸き出すように。


「あら、後妻うわなり嫉妬ねたみは醜いですわよ。オバサン」


 これがマンガなら、オレたちの間にバチバチと火花が散っているのではないか。

 日高が、ちょっとにやけた顔で、そこに割って入る。


「ふたりとも、僕のために争わないで」

「別にオマエのためじゃないから」

「わたくしは、花彦さまのためならなんでも致しますわ」


 しんみりしたムードは一変。

 辺りは一気に、ドタバタし出す。

 そうやってオレたちは、別れの時を迎えた。

 ミヤズが呪いを唱えると、鏡が眩い光を放ち、すべてがそれに呑まれてゆく。

 来たときと同じだと思う間もなく、次に目を開いたとき、オレと日高は元の姿で、放課後の教室にいた。

 まるで、何事もなかったように。

 ただ、ミヤズだけが、そこにいなかった。

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