四段
幕が上がった
ついに、戦いの幕が上がった、ということか。
神話では、垣根を巡らせ、八つの門を造り、その中に酒の入った桶を一つずつ置いていた気がするが、今回はそんなまどろっこしいことはしない。
敵に油断して貰うためにも、その方がいいだろう。
まずは、ミヤズが八岐大蛇に声をかけ、酒を勧める。
オレたちはそれを隠れて見守る。
安全のため、ミヤズも一時退避する。
敵がまんまと姿を現し、酒を呑んで酔い潰れたら、日高が剣で切り刻む。
言葉だけなら、ものすごく簡単なことのように思えるが、本当にうまくいくのだろうか。
まあ、酔い潰れてくれなかったら、そのまま隠れてやり過ごし、また最初から考え直せばいいのだろうけど。
「どうしたの、アズマ?」
日高がオレの背後から顔を寄せ、耳の傍で囁くようにいった。
オレたちが今いるのは、広場の端にある大木の陰だ。
そこからことの成り行きを、見守る手筈になっている。
「怖いなら、建物の方へ隠れてていいんだよ。ミヤズもそういってたじゃん」
「バカ。怖くなんかねぇよ。そういうオマエこそ、震えてんじゃねぇの?」
オレも小声で答えると、日高の声に笑いが混じる。
「これはあれだよ。武者震いってヤツ。それに八岐大蛇、前よか小さくなってんでしょ」
「ああ、なんかそんなこといってたよな」
ミヤズの話だと、八つの谷八つの峰に渡るとまでいわれたかつての大きさは、さすがにないそうだ。
オレたちが話し合いをした、立派な茅葺屋根の建物よりちょっと大きいくらいだとかいっていたが、それでも蛇としては十分過ぎるほどでかい。
「だったら大丈夫。すぐ済むって。あ、ミヤズが来たよ」
日高のいうとおり、今回の舞台のヒロイン・ミヤズ姫のご登場だ。
一人ではなく、お供を二人従えて。
彼女は大きく息を吸い込むと、透き通った声を張り上げる。
「大蛇さま。退屈しのぎに酒を作りましたので、よろしかったらお呑み下さい。軽すぎて物足りないかもしれませんが、喉を潤すくらいは出来ると思いますわ」
呼びかけが済むと、辺りはしんと静まり返った。
嵐の前の静けさなのか。
何の変化も見られない。
ミヤズたちはしばらくそこに佇んでいたが、やがて三人頷き合うと踵を返し、元来た道を引き返していく。
三人の姿が完全に視界から消えても、やっぱり何も起こらなかった。
警戒して出てこないのか。
作戦は失敗か。
そう思い始めた矢先、それは訪れた。
最初は音。
気のせいかと思うほど、小さな空気の唸り声。
だが、それは確実に大きくなってゆき、だんだんこちらへ近付いてくる。
空が少し暗くなり、地面も鳴動し始める。
ズルズルと巨大なものを引き摺る音と、シュウシュウという不気味な風の音が奏でる不協和音。
日高が、オレの肩をぎゅっと掴んだ。
「来たっ」
そう呟いたのは、オレか日高か。
曇天に、ぬっと鎌首をもたげた八つの影。
ああ、本当に蛇だ。
大きな白い蛇が八匹。
もっと東洋の竜に近いものや、おどろおどろしい化け物を想像していたが、違った。
新たに生まれ変わったからか、身体を覆うとされていた羊歯やら杉やらも生えてはいない。
びっしり並んだ細かい鱗が鈍い光を放ち、鬼灯のようといわれた八対の赤々と輝く目と、血で爛れた腹が、不吉な彩りを添えている。
そして、その大きさは、ミヤズの話で感じたより、さらに大きく見える。
もたげた首の高さは、三階建てのマンションより高いんじゃないか。
彼らは、赤い舌だけをチロチロと動かし、しばらく周囲の様子を伺うようにじっとしていたが、やがて一斉に首を下ろすと、桶に頭を突っ込み、音を立てて酒を呑み始めた。
酒好きなのは本当らしく、豪快な呑みっぷりで、あれだけで足りるのか不安になってくる。
案の定、桶はあっという間に空になってしまったようだ。
音が止んだと思った瞬間、大蛇が再び面を上げた。
彼らは目を細めどこか満足げに天を仰ぐと、首をゆらゆら揺らし始める。
陽気になって踊っているのか。
それとも、船を漕ぎ始めたか。
程無くして彼らは、
「寝たかな?」
「どうだろう」
まだわからない。
辛抱強く観察を続けると、やがて何か音が聞こえてきた。
すうすうという規則正しい呼吸音が、見事に頭八つ分重なっている。
「寝息?」
「かもしれないな」
「…………」
「…………」
木の陰から恐る恐る抜け出した日高は、足元にあった石を拾うと、大蛇の方へ力一杯投げ付けた。
いや、大蛇ではなく、桶を狙ったようだ。
ガンッという硬い音がここでも小さく聞こえたが、桶の傍に伏している大蛇は何の反応も示さない。
「よしっ」
意を決した日高が、大蛇へと近付いていく。
オレも後に続こうとして、途中で止められた。
「アズマはそこで、全体の様子を見てて」
「……わかった」
それももっともなので、オレは素直に従う。
「気を付けろよ」
「もちろん」
日高がついに、一つの頭の横に立った。
それでも、大蛇は動かない。
日高は更にそろそろと歩み寄ると、さすがに頭は避けたのか、剣の先っちょで喉の下辺りを突っつく。
無反応。
今度は手を伸ばし、大蛇に直に触れた。
「おおっ。ヌメヌメしてるかと思ったら、サラサラしててすごく気持ちいいよ。しかも、なんか温かい」
「勇者だな、オマエ」
さすがに触りたいとは思わない。
「やっぱ、寝てるみたいだね。それじゃあ、ちゃっちゃと始めましょうか」
いうと日高は、剣を振りかざした。
「八岐大蛇の解体ショーを」
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