絶体絶命
だが、剣の切っ先が、大蛇を斬り裂くことはなかった。
日高が一歩下がり、そのまま手を下ろしたからだ。
「どうかしたのか?」
大蛇に何か動きがあったのだろうか。
尋ねると、日高がこちらに向き直る。
「いや、僕さ、素戔嗚の八岐大蛇退治って、正直、絵的に地味だと思ってたんだよね。酒飲んで寝てる大蛇を、バラバラにしていくだけでしょ。手間暇かかる割に、動きがあんまないなって」
「まあな」
「でもさ、これ斬ったら、血がどばーって出るよね。血抜きとかしてないし」
「だろうな。神話でも、大蛇の血で、川が真っ赤に染まったって」
「それさ、僕にもかかるよね」
「血が? 当たり前だろ」
斬ってるんだから。
「それ、なんか、イヤかも」
「は?」
「血なんてさ、鉄臭いよね。生臭いよね。ぬるぬるしてて気持ち悪いよね。それに、全身血塗れのヒーローって、色々NGじゃない? 飛び散る血とか肉片とか、もう完全にスプラッタだよ。全然地味じゃないよ。指定付いちゃうよ」
まあ、いいたいことはわかる。
オレだって、正直やりたくない。
日高は、再び大蛇を見た。
「どっかに急所とかないかな? ここを突いたら即死的な」
「さあ?」
あったとしても、調べようがない。
「ええい、何をごちゃごちゃと。焦れったいわ」
何処からか、女の声がしたと思った次の瞬間、大蛇の身体がぴくりと動いた。
「日高ーっ!」
オレが叫ぶのと、日高が斜め後ろに飛び退くのと、大蛇の頭が先刻まで日高の立っていた場所に突っ込むのは、すべて瞬く間の出来事だった。
花彦の
「やっべぇ、起きちゃった?」
日高は大蛇を見つめたまま、さらに距離を取った。
「空寝じゃ、うつけめ」
女の声で大蛇が答える。
「己の策など、お見通しじゃ」
古風で高飛車な言い回しだが、日高は違う感想を抱いたようだ。
「その何々じゃってヤツ、蛇のジャにかけてる?」
「黙れ、うつけが」
他の首も面を上げ、舌を出して威嚇する。
これって、あの酒が全然効かなかったってことだよな。
しかも、日高が前にいってた、酔った振りをして敵を油断させ、近寄って来たところを丸呑みってヤツをしようとしてたってことだよな。
絶対的優位から、絶対絶命のピンチに。
どうすりゃいいんだ。
フツーに戦って勝てる相手じゃないぞ。
軽口を叩いていた日高も、今では全く動けない。
「どうした、ヤマトタケル」
「フフ……さしもの英雄も怖じ気付いたかしら」
「来ないのならば、こちらからゆくぞ」
「神を侮った報い、しかとその身に受けるがよい」
「そうじゃ。もはや、丸呑みなど手緩い」
「ならば、八つ裂きにするとしようか」
「そうじゃっ! 八つ裂きじゃっ!」
気炎を吐いた大蛇は、日高へ一斉に襲いかかろうとし、突如としてその動きを止めた。
「なっ、バカな……」
「苦しい」
「腹が焼ける……」
「頭が……」
「ああっ」
「ぐあぁっ」
「己、謀ったかっ!」
大蛇たちは激しく身悶えし、口から血のようなものを吐き出しながら、地べたをじたばたとのたうち回る。
動きはだんだん緩慢になり、それでもしばらくはピクピクと痙攣していたが、やがてそれすらなくなった。
固まったように、全く動かなくなってしまった。
オレも日高も、しばし棒立ちになる。
「何、今の?」
ややあって、日高がポツリといった。
「さあ……」
「動いたら酔いが回った、ってこと?」
「酔い? あれが?」
酒に酔っているようには見えなかったぞ。
むしろ、毒でも飲んだような……。
「あれってさ、もしかして、死んでる?」
口を開けたまま、首を捻って仰向けになったり、重なり合って突っ伏している大蛇の頭部。
日高のすぐ傍らに立ったオレの目にも、そこに生命が宿っているようには見えない。
ゴムか何かで作られた、安っぽいオブジェのようだ。
「多分、死んでる」
「じゃあ、もう、切り刻む必要もないよね」
「多分」
日高がほおっと、安堵の息を吐く。
「もしかして、ミヤズのキノコに当たったのかな?」
「だとしたら、単に悪酔いさせるのじゃなく、食べたら内臓とか脳とかやられて死ぬようなのを入れたんだろうな」
「やはりそうか」
再び近くで女の声が聞こえた。
「あやつ、同胞を裏切りおったな」
どことなく、聞き覚えのある声だ。
「念のためにと、酒は一滴も呑まなんだが、気付いたときには、手遅れだった。毒は隅々まで回り、妾もまもなく死ぬであろう。ならばせめて、花彦とやらを道連れに」
声の出所を探し、キョロキョロと辺りを見回す日高の後ろで、風が動いた。
それはまさしく蛇のように、素早く地表を這い進み、日高目掛けて一気に襲いかかる。
気配を感じた日高が、サッと振り返るも、大きなあぎとは、もう目の前に。
ダメだっ!
「……オウスっ!」
身体が勝手に動き、日高に思い切り体当たりをかました。
ドサッと大きな音を立て、日高は地面に倒れ込むが、すぐに体制を立て直し、こちらを見て叫ぶ。
「アズマっ!」
大丈夫。
と答えたが、もはや声は届かなかっただろう。
パクンと大蛇の口が閉じ、視界も闇に閉ざされる。
最後に見えたのは、激しく狼狽える日高の、花彦の顔だ。
「あ、ああ……タチバナっ!」
そんな叫びが聞こえた気がして、オレの中で誰かが笑う。
あなたはどうかご無事でと、自分のことより他者を気遣う。
でも、オレも全く同じ想いだった。
これでいい。
アイツが無事ならば。
ねっとりと湿り気を帯びた、温かいがとても不快な闇へと呑まれながら、そう思った。
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