大和の英雄

 土下座と呼ぶには、かなり高い位置で、うやうやしく頭を下げたまま、ミヤズと名乗った少女は、さらに言葉を重ねる。


「あなたさまに覚えがないは、至極当然。しかし、再び巡り会えた喜びに、我を忘れてしまいました。申し訳ございません。それに、さきの世のことなど、知らぬが幸いに決まっております」


 芝居がかった言い回しだが、最後は特に情感こもって聞こえた。


「ですが、わたくしはその酷な頼みを、今からせねばなりません。前の世にて、《タケル》とうたわれしそのご勇力、どうかわたくしにお貸しください。わたくしには、どうしても、あなたさまが必要なのです」

「必要?」


 急に、日高の顔付きが変わる。


「その話、もっと詳しく聞かせて」

「はいっ」


 ミヤズは面を上げて微笑むと、話を再会した。


「まずは、花彦さまについてお話いたします。花彦さまは、大和国やまとのくににある日代宮ひしろのみやの主で人々から大王おおきみと敬われていた大足彦おおたらしひこさまのご子息です。天上で最も尊い神である天照神あまてるかみの血を引き、人の姿をしてこの世に現れた神・現人神あらひとがみとも呼ばれていた大王は、地上に蔓延はびこる荒れすさぶ神々やしき賊どもを意に従わせて平定し、ひとつの豊かな国を造ろうとしておられました」


 幼子にするようにゆっくりと、ミヤズは語ってゆく。


「花彦さまも、お父君をお助けするため、国中を回って武功を重ねられ、そのお働きぶりは、倒した敵から大和の英雄を意味する《ヤマトタケル》の称号を与えられるほどでした」

「「ヤマトタケル?」」


 みたび、オレたちの言葉が綺麗に重なった。

 ミヤズがじっと、日高を見る。


「もしかして、何か思い出されたのですか?」


 オレのことは、完全無視か。

 まあ、別にいいけど。


「いや、そうじゃなくて、ヤマトタケルの話なら知ってるなぁと」

「さすが、花彦さま。後の世にまで、語り継がれていらっしゃるんですね」


 ミヤズは実に嬉しそうだ。

 でも、今、後の世っていったよな。

 つまり、彼女は異世界ではなく、過去の世界の人。

 それこそ、ヤマトタケルが活躍した時代の人ってことなのか?

 もちろんオレも、ヤマトタケルくらい知っている。

 古代日本の、伝説的英雄だ。

 その活躍は『古事記』や『日本書紀』などに記され、オレも子供向けにコミカライズされたものや、もう少し大きい子向けに書かれた本で読んだことがある。

 あれは、大和政権が権力を拡大させていく話だから、四世紀のことだよな?

 一学期にやった歴史の授業を、思い出しつつ考える。

 歴史は結構好きだし、割と得意な方だ。

 オレも、日高も。


「ヤマトタケルつったら、やっぱあれっしょ。くま討伐での女装」


 確かにそういう話もあった。

 父王から九州の朝敵・熊曾たける兄弟を討てと命ぜられた小碓尊おうすのみことは、その前に伊勢の斎王さいおうである叔母の倭姫やまとひめの元を訪ね、彼女の衣装を借りた。

 それで日高のいうように女装して、兄弟が開いていた宴に侵入。

 色香で敵を惑わせ、見事討ち取ったのだ。

 そのとき、兄弟のどっちか忘れたけど、あとから殺された方から贈られたのが、もっとも強い男を意味するタケルの名って、ああ、それがさっき、ミヤズがいっていた話か。


「男の娘が、お尻を刺し殺すっていうのが、なーんか意味深だよね」


 もしもし、日高さん。

 もしかして、アタマ腐ってます?


「そのお話、花彦さまから伺いました。あと、出雲国いずものくにでのお話とか」

「それって確か、熊曾討伐のついでに立ち寄った出雲で、豪族の出雲たけると、一緒に水浴びする仲になるんだよね」


 事実だが、なんか含みのある言い方だな。


「で、その後、出雲建の太刀と、実は偽物で抜くことが出来ない自分の太刀とを、とりかえっこして勝負し、出雲建を切り殺しちゃうの」

「はいっ。本当に賢いですよね、花彦さまって」


 賢いっつうより、ズル賢いって気がするが。

 ちなみに、オレが印象に残っているのは、相模国さがみのくにでの話とヤマトタケルの妻・弟橘姫おとたちばなひめの入水の話。

 それは、出雲から帰国するなり命ぜられた、東国平定の旅の途中。

 あれだけ人をだましてきた報いか、今度はタケル自身が相模の国造くにのみやつこあざむかれ、火攻めにされてしまうのだ。

 しかし、このときもタケルは知恵を働かせ、くだんの叔母から借りた火打石と草薙くさなぎつるぎで難を逃れ、敵を返り討ちにする。

 炎の中でも冷静さを失わず、最後まで諦めなかったことと、一緒にいた橘姫をきちんと守り抜いたことは、素直にカッコいいと思う。

 そして、そんないい話の後、タケルの軽口が原因で走水はしりみずの海が荒れてしまい、わたりの神の怒りを鎮めるため、橘姫が入水することになってしまうんだけど、この話を読んだとき、オレはなぜか、涙が止まらなくなった。

 橘姫の理不尽さを哀れんだのでも、愛の深さに感動したのでもない。

 ヤマトタケルの話を読み始めたときから、ぼんやりと感じていた不可思議な気持ち――懐かしさやいとしさみたいな想いが、ごちゃ混ぜになって溢れ出し、胸が一杯になって、気付いたら涙がこぼれていたのだ。

 さらに、橘姫のことを想い嘆き悲しむタケルの姿に、胸が張り裂けそうになった。

 子供向け歴史マンガであんなに泣くなんて、自分でも吃驚びっくりだ。

 あと、あれだけ悲しんでいたくせに、尾張の国造の祖だとかいう美夜受姫とあっさり結婚しやがったタケルに怒りと悲しみをって、あれ?

 美夜受姫って、ミヤズ?

 オレは、日高と楽しそうに話しているミヤズを見た。

 彼女の話が本当なら、彼女はヤマトタケルの妻の一人。

 それで、彼女のいう花彦が、ヤマトタケル本人。

 じゃあ、彼女が花彦と呼ぶ日高は?

 日高がヤマトタケルっ!?

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