第1話 仕事内容:ネトゲのパートナー(経験者優遇・初心者応相談) その4
あれから一週間が経った日の二十三時。俺は一週間前にしたときと同じように、呼び出した地図上の船室をクリックして、表示されたダイアログに船室IDと入室キーを打ち込んだ。
「今度は時間通りか。よろしい」
一週間前と変わらない内装の部屋で俺を出迎えたのは、一週間前と同じように脚を組んでソファに座っている女性キャラ、リラだ。ただし、前回とは髪型が少し変わっていた。
銀色の髪は
だが、そんな印象の変化も、彼女の発した言葉ひとつで吹き飛んだ。
「どうした、座らないのか? 座り方をまた教えてやろうか?」
ああ、ほら。この尊大な言い方だ。少しも変わっちゃいない。俺がこの一週間、絶対にぐうの音も出ないほど馬鹿にしてやると思い続けてきた傲慢女は!
俺は返事も挨拶もしないで、彼女の正面にあるソファにハルマサを着席させた。彼女と同じく尊大に脚を組み、さらには胸の前で両腕を組んで、背中を背もたれにどっかり凭れさせた姿勢で、だ。
俺の座り方に――色々な姿勢で座らせる操作を覚えてきたことに、リラはとくに何の反応も示すことなく、本題を切り出す。
「面接も二度目だし、単刀直入にいこう。試験課題を提出したまえ」
その言葉に、俺は無言で
普通の状態でアイテムを置くと、地面に立方体を落とすことになるが、テーブル付近でテーブルに
ほら、どうだ。俺はこの一週間で、こういう細かい所作まで修得するほどやり込んだぞ――俺はリラに、そう言ってやったのだ。
「ほう、すごいな」
リラは今度こそ驚いた。でも、その驚きは俺の手慣れた操作に対してではない。卓上に置かれた稀少アイテム八個の塊に対してだ。
「正直、無理難題を吹っかけたつもりだった。ひとつふたつなら入手できる可能性もあるだろう、くらいに思っていたのだが……いや、恐れ入った」
細かい所作を無視されたのはムッとしたけれど、それを帳消しにするほどの驚きように、俺は大いに満足だった。
「まあ、簡単な試験ではなかったけど、ざっとこんなもんですよ」
俺はハルマサの脚を組み直させながら得意げに言った。もう真面目に敬語を使って話す気もないから、わりと適当だ。あと、あまり頭が回っていない。そんな思考に、リラの言葉がすっと刺し込まれた。
「だが、わたしが要求したのは十個のはずだったが?」
……言われてしまった。
言われる前に勢いで押し通すつもりだったのだけど、やはり通じなかったか……。
「申し訳ありません。どうしても、これしか集めることができませんでした」
俺はその発言が頭上に浮かんでいる間に、組んでいた脚を正し、深々と頭を下げて謝罪した。
「難点か訊かせてもらおう」
リラの言葉に、
「はい」
俺は首肯して質問を待った。
「きみのステータスを見せてくれ」
「いま、閲覧設定にしました」
初期設定では他人から閲覧できる個人能力は、キャラクター名とレベル、装備名だけだ。それを俺はいま、「詳細データを公開する」のチェックボックスにチェックを入れたのだ。
それによって公開されたハルマサの詳細な能力値に取得スキル、装備の強化度合いや付与された特殊能力などは、普通の【寄生アルケー】どころか段違いに強い【重寄生アルケー】でもどうにか独力撃破できるほどの強さだった。
しばらく黙っていた俺の能力を吟味していたのだろうリラが、次の質問を投げてくる。
「きみは寄生アルケーを乱獲して、この細胞を集めたのか?」
「はい。十五時間ほど重寄生のほうを狩ってもみましたが、倒すのに時間がかかってしまうし、安定もしないので、基本はノーマル寄生をマラソンでした」
「その言い方だと、チームは募らないでソロ攻略だったのか?」
「採用試験という話でしたから、他人の手を借りてはいけないのかと思って」
……え? べつにチームを組んでも良かったの? 正直、いまかなり本気で驚いている。そして真っ青になっている。それだったら、十個集めるのも可能だったかもしれないじゃないか……!
「いや、明言はしなかったが、チーム行動を選択肢に入れた時点で、試験の趣旨を理解していないと判断していたよ」
良かった。つまりセーフということか……いや、十個集められなかったことに変わりはないのだが。
パソコンの前でほっとしたり呻いたりしている俺に、リラはさらに質問を重ねてくる。
「寄生アルケーソロだと、ショートカットも覚えたのか?」
「もちろん。マップ踏破に三分、寄生撃破に一分、ミッション再受注と読み込みに一分で回しました」
「一周五分か。すると一時間で十二回だから、一日百十二回は繰り返したのだな」
「いえ。一日二百四十回はマラソンしました」
俺がそう答えると、リラは少し黙ってから言った。
「一日二十時間、プレイしていたのか?」
「はい。期限まで間がありませんでしたから」
「一日四時間睡眠か?」
「はい」
「その計算だと、風呂と食事の時間はないことになるが」
「風呂は一回だけシャワーを浴びました。五分で済ませました。食事はプレイしながら、コーヒーと砂糖と塩と栄養剤です」
「トイレは、まさか?」
「いや、そこは普通にです。ペットボトルとか、ないですから」
俺はさすがに呆れながら発言を返す。
「そうよね。良かったわ」
そう答えたリラの口調も、いつもより微妙に砕けている。馬鹿なことを聞いたと、自分でも恥ずかしくなったのだろう。
リラは脚を組み直す。もし、咳払いをするエモがあったなら、そうしていたところだろう。
「とにかく、実際はトイレに立つ時間などのロスもあっただろうから、きみのマラソン回数は正味、一日二百二十回程度だろう。安定して狩れるようになるまで三日かかったとして……およそ八百八十回の試行か」
そこでさらに少しの間を置いてから、
「ショゴス細胞ζのドロップ率が〇.〇〇五パーだから、期待値四.四か。その倍近くを、よくもまあ引き当てたものだ」
「いえ、それはちょっと違います」
俺は頭を振るエモを挟んで、先を続けた。
「俺は寄生アルケー狩りを二日で安定させました。それと、さきほども言いましたが、途中で十五時間ほど、重寄生のほうを狩っています。だから正味のマラソン回数は……」
ここで一度言葉を切って、
「一日二百二十回を五日間。そこから十五時間分の百八十回を引いて、さらに最初の二日で狩った三十回を足して……」
もう一度言葉を切って、電卓に指を走らせた。
「正味、九百五十回の試行ですね」
「ふむ……だが、それでも期待値は五未満だな」
「重寄生狩りで一度だけ、ショゴス細胞ζが出ましたが……それでも期待値の倍近く出たわけですから、わたしはかなり運が良かったのだと思います」
俺は
「あ、違う」
リラがいきなり、言い放った。
「〇.〇〇五パーセントだから、期待値は〇.五未満だったわ」
……ん?
あ、本当だ。〇.〇〇五パーセントは〇.〇〇〇〇五という意味だから、二万回の試行でようやく期待値が一になるということだ。
そうすると俺は、期待値一未満のところを七個も引き当てたことになる。期待値の倍を引き当ててラッキーと思っていたのに、まさか二百倍を引き当てていたなんて……なんという強運! 俺は明日にでも急死するのか!?
……いまさら震えが襲ってきた。
「いや、大したものだ」
リラがまた脚を組み替えながら発言する。
「期待値を大幅に超える数を揃えてみせたことは驚嘆に値する。だが、わたしが約束した数は十個だった。そうだな?」
「はい、その通りです」
そう答えるしかなかった。
相手は最初から、俺を追い払うつもりで無理難題を吹っかけてきた。俺が予想以上に頑張ったものだから、少しは見直してくれたようだけど、ただそれだけだ。本当に十個集めてきて絶句させてやろうと思って、比喩ではなしに寝食を削って努力したのだが、それも無意味に終わってしまった。
「せっかくの機会を与えていただいたのに活かすことができず、申し訳ありませんでした」
俺はソファから立ち上がると、腰を直角に曲げて謝った。
相手から不合格を言い渡されるくらいなら、こっちから断って退出したほうが百倍増しだ。
謝罪のチャットが頭上に表示されているうちに、俺は部屋の出入り口へとハルマサを向かわせた。
「待ちたまえ」
背後から声がかかるが、どうせ、
「きみ、そういう態度は失礼だろう!?」
――などと、ここぞとばかりに難癖をつけて、
「ええい! お情けで合格にしてやろうと思ったが、やはり首だぁ!」
だとか言ってくるのに違いないのだ。だから、待てと言われて待つ意味ないのだ。
出入り口の前までいって扉を照準に入れて、
『部屋を出る[E]』
と表示された案内に従って、キーボードのEを――
「合格だ!」
「いま、なんて?」
思わずそう発言したけれど、聞き返す意味はない。一度発言されたチャットは会話窓に板書されて残っているからだ。
それは相手も分かっているだろうに、敢えてもう一度、発言してきた。
「試験に合格だ。きみは合格だ」
「でも、十個集められませんでしたが」
「本当に十個集めてきたら、わたしは独力以外の手段を疑って不合格にしていたかもしれんな」
「なんですかそれ!」
ツッコミ発言せずにはいられなかった。もちろん、言いたいことはそれだけではない。
「条件を達成していたら不合格で、達成していなかったら合格なんですか? 最初からそのつもりだったんですか?」
もしも返事がイエスだったら、許しはしない。
「正直に言えば、最初から合格させる気なんてなかった」
……。
「いや、これでは語弊があるな。きみはきっと逃げ出すだろうと思って、無理難題を吹っかけたのだ。だから先ほど、きみから約束通りにこちらまで来ると連絡があったときは本当に驚いた」
リラの言葉は続く。俺は黙って、発言を目で追う。
「だがどうせ、一個か二個だけ持ってきて、“でも努力したんだから認めろ”と放言するか、他人に協力させて十個集めてくるかのどちらかだと思っていた。それがまさか独力で八個も引き当てるとは、良い意味で予想を裏切られたぞ」
「聞いてもいいでしょうか?」
俺はどうしても気になって、口を挟んだ。
「なんだ? 言ってみろ」
「他のもっと高額アイテムを引き当てて、それを換金した金で買い集めたという可能性は考えていないんですか?」
「ショゴス細胞ζは高額レアの部類だ。それを十個買えるだけの資金を調達するのは、寄生アルケーをマラソンするのと同等以上に大変だろう」
「なるほど」
俺は一拍置いて、そう返事した。
一週間前はまったくの初心者だったが、いまじゃ累計プレイ時間が百五十時間に迫る、一端のプレイヤーだ。プレイヤー間市場の相場もそこそこは理解していたから、リラの説明には納得だった。
「一週間のうちにキャラを育て、ソロでマラソンして集められるショゴス細胞ζの数は、普通にやって、ひとつか、ふたつ。睡眠などのロスタイムを切り詰めて必死狩りして、その倍の四つが良いところ。だから、あり得ないことだが、もしもきみが五つ集めてきたら、きみがこの試験に本気で挑んだのだと認めて合格としよう――そう考えていたのだ」
長台詞を終えたリラは、ゆるゆると頭を振って肩を竦める。
「もっとも、わたしは確率をうっかり二桁間違えていたから、一週間で一つ入手するだけでも奇跡的だったわけだが……いやはや、誠に恐れ入った。どうして八個なのか、だと? まさか八個も!? そういう意味で言ったのだよ」
どうやら俺は褒められているようだ。でも、ひとつだけ、ふと気になった。
「RMTの可能性は考えなかったのか?」
発言してから敬語を忘れたことに気がついたけれど、言い直すのもおかしいし、まあいいか。
「試験を突破するためにそこまでするというのなら、それはそれで覚悟を認めて合格としていた……かもしれないな」
リラは腕組みして不敵に笑ったが、すぐに姿勢を正した。
「いや、いまのは冗談が過ぎた。不正があったというのであれば、わたしはそれを看過しない。だが、先ほど見させてもらったきみの装備やレベル、累計プレイ時間に討伐エネミー数などから、不正はなかったと判断している」
「そこまでチェックしていたんですか……」
たしかにさっき詳細データを公開する設定にしたけれど、プレイ記録まで精読されていたとは思わなかった。少々恥ずかしいというか居心地が悪いというか……あとで設定、非公開に戻しておこう。
「さて、」
リラがまた脚を組み替える。
「わたしはいま、きみに合格だと言った。それに対する返事をもらいたいのだが?」
あ……。
「はい、それはもちろん、嬉しいです」
「そうではなく、わたしはきみを採用したいと申し出ているのだ。受諾か辞退か、返事をくれ」
あ……!
「はい、もちろん受けます」
俺は慌ててチャットを打ち込んだ。
不思議と、目の前の女性キャラが冷やかしや悪ふざけで言っているとは少しも思わなかった。彼女と話したのは一週間前と、いまとのたった二回だけだ。何より、ネットゲームの中で言葉を交わしただけで、実際は女性なのか男性なのかも分かっていない。歳も何も知らない――。
そんな一切の常識を跳び越えて、俺はリラという一人のプレイヤーを信用していた。
「よし、雇用契約はこれで成った」
リラは満足そうに笑って頷くと、テーブルの上に何かを置く仕草をした。その直後、テーブル上に分厚い札束が生成された。その札束に照準を合わせると、俺の所持金よりも桁がひとつ多い金額が
このお金は――と訊ねる前に、リラが説明してくれた。
「きみが持ってきたショゴス細胞ζ八個は、わたしが買い取ろう。これはその代金だ。それとも、いくつかは手元に残しておくつもりだったか?」
「いえ、とくには」
ショゴス細胞ζはいわゆる【素材】に分類されるアイテムで、他の素材アイテムと合成することで強力な装備が作れるのだが、他の素材もショゴス細胞ζと同じくらい入手難度が高くて、いまの俺には分不相応だ。
残りの素材を集められるレベルになるまで取っておくという手もあったが、そうなるまでに何百時間も死蔵しておくくらいなら、いま彼女に買い取ってもらったほうがずっと有益だった。
「八個全て買ってもらうことは素直に助かります。ですが、相場より明らかに高すぎる金額かと」
俺の誠意ある意見具申に、リラは腕組みしながら笑って答えた。
「多い分は、きみがこれからわたしの相方となるに当たっての支度金だと思ってくれたまえ」
「このお金で装備を調えろ、と?」
「いかにも。きみのいまの装備もけして悪くないが、わたしの相方となるには少々物足りぬ。明後日の夜までに、最低でもバイアクライダーの突撃に耐えられる装備を用意しておくように」
「そういうことなら、ありがたく受け取らせていただきます」
俺は卓上に札束にもう一度照準を合わせると、
ステータス画面を呼び出すと、所持金が十倍以上に増えていた。
「ああ、そうだ」
リラがふと思い出したように言った。
「雇用契約の具体的な話をしたいから、メールアドレスを教えてくれ」
――なるほど。たしかに、ログインしていないとき用の連絡手段も必要だ。
「でしたら、ラインのIDでも構いませんよ」
そのほうがメールよりも気軽に連絡できるし……と思って申し出たのだが、
「いや、そういうのはやっていない」
即答で返された。首を振ったりするエモもなく、即答で。
「すいません」
思わず謝ってしまった。
「わたしのアドレスはこれだ」
リラは無視して、メールアドレスを伝えてきた。俺はすぐにチャット記録を保存して、さらに念のため、手元の紙切れに走り書きもしておいた。ネトゲ攻略にも意外と活用できるから、紙とペンはいつも手元に置いているのだ。
「では、今夜はここまでとしよう。今後のことについては、追ってメールする。一週間、本当にご苦労だった」
リラはそう言うと立ち上がり、深々と頭を下げた。
俺も同じく立ち上がって、頭を下げる。
「いえ、こちらこそありがとうございました。今後も誠心誠意、頑張りますので、よろしくお願いいたします」
では失礼いたします――とチャットして退出するつもりだったのだが、文章を打っている途中でリラに呼び止められた。
「待ってくれ。最後にひとつ、言い忘れていた」
「なんでしょう?」
「それだ」
「え?」
「きみとわたしは、これからは対等のパートナーだ。ゆえに、その他人行儀な敬語は以後、禁止とする」
「はい、了解いたしました!」
反射的につい、からかってしまった。
「……」
わざわざチャットで「……」と返された。
「ごめんなさい。ちゃんと分かってます」
と発言してから、これも違うことに気づいて言い直す。
「ごめん。以後、気をつけるよ」
「うむ、よろしい」
リラは鷹揚に頷いた。
どうやら、向こうは口調を変える気がないようだ。これが素の口調ということなのか? ……いや、ネトゲのプレイヤーには、言動から装備、戦闘スタイルに至るまでガチガチに設定を固めてキャラクターになりきる遊び方をするひともいるけれど、リラもきっとその類のひとなのだろう。
「引き留めてしまったな。もう行って構わないぞ」
「はい、そうします」
と打ち込んでから慌てて、
「ああ、そうするよ」
言い直す発言をして、部屋を退出した。
ロビーに戻った後、そのままゲーム終了する。どうにかパソコンの電源を落としたところで、とうとう限界が来た。椅子から転げ落ちるようにして床に突っ伏すと、三秒後には眠りに落ちていた。この一週間を平均四時間未満の睡眠で戦い抜いたのだから、それも当然だ。いわば名誉の死、もとい、名誉の睡眠だった。
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