第1話 仕事内容:ネトゲのパートナー(経験者優遇・初心者応相談) その6

 雨森琴子。

 ざっくり言うなら財閥とか大グループの経営者一族とか、そういう家柄の三女だか四女だかである中学生の女子である。三女だか四女だかと曖昧なのは、


「家庭の事情でございます」


 ……詳しい事情は聞くな、ということだった。

 ともかく、いちおうは叔父が理事をしている私立中学に在籍している中学二年生なのだそうだ。もっとも、東雲さんの口振りからすると、中学にはほとんど行ったことがようだ。まあ、中学校に通っているなら、こんな辺鄙な山奥に暮らしていたりはしないだろう。

 彼女の父親は一体何を考えて、娘が安心して引き籠もれるための別荘と使用人を与えたりまでしたのだろうか。その上さらに、ネトゲの遊び相手を雇ってやるなどと馬鹿げたことまでするのだろうか?

 ……聞きたいことだらけだったけれど、俺はとくに何も訊ねはしなかった。東雲さんのずっと変わらない柔和な笑顔が、そのときはちょっと怖かった。

 さて――そんな東雲さんは、俺とお嬢様とに互いのことを大雑把に紹介してすぐ、退室していた。琴子お嬢様の部屋にいるのは、当のお嬢様と俺の二人だけだ。


「ええと……」


 俺は毛足のさらさらな絨毯に正座しながら、沈黙に耐えかねて独りごちる。

 お嬢様のほうは地味ながら立派なベッドに腰を下ろして、俺を無言で睨みつけていた。俺とは頭ふたつ分の身長差があるけれど、この位置関係だと俺がわずかに見下ろされる形になる。

 お嬢様は俺が不安になるくらい黙ったままだ。

 さっき出ていった東雲さんがお茶とお菓子を持って戻ってきてくれたりしないかと思ったけれど、東雲さんは出ていくとき、


「では、失礼いたします。お話しが終わりましたら、お呼びください」


 としか言っていなかった。すぐそこで俺を睨んでいるお嬢様が呼ばないかぎり、やって来ることはないだろう。


「え、っと……」


 俺はもう一度、口の中でもごもご呟く。そうしている間にお嬢様のほうから話を切り出してくれれば……と期待していたのだけど、向こうも向こうで、さっきからずっと俺を睨みつけっぱなしだ。

 雇用契約の具体的な話をすると言って呼び出したのはそっちだろ!? ……そう言いたかったけれど、こっちを睨んでいる彼女の目を見ると、どうしても言い淀んでしまうのだ。

 雨森琴子。現在引き籠もり中の中学二年生。身長はたぶん百四十センチない。中学生女子の平均身長がいくらか知らないけれど、たぶん平均未満だろう。その小柄で華奢な体つきに、東雲さんから中学二年だと聞かされなければ、小学校の高学年だと思っていたところだ。

 ただし、俺をずっと睨んでいる顔立ちは、体つきの幼さと相反して大人びている……いや、その言い方は少し違う。大人びているのではなく、子供っぽさが失われているのだ。目鼻立ちや頬の膨らみなどの部位ごとを見れば、あどけない子供の顔をしているのに、顔全体に浮かんでいる表情が、それらの醸し出す幼い柔らかさを帳消しにしているのだった。


「……どうして」


 唐突に彼女が口を開いた。あんまり唐突だったもので、俺はびくっと背中を跳ねさせるほど驚いてしまった。


「えっ」

「……」


 彼女は警戒する猫のように、また口を噤んでしまいそうになる。俺は慌てて言い繕った。


「あっ、ごめん。驚かせちゃって。話の邪魔をするつもりはなかったんだ。続きを話してもらえるかな?」


 彼女はしばし、むすっと仏頂面で俺を睨んでいたけれど、


「……どうして、わたしのことを睨むんだ?」


 警戒心の籠もった声音で言われた。


「いや、睨んでいるのはそっちだ……ですよね」


 反射的にツッコミを言い返したものの、語尾は敬語に言い直した。お金を出すのは彼女の父親ということになるらしいが、この小さなお嬢様だって雇用者の側だ。敬語にしていたほうが無難だろうと判断したのだ。

 お嬢様は、十歳近く年上の俺から敬語を使われたことに違和感を覚えた様子もなく、ただ不思議そうに目をぱちくりとさせている。


「え……わたしがきみを睨んでいた?」


 さすがは使用人のいる別荘で暮らしている金持ち少女だ。年上の相手から敬語で話しかけられることは、ごく当たり前のことらしい。まあ俺もそのほうが、これも仕事だと割り切れる。


「はい、睨んでいましたよ。むしろ、そんなふうに驚かれると、こっちがびっくりなんですが……思いっきり睨んでいましたよね?」

「睨んでいない。これはただ見つめていただけだ」

「え、見つめて……?」

「あっ……違う! そういう意味じゃなくて、きみがどんな輩なのかと観察していただけだからな!」


 焦った顔で捲し立ててきたお嬢様は、初めて年相応に幼く見えた。

 急落するような表情変化にちょっとついていけないでいると、彼女もあからさまな照れ隠しの咳払いをしながら、ベッドに置かれていた資料を手に取り、目を落とす。


「んっ……とにかく、最終面接だ。まずは住所氏名、年齢学歴を言って……ああ、いいか。こういうリアルな情報はどうでもいい。重要なのは、きみが真実本当に、わたしについてこられるのか、だ」


 お嬢様は履歴書だとかの資料をばさっと放って、俺をふたたび睨んだ。いや――彼女の言い方によるなら、睨んでいるのかと思うほど険しい目つきで見つめられた、と言うべきか。そこにどれほどの違いもないとは思うが。

 ともかく、俺はようやく質問された。会話を始める切欠を得たのだ。


「はい。ええと……ついてこられるかというのは、その……ガチでネトゲ漬けになれるか、ということでしょうか?」


 一週間かけて行われた採用試験や、リアルで山奥に引き籠もっている暮らしぶり、そして部屋の中でいまも低く唸るような音をさせて稼働している大型筐体のパソコン――それらを総合して考えれば、八つ年下のお嬢様が俺に何を求めているのかも察しがつこうというものだった。


「うん、その通りだ」


 琴子お嬢様はベッドに腰掛けたまま脚を組み、鷹揚に頷く。【FMA】の中でリラがしていたのとまったく同じ仕草だった。長身美女に造形されたリラがそうしている姿は様になっていたけれど、残念なことに、生身の琴子お嬢様にはまったく似合っていなかった。

 琴子お嬢様は、その容姿と年齢にそぐわない尊大な態度で両手を広げる。


「すでに分かっていると思うが、わたしは自他共に認める正真正銘、本物のネトゲ廃人だ。【FMA】の古参プレイヤーで、ログイン頻度は平均一日十八時間。総ログイン時間は余裕の一万時間越えだ。こんなわたしの相方になるというのは、まさにお金を貰わなければやっていられない重労働だぞ。はっきり言ってブラックだ」

「でも、残業代は出るというお話しでしたよね?」


 俺はおずおず口を挟む。


「もちろんだ。規定の就労時間を超えた分は、残業として上乗せした額を支払わせてもらう。勤務態度や成果によってはボーナスも検討している。休暇も……遺憾ながら、ひと月に四日までは認めるのも吝かではない」


 ……ふむ。

 けして楽な労働時間ではないけれど、お金がきっちり支払われて、多少の休みを確約してくれるというのなら、言うほどブラックではないような……。


「一番ブラックなのは、つぶしが利かないことだ」


 琴子お嬢さんが仏頂面で言い添えた。


「あ……」


 言われてみれば、たしかにそうだ。

 こんな仕事、いつまで続けられるのか分かったものではない。半年か一年か、もしかしたら三年くらい続いたりするのか……とにかく、けして遠くない未来、この仕事は終了する。そうしたら、俺はまた就活をしなくてはならない。でもそのとき、履歴書の職歴には不自然な空白期間ができることになるのだ。なぜなら、ネトゲの雇われパートナーをやっていました、なんて職歴のある無職男性を、どこの会社が雇いたがるというのか。

 ……暗い想像が顔色にも表れていたらしい。中学生の引き籠もりお嬢様に、心配そうな顔をさせてしまった。


「念のために言っておくが、わたしはこの生活を死ぬまで止めるつもりはない。不摂生が祟ってある日ぽっくり心停止する日まで、わたしは引き籠もりネトゲ廃人ライフを満喫すると、心に固く誓っている。だが、きみにそこまでの覚悟は求めていない。いつか、真人間に戻りたいと考える日が来ることだろう。その際の社会復帰支援について、わたしもできるかぎりのことはしてやりたいと思っている。具体的には……父にねだって、どこかの会社にコネ入社させてもらうだとか……」


 父親のことを口にすると、お嬢様の顔は途端に曇る。どうやら親子関係は良好と言い難いらしい。……まあ、良好だったら、義務教育中の娘が世捨て人になったりはしていないだろうが。

 ……って、おや?


「辞職後のコネ入社まで完備なんだったら、つぶしが利くと言えるのでは?」


 俺の素朴な疑問に、琴子さんは眉間の皺をさらにきつくさせた。


「父を頼るのは最終手段だ。できれば、再就職はきみ一人の力で頑張ってほしいと思っている」


 彼女は眉をへの字に寄せたまま、唇を可愛らしく尖らせた。わざとらしいほど大人びた言葉遣いと目つきをしていても、父親を煙たがるのは思春期の少女らしい。


「む……話が逸れたな」


 琴子ちゃんは、うっかり見せてしまった素の表情を誤魔化すように咳払いして続ける。


「晴永正春、きみに改めて問うぞ。わたしの相方として、ネトゲ廃人になる覚悟があるか!?」


 それと同じような問いは、すでに【FMA】の中でされているし、答えもした。だけど彼女は、同じ質問を改めてしてきた。【FMA】内のキャラクター・リラとしてではなく、生身の人間・雨森琴子として、生身の俺に問うているのだ。

 これはネット内のみで完結するジョークでも、ネトゲのリアル連動イベントでもない。生身リアルの人間同士が交わす真剣な話だ。寝不足の頭で勢い任せに答えていい話ではない。どうしようもなく現実リアルなのだと実感した上で、真剣に考えて答えを出せ――。

 雨森琴子という少女の鋭い眼差しは、真摯にそう語っていた。


「……少しだけ、考える時間をください」


 俺は背筋を伸ばして、正座し直す。

 丸一日の睡眠で頭もすっきりしている。俺の雇い主になろうという雨森琴子がどんな女の子なのかも知った。そっと目を閉じ、それらの情報をゆっくり吟味する。

 俺は真剣に考えた。その上で出した結論は、


「俺を雇ってください」


 【FMA】の中で答えたときの気持ちが変わることはなかった。

 俺の心は、目の前のベッドに座っている少女が信頼に足る相手だと確信していた。その信頼は、【FMA】の中でリラに感じた気持ちを投影させているだけの勘違いなのかもしれない――と二度も三度も考え直してみたけれど、やはり変わりはしなかった。

 相手は女子中学生で、引き籠もりで、まず間違いなく甘やかされているお嬢様で、たぶん中二病に罹患している引き籠もりのネトゲ廃人だ。それらの情報を全て吟味した結果、それでも、信頼が勝ったのだ。

 この場所まで実際に俺を呼び、自分がどういう人間なのかを見せ、そして真剣であることを告げた上で、断る機会をくれた。その態度が、俺にはどうしようもなく格好良く見えた。

 公明正大。威風堂々。

 華奢な女子中学生の姿が、そうした言葉を体現しているように見えてしまったのだった。


「ありがとう。きみなら、そう言ってくれると信じていたぞ」


 琴子お嬢様はそう言って胸を撫で下ろした。言葉遣いこそ鷹揚だったけれど、内心の安堵を隠しきれていなかった。


「じつのところ、この部屋で面接したのは、きみが初めてではないんだ。きみで四人目だ」

「……その三人は最終確認で断ったんですね」

「ああ、そうだ。一人目にはその場で断られ、二人目は答えを保留した二日後に断ってきた。三人目は初日にログインした以降、一度もログインしてこなかった」


 遠い目をしているお嬢様に、俺は少し考えて小首を傾げる。


「三人目は最終確認にイエスと答えたのにいなくなった?」

「ああ、その通りだ」

「それだと、俺もその三人目と同じようになるかも、と不安になるところのような……」


 唇の片端を引き攣らせるような笑いが出てしまう。ついうっかり、敬語も抜けてしまった。

 そんな俺とは対照的に、小さなお嬢様は晴れやかな笑顔をしていた。


「その心配はもっともだけど、不思議と分かるんだ」

「……?」

「きみは突然、音信不通になったりしない。この仕事をちゃんと仕事だと認識して、誠意を持って務めてくれる。分かるんだ、うん」


 お嬢様はそう言って、朗らかな笑顔で頷いた。

 その笑顔はある意味で恫喝だ。彼女のような子にそんな可愛い笑顔をされたら、逃げるわけにいかなくなるじゃないか。


「……期待に応えられるよう、誠心誠意、頑張ります」


 俺はせいぜい冗談めかしてそう言った。言ってから、似たようなことをネトゲの中でも言ったなぁと思い出す。お嬢様も同じだったのか、ふいと眉を揺らしてから悪戯っぽく微笑んだ。


「待ってくれ。最後にひとつ、言い忘れていた」


 それは、【FMA】の中でリラが言ったのとまったく同じ台詞だ。だから俺は、その後に続く会話を先回りしてやった。


「リアルとネットは別物ということで敬語だったけれど、こっちのほうがいいなら、これで」

「ああ、それで頼む」


 琴子お嬢様はもう一度、笑って頷いた。

 それから、ああそうだ、と付け加える。


「わたしの呼び方についてだが、これは基本的にどう呼んでもらっても構わない。琴子様でも琴子さんでも。ただし、お嬢様は止めてくれ」

「分かりまし……分かった」


 まだちょっと敬語が抜けきらない。


「あとそれから、名字で呼ぶことは絶対に禁止だ」

「名字って……雨森さんと呼ぶな、と?」

「そうだ!」


 名字を声に出した途端、琴子お嬢様……もとい、琴子ちゃんは唇を可愛らしく尖らせた。もしかしたら本人は本気で苛立ったのかもしれないけれど、可愛らしい仕草をしたとしか見えなかった。


「おい……なんだ、そのだらしない顔は?」

「なんでもない」


 俺は即答で首を横に振って、話を逸らした。


「それよりも、こっちは普通の口調で話すのに、そっちはその口調を変えないんだな」

「うん? わたしの口調?」

「あ、べつにそのままでも構わないんだけど、素で喋ったほうが気楽だろ」

「……これがわたしの素だ」


 琴子ちゃんは憮然とした顔だ。それが勘違いされてふて腐れている顔なのか、言いたくないことを誤魔化そうとしている顔なのか、俺には判断ができなかった。ネトゲ内でエモを交えてチャットしているときのほうが、相手の気持ちを察せられていた気がする。


「あ……うん、そうか。そのままでも喋りにくくないのなら、べつにいいんだ」

「よし。この件については、これで終わりだ。他になければ、諸々の具体的なことについて、東雲から説明を受けてくれ」

「了解です、ボス」


 それから俺は、琴子ちゃんに呼ばれてやってきた東雲さんと一緒に、一階の応接間まで行って、そこで給与額やら保険についてやらといった現実的な事柄について説明されたり、署名をしたりした。説明された内容は求人サイトの要項で最初に確認していたのと変わりなかったけれど、ひとつだけ――提示された給与額には求人サイトに記載されていたものより一割増しで色が付けられていた。


「わたくしどもの期待の表れ、とお受け取りください」


 東雲さんはにこやかに微笑みながら言った。その後に、


「晴永様とは長い付き合いになる予感がいたします」


 とも言われた。

 この仕事が長く続くというのは、けして良いことではないように思うのだが……まあ、あまり重くは受け取らないで、


「こちらこそ、今後ともよろしくお願いします」


 無難に返事をしておいた。

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