第1話 仕事内容:ネトゲのパートナー(経験者優遇・初心者応相談) その7
話が終わって、書類も作り終わり、全ての手続きが済んだ頃にはまだ日も出ていたけれど、車でアパートの前まで送ってもらった頃にはとっぷりと暮れていた。
帰りはアパートまで送ってくれたのに、行きはどうして駅前で待ち合わせにしたのかというと、
「このような車で住まいの前に乗り付けられることを好まない方もございますから」
だそうだった。
そういう配慮ができるのなら、もっと庶民的な車輌をお使いになられたら良かったのでは……とも思ったけれど、きっと長距離移動の座り心地を考えると、この高級車が最良の選択だったのだろう。
「今日は本当にお疲れさまでございました。では、失礼いたします」
丁寧な挨拶をした東雲さんが乗り込むと、黒塗りの高級車は滑るようにして宵闇の道を走り去っていった。
車が左折して見えなくなるまで、俺はなんとなくその場で見送る。それからアパートの階段を上ろうとして、
「……あ」
このまま部屋に戻っても、食べるものがないことを思い出した。一週間のネトゲ漬け生活で、冷蔵庫も野菜籠もすっからかんになっていた。昨日は食欲よりも睡眠欲だったけれど、今夜はそうもいかない。食べるものがないのを思い出した瞬間から、とにかく何か食べたくて仕方なくなっていた。
そうだ。ここはひとつ、就職祝いということで焼き肉屋にでも――と思って一歩目を踏み出したところで、やはり気が変わった。俺は行きつけのコンビニへと向かった。
俺の暮らしているアパートから徒歩五分そこそこ。四車線の交差点付近に建っているコンビニで、たぶん一日通して繁盛している。無職になってからはコンビニに出かける時間帯もまちまちになっていたけれど、店舗前の駐車場にはいつでも車が何台か駐まっていた。
じつは、このコンビニとは逆方向にも同じくらいの距離にコンビニがあるのだが、俺がなぜこっちの――交差点近くのコンビニを行きつけにしているのかというと、こっちのコンビニには可愛い店員さんがいるからだった。
バイトの女子大生だと思うのだけど、とにかく可愛いのだ。顔や体型も魅力的だと思うのだけど、とにかく笑顔が可愛いのだ。
こっちに越してきて初めて、このコンビニを利用したときのレジに立っていたのが彼女だった。そのとき以来、俺は彼女目当てで、こっちのコンビニにばかり通っているのだった。
我ながらストーカーじみたことをしていると思わないでもないけれど、そのおかげと言うべきか――彼女について分かった、ひとつの不思議なことがある。それは、彼女の勤務シフトについてだ。
たとえば早朝に、ふとジュースが飲みたくなって買いに来ると、彼女が商品整理をしている。また別の日の午後に行くと、レジで買い物客を捌いている。そしてまた別の日の夜中、人気の少ない店内で一人ぽつんとレジに立っていたりする。
年頃の女性が夜遅くにバイトするのは問題ないのだろうかという疑問もあるものの、とにかく、彼女の勤務シフトは驚くほど不定期だった。
狙って顔を見に行くと会えないくせに、ふらっと立ち寄ったときにはレジに立って、にこにこ微笑んでいたりする。そんな彼女は俺にとって、今日の占い、みたいなものだった。
コンビニに行って彼女と会えたら、その日の運勢は二重丸。会えなかったら三角印――だ。
今日も残り数時間だけど、今日の運勢は二重丸だった。
交差点沿いのコンビニに入ると、
「いらっしゃいませ」
レジのほうから華やかな声が飛んできた。そちらを見なくても分かる。彼女の声だ。
見なくても分かるけれど、見る。ほら、やっぱり彼女だ。
ほんのり赤茶色に染められているセミロングの髪は、低い位置でひとつに結ってある。バイトのときの、いつもの髪型だ。でもきっと、どんな髪型をしていても似合うに違いない。だって可愛いから。地味なコンビニの制服でも、彼女が着ていると華やかな衣装に見えてくるくらい可愛いからだ。
彼女くらいの年頃の女性は、可愛いよりも、きれい、とか美人とか言われるほうが嬉しいのかもしれないが、彼女を形容するのには、可愛い、がもっとも相応しい。
もうとにかく、見た目も声も可愛いのだ。彼女目当てでこのコンビニに通っている男性客は、俺だけではあるまい。
そうそう――一度も呼んだことはないのだけど、彼女の名前もじつは知っている。制服の胸に留められた名札に、
安曇さんは俺の名前を知らないだろうけれど、もしかしたら、俺が常連客だということくらいは認識してくれているかもしれない。
そうだったらいいな。それでいつか、
「今日も来てくれたんですね。ありがとうございます」
なんて話しかけられる日が来たらいいな。
――そんなことを考えながら、プラスチックの籠にお弁当と飲み物、さらには明日以降に食べる分の肉や野菜も入れていった。生鮮品なんかはスーパーで買ったほうが安上がりなのだけど、安曇さんがレジにいるときは、ついついここで買ってしまうのだ。
ふたつあるレジのうち、一方には『休止中』の札が出ていて、もう一方では先客がちょうどお金を支払っているところだった。俺はその客の後ろに並ぶとすぐ、先客はほどなく会計を終えて去っていく。
「お待たせいたしました」
安曇さんがにっこりと笑顔を浮かべて、俺を出迎えてくれた。
俺がごく小さく頷いたのは、きっと気づかれていない。安曇さんは慣れた手つきで買い物籠から商品を取りだし、バーコードを読み取っていく。少し俯いて作業する安曇さんをすぐ目の前で眺めていられるこのときが、至福のひとときだ。スーパーで買ったほうが安いものまで買ってしまうのも、このひとときを少しでも長く堪能するためだ。
だけど、安曇さんの手つきは容赦ないほど淀みなく、レジ打ちはいつも、あっという間に終わってしまう。
「お会計、二千二百十七円になります」
「あ、はい」
ポケットの財布から現金払いしてお釣りを受け取り、ビニル袋に詰められた商品を手に提げてレジを離れる。
「ありがとうございましたぁ」
彼女の可愛らしい声に見送られながら、コンビニを出た。この瞬間はいつも物寂しい。
「……あ」
店を出て少し歩いたところで、はたと思いついた。
このコンビニでバイトするという選択肢もあったんじゃないか? バイトから正社員を目指しながら、安曇さんとの仲も深めていくというリアル恋愛ゲーム……。
……って、我ながら気色悪いことを考えてしまった。リアルとゲームを混同してはいけないし、安曇さんに失礼千万だ。それに、コンビニのバイトから正社員になるのは、簡単な話ではないと聞いたこともある。それなら、普通に働きながらコンビニに通って、いつか話しかける切欠を掴む――というほうが現実的だ。つまり、俺の選択は間違っていないということだ。
その瞬間、俺の脳裏を未来予想図が過ぎった。
ふとした切欠で、安曇さんが俺に話しかけてくるのだ。
「晴永さんって、お仕事は何をされているんですかぁ?」
「はい! 一日中、ネトゲをやってます!」
俺がそう答えた瞬間、ドン引きしてムーンウォークで遠ざかっていく安曇さんの冷たい笑顔を、俺は克明に想像することができた。
……ネトゲの相方なんて仕事を引き受けたのは、やはり大間違いだったかもしれない。
アパートの部屋に戻ってすぐ、携帯に東雲さんからメールが来ていたことに気づいた。
今日のことに対する労いと、支度金として初任給の半分を所定の口座に振り込むこともできるが、どうしましょうか――という内容だった。
東雲さんは正確には俺の上司というわけではないが、こんなに細やかな気遣いをしてくれるひとのいる仕事なら、やはり間違いでないのかもしれない。
何はともあれ、俺はすでに賽を投げている。あとはせいぜい、匙を投げられないよう努力しよう。
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