第2話 一時間分の十八時間 その1

 ネットゲーム【フルメタルエンジェル】、通称【FMA】は今年で二周年を迎えるタイトルだ。

 二年目を迎えたばかりというと新規タイトルのようにも思えるが、ネトゲにおける二年目というのは、すでに集客力のピークを過ぎていると言える。極論するならば、ネトゲの集客力のピークはサービス開始日であり、それ以降は集客力が下がっていくだけだ。その下降速度を少しでも遅くするために、運営は色々なイベントを実施して、既存プレイヤーの引き留めと新規プレイヤーの呼び込みに務めるのだ。

 そのため、ネトゲのイベントというのは特定の時期に集中する傾向がある。例えば多くの人が新生活を始める四月や、その逆に祝日もなければ出かける機会も乏しい梅雨時の六月などだ(ただし、俺の体感による統計なので異論は認める)。

 六月はとくに【FMA】にとって、もうひとつの大きな意味を持つ。それは、二年前の六月第二土曜日が【FMA】のサービス開始日だったからだ

 去年の六月第二土曜日には、サービス開始一周年記念として大々的にイベントが催された。二周年目になる今年も大型イベントを開催することが、三月中からゲーム関係の情報発信サイトや情報誌などで広告されている。

 【FMA】を非公開テストクローズβからプレイしている自称・【FMA】最古参プレイヤーの雨森琴子嬢も、【FMA】プレイ中の音声チャットで、このように述懐している。


「去年の一周年イベは楽しかったな。一週間の間ずっと、ロビーの天井ドームがイルミネーション仕様になって、流星群や花火やプロモーションムービーが時間帯ごと切り替わりで映し出されていたのだ。あれは良かった。今年は、年末にやったユーザー投稿ムービーコンテストの上位を上映するとのことだ。動画サイトで一通り閲覧しているけれど、FMA内で鑑賞できたら感動も一入だろう。ああ、それから、スタンプラリーもあったな。一日一回、ログインするだけでスタンプが貰えるあれだ。わたしは当然、全日ログインで最高の景品をいただいたぞ。個人ルーム用の調度品で実用性は皆無の記念品だが、デザインはなかなかだった。だから、今年のスタンプラリーも期待して良いと思うぞ。あっ、言わずもがなだが、イベントミッションも趣向が凝らされていて――」


「待って待って。その話、まだ続くの!?」


「うむ。まだ半分しか語っていないからな」


「いやいや、もう十分だ。去年の一周年イベが楽しかったのはよく分かったから、もう勘弁してくれ」


「むぅ……きみが聞いてきたから答えたまでなのに……!」


「まさか、そんなにイベント盛りだくさんだったとは思っていなかったんだよ」


「周年イベントは、このゲームがまだまだ賞味期限内であると喧伝するための大事なイベントだからな。運営としても気合が入ろうものさ。というか、周年イベントが薄っぺらかったら、近日中のサービス終了が内々で決まっているというサインだな」


「ああ……それはあるかも」


 俺が納得しながら唸ったところで、


「おっ、来たぞ! よっしゃあ!」


 琴子お嬢が快哉を上げた。

 現在時刻、深夜の二時半。草木も眠る丑三つ時だ。俺と琴子ちゃんはいま、音声チャットでだらだら会話しながら、【FMA】でひたすら狩りをしている最中だ。特定の雑魚敵をひたすら狩って、そいつがおよそ四千体に一体の確率で落とす稀少素材を百個集めようとしているのだった。

 ここで少し説明すると、【FMA】には多人数が同時参加できるMMO型のマップもあるけれど、いまの主流はミッション受注すると生成される即製インスタンスダンジョンだ。即製ダンジョンにはミッション受注したチームしか入場できないので、MMOでよくある他チームとの獲物の取り合いになることなく純粋に戦闘を楽しめるのが特徴だ。

 今回、琴子お嬢が所望した稀少素材を落とす雑魚敵MOB【ニグラス亜属・三眼】は、中級ミッション【食料モジュール防衛】で大量に出現する。この任務ミッションは防衛型で、一定間隔で襲来する敵の大群から拠点を守るのが目的になる。成功条件は敵の殲滅ではないため、任務成功だけを考えるなら、敵の出現数を抑える装置ギミックである重力波防壁ブルワークを作動させるのが一番だ。というか、使用回数に限度があるこの装置をいかに効果的なタイミングで使用していくかが、この任務を成功させる鍵になる。

 しかし、今回の目的は任務成功ではなく、【ニグラス亜属・三眼】を多く狩ることだ。だから、重力波防壁は一度も使わず、ひたすら大量の敵を沸かせる。最終的に二人では捌ききれない量の敵がマップを埋め尽くすけれど、拠点の耐久値が尽きるまでの時間に【ニグラス亜属・三眼】だけをひたすら狩ると、敵の沸きを抑制しながら任務続行するよりも効率良く狩れるのだ。

 任務成功を放棄して目的の敵だけを狩り、任務失敗したらすぐに再受注して同じことを繰り返す――こういった阿漕な遊び方を嫌う者も少なくない。かくいう俺も、否定はしないけれど自分からやろうとは思わない。……が、仕事となれば話は別だ。


「いいか、ハルマサ。今回のミッションは、【食料モジュール防衛】を成功させることではない。【ニグラス亜属・三眼】の稀少ドロップである【赤色水晶体】を百個集めることだ。そこを履き違えるなよ」


 琴子お嬢のありがたいお言葉が、イヤホンを通して耳に流れ込んでくる。ミッション受注しては途中失敗で任務待機室カタパルトに戻されてすぐに再受注して――を繰り返している最中の、音声チャットでの叱咤激励だった。

 先ほども述べたが、現在時刻は深夜二時半。一般的な生活をしていたら、とても起きていられない時間だ。実際、俺はいますごく眠い。だが……


「おい、ハルマサ。起きているか? まだ寝るなよ。あと三十八個だ。集め終えるまで寝るんじゃないぞ。これは業務命令だ!」


 琴子お嬢の夜でも元気な声が、俺を寝かせてくれないのだ。


「はいはい、起きてるよ。耳元でそんなキンキン言われていたら、寝たくても寝られないから」


「寝ようとするな!」


「無理を言うなよ……眠いよ……」


「だったら頑張れ。あと、三十八個集めれば寝られるのだ。さあ、気合を入れろ!」


「あと三十八個も……うぇ」


 具体的な数を聞いたら、眠気を通り越して吐き気が催してきた。


「そうだ、あとたったの三十八個だ。すでに半分以上集めているのだから、あと三十八個なんて余裕だ、余裕。なっ?」


「……これ、夕方からやってるよね。かれこれ十時間近く、やってるよね。ってことは、ええ……一時間で六個くらいの入手ペースだから、あと三十八個は、あと六時間以上かかるってことだよ? 六時間後っていったら、朝の八時過ぎてるよ。ゴミ出しも終わっている時間だよ!?」


「ゴミ出し? なんだ、それは」


「あ……そうか。きみのお屋敷は、ゴミ収集車の巡回ルートに入っていないよな」


「よく分からんが、馬鹿にしているのなら怒るぞ」


「してないから怒らなくていいよ。それより、次のミッション受注、早くしてくれ」


「言われなくともやっている」


 その言葉通り、ゲーム画面が任務待機室からロード中画面に切り替わった。その数秒後には、星々のきらめく宇宙空間が画面に映し出される。背後を振り返れば、透明な半球ドームに覆われた巨大構造物が見える。それが食料モジュールで、俺たちプレイヤーキャラが搭乗している人型戦闘機【エクシア】は、モジュール外縁の上甲板を足場にして戦うことになる。設定的には、モジュールのもっと前面に展開している第一防衛線を突破してきた敵集団を最終防衛要員として撃退する、というものだ。

 ――そうした状況を、画面片隅に映し出された非操作キャラNPCの通信士が緊迫した台詞で説明する。説明が終わると、カウントダウンの数字が画面中央にでかでかと表示される。三、二、一――大きな警報が鳴り響いて、任務開始だ。

 敵集団の襲来は、一定間隔で合計六回。二回目までは楽勝だけど、三回目からは重力波防壁を始めとした各種の防衛装置を使っていかないと苦しくなってくる。高レベルの六人チームなら装置を使わずとも殲滅しきれるかもしれないけれど、俺とお嬢の二人チームでは無理だ。敵の出現数を抑制する重力波防壁を使わずして、任務成功はあり得ない。実際、ここまでの十時間耐久モジュール防衛マラソンは全て失敗している。五回目の追加沸きまで持ち堪えたのが何度かで、あとは四回目の追加沸きを支えきれずにモジュール破壊されて失敗している。

 もうとっくに数えていないけれど、たぶん五十回目くらいになる今回の任務も、五回目の追加沸き寸前で決壊して任務失敗となった。でも、琴子お嬢の音声チャットは大はしゃぎだった。


「おぉ、やったぞ、ハルマサ! 一回のミッションで赤色水晶が二個も出た! なんか目玉焼きの玉子を割ったら黄身が双子だったみたいなお得感だぞ!」


 琴子お嬢も眠気でハイになっているようだ。けたけた笑って喜んでいる。でも生憎と、俺のほうにはそのテンションに付き合ってやれるほどの元気がない。


「はいはい、そうだね。良かったね」


「うむ、ちょーさいこーじゃー。あはははーっ」


 ……これはさすがにテンションが振り切れすぎだろう。


「これはもうドクターストップだ。もうゲーム終了だ」


「あっ、何を勝手に言うか!? いつ止めるかは、わたしが決めることだ。分を弁えんかーっ!」


「いいから、ちょっと目を瞑ってみろ」


「なんでそんなことを――」


「三秒だけでいいから」


「むぅ、そこまで言うなら……」


「……」


「……」


「どう?」


「め、目が……開けられ……にゃ……」


「ほらな。身体は正直だな、ってやつだ。分かったら、ログアウトしてベッドに行きなさい」


「……」


「……あれ?」


 急にお嬢の反応がなくなった。


「おぉい、琴子ちゃん? おぉい?」


 しかし反応はない。

 黙って耳を欹ててみると、イヤホンの向こうから静かな寝息が聞こえてきた。

 こいつ、寝落ちしやがった……!


「……じゃあ、俺は落ちるから。また明日な」


 いちおう断りを入れてから、俺はログアウトした。パソコンの電源も落としてベッドに倒れ込む。あ、天井の灯りを消さないと、と思ったのを最後に、意識が途切れた。

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