第4話 Bは結婚のB その1
【FMA】二周年イベントは、一ヶ月の開催期間を無事に……概ね無事に幕を閉じた。
ゲームは通常運行に戻り、プレイヤーたちもいつものように
俺と琴子お嬢も、久々にごく普通の狩りをしていた。
イベント中の一ヶ月はほとんど演習ステージにいたため、経験値もお金も一ヶ月前からさっぱり稼げていなかった。今日はその挽回というつもりだったのだけど、俺もお嬢も必死狩りをする気にはなれず、ピクニックのような気分で任務フィールドを巡っていた。
ちなみに、自由フィールドに行かなかったのは、俺たちがまだ悪い意味での有名人だからだ。もう一週間か二週間もしたら、俺たちの悪名も風化しているだろう。それまでは人気の多いところに行くのは控えよう、ということで意見を一致させていた。
「……なあ、ハルマサ」
ゆったりとした狩りの最中、琴子お嬢が音声チャットで話しかけてくる。いつものはきはきした物言いとは違う、奥歯にものが挟まったような言い方だ。
「どうした?」
俺が聞き返しても、お嬢はなかなか続きを言ってこない。
尻がむず痒くなるような沈黙に負けて、もう一度催促しようとしたときようやく、お嬢は話を切り出した。
「わたしは今回のことで、ひとつ思ったことがあるのだ」
「ああ……イベントのことな。延焼を防ぐには表彰式を辞退するので正解だったと思うけれど、やっぱりちょっと残念だったよね」
「あ、うむ。それも確かにそうなのだが、いまは言ったのはそのことではないのだ」
「ん? じゃあ……何のことだ?」
聞き返すとまた微妙な間ができる。
「その……ほら、あれだ」
言いにくそうな、ごにょごにょ声。
「あれ?」
「だから……イベントの最初のほう、ちょっと喧嘩みたいな感じになっていただろ。そのことだ!」
「ああ……うん、そうだな。そんな感じになってたな……うん」
俺の受け答えもごにょごにょしていた。つい最近にあったことだから、べつに忘れていたりはしない。というか、さっさと風化させて思い出のひとつにしてしまいたい類の記憶である。
なにせ、俺が勝手に嫉妬して、勝手に拗ねた挙げ句に暴言を吐き、それから反省したのはいいものの、思いあまってアポなし訪問。おまけに帰りは車を出してもらって、その車内で爆睡するという体たらくだった。
最初から最後まで迷惑かけまくりの出来事だった……ああ、思い出すと喉から鼻歌みたいな悲鳴が出そうになる……あああ!
「おい、ハルマサ? 聞いているか?」
「あ、うん。聞いてるよ」
お嬢の胡乱げな呼びかけで、本当に変な声を上げてしまう手前で現実に戻ってこられた。
「本当に聞いているのか……まあいい。とにかく、そのときの一件でわたしもひとつ理解した。いましているようなネット越しの会話だけでは、些細なことで擦れ違ってしまうこともある。また、そうした事態の解決には、実際に顔を合せることが非常に有効だということが分かった。そこで、この発見を今後に活かしたいと思う」
「……うん?」
何やら持って回った言い方に、俺はパソコンの前で首を傾げる。
「つまりだ、わたしたちはもっと顔を合せやすいようにするべきだと思うのだ。職場環境の改善だな」
「はあ」
「現状、きみとわたしの住まいは距離が離れすぎている。これでは顔を合せるのも一苦労だ。きみはもっと、わたしの近くに住むべきなのだ」
「……はあ?」
話の流れが怪しくなってきた。お嬢は一体、何を言わんとしているのだ?
「幸い、この屋敷にはまだ部屋がいくつか余っている。家具も最低限のものは揃っているし、PCも最新鋭のものをすぐに用意できる。だから、持ってくるものは簡単な手荷物だけでも構わない」
「ええと……?」
「だから、どうだ? ハルマサ、こっちに越してこないか?」
「ええ……と……」
まったくさっぱり予想もしていなかった言葉に、俺の思考は止まってしまった。
俺が、琴子お嬢の暮らしているあの屋敷に引っ越す? それはつまり、お嬢とひとつ屋根の下で……いやいや! 他にもあの屋敷で暮らしているひとがいるじゃないか。東雲さんとか、名前を聞きそびれているままだけど運転手のお姉さんとかも、あそこで暮らしているのだと思う。だから、べつに二人暮らしとか同棲とか、そういうことには全然ならない。言うなれば、そう――職場と併設している社宅に移り住む、くらいのことだ。
……あれ?
そう考えると、このお誘いはわりと良い話なのではないか、と思えてきた。
おそらく衣食住は……衣はどうだか分からないけれど、食と住は保証されるのだろうし、最新鋭のPCも使えるときた。いま俺が使っているPCも中の上、あるいは上の下くらいの性能はあるけれど、琴子お嬢が用意する最新鋭PCには敵うまい。
最新鋭のPCと、上げ膳据え膳の食事。冷暖房その他完備に違いあるまい住居。これはもう、ネトゲ漬けな毎日を送るのに最適化された最高の環境だと言わざるを得まい。
「どうだ、ハルマサ。悪い話ではないと思うのだが」
「う、うん……」
「ああ、買い物の心配だったら必要ないぞ。日用品などは東雲たちが小まめに補充してくれているし、個人的に欲しいものも頼めば車を出してくれる。大型の商品だって、通販すれば問題なしだ」
「なるほど。確かに問題なしだ。でも――」
俺の目は吸い寄せられるように、手元に置いていたスマホを見る。液晶は何も映していないけれど、俺が見ているのは画面ではない。
「でも? なんだ、何かあったか?」
お嬢の少し苛立った声。俺はついつい頭を振って苦笑する。
「いや、ないんだ。コンビニが」
「……は?」
琴子お嬢は空気の抜けるような声を漏らしたけれど、すぐに噛みついてくる。
「コンビニがないのは当たり前だ。ここは山のなかだぞ。おまえもこの前、すぐそこまで歩いてきたのだから分かるだろうに」
「いや、そういうことじゃなくて――」
「ふむ?」
琴子お嬢は、ではどういうことなのか、と問いたげな声を出す。だけど、その理由はごく私的なもので、たとえ琴子お嬢にでも告げるつもりはない。スマホに結わえた猫の根付けの由来は、俺と彼女の二人だけの秘密にしておきたかった。
「……ごめん、琴子ちゃん。俺、いまの部屋から離れられない」
「なぜ――」
「理由は言えない!」
琴子お嬢の追及に、俺の大声が被さった。
「理由は超個人的なことなので言いたくない。でも、いまの部屋から離れたくないんだ。必要なときがあったら、そのときはまた琴子ちゃんのお屋敷まで行くから、それで許してくれ!」
「い、いや……許すも何もないのだが、しかし……そうか。理由は言いたくない、か……」
琴子お嬢はその言葉を噛み締めるように呟いていたが、
「ハルマサ……いや、正春。いまの住まいを離れたくないことは分かった。その理由も詮索するまい。だが、ひとつだけ嘘を吐かずに答えてくれ」
いつになく思い詰めたようなお嬢の声音に、喉がぐびりと引き攣る。
「う、うん。答えられることなら……」
「……」
俺の言葉が聞こえたはずだが、お嬢は次の言葉を口にしない。耳を澄ますと、イヤホンから躊躇いがちな息遣いが聞こえてくる。
「……べつに、」
やっと聞こえてきた声は、俺が初めて聞くほど緊張しているものだった。
「べつに、わたしと一緒にいたくないから、ではないよな?」
「え……?」
俺はきっとモニターの前で口をぽかんと開け、目を点にしていたことだろう。
「だから……きみがこちらに移り住みたくない理由というのは、わたしと四六時中一緒にいるのが生理的に耐えられないから――だったりするわけではないんだよな!?」
「……違うから」
ようやっと、それだけ答えられた。
「違う!? 違うって何が!?」
いきなりイヤホンからのキンキン声で、今度は鼓膜が引き攣った。
「っ……琴子ちゃんと一緒にいたくないってことがだよ!」
「やっぱりそうなのか!?」
「違くて! 琴子ちゃんと一緒にいたくないのかって聞かれたから、違うからって答えたんだよ!」
「あ……そ、そうか。う、うむ。そうか……」
イヤホンから、ほっと吐息の漏れる音がした。
「そんなことを気にしていたのか?」
「べつに気にしていなかった」
即答で言い切られた。琴子お嬢はさらに重ねて言ってきた。
「ただ、プランBのために確認しておきたかっただけだ」
「プランB? そんなのあるのか?」
「あるわけない――じゃなくて、ちゃんとあるぞ。だが秘密だ」
「えー……」
「なに、すぐに分かるさ。すぐに、な」
琴子お嬢の含み笑いが耳のなかをくすぐってくる。ぞわっと産毛の逆立つような不穏さが俺を襲うのだった。
ゲーム画面のなかでは、二機の人型戦闘機が暇そうに棒立ちしていた。
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