第1話 仕事内容:ネトゲのパートナー(経験者優遇・初心者応相談) その3

 女性キャラの頭上には『リラ』と名前が表示されていた。

 目尻の少し吊り上がった、気の強そうな目つき。銀色の髪は右側だけを横に流したショートカットで、長く尖った右耳が見えている。着ている衣装は、白を基調にした軍服……的なものだ。ジャケットではなく長袖ボレロで、ボトムも身体の曲線がぴっちり出るスキニーパンツだ。

 なお、俺の服装は都市迷彩仕様の戦闘服に、黒色の補強ハードポイントを胸部などの要所を覆っているという出で立ちだ。

 向こうが士官で、こちらが一兵卒という、なんとも互いの立場に即したファッションだこと。


「時間ぎりぎりね」


 リラが発言する。

 その発言には、誰に、を示す補語が入っていなかったけれど、この部屋に俺と彼女以外の姿は見あたらない。


「申し訳ありませんでした」


 俺は即座に敬語で謝った。つい数ヶ月前でやっていた就職活動の記憶がそうさせた。

 いまはネットゲームのプレイ中で、話し相手はゲームのキャラクターだが、それでもいまは就活中――面接中なのだ。九割九分、冗談だと思っているけれど、どうしても面接中の感覚がフラッシュバックして、敬語で謙ってしまうのだ。

 とはいえ、画面内の自キャラ・ハルマサは、棒立ちで無感情に謝罪の台詞を表示させただけだ。俺の誠意は半分も伝わらなかったようで、リラという名の女性キャラは立ち上がりもせず言ってきた。


「きみの謝罪を聞いている間にも時間は流れていくんだ。いいから座りたまえ」

「はい、では失礼いたします」


 と返事のチャットを打ち込んだところで、はたと戸惑う。

 ……どうやって座ったらいいんだ?

 リラの正面には確かにソファがあるけれど、そこに座らせるための操作方法が分からなかった。チュートリアルを飛ばした弊害が、こんなところで現われるとは!

 いや待て。大抵のネトゲは、プレイ中にいつでもヘルプ集なり説明書なりを参照できるようになっているものだ。【FMA】でも、たぶんHキーがヘルプ項目へのショートカットになっているはずだ――よし、ビンゴ。ゲーム画面には俺の目論見通りにヘルプ集が表示されたけれど、そこで時間切れだった。


「きみはひょっとして、座り方が分からないのか?」


 リラがそう訊いてきた。音頭も抑揚もない文章チャットからでも、彼女の驚きと苛立ちが伝わってきた。

 すいません、すぐに座ります――そうチャットを打ち込みながら、必死にヘルプ項目を手繰って、着席するための操作方法を探した。でも、相手は悠長に待っていてくれなかった。


「デフォルトから設定を弄っていないのなら、ソファのそばでソファにフォーカスを合わせる」

「あ、はい」


 俺は言われたとおりにソファの横まで移動して、ソファを画面の正面、すなわちハルマサの正面に捉えた。すると、


『ソファに座る[E]』


 という吹き出しバルーンが、ソファの上に浮かび上がっポップアップした。その表示に従って、俺はキーボードのEを叩く。すると、ハルマサはようやくソファに座ってくれた。


「これでやっと話ができるわね」


 正面に座るリラはそう言って脚を組み直した。そういうアクションも取れるらしい。どのキーを押せばいいのか……というか、俺の座り方は彼女と違うぞ。彼女は脚を組んで座っているけれど、俺は両足をぴしりと揃え、背筋もぴんと伸ばして座っている。図らずも、就活の面接でパイプ椅子に座っていたときの俺とまったく同じ姿勢をしていた。

 ソファで背筋をまっすぐ伸ばしていると、かえって時と場合TPOを弁えていないように見えるが、これがいちおう面接であること考えれば、このままでも問題なかろう。というか、これ以上の余計な操作をしたくなかった。


「時間がもったいないから、単刀直入にいこう」


 リラのチャットに、


「はい、よろしくお願いいたします」


 俺は背筋を伸ばしたまま答えた。お辞儀をするコマンドも、探せばどこかにあったのだろうか。


「まず確認だが、きみはこのゲームの初心者だな?」

「はい」


 俺は少し迷ったけれど、素直に答えた。初期装備のレベル一でソファの座り方も分からないだなんて無様を晒した後では、経歴詐称できるわけがなかった。


「たしかに初心者不可とは書かなかったが……」


 リラは頭を振って溜め息を吐く。座っている状態で取れる感情動作エモーションは結構多いみたいだ。

 ……っと、感心している場合ではなかった。


「このゲームについては初心者ですが、ネットゲーム歴は五年あります。このゲームの操作などにも一週間以内に慣れてみせます」


 いまできない事実ではなく、すぐできるようになる能力があることを誇示する。ではなくのアピールだ。ネトゲの就活だなんてどんな冗談か知らないが、やるからには全力でやってやるぞ!


「ふむ、まあいいだろう。では次の質問だ。週に最低で四十時間のプレイ時間だが、きちんと確保できるのだろうな?」

「はい、もちろんです」

「あ、その前に確認だが……」


 リラはそう前置きして、言った。


「きみが提出した履歴書によれば、きみは現在、無職だ。間違いないな」


 ……そのチャットを見た瞬間、心臓がぎゅっと縮こまった。無職でネトゲってニートまっしぐらだな――そう言われた気がしたのだ。

 されども、馬鹿正直に書き込んだエントリーシートが相手の手に渡っている以上、ここでも嘘は吐けない。というか、じつは他に仕事があるだなんて見栄を張るメリットがない。


「はい、間違いございません。ですから、週四十時間のプレイ時間も確保できます」

「言っておくが、週四十時間というのはあくまでも最低ラインだ。理想を言うなら一日十二時間、一週間で八十四時間だ」


 リラの言った数字を、俺は頭のなかでざっと計算した……って、週七日労働か!

「質問なのですが、それは休日なしということになるのでは?」

「そう言っているのだが、どうかしたのか?」


 ……質問に質問で返された。

 一日十二時間かつ休日なしとは、もはやブラックなんて生易しい言葉では済まない。強制労働だ。……って、ゲームをするのは労働基準法に定義されたの範疇に入るのか? 休みなしでゲームさせられて視力が落ちたので労災適用してください、と訴え出たときに認可してもらえるのか?

 労働時間についてうっかり考え込んでしまっていたら、リラに返事を催促された。


「おい、なぜ黙っている? わたしは質問したのだぞ。返事はどうした?」

「すいません、考え込んでおりました」


 咄嗟にそう答えながら会話チャット記録ログを見直してみるが、これは反語ではなく、質問だったのか。


「ええと……」


 間を持たすために思わず無意味な言葉を発言してから、残業代は出るのでしょうか、と入力欄に打ち込んだところで、はたと気づいて書き直した。


「週に一度、定期メンテナンスでログインできない日があると思うのですが」


 多くのネットゲームはサーバー保全のために、週一で何時間かサーバーを閉じているものだ。【FMA】だって、その例外ではあるまい。

 だが、リラの返事は無情だった。


「メンテ時間は睡眠に当てるのが普通だろう。きみはそんな常識もない程度のぬるゲーマーなのか?」


 べつにチャットの文字フォントが変わったわけでも、顔つきが変わったわけでもないのに、リラの冷めた態度が伝わってきた。

 俺は咄嗟に言い繕った。


「いえ、そうではありません。一般的にメンテナンスの時間は昼間が多いですから、そこを睡眠時間に割り当てるとなると昼夜逆転の生活をしていることになるわけで、常識的に考えてあまり好まれないかと思い、ああ言ったまでなんです」

「きみは馬鹿か?」


 俺の言い訳はその一言で一蹴された。

 二の句が継げないでいる俺に、リラは続けて言ってくる。


「そも、ビジネスとしてのネトゲ相方募集などという求人が常識的だと思っているのか?」

「いえ……」


 俺が否定の一言を返すと、まるでその返答を予期していたかのような早さで返事が返ってきた。


「そうだろう。であれば、昼夜逆転していないような常識人をわたしが求めていると考えるほうが馬鹿だとは思わなかったのか?」


 俺は何度かチャットを書いては直しと繰り返した後、


「わたしが浅慮でした。申し訳ございませんでした」


 結局、そう言って謝った。頭を下げる方法がわからないから、背筋をまっすぐ伸ばしたままだったけれど。


「はぁ……」


 リラはさきほどもやった頭を振って溜め息を吐くエモーションを取った。今度は、わざわざチャットで「はぁ」と発言してまで、だ。


「もとより、わたしはこんな求人に期待してなどいなかったのだ。どうせ面白半分で応募してくるやつしかいないと分かっていたが、どいつもこいつも冷やかし未満のヌーブばかりだ!」


 ものすごい速さのタイピングだった。

 どうやら、この求人に応募したのは俺が初めてではなかったらしい。そして応募者の全員が全員、俺と同じくらいの初心者だったようだ。これまで何名の面接をしたのかは分からないけれど、俺が彼女の立場だったら、俺みたいな冷やかし半分の手合いを三名も相手にすれば、規制フィルタに引っかかるような暴言を言いまくりたくなっていただろう。

 ……まあ、彼女が冗談でなく本気でこの求人を出していたのなら、だけど。

 常識的に考えれば、彼女のほうこそ俺みたいな仕事難民を冷やかすために突拍子もない求人を出して、それに引っかかった俺みたいな馬鹿を画面の向こうで大笑いしているのだ――というほうがあり得る話ではないか。

 だから、


「冷やかし未満だとか仰るのなら、まずはそちらが冷やかしでないことを証明していただけますでしょうか」


 ついついそんな発言をしてしまったのも、無理からぬことだったと許していただきたい。

 許してくれなかった。


「はあ!?」


 リラは右目だけぎょろっと開いて、俺を睨んできた。いちいち怒ったエモーションを取るあたり、じつはそんなに怒っていないのかもしれないけれど、それを指摘したら本当に激怒させることは目に見えているから、ここは黙って怒られよう――と思いながら、なぜか俺は言ってしまった。


「だってそうでしょう? そちらがいま仰ったように、あんな冗談みたいな求人に、ネトゲの中での面接だなんて、鵜呑みにする人のほうがいないですよ。ですから、そちらにこそ説明義務があったのではないですか?」


 発言してから、さぁ、と血の気が引いた。

 これが現実だったら、つい口が滑って、というところだが――これはネトゲのなかの文章チャットだ。チャット入力欄に文章を打ち込んで、それから発言ボタンをクリックするかエンターキーを叩くことで初めて、発言が実行される。つまり、文章を書いてから実際に発言するまでにワンクッションを置くことになるため、口が滑った、もとい、手が滑ったということはまず起きないのだ。

 だから何が言いたいのかと言うと、俺は自分が不味いことを言っていると自覚しつつも、いいよもう言ってしまえ、と思っているのだった。


「わたしに説明義務だと?」

「そうです。この求人が正真正銘、本気の求人なのだと応募者に告知する義務が、そちらにはあるのです」


 俺は言い切った。


「その義務は十分に果たしているだろ」


 彼女も言い切った。


「何をもって、果たしていると?」

「こちらが求人を出したサイトが、求人を一口載せるのにいくらかかるか知らないのか?」

「え、お金がかかるの?」


 思わず敬語を忘れて聞き返してしまった。


「当たり前でしょう。よそのサイトはどうだか知らないけれど、あそこに求人を出すには審査を通過した上で掲載料を支払わないといけないのだ。もちろん、子供が遊びで出せる額ではないぞ」


 リラはさらに続けて言った。


「以上をもって、わたしの説明義務は求人広告を掲載した時点で果たされていると断言する。むしろ、冗談だと思いながら応募してきた貴様のような輩の不誠実をこそ、わたしは弾劾する!」


 その発言に合せて、リラはきっと鋭い眼差しで俺に、ハルマサに指を突きつけた。

 俺はしばし圧倒されていたけれど、とにかく何か返事をしなくては、とキーボードに指を走らせる。


「仰るとおりです。わたしが不見識でした。申し訳ございませんでした」


 ちょっと考えてみても、まったくもって彼女のほうが正論だった。本当にそう思ったからこそ、俺は素直に謝った。


「謝れば済むとでも思っているのか?」


 またも一蹴された。


「本当に申し訳ありません」


 俺はとにかく謝った。平身低頭したいところだけど、下手な操作をして立ち上がったりしても嫌だし、とにかく間を空けずにチャットを発言し続けるしかないのだ。


「謝って済むと思っているのかと訊かれた答えが、申し訳ありません、って……それは喧嘩を売っているのだな?」

「違います!」


 とにかくすぐに一言返しておいて、続きの言い訳を必死に書き込んだ。


「ですが、謝る以外の方法を知らないのです。どうすれば謝意を示せるのか、ご教授いただけないでしょうか」


 少し嫌味っぽいかとも思ったけれど、とにかく言った。

 リラの発言が止まる。でも、その沈黙は予想していたよりも短かった。


「では、きみに挽回の機会を与えよう。そうだな、採用試験と思ってくれていい」

「どのような試験ですか?」

「いたってシンプルだ。一週間後の同じ時間まで、ショゴス細胞ζを十個、集めてこい。それができたら合格にしてやろう」


 リラはすらすらと発言する。もしかしたら、最初から試験を課すつもりでいて、言い出す機会を窺っていたのかもしれない。

 それが最初から予定されていた試験にしろ、いま突発的に課されたものにしろ、俺に選択肢はなかった。この面接に本気で合格しようとするのなら。


「はい、分かりました。一週間後、楽しみにしていてください」

「期待しないで待っていよう」


 リラはなぜか、頭を振って溜め息を吐くエモーションをした。


    ●   ●   ●


 面接が終わってから調べてみたが、先方が――リラのプレイヤーが要求してきたアイテム【ショゴス細胞ζ】というのは、難易度低めのミッションに出てくるボス級エネミー【寄生アルケー】が落とす稀少品レアだった。攻略ウィキによれば、ドロップ確率は〇.〇〇五パーセント程度だそうだ。もっと難度の高いミッションに出てくる【重寄生アルケー】だと、もっと高確率でドロップするけれど、その敵を倒せるまでレベル上げするのは、一週間という期限を考えると非現実的だった。

 いや――非現実的という点では、どちらも同じだった。

 【寄生アルケー】はボス級エネミーにしては低レベルだが、作ったばかりの俺、ハルマサからしたら、現時点ではまったく勝ち目のない相手だ。まず、これに勝てるだけのレベルと装備を得なくてはいけない。しかる後に、確率〇.〇〇五パーセントを十回引き当てるまで、ひたすらボスを狩りまくる――これだって十分に非現実的だった。

 では、敵を倒して手に入れる以外の方法はどうだ? たとえばプレイヤー間市場で買い取るというのは?

 ……取り引き価格を調べてみたが、結構な値が付けられていた。完全初期作成の裸一貫から、このアイテムを十個買い取るだけの資金を一週間で作るというのも、やはり十分に非現実的だ。一個買える資金を作るのだって難しいだろう。

 他の方法は……現実のお金でゲーム内通貨を買う行為、いわゆるRMTだが、これは規約違反だった。海外のネトゲでは合法のものもあるようだが、国内で運営されているネトゲはだいたい規約違反だ。

 あれも無理、これも駄目。もう他に手立てが思いつかない。まったくの新規プレイヤーに一週間で稀少ドロップを十個も集めろというのは、一週間で家庭の医学を暗記しろというようなものだ。

 ……あれ? 不可能というわけではないのかも? っと思わせておいて、やっぱり不可能だということだ。あの女は最初から、俺を面接に受からせるつもりなんてなかったのだ。きっと、俺が操作もろくに分かっていない新規プレイヤーだったから、無理難題を吹っかけて馬鹿にするつもりなんだ。


「……だったら、やってやる」


 ぎりぎりと喉がひりつく。

 脳裏に去来するのは、去年から何回も何回も何十回も受けてきた面接の日々だ。普通の面接もあったけれど、いわゆる圧迫面接も少なくなかった。でも一番酷かったのは、最初から採る気がないくせに形ばかりの面接をするやつらだ。百歩譲って、じつは不採用が決まっているのはいいとしよう。でも、それはこちらにばれないように気を遣うのがマナーというものだろ?

 面接官が大欠伸しながら、


「うちのノルマは、月に契約百件だよ。できなかったら罰金でもいいっていうなら、採ってあげなくもないけどぉ?」


 どうみても門前払いしたげな態度でそんな無理難題を吹っかけてくるなんて、許せるわけがないだろ!?


「……やってやる。やってやるぞ」


 自分が面接する側だからって尊大な態度をしてくれやがったあの女を、俺が馬鹿にしてやる。

 ご要望のアイテム十個をあの女の前に叩きつけて、


「ほおら、どうだ。試験をクリアしてやったぞ。何とか言ってみろよぉ!?」


 俺があいつを馬鹿にしてやるんだ!!

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