第3話 二周年記念一大チャンピオンシップ三連弾 その7

 予選の総合成績発表に続いて、本戦の概要が発表された。

 本戦はこれまでの予選とは違って、予選通過した十チームが一堂に会してのレースによる一発勝負で決着を付けることになる。ただし、レースといっても、ただ決められたコースを走るだけではない。道中には多数の敵や障害物、その他のギミックが配置されていて、レースというより障害物競走と言ったほうが伝わりやすいかもしれない。

 予選との最大の違いは、参加チームがひとつのフィールドで同時にスタートするという点だ。予選のときには考慮する必要のなかった、他チームとの駆け引きを考えなくてはいけなくなってくる。

 規定を確認するかぎり、プレイヤー同志の攻撃は互いにダメージ発生しないようになっているようだが、地形に対する攻撃で飛び散った破片によるダメージなどで間接的に攻撃することはできるようだった。また、コース内のギミックについても、他チームの位置を考えながら作動させないと、相手に利してしまうものも多いようだった。

 コース自体も起伏あり、分岐ありで入り組んでいるし、運営が相当に気合を入れて作成したものであることが窺えた。

 参考画像を見ているだけでも難しそうなコースだからか、今回は詳細発表と同時にコース自体も公開された。特別任務として受注する形式で、このコースを実際に走ることができるのだ。

 本戦参加の決まった十チーム以外のプレイヤーも自由に体験することができたから、たちまち有志によるコース研究が始まった。

 本戦に出られる十チーム以外も盛り上がりを見せていた最中、俺と琴子お嬢はといえば……ずっと別行動を取っていた。


「練習用に公開された本戦コースは演習ミッション扱いで、経験値もドロップも得られない。予選の練習もずっとそうだったのに、これ以上、きみからキャラ成長の機会を奪うことはできない。よって、本戦当日に合流するまで、一週間の別行動を命じる」


 ……と、琴子お嬢からのお達しが下されていたのだった。

 俺はもちろん、


「そんなの気にしないでいいって。俺も練習に付き合うよ!」


 と食い下がったのだが、琴子お嬢の気持ちを改めさせることはできなかった。

 それでも最初は、無理やり一緒にコース練習しようとしたのだ。押しかけて、強引にチームを組んでもらったのだ。でも、第二回予選のときはお互いばらばらに動いても問題なかったけれど、今度のレースは全然違う。チームで息を合わせて順番にスイッチを作動させないと退かせない障壁などが、随所にあるのだ。このコースの設計者は、機体性能で競うのではなく、仲間の結束力で競ってもらいたいと考えていたようだ。友達の多い設計者だったのだろう。

 少数チームが勝ち残ることをまるで考えていなかったかのようなコースだが、不幸中の幸いは二人チームでも方法を工夫すれば、辛うじてゴールまでの障害を除去できることだった。ただし、基本的に六人で協力して動かすことを想定して作られたギミックを二人で動作させるためには、二人の息がぴったり合うように練習を重ねないといけない。でも、琴子お嬢はひたすら独力でコース踏破しようとするばかりだ。


「だから、その壁はいくら攻撃しても壊れないんだって。そっちのレバーを攻撃して動作させないと……あっ、そのタイミングじゃないですって!」

「……」


 俺が何度も言っても――というかむしろ、俺が言えば言うほど、琴子お嬢は意固地になって一人で突破しようとする。システム的に破壊不可能な壁を延々攻撃したり、左右のレバーをほぼ同時に切り替えないといけない場面で、一人でレバーを二本同時に動作させようとして乱射しながら右往左往したり……見ていて、ひたすら歯痒かった。

 俺が妙な態度を取ったり、馬鹿なことを言ったりしなければ、こんなことにはなっていなかった。こうなってしまった原因は全部、俺だ。全部、俺のせいだ……!


「……俺、今日は落ちますね」

「……」


 返事はなかったけれど、それはここ何日かずっとだ。俺はこっそり溜め息を吐きながら【FMA】をログアウトした。

 そのままパソコンの電源も落として、ずっと耳に嵌めていたマイク付きイヤホンを外すと、急に静けさが耳を打つ。とっくの昔にカーテンを締めていた窓の外からは、人の歩く気配ひとつ聞こえてこない。

 携帯で時刻を見ると、すでに深夜零時をまわっていた。

 でも――、


(今日は早上がりにしちゃったな……)


 それが、この時刻に対して俺が抱いた感想だった。

 身体がすっかり昼夜の滅茶苦茶なネトゲ漬け生活に適応していることに気づかされて、笑えてきた。

 でも、そんな笑いも瞬く間に萎んでしまう。


(はぁ……どうしたら良いんだろう……)


 だった。

 我ながら無責任だと思うけれど、このまま辞めちゃうか……という思いが鎌首を擡げてくる。

 考えてみれば――むしろ、考えるまでもなく、ネットゲームの相方なんてものを仕事にしているのはおかしい。世の中的に見て、そんな仕事をさせる相手のほうが間違っている。だから、辞めても何の問題もない。とくに理由なんて言わずにメッセで一言、辞めます、と送るだけでも構わない。いやもうむしろ、何も言わずに各種連絡アプリのIDを削除して、ばっくれてしまっても正しい。文句を言われる筋合いは、どこにもまったく微塵も存在しない!


 ……駄目だ。


 このまま一人で鬱々としていたら、駄目なほうにしか思考が転がっていかない。そう……一人では……。


「……」


 俺は携帯を引き寄せる。

 とくに当てがあるわけではなかったけれど、アドレス帳を開いて、そこにずらりと並んだ名前を上から順に眺めていく。

 どれもこれも、名前を見ても顔を思い出せない。どうしてアドレス帳に登録されているのかも思い出せない。辛うじて顔が思い出せた相手もいるにはいたが、もう何年も会っていない相手ばかりだ。きっと登録だけして、一度も連絡したことのない相手も大勢いるのだろう。

 俺はずっと、自分は普通に友達のいる、普通に真っ当な普通の人間だと思っていた。でも、カーテンを締めた一人の部屋で名前が詰まっただけの携帯を見つめていると思う。俺はひょっとして駄目な部類の人間なのではないか、と。

 いやそんなことはない! ……と思いたかったのか、それとも、その通りだと罵られたかったのか――俺は数少ない顔と名前の一致する連絡先のなかでも、一番最近に登録していた名前に電話をかけていた。

 夜半過ぎにいきなりかけても、きっと出ないだろう。もう寝ているに違いない――そんな期待は五コール目で裏切られた。


「……晴永か?」


 受話口から聞こえてきた、幽霊に話しかけられたかのような掠れ声。その声は、今年の四月には同期入社の同僚だった男の声だ。俺と一緒に先輩の誘いに乗って会社を辞めた同僚、斉藤くんの声だった。名字だけでアドレス登録していたせいで、下の名前は思い出せなかった。


「晴永……じゃないのか……?」


 俺が黙っていたら、斉藤くんが不審げな声を出した。


「あ、うん……晴永だよ。ごめん、電話に出てくれるとは思わなくて、ちょっと驚いていた」

「なんだよ、それ」


 電話の向こうで斉藤くんが少し笑った。俺もつられて、少しだけ笑う。そしてまた、気まずい沈黙。

 その静けさを破ったのは、今度も斉藤くんだった。


「いまさら何の用かは知らないけれど、ひとつだけはっきり言っておく。俺はおまえに対して、何の疚しいところもないし、謝ったり弁解したりする気もないからな」

「……?」


 俺には、斉藤くんがいきなり何を言い出したのかが分からなかった。でも、斉藤くんはその沈黙を意味のあるものとして受け取ったらしく、いっそう早口で捲し立ててくる。


「いいか!? 俺は先輩に最初の誘いを受けたときから毎日、先輩に確認を取って、俺たちを受け入れてくれる会社の担当者に会わせてもらって何度も挨拶したし、手土産を持っていったり、先輩と一緒に接待したり色々やったんだ。おまえはその間、何をしてた? 何にもしていないよな。ただぼけーっと辞める会社のどうでもいい仕事していただけだったもんな!」

「……」


 圧倒されて、何も言い返せなかった。


「俺は必死になりふり構わず、まともな会社のまともな席を勝ち取るために頑張った。おまえが切り捨てられて、俺だけ拾われたのは、だから当然の結論だ。俺の努力の結果だ。恨み言が言いたいってんならお門違いだ。恨むのなら何にもしなかった自分を恨め! いいな!?」

「……うん」


 我ながら間抜けな返事ひとつを口にするのがやっとだった。


「じゃあ……切るから」


 斉藤くんはどことなく後ろめたげに言うと、通話を切った。

 携帯の液晶には通話終了の文字と、通話時間を示す数字が映されるばかりになる。俺はその文字と数字を見つめながら、まだ驚いている思考をゆっくり整理しようとしていた。

 ……知らなかった。斉藤くんがそんなことを考えていたなんて。


「いや……」


 そもそも、俺は考えようとしたことがあったか? どうして俺が切り捨てられて、どうして斉藤くんが選ばれたのかを真剣に考えたことがあったか?

 ……自分に問うまでもない。考えたことなんてなかった。先輩から誘われたときも、切り捨てられたときも、ただ何となく流されていただけだ。

 先輩に誘われたから。先輩に切り捨てられたから――そうやって何もかも他人のせいにして、俺自身は何もしてこなかった。


 じゃあ、いまの仕事についてはどうだ?


 ネトゲの相方なんて求人に応募したのは、正直なところ、ノリだったと思う。少なくとも熟考した上での応募ではなかった。でも、採用試験だった稀少アイテム集めを絶対に合格してやろうと頑張ったのは、間違いなく俺の意思だ。俺が俺のために考えてしたことだ。


 ああ……そうか。


 俺はこの仕事に――琴子お嬢の相方であることにやり甲斐に誇りを持っていたんだ。俺が勝ち取った俺の仕事だ、と胸を張っていたのだ。俺自身の意思と頑張りを認めてくれたお嬢に。だからこそ、アガートラームさんに嫉妬したんだ。

 だけど、嫉妬するのは、自分がその相手と同じステージに上がりたいと望んでいるからだ。

 考えてみれば、俺はこれまでの人生で、誰かに嫉妬したことがあっただろうか? 

 俺はこれまで、自分はずっと順風満帆、無難で普通な人生を歩いていると思っていた。周りの流れに乗って何となく過ごしていれば、何も心配することなく、何も考えることなく――何の不安も不満も変哲もない人生を送れるのだと当然のように思っていた。そんなの保証がどこにあるのかを考えようともせずに。そして――


「――また、同じことをしようとしていた……」


 俺はまたしても考えるのを止め、踏ん張るのも止めて、楽なほうへ流されようとしていた。


「俺はこの仕事を辞めたいのか?」


 自分に問い質す。

 俺はこの仕事を――雨森琴子のネトゲの相方を辞めたいと思っているのか? 辞めたいから辞めるのならいい。辞めない努力をするのを面倒臭がっているだけじゃないのか?


「俺は――」


 問うまでもないことだった。


「――辞めたくない」


 それでも声に出したのは、自分自身に宣言するためだ。俺はもう同じ間違いは犯さない、と。


「よし!」


 俺は勢いをつけて椅子から立ち上がると、ベッドに五体投地した。

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