第3話 二周年記念一大チャンピオンシップ三連弾 その9
「……」
「……」
俺は椅子から腰を浮かしかけた姿勢で、琴子お嬢は扉を開けたところに突っ立ったままで――二人して無言で見つめ合った。
「さあ、お嬢様」
東雲さんが琴子お嬢の肩にそっと片手を載せた。
「……うん」
お嬢はわずかに頷くと、こちらに近づいてくる。そして、俺の向かいの席に座った。
「……」
「……」
俺たちは再び、沈黙したまま見つめ合うことになった。東雲さんはいつの間にか、食堂からいなくなっていた。
琴子お嬢のほうが先に目を逸らした。そして、斜め下を見つめながら口を開く。
「どうして来た?」
「……会いたかったから」
俺は素直に、思ったままを答えた。言葉を選ぶよりも、いまは気持ちをまっすぐ伝えるときだと思った。
「会いたかった? なぜ?」
お嬢は眉間に深い皺を刻んで、横目で不審げに睨んでくる。
「話したかったから……だ」
敬語にするのは止めておいた。
「話? 話ならチャットなり電話なりでいいだろう。表情を見ながら話したいのなら、ビデオチャットにすればいい」
「そうかもだけど、それじゃ全部が伝わらない気がしたんだ――あ、いや。そうじゃないな……」
俺は浮かんでくる気持ちをとにかくそのまま言葉にしていく。
「そうじゃなくて……もし電話やチャットで済ませて、それで上手くいなかったら、俺はきっとこう思う。直接会って話していたら上手くいっていたかもしれない、って。――実際、きみが言うように、会って話すのもビデオチャットで話すのも大差ないのかもしれない。でも、もしかしたら、ビデオじゃ伝えきれない、ちょっとした仕草とか感じとか……空気を通してじゃないと分かってもらえない要素があるかもしれない」
「……」
お嬢は斜めに俯いたまま、黙って聞いてくれている。お嬢がいまどんな表情をしているのか、俺からは見えづらい。でも、お嬢には俺の表情がはっきり見えているはずだ。伝わっているはずだ。
「俺は全部……思っていること、考えていること全部を伝えたいんだ。きみに分かってもらいたいんだ。そのためには、ここに来て、面と向かって話すのが一番だと思ったんだ。……その上で、俺を首にしたほうがいいと判断するのなら……諦めたくはないけれど、頑張って諦める……ように努力する」
「……何を諦めるんだ?」
顔を上げた琴子お嬢が、厳しい目つきで俺をまっすぐに射ている。だから、俺もその目を真正面から見つめて言った。
「俺はいまの仕事を辞めたくないです。続けさせてください」
そして、食卓に頭突きする勢いで頭を下げて謝った。
「この前は心ないことを言いました。本当にすいませんでした!」
自分でも驚くような大声になってしまった。その分だけ、言った後の沈黙が厚く感じられる。
沈黙は長く続かなかった。
「わたしはきみに、何か酷いことを言われたのか?」
そう言った琴子お嬢の声は、ほんのりと笑いを含んでいるように聞こえた。
俺はおそるおそる頭を上げながら答える。
「ネトゲに人生を投げ捨てている、と……とんでもない暴言を……」
「それは暴言か?」
「え……」
「わたしには正論に聞こえるが」
琴子お嬢は今度こそはっきりと、肩を揺らして笑った。俺はその顔を、ぽかんと見つめる。激怒していると思っていたのに……。
「――ん」
俺の間抜けな視線に気づいたお嬢はふと、ばつが悪そうに目を泳がせながら空咳を打った。
「あれは、まあなんだ……正論だった。あまりに耳が痛すぎて、少々その……拗ねてしまった。子供じみた真似をしてしまって、わたしこそ本当にすまなかった」
琴子お嬢は、俺がしたように頭を下げた。
「いや、そんな!」
俺は大慌てで頭を振ったけれど、お嬢には見えてないと気づいて言い直す。
「謝らないでいいって。正論とかそういうの以前に、俺が言っていいことじゃなかったんだ。だから、悪いのは俺だって」
「……なら、お互いに悪いところがあった、ということで手打ちにするというのはどうだ?」
「その提案、乗った」
お嬢の言葉に、俺は笑いながら右手を差し出した。お嬢はきょとんとした顔をするも、すぐに破顔しながら右手を出してくる。
俺たちは食卓越しに固い握手を交わした。
……握手をして、改めて思った。
琴子お嬢はいつも時代がかった話し方をするから、音声チャットばかりだと忘れがちになっていたけれど……実物は俺より頭ふたつも小柄で、こんなに小さな手をした女の子なのだ。
中学生の引き籠もりのネトゲ中毒な女の子。でも、俺よりもずっと本気で人生に向き合っているのだなと、こうして握手をしていると、なぜだか確信できるのだ。
「……琴子ちゃん」
なんと呼ぶか少し迷って、ちゃん付けで呼んでみた。
お嬢はくすぐったそうに眉を揺らす。
「なんだ?」
「俺、真剣にやるから」
「ネトゲを、か?」
「うん。これが俺の仕事だ――人生だと思って、真剣にやるから!」
「いやいや、仕事で留めておいてくれ」
お嬢は困ったように笑った。笑いながら、
「なるほど、確かにあるな」
「え?」
「ネットでは伝わらない、空気を通してしか伝わらない何か――確かにある。いま、そう感じた」
お嬢は面映ゆげな顔で、こっくりと頷いた。
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