第3話 二周年記念一大チャンピオンシップ三連弾 その5
翌朝、気がついたら、俺はコンビニに向かって歩いていた。
さっさと関係修復、仲直りを――と思っておきながら、俺の足はまるで問題から遠ざかろうとするように、通りを歩いている。
「まあ、とりあえず気分転換だな。うん、間違っていない」
自分で自分に言い訳しながら歩く。
通勤通学の時間帯は過ぎていたから、通りを歩いているひとも数えられるくらいしかいない。
そのとき、俺の前方数メートルを歩いていた女性が、
「あっ」
と短い声を上げて、つんのめった。足下に段差があるわけでもない、きれいに舗装された歩道なのだが、こけそうになったらしい。女性は咄嗟にバランスを取って事なきを得たけれど、片手に提げていた買い物かごから遠心力で投げ出されたジャガイモと玉葱が、ばらばらと歩道にちらばってしまった。
「大丈夫ですか?」
目の前でこうも派手に撒き散らされては、助けに入らないわけにはいかなかった。
「すいません、ありがとうございます」
……ん?
感謝を告げてきた女性の声に、俺は野菜を拾い集めていた手を思わず止めて、振り返った。
「あ……」
安曇さんだった。
私服の後ろ姿だったから分からなかったけれど、声を聞いて顔を見れば、間違いなかった。
店名入りのシャツとパンツにひとつ結いの髪型というコンビニ店員姿でも魅力的だったけれど、私服姿もまたいい。というか、スカート姿が堪らない。髪を下ろしているのも初めて見た。
「あ、あの……」
安曇さんの困った顔で、俺ははっと我に返った。
「あっ、ごめんなさい!」
俺は慌てて顔を背け、野菜拾いに戻った。
しまった、やってしまった……思ってもみなかった場所での遭遇に、ついつい食い入るように見てしまった……。これは気持ち悪がられても仕方ないぞ……。
ちらばった野菜は大した時間もかからず回収し終えた。
安曇さんの買い物かごに戻しながら、さっきの挽回をするためにも何か言わなければ……と必死に言葉を探すのだけど、必死すぎて言葉がさっぱり見つけられない。
拾い集めたジャガイモと玉葱を全て、買い物かごに戻し終えてしまった。もう手伝うことがない。後はせいぜい、別れる前に会釈をするくらいだ。でもその前に、せめて何か一言を――
「……あの、」
なんと、安曇さんのほうから、おずおずと声をかけてきた。
「はいっ」
反射的に返事をしたら、声が裏返った。自分で情けなくなる。安曇さんも遠慮しがちに、口元をくすりと緩ませて苦笑いしていた。ああ、消えたい……。
でも、俺の情けない声が緊張を緩める役に立ったのか、安曇さんはさっきまでよりも打ち解けた声音で言ってきた。
「いつも、うちのコンビニをご利用くださっていますよね? ご贔屓にしてくださって、ありがとうございます」
「えっ……あ……」
「……もしかして、わたし、人違いしてますか?」
俺がどもったことで、安曇さんも不安げに眉根を寄せた。だから俺は、大慌てで頭を振った。
「あっ、いえ。たぶん合ってます。そこのコンビニですよね。よく利用してます。というか、いまも行く途中で!」
「そうだったんですか。あ……足を止めさせてしまってすいません」
「いえ、べつに急いじゃいなかったんで、全然気にしないでください!」
さっきから慌てっぱなしの俺に、安曇さんはくすりと頬笑む。
「……わたしもこれからシフトなんですよ。同じところへ行くのに別れるのも変ですし、よかったら一緒に歩きます?」
「あ……はいッ!!」
思わず力が籠もりすぎる返事をしてしまった。気持ち悪がられても仕方ないと思ったのに、安曇さんは屈託のない笑顔で頷いてくれた。
「ふふっ……はい、行きましょう」
やばい、好きになる。
歩き出した安曇さんを追うようにして、俺もその横に並んだ。
やばい。コンビニのレジ越しに向かい合っているだけでも、ほっこり満ち足りた気分になれるというのに、まさか言葉を交わした上に、いまこうして並んで歩いているだって!? 足下がふわふわして、転びやしないかと不安になった。いや、幸せだった。
雲の上を歩いているような、という形容詞がまんま相応しい心持ちなのに、ふと素朴な疑問が脳裏を過ぎって、俺は隣を歩く安曇さんに問いかけた。
「バイトの前に、スーパーで買い物してきたんですか?」
「ああ、これですか。これは……」
安曇さんは少し言い淀んだものの、まあいいか、と呟いて続けた。
「家、コンビニの隣なんですよ」
「え……ああ、なるほど」
「こういうお野菜はうちのコンビニで扱っていますけど、スーパーの特売で買ったほうが安いんですよね」
「それはまあ……でも、深夜に玉葱半分だけ欲しいときなんかはコンビニのほうが便利ですし」
コンビニへの微妙なフォローをする俺を、安曇さんは、そういえば……と見上げてくる。
「お客さん、いつも色んな時間にいらっしゃいますよね。いまくらいの時間だったり、夕方だったり、深夜だったり……時間の不定期なお仕事をなさっているんですね」
「え……」
実際その通りなのだけど、素直に肯定するのが躊躇われてしまったのは、「どんなお仕事なんですか?」と聞かれたら答えに困ってしまうからだった。
声を詰まらせた俺に、安曇さんは、はっと気づいたように顔を曇らせた。
「ごめんなさい、いきなりプライベートなことを聞いたら失礼ですよね。お客さんとはいつも会っている気がして、つい……すいません、本当に」
「い、いや全然。問題ないです」
むしろ嬉しいです。安曇さんが俺のことを覚えていてくれたなんて!
平らな道をただまっすぐ歩いているだけなのに、階段を上っているようだった。
何か話して間を持たせなくては――という思いも空しく、頭がふわふわしすぎて言葉が出てこなくなってしまった。安曇さんが黙っているのも、俺と同じ理由だったら嬉しいのだけど。
無言で歩けば、コンビニまではあっという間だった。
「じゃあ、わたしは一度帰ってからですので……」
安曇さんはコンビニの隣に建っている一軒家を目顔で指す。本当にお隣で、送っていくよ、とも言えなかった。
「うん、じゃあ……また、コンビニで」
他に挨拶の言葉が思いつかず、俺はそう言って会釈するとコンビニの出入り口へと身体を向けた。
「待って」
安曇さんの声に、俺は歩き出そうとしていた足の向きをぐるりと反転させた。
「なに?」
何かを期待してしまっているせいで、声が少し上擦った。妙な期待はするべきではない、と頭では分かっているのだが。
安曇さんは少し考えるようにしてから訊いてきた。
「今日、立ち読みしますか?」
「……ん?」
「あ、つまり……わたし、すぐに荷物を置いてシフトに入りますので、それまで待ってもらえたら、野菜を拾ってくれたお礼に、くじを半額にできるんですけど。あっ、もうすぐ入れ替えする予定のくじしか無理ですが……って、これじゃ、在庫の押しつけですかね……」
安曇さんは言っているうちに申し訳なくなってきたのか、苦笑いを深めていく。
「くじ、まだラストワン賞が残ってましたよね」
「え……あ、はい、残ってます」
こくこく頷いた安曇さんに、俺も頷き返した。
「じゃあ、待ってます」
「はい。すぐに行きますので」
安曇さんは笑顔で言うと、小走りでコンビニ横の自宅に入っていった。俺はそれを見届けてから、コンビニ入った。
漫画雑誌を軽く立ち読みして、ペットボトルやお弁当だとかを眺めていると、レジの奥から店員が出てきた。制服に着替えて、髪をいつものように結った安曇さんだ。
安曇さんは俺を見つけると、にこりと笑んで小さく頷く。俺を呼ぶための他愛ない仕草だったのだろうが、やばい。笑顔、やばかった。
少しぼうっとしながら引いたくじは、知らないキャラクターのストラップになった。ニャンコ根付けシリーズと題されているから、ストラップではなく根付けと呼んだほうが正しいのだろうか。とにかく、香箱を組んだ三毛猫の根付けが当たった。
「このニャンコ根付けシリーズ、わたしも当たったんですよ。わたしのニャンコは丸くなって寝ているんです。携帯に付けてるんですけど、仕事中は携帯禁止だから、いまはお見せできないのが残念です」
安曇さんは俺に根付けを手渡しながら、嬉しそうにそう話してくれた。
「じゃあ、俺もこれ、スマホに付けようかな」
「はい、そうしてやってください」
安曇さんは、まるで自分が褒められたみたいに頬笑んでくれた。それでまた頭がふわふわと幽体離脱するみたいに浮かれまくって、気がついたら、べつに買うつもりのなかったものまで買ってしまっていた。
「ありがとうございましたぁ」
安曇さんの声に見送られて店の外に出たところで我に返ったけれど、べつに損したとは思わなかった。むしろ今日は得しかしなくて怖いくらいだった。
安曇さんとお揃いのニャンコ根付けが当たったことも嬉しいけれど、ここしばらく顔を見ることもできないでいた安曇さんと、まさか話すことまでできた奇跡こそが大当たりだった。
こんな奇跡を体験したいまなら、何でもできそうな気がしてくる。
「うん、頑張ろう――頑張って仲直りしよう」
俺は快晴の空を見上げて、琴子お嬢と仲直りする決意を新たにしたのだった。
結論だけ端的に述べると、琴子お嬢には取り付く島もなかった。
『最強チーム決定戦』の第一回予選が始まってもなお、俺とお嬢の関係は何一つ修復されないままだった。
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