何かが変わった日
第10話 雷の夜
高校2年の夏休みはあっという間だった。
週に2回、実樹と約束して勉強した時間は、あたしと実樹の間でしか流れない空気をいつも満喫でき、とても幸せで何物にも代えがたい時間だった。
実樹の部屋でちょっとしたアクシデントはあったけど、次に会ったときの実樹はそんな気恥ずかしさは欠片も見せなくて、あたしもすぐにいつもどおりに接することができるようになった。
けど、辛い思いもいっぱいした。
夏休みの始まりには一花ちゃんのこと”彼女”って呼んでた実樹が、後半には”一花”って呼ぶようになってた。
実樹の会話の端々から、あたしに会う以上の時間を一花ちゃんとの時間に割いてることが伝わってきた。
夏休みの間に、二人の仲が深くなったことを痛切に感じさせられた。
でも、あたしのその辛さは駿汰が和らげてくれた。
駿汰を実樹の身代わりみたいに扱うのは申し訳ない気がしてあたしからは誘えなかったけど、駿汰からは時々映画や買い物に誘われた。
いつでも、どこに行っても、飄々とした態度であたしを楽しませてくれる駿汰に救われた。
駿汰と過ごす時間を重ねていくことで、少しずつ足枷が軽くなっていくんじゃないかって思えた。
――――――
「結局、駿汰と付き合い始めたってこと?」
新学期が始まった最初の昼休みに、里佳子に唐突に聞かれた。
「んー。どうだろ。そうなのかな」
「夏休みにデートしてたって目撃情報がけっこうあがっててさ。噂になってるよ、あんた達」
「ふーん」
否定も肯定もできない。
「私も駿汰はいいヤツだって思うけどさぁ。晶、意外と男子に人気あるんだよ?…今まで実樹や駿汰があんたをガードしてたから気づかなかったかもしれないけど。フツメンの駿汰でいいの?」
「逆にフツメンじゃダメなわけ?」
「…まー、晶が実樹と並んでるのに見慣れてるから、駿汰とのツーショットに違和感あるだけかもしんないけどさ。
とうとうあんたも”おさコン”を脱したわけね」
「なに?おさコンって」
「”幼馴染みコンプレックス”だよ。ブラコンみたいな。私が晶のために作った言葉」
里佳子はそう言って笑った。
あたしの実樹への想いは恋愛感情じゃない、ただの錯覚だっていうこと?
”おさコン”だったら、他の誰かを好きになれば自然と実樹を卒業できるの?
それだったらあたしはどんなに楽だろう――
「駿汰といるとさ、楽なんだよね」
親友の里佳子には本音が言える。実樹への想いを除いては。
「実樹といるとさ… 実樹のカノジョに悪いなとか、実樹を好きなコにヤキモチやかれるかなとか、周りの目にけっこう気を遣うんだよ。
駿汰といても、二人で楽しそうにしていても、誰の目も気にしなくていいし、誰にも咎められないから」
「…晶、そんな理由で駿汰と一緒にいるの?」
それだけが理由じゃない。けど、あたしの中ではそれはすごく大事な理由なんだ。
実樹と一緒にいると幸せだけれど、常にあの足枷の存在を忘れることができない。
実樹の胸に飛び込みたくても、実樹の気持ち、一花ちゃんの気持ち、駿汰の気持ちが足枷の鎖になっていて切ることはできない。
それに、今までの実樹の彼女とか実樹を好きだったコとか、あたしが実樹のことずっと好きだったって聞いたら”何を今さら”って思うよね――
でも、駿汰のことを好きになれれば、もうそういうこと考えなくていいんだ。
実樹との関係も、足枷だなんて思わなくて済むようになるはずなんだ。
駿汰のこと、好きになれれば…
「あたし、嫌な奴だよね…。駿汰のこと利用してるみたいで」
駿汰のことを好きになれる前提で考えてるけど、こんなに実樹のこと好きなのにいつかそんな風に思えるの?
もし実樹を諦められないままだったら…あたし、駿汰にひどいことしてる。
いくら駿汰が何も求めないって言ってくれてても、それはきっと本心じゃないよね――?
「…まー、晶は昔から心の奥にある本当の部分は言わない
周りがどうこうってより、自分の気持ちに正直でいた方がいいよ」
あたしが自分の気持ちに正直になったら、いろんな人を傷つける。
人を傷つけても実樹を得られないのなら、あたしは嘘をつきとおしたままでいるよ。
心配してくれてありがとう。そしてアドバイスを無駄にしてごめんね。里佳子…
――――――
9月も後半になった。
日差しはまだ強いけれど少しずつ秋らしい風が吹くようになってきて、時おり降る雨が季節の変わり目を感じさせる。
けど、あたし達の関係は変わらない。あたしの気持ちも変わらない。
一花ちゃんといつも一緒にいる実樹を見て苦しんで、一花ちゃんの人懐こい笑顔に笑顔で返して、駿汰とは楽しく話をしながら登下校をしている。
今日も部活の帰りに駿汰と引寺川の橋を渡っているときだった。
「やべ!雨降ってきたんじゃね?」
突然駿汰が空を見上げて言った。
「え!?ほんと!? 傘持ってないよ~!どうしよ」
通り雨のようで、大粒の雨がいきなり勢いよく降ってきた。
「とりあえず、あそこの公園に避難しよう」
駿汰は右手で鞄を頭の上に乗せ、左手であたしの腕をつかんで走り出した。
秋分の日を過ぎて、この時間はもう暗くなっている。
雨に気を取られながら走って転んだりしないようにあたしの腕を抱えてくれてるんだ。
ドキドキはしないけど、駿汰のそんな優しさはあたしの心にいつも浸みてくる。
橋を渡った道沿いに小さな公園があって、小さな屋根のついたベンチが置かれている。
あたし達はとりあえずそこに座って雨が通り過ぎるのを待つことにした。
「まいったなー。なかなか止まねえな」
「あたし、お母さんに連絡しとく。遅くなるから駿汰もこのまま家に帰ったら?」
「こんな暗くなってるのに、お前一人で帰すわけにいかねーだろ」
「暗いったってまだ7時過ぎだよ?街灯もあるし平気だよ」
ゴロゴロゴロ…と雷が鳴りだした。
「え…やだ。雷…」
あたしは雷が本気で怖い。稲妻を見たり落ちたときの轟音を聞くと恐怖で動けなくなる。
外にいるときに雷に逢うなんて…
「大丈夫か?お前震えてるぞ?」
駿汰はいつもの口調ではなく、本気で心配してくれてる。
「怖い…怖いの。ちょっとくっついてていい?」
「大丈夫だから、くっついてろよ」
あたしは体半分ほど空いていた駿汰とのスペースを詰めて、駿汰と密着するくらい隣に座った。
しばらくすると、稲妻が光り、まもなくドォォーン!!と轟音が響いた。
「きゃぁっ…」
思わず耳をふさいで目を閉じる。
震えるあたしの頭の上に、軽くて柔らかいものがふわりと覆いかぶさってきた。
駿汰のパーカーだった。
「できるだけ、見えないように、聞こえないように、な」
駿汰はそう言って、パーカー越しにあたしの肩を抱いて、あたしの頭を自分の胸に押しつけた。
駿汰の左手が、あたしの頭を抱えるようにして左耳を押さえてくれた。
あたしは右耳をふさぐように駿汰の胸に押しつけた。
そのままどれくらい過ごしていただろう――
音が遠ざかり、やがて聞こえなくなるまで、駿汰はずっとそのままでいてくれた。
「…雨もやんだっぽいな」
駿汰の声に恐怖が和らいだ。
「あーもー。ほんと怖かったぁ…」
顔を上げたら、駿汰の顔が間近にあった。
固まるあたし達。
どうしよう――
「…離れたり、押しのけたりしないの?」
至近距離のまま駿汰が言った。
「え…」
「いいの?このまま…」
駿汰の顔がさらに近づいた。
いいと思った。
駿汰なら、いい。
あたしはそのままの体勢で目を伏せた。
ほんの数秒、駿汰はそのまま固まっていた。
それから、ため息をついて体を離しながら顔をそむけた。
――なんで?キスしないの?
「ダメだ…」駿汰がつぶやいた。
「俺、ここでしたら、絶対この先晶をもっと求めるようになる。
今のままでいいなんて思えなくなる。
晶も俺も苦しくなる…」
駿汰の言葉が切なかった。
切なくて、切なすぎて、腹が立ってきた。
「なんで…やめちゃうの!?」
腹が立って泣けてきた。
「どうして自分を押し殺すの!?
どうしてあたしを引っぱって、ここから抜け出させてくれないの!?」
駿汰があたしの気持ちなんて考えずにキスしていたら、
あたしを無理やりにでも足枷から引き抜いてくれたら、
あたし達何か変われたかもしれないのに…!!
駿汰は黙っていた。
あたしは頭にかぶっていたパーカーを脱いで無言で駿汰に手渡すと、何も言わずに公園を走り出た。
駿汰は追いかけてこなかった。
本当はわかってる。私のエゴだ。
駿汰に引き返せなくなるようなところまで行かせて、もしあたしが変われなかったら?
自分自身で変える勇気がないくせに、駿汰に甘えている自分が許せない。
駿汰に優しくしてもらう資格なんてあたしにはないんだ――
雨上がりの暗い安楽坂を、あたしは泣きながら、倒れそうなくらい息を上げながら駆け上がっていった。
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