第16話 抱きしめたくてたまらない


 季節はいつの間にか冬になった。


 数年前にできた新興住宅地の家々に飾られたイルミネーションが、引寺川沿いにまぶしく輝いている。

 あたしは今日も部活帰りに、たくさんの星のようにきらめくイルミネーションを見ながら駿汰と歩いている。


「昨日、実樹の見舞いに行ってきたよ」

「そう…。元気そうだった?」

「ああ。経過は順調みたいだ。

 リハビリが辛いけど早く退院できるように頑張ってるって言ってた」

「そっか。実樹、頑張ってるんだね」


 淡々と答えるあたしに、駿汰が少しイラついたように言った。

「晶。なんで実樹の見舞いに行かねーの?」

「……」


 実樹の事故から1か月が経った。

 あれからあたしは実樹に会っていない。

 正確には、事故の前日に”幼馴染みじゃなきゃよかった”って言われて以来、実樹とは顔を合わせていない。


「…一花ちゃん、毎日お見舞いに行ってるんでしょ?」

「ああ。昨日も病室にいたよ。美術部に休部届け出してあるみたいだな。

 自分のせいで実樹が事故ったって責任感じてるみたいだ」

「一花ちゃんがいるなら、あたしの出る幕じゃないよ」


 できるだけ平然と言ったつもりだった。

 なんとも思ってないってフリをしたかった。


 けど、駿汰がそれを許さなかった。


「実樹に会いに行かないなんて晶らしくねーよ!

 どうしたんだよ!?一体」


 駿汰は立ち止まって、あたしの肩をつかんだ。

 顔をそむけたあたしの両頬を手のひらではさんで、ぐいっと自分の方を向かせた。

 駿汰の顔はすごく怒っていたけど、手のひらは温かかった。


「…実樹は…もう、あたしを必要としてないの」


 駿汰の手のひらとあたしの頬の間に、流れた涙が入り込んでいく。

「なんだよ、それ…。

 実樹になんか言われたのか?」

「幼馴染みじゃなきゃよかった…って…」


 駿汰は驚いた顔をした。


「それって…」


 何かを言いかけて、駿汰はため息をついて、それからあたしの頬の涙を手でぬぐってくれた。


「実樹もお前の顔見たら安心するだろ。

 森川がいて行きづらいんなら、今度俺と一緒に行こう」

「……」


 実樹のそばに一花ちゃんがいるところを見たくない。

 一花ちゃんは時々学校で会うと、あたしに実樹の様子を教えてくれる。

 けど、あたしはそんな一花ちゃんの顔をまともに見ることができない。

 いつも一花ちゃんへの嫉妬を抑えることに必死なんだ。

 実樹に鎖を切られるまで感じたことのない感情の支配に苦しんでいる。


 あたしは駿汰の誘いに応えられずに黙っていた。


「晶…。今、お前を抱きしめていいか?

 …てか、抱きしめたくてたまらない」


 突然、駿汰がそう言ったかと思うと、腕が伸びてきてあたしをぐっと抱き寄せた。


 駿汰の制服の肩に、あたしの濡れた頬が当たって涙が吸い込まれていく。

「…返事してないのに」

「ごめん。待てなかった」

「あたし、駿汰に抱きしめてもらう資格なんてないよ」

「そんな資格とかねえよ。俺が抱きしめたかったんだ」


 駿汰の腕がぎゅっと締まる。


「実樹がお前を放したなら、俺が抱きしめて涙を止めてやりたかったんだ」

 駿汰はさらにぎゅうっと腕に力を入れて、あたしの頭にキスをした。


 そして、ゆっくりとあたしを解放した。


「実樹がお前を放したら――なのに。

 フライングした」


 苦笑いして駿汰が言った。


「えっ…?」

「実樹は、お前を放したりなんてしてない。鎖を切っただけだ。

 とにかくお前は実樹に会いに行けよ」

「駿汰、それどういう…?」

「俺から言えるのはそれだけだよ。あとは実樹から直接聞けよ」


 駿汰は少しいびつな笑顔をして、あたしの少し前を歩き出した。

 あたしはすぐ後ろを歩きながら、駿汰の言葉の意味を考えている。


 実樹は鎖を切っただけで、あたしを放してはいない…?

 でも、実樹はあたしとの鎖を切って一花ちゃんを繋ぎ止めに行った。

 実樹には会いたいけど、実樹の本心がわからないまま会うのが怖い。


 結局あたしはお見舞いに行く勇気がもてないままだった。


 あたしがウジウジ悩んでいる間に、冬の空気はどんどん鋭く研ぎ澄まされていく。


 終業式の朝。

 男子テニス部部長の牧田君と女子テニス部部長の奈央があたしの教室に来た。


「今日は部活早めに終わるからさ、みんなで実樹のお見舞い行こうよ」

「え…。あたしも?」

「部長・副部長が部の代表で行くってことにしたんだよ」と牧田君が言う。

「みんなで実樹君に寄せ書きしたじゃん?あれを渡しに行かなくちゃだからさ」と奈央。

「入院中の男子副部長本人の代理で俺も行くし」横から話に入ってきた駿汰がニッと微笑む。

 ―きっと駿汰があたしを連れて行こうとしてるんだ―


 断ろうと思ったけど、誘われたことで実樹に会いたい気持ちがみるみる大きくなっていく。

 4人で行けば、実樹もいつもどおりの態度でいてくれるかな。

 一花ちゃんのこともあまり気にしないですむかもしれない。


「ん。わかった」

 とあたしは3人に返事をした。



 部活は3時に終わった。

 南門に集合して、高校の最寄り駅から2駅離れたとこにある市民病院に向かう。


 途中、駿汰が私に、

「森川に、今日はテニス部で行くから見舞いの時間ずらしてくれって言っといた」

 と教えてくれた。


 駿汰の気遣いがありがたくて、心が痛んだ。

 こんなに優しい人に、あたしはどうして恋できないんだろう?


 日が傾いてオレンジ色に染まる4階の長い廊下を歩き、実樹の病室の前に来た。

 久しぶりに実樹に会える高揚感と緊張感で心臓が飛び出しそうになる。


 コンコン。駿汰がノックする。


「どうぞー」

 久しぶりに聞く声――


「よぉ、調子はどうだ?」

「実樹君久しぶり〜!」

「頭の包帯取れたんだな!」

 と3人が入っていく後ろを恐る恐るついていく。


「晶…も、来たんだ」

 実樹は一瞬こわばって、一瞬戸惑って、それからほんの少しだけ微笑んだ。

「久しぶり…」

 あたしも、きっと実樹と同じような表情をしていたと思う。


「リハビリは順調?」

「それがさぁ、リハビリの先生が鬼なんだよ!

 若いから頑張れるでしょって、痛いのなんのって」

「みんなからの色紙とお見舞いの品持ってきたよー」

「すげー嬉しい!サンキュー!」

「退院はいつ頃になりそう?」

「多分年明けには…って話だな」

「インハイまでに復帰間に合うかなあ」

「その前に俺、進級できるか超不安だよ」


 3人の楽しそうな会話をあたしは黙って聞いている。

 実樹が思ったより元気そうで本当によかった――。

 あたしに向けられた笑顔じゃなくても、実樹の前歯のこぼれる笑顔を見ることができて、それだけでも来てよかったと思う。


 寄せ書きに書かれたメッセージをみんなで読んで笑ったり、ひとしきりおしゃべりした後で駿汰が突然「喉乾いたなー」と言い出した。

「牧田も奈央も、自販機に何か買いに行こうぜ」

 と半ば無理やりに二人を誘う。

「あ、じゃああたしも…」と言いかけて、駿汰に目で制された。


 わざとらしく駿汰が二人を連れ出し、あたしと実樹だけが病室に残った。


「元気だった…?」

 静かになった病室で、少しの沈黙の後に実樹が尋ねる。

「うん。…実樹も、思ったより元気そうでよかった」


 沈黙が流れる。

 けど、それは嫌な沈黙ではなかった。

 お互いに、二人でいる時の空気感を久しぶりに味わっているのがわかったから。

 あたしの手の届かないところに行ってしまったはずの実樹が、この沈黙の間に少しずつ戻ってきているように感じた。


 やがて、ようやく実樹が口を開いた。

「お前が見舞いに来てくれるの待ってたんだ」

「…ごめん」

「あれだろ?…あんなことお前に言って…。

 言ったところで仕方ないのに」


 "幼馴染みじゃなきゃよかった"

 その言葉を後悔しているの?


「お前を苦しめたんだよな?俺…」

 実樹の言葉ひとつひとつに、あたしの心臓が反応する。

 キュッ、キュッ、と小さく鳴いている。


「お前にはもう駿汰がいるのに…」


 ………え?


「ちょ…なんでそこで駿汰??」

 突然あたしの脳が混乱する。


「え?…いや、だから、幼馴染みじゃなきゃよかった、なんて…」

 あたしのきょとんとした様子に、実樹まで混乱し始めたみたいだ。


「駿汰は関係ないよね?

 あたしが実樹にとって…いらないってことでしょ?」

 その言葉に、実樹がさらにきょとんとなる。


「え⁉︎ ちょっと、なんかお前誤解してる??」

「え⁉︎何が⁉︎」


 お互いに"?"が飛び交う。


「だから、それは誤解だよ!

 俺は――」


 実樹が何か言いかけたときに、コンコンとノックの音がした。


「実樹君」


 ドアが少し開き、顔を覗かせたのは一花ちゃんだった。


「あっ…晶ちゃん」

 小さく叫ぶようにあたしの名前を呼んだ晶ちゃんの顔がこわばったように見えた。


「こんにちは。…テニス部の代表4人でお見舞いに来たの」

 あたしはできるだけ笑顔を取り繕って言った。

「あっ、うん。田澤君から聞いてるし、さっきエレベーターの前でみんなと会ったよ。

 ごめんね、私が来るの早かったかな…」

「ううん。ひとしきりおしゃべりした後だし平気だよ」


 一花ちゃんと話しながらも、さっきの実樹の"誤解"という言葉が頭をぐるぐる回っている。

 何が誤解なんだろう?

 あたしはいらないって言ったのが誤解だというの?


「実樹君、今日のリハビリはどうだった?」

 一花ちゃんが実樹に話しかける。

「ああ、今日も松葉杖の練習したんだけど、うまく体重かけないと結構痛くてさ」


 二人が会話していても、実樹の言葉の続きが気になって仕方がない。

 なんとか聞き出せないかな…。


 そう思っているうちに駿汰達まで病室に戻ってきて、全く聞き出せる雰囲気ではなくなってしまった。


「じゃあそろそろ俺らは帰るか」

 牧田君が鞄を手に持つ。

「じゃね。次は3学期に学校で会えるかな」

「またな」

「おう。サンキューな」


 あたしはまださっきの言葉の続きを聞いてないのに――。


「じゃ、実樹、またね…」

 後ろ髪引かれる思いで挨拶する。

「ああ。…また」

 実樹も仕方ないと諦めたように微笑んだ。


 明日から冬休み。

 一花ちゃんは毎日お見舞いに行くんだろうな。

 どうしてあたしの言ったことが誤解なのか、早く実樹の言葉の続きが聞きたい。

 切れたはずの足枷の重みが今はなんだか恋しくすら思えた。

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