第15話 嫉妬
翌日もあたしは朝練をさぼった。
たとえコートが離れていても、実樹の姿を見るのが辛かった。
実樹があたしにどんな態度を取るのかわからないのが怖かった。
―幼馴染みじゃなきゃよかった―
どうして実樹はあんなことを言ったのだろう?
噂が立って迷惑だったから…?
幼馴染みのあたしのせいで、一花ちゃんを傷つけたから…?
一花ちゃんに会いに行きなよっていうお節介が気に入らなかったから…?
考えてもわからない。
実樹にどう接していいのかわからない。
考えがまとまらないまま、重い足取りで学校へ向かった。
教室に入ってほどなくして、「晶ちゃん」と呼ぶ声がした。
廊下の方を見ると、一花ちゃんが微笑んで手招きしていた。
―その様子だと、実樹が誤解を解いたんだね―
あたしは一花ちゃんに呼ばれるまま廊下に出た。
「ごめんね…。一花ちゃんに迷惑かけて」
あたしが開口一番に謝ると、一花ちゃんは首を振った。
「そんなことないよ。かえって心配かけて、ごめんね」
一花ちゃんは微笑んで言う。
けど、なんとなくいつもの元気がない。
「体育祭の日ね…。ハグしてる実樹君と晶ちゃん見て動揺したんだけど、幼馴染みだからハグくらい当たり前かもって自分に言い聞かせたの。
けど、その日の夜に、陽北の友達がタウン誌の写メを送ってきて…。
実樹君に直接事情を聞けばよかったのに、怖くて聞けなくて…。
昨日も学校に行く勇気が出なくて…。
でも、昨日の夜、実樹君が家の近くの駅まで来て、ちゃんと説明してくれたの」
「そっか…」
一花ちゃんを見ているとチクチクと心が痛む。
実樹はあたしとの鎖は断ち切って、一花ちゃんを繋ぎ止めたんだ。
昨日実樹に、一花ちゃんに会いに行くように言ったことを後悔してしまう。
「実樹が説明したとおりだよ。安心して」
"安心して"だなんて、鎖を切られたあたしが言いたくない。
けど、あたしの後悔を一花ちゃんに隠したくて心にもないことを言う。
「ありがと。…ただ、ちょっと気になることがあって」
一花ちゃんが言いにくそうに下を向いた。
「最近ね、実樹君、なんだかいつもと様子が違うの。
なんて言うか…考え込んでるみたいな、不機嫌そうに見えることが多くなって。
昨日も、誤解だからってちゃんと説明してくれたんだけど、やっぱりなんかいつもと違くて、心ここにあらず、みたいな…。
実樹君、何か悩んでるのかな?
晶ちゃん、何か心当たりない?」
心当たり――
あたしに心当たりがあるとすれば、買い出しの帰りに実樹が言ってたこと。
”考えれば考えるほどわからなくなる”っていう言葉。
「さあ…。最近はそんなに話してないし、買い出しの時も特に何も言ってなかったし」
嘘をついた。
どう言えばいいかわからなかったし、言いたくなかった。
またあたしの心に黒い染みが広がっていく。
実樹に鎖を切られて、あたしはこんなに苦しんでる。
一花ちゃんも少しは苦しんでよ――
「そっか…。ごめんね、変なこと聞いて」
あたしから有益な情報が得られなくて、一花ちゃんは力なさげに微笑んだ。
「あたしこそ、力になれなくてごめんね」
上辺でそう言ってるあたしはなんて性格悪いんだろう。
すがるものがなくなったあたしは、心がギュって縮みきって失くなってしまったみたいだ。
実樹に繋ぎ止めてもらえた一花ちゃんに優しさを向けられない。
―これは”嫉妬”だ―
一花ちゃんが羨ましい。妬ましい。
消そうとしても消えない、自分の中に広がるどす黒い感情。
弱りきったあたしの心の中に、悪魔のように忍び込んできた感情。
その感情に気づいてしまったあたしは、もう一花ちゃんの顔を見れなくなってしまった。
顔を見たら、その感情がもっと大きくなってしまいそうだった。
「もうすぐホームルームだ。またね」
作り笑顔がどれだけ上手くできていたかわからない。
あたしは一花ちゃんに手を振って教室に戻った。
「お前また寝坊したの?」
朝練から戻ってきた駿汰に聞かれた。
「…そう。体育祭で燃え尽きたのかな。なんか最近起きれなくて」
あたしは笑ってごまかした。
実樹に鎖を切られたこと、駿汰にも言えない。
今のぐちゃぐちゃに乱れた汚い心を駿汰の前で晒してしまいそうで怖かった。
「ふぅん。ちゃんと寝て、疲れ取っとけよ」
駿汰は少しいぶかしげな顔をしたけれど、
いつもの優しさであたしを追及することはしなかった。
今日の授業も、あたしは何も身に入らなかった。
実樹はどうして突然鎖を切ったんだろう。
実樹とはこれからどう接したらいいんだろう。
あたしは今度こそ実樹を諦めなきゃいけないんだろうか。
あたしに実樹を諦めることができるだろうか?
諦められなかったら、これからどんな苦しみが待ってるんだろうか――?
答えが一つも出ないまま、学校が終わった。
部室で着替えている間も、ずっと考えていた。
部室を出てテニスコートに行ったら、嫌でも実樹が視界に入る。
でも今のあたしには実樹と視線を合わせる勇気がない。
いっそこのまま部活を休んで帰ってしまおうかな…。
一度羽織ったウインドブレーカーを脱いだ時だった。
あたしの耳に、小さくサイレンの音が聞こえてきた。
サイレンの音は徐々に高く、大きくなってくる。
救急車?
サイレンがひときわ大きく鳴ったと同時に、ぴたりと止んだ。
驚いて部室のドアを開けたと同時に、男子テニス部の部長の牧田君が南門の方から走ってきたのが見えた。
「大変だーーーっ!!
実樹が…車に…!!!」
部室を飛び出す。
心臓がバクバク言っている。
どういうこと?
本当に実樹が…!?
南門の前に救急車が見える。
人だかりができていて、何が起こっているのか全然見えない。
「ちょっと!ごめん!!」
無理矢理人をかき分けて、みんなの視線の先を見た。
「実樹…!!」
ぐったりして倒れている実樹を、救急隊員が担架に乗せようとしていた。
実樹は目をつぶっている。
「1、2、3!」で担架に乗せられた瞬間、実樹が苦痛で顔を歪ませた。
「嶋田実樹の担任です!」後ろから実樹のクラスの鈴木先生が分け入ってきた。
救急隊員と少し言葉を交わし、実樹の担架と一緒に先生が救急車に乗り込む。
慌ただしく救急車のドアが閉まり、救急隊員が乗り込むやいなや、サイレンが大きく鳴り出す。
人だかりが少し後ろに下がると、救急車はサイレンを鳴らしながら走り去っていった。
「やべーな。嶋田、意識なさそうだった」
「飛び出したって?」
「その前に、森川が飛び出したって言う話だぞ」
「やだ…!あそこの道路に血がついてる!」
「実樹君かわいそう~!」
その場でざわざわと話し始める生徒達。
あたしは血の気が引いて、何も考えられなかった。
実樹が…事故…
まさか…!?
周りの音が遠のいて、異常に早い心臓の音だけが響く。
体中が冷たいのに、汗が噴き出るような感覚。
ああ…!!
神様…!!
「晶!!」
立ち尽くすあたしに駿汰が駆け寄ってきた。
「駿汰…実樹は…?」
「俺も事故の瞬間は見てないけど、さっき鈴木と救急隊員の話がちょっと聞こえた。
意識は朦朧としてたみたいだけど、命に別状はなさそうだって。足を怪我してるみたいだ」
命は無事なんだ…!!
ほっとした瞬間に力が抜けた。
その場にへたり込んだあたしの肩を、駿汰がしゃがんで抱き寄せた。
涙があとからあとから出てくる。
「大丈夫だ。実樹は大丈夫」
小さな子どもに言い聞かせるように、駿汰が優しく繰り返す。
何度もうなずきながらふと顔を上げた先に、一花ちゃんが、見えた。
青ざめた顔で警察官から質問を受けている。
涙を流し呆然としている一花ちゃんの横で、車の運転手らしき男性がいろいろ説明をしている。
さっき、誰かが、一花ちゃんが先に飛び出したって言ってた…。
どういうこと――?
「送るよ。とりあえず晶は家へ帰れ。
何か情報あったら連絡するし、マンションに帰れば実樹の親から何か聞くことができるかもだろ?」
「うん…」
あたしはよろよろと立ち上がった。
実樹に会いたい…!
この目で無事を確かめたい…!
あたしはただそれだけで、それしか考えられなくて――
泣きじゃくりながら家路についた。
そんなあたしを駿汰は黙って家まで送ってくれた。
駿汰が家の玄関まで送り届けてくれて、泣きじゃくるあたしを見て驚いた母に事情を説明してくれた。
母がみっくんママの携帯にメールを送り、落ち着いたら連絡ほしいと伝えてくれた。
母が駿汰にお礼を言い、駿汰は部活に戻った。
夜になって、みっくんママから母あてに電話が来た。
「晶が直接話を聞いてきなさい」って言われて、あたしは同じマンションの2つ上の階にある実樹の家まで行った。
チャイムを鳴らすとみっくんママが出てきた。
みっくんママの落ち着いた様子から、実樹がそこまでひどい状態でないことが感じられた。
みっくんママの話では、
実樹が、一花ちゃんと少し言い合いになったこと。
一花ちゃんを追いかけて車道を飛び出したところに車が来てぶつかったこと。
軽い脳震とうはあったけど、脳に異常はみられないし、今は意識もはっきりしていること。
大腿骨を骨折していて、明日手術予定だということ。
2ヶ月ほどは入院することになりそうだということだった。
状況がだいぶ見えてきて安心すると同時に、不安や心配も出てくる。
2ヶ月も入院するなんて、勉強は大丈夫かな。
運動もしばらくできないだろうし、部活にはいつ復帰できるんだろう?
そして、何より気になったのは、どうして一花ちゃんと言い合いになったのかということだった。
「あーちゃんにまで心配かけてごめんね。
今度時間あるときに実樹のお見舞いに来てくれたらあの子も喜ぶわ」
「うん…。忙しいところ、教えてくれてありがとう。お休みなさい」
実樹に会いたい。
けど、実樹に拒絶されたら、と思うとお見舞いに行く勇気がない。
会いたい。
会いたい。
会いたい。
でも会うのが怖い。
相反する二つの気持ちで、あたしの心は引き裂かれそうだった。
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