断ち切られた鎖

第14話 幼馴染みじゃなきゃよかった

 体育祭の日は抜けるような青空だった。


 各学年の奇数クラスが白軍、偶数クラスが赤軍に分かれて各競技で点数を競い合う。

 今年はあたし達白軍が優勢だったのに、午後の競技で赤軍が巻き返し、大接戦で盛り上がった。


 実樹が競技に出るたびに、あちこちから黄色い声援が飛ぶ。

 他にも声援が出る男子はいるけれど、実樹のときは明らかに多いんだ。

 祝日だから、他の高校の子なんかも見に来てて、中学時代の同級生や後輩の子もキャーキャー言っている。


 その光景は毎年のことだから慣れっこだけど、今年は違うことがあった。

 それは競技が終わって実樹が自分のクラス席に戻るとき、2-2のクラス席の前で必ず手を振る光景だった。


 誰に振っているかは見えなくてもわかる。

 あたしはそんな実樹をなるべく見ないように、それでも実樹を目で追ってしまう自分と戦いながら一日を過ごした。


 あたしが唯一葛藤から解放されて楽しめたのが、運動部対抗リレーだった。


 体育祭の恒例イベントで、競技の中でひときわ盛り上がるこのリレーは、各運動部が男女別にユニフォーム姿で勝負する。

 紅白の点数とは関係ない競技だけど、剣道部が防具をつけたまま走って、それがまた意外と早かったりして爆笑を誘ったり、水泳部が水着で走ったり(男子だけだけど)と、お楽しみ競技として人気があるんだ。


 あたし達テニス部は男女とも優勝候補。

 しかも、あたし達女子テニス部はスコート姿で走るから、毎年全校男子生徒からの声援が熱い。


 女子テニス部のライバルは里佳子率いる女子バスケ部で、リレーは最初からこの2チームの熾烈な競争だった。

「今年は負けないからね!」アンカーとしてバトンパスのラインに並ぶ里佳子が話しかけてきた。

「全力で走って今年も勝つ!」同じくアンカーのあたしが宣戦布告を受けて立つ。

 女バスがわずかにリードして里佳子にバトンパスし、すぐにあたしもバトンを受けて全力で走り出した。

 …が、ゴールテープを切ったのは僅差で里佳子の胸だった。

「晶の胸がないのが敗因だ!」とみんなになじられた。


 男子の部はさらに盛り上がるレース展開だった。

 サッカー部、野球部、バスケ部と強豪ぞろいで、抜いたり抜かされたりでハラハラする。

 トラックの中で応援していたあたし達女子テニス部も、声をはりあげて声援を送った。

 2人抜かした駿汰のバトンを受けて、アンカーの実樹が走り出す。

 3メートルくらい前にはサッカー部キャプテンが走っている。

「実樹ぃぃーーー!!いっけーーー!!抜かせぇーーー!!」

 あたしもみんなと一緒に拳を振り上げて声を枯らして応援した。

 ゴール手前でサッカー部が若干失速。余力をためていたとばかりに実樹がのびやかに抜かす。


「やったぁぁーーーー!!!」

 実樹がゴールテープを切った!飛び上がって喜ぶテニス部一同。

 あたしは興奮しすぎて何も考えられず、ゴールしたばかりの実樹のところに駆け寄った。

 膝に手をついて息を切らしていた実樹が、あたしに気づいて前歯を大きく見せて笑う。

 そして、あたしに向かって大きく腕を広げた。

 あたしは迷わず実樹の胸に飛び込んで、抱き合って喜んだ。


 ――――――

 体育祭の代休が明けて登校した日。

 あたしは珍しく寝坊して朝練をさぼった。

 駿汰にはソッコー連絡入れて、先に学校に行ってもらうことにした。

 眠気が抜けないまま教室に入ると、こわばった顔をした里佳子が駆け寄ってきた。


「晶。ヤバイ。ちょっと来て」

 里佳子はあたしをすぐに教室の外へ連れ出して、人気の少ない廊下へ誘った。


「ヤバイよ。あんたと実樹。

 やっぱり付き合ってたんだって話で持ちきりになってる」

「え…?どういうこと?」

「あんた達、体育祭のリレーで抱き合ってたじゃん?実樹目立つからさ、けっこうな女子があれ見てショック受けたみたい。

 しかも、そのタイミングで陽北の子が雑誌持ってきててさ…」


 心臓が止まったかと思うくらい血の気が引いた。


「タウン誌のデート特集で、あんたと実樹がカレカノとしてインタビュー受けてたんだって?」

「あれは…実樹が冗談で受けちゃって」

「ホントかウソかはこの際関係なくなってるんだよ。前カノの山井さんなんかも騙されたって激怒してるらしいし…」

「一花ちゃんは?その雑誌見たって!?」


 山井さんはどうでもいい。何言われても平気。

 けど、一花ちゃんを傷つけたんじゃないかってことが心配で、いてもたってもいられなくなる。


「さあ…。森川さんはまだ今日姿見てないからどうしてるか…」

「ありがと、里佳子。みんな誤解だから。あたし自分でなんとかする!」


 あたしは廊下を走って隣の2組の教室の前まで急いだ。

 教室をのぞくあたしに気づいて、みんなが好奇の眼差しでちらちらと見ている。

「一花ちゃん、来てる?」

 あたしはよく一花ちゃんと一緒にいる子に声をかけた。

「…今日は学校休むって連絡来たけど」

 いつもの印象より少し冷たい感じ。この人もあたしと実樹のこと疑ってるんだ。

「…そっか。ありがとう」


 どうしよう――


 実樹に相談したいけど、こんな噂が立つ中で二人のところを見られたらさらに状況が悪化しそう。

 とりあえず教室に戻ろうとしたとき、朝練を終えた駿汰が廊下を歩いてきた。


 ―ああ。そうだ。

 駿汰も傷つけているかもしれない…―


「駿汰…」

「あ、おっす」いつもどおりの駿汰の挨拶。

「あの…聞いた?噂…」

 なんて言い訳すればいいんだろうって思いながら、一花ちゃんのことをまた思い出す。

 もしさっき一花ちゃんに会えてたら、あたしはなんて言い訳できたんだろう。

 一花ちゃんが学校を休むのは、噂を聞いてショックだから…?


「実樹とお前が付き合ってるって噂だろ?朝練でも持ちきりだったし、実樹も追及されてた」

 また心臓が止まりそうになる。

 実樹が追及されてたんだ――

 みんなになんて言ったんだろう。

「実樹は否定してたよ。雑誌のインタビューは冗談で受けただけで、幼馴染みだからハグくらい昔からやってるって」


 実樹が否定していてほっとした…という気持ちより、落胆した気持ちの方が強かった。

 否定するのは当然だけど、幼馴染みだから恋人には成り得ないって言ってるような気がした。


「駿汰は…?実樹の話で納得した?」

「俺?…まあ、お前らのハグは見た事ねーからあの時はちょっとビビったけど、実樹が言うからそんなもんかって」

 いつもどおり飄々とした口調で颯太は言う。

 そう、実樹とのハグなんて小学校低学年くらいまでの記憶しかない。

 けど、あの時は実樹が広げた腕が自然すぎて、そこはあたしの場所なんだっていう気がした。

 駿汰のこととか、一花ちゃんのこととか、全然頭に浮かばないくらい自然に飛び込んでしまったんだ。


「それに、お前らがもし何かあったら、実樹と晶は絶対俺に話してくれると思ってる。

 友達としてそれは信じてる」

 駿汰は少しまじめな顔をしてあたしをまっすぐに見てそう言い切った。

「うん」とあたしもまっすぐに見返してうなずく。


 それは駿汰に信じてほしい。

 たとえ駿汰の気持ちに応えられないとしても、駿汰を裏切るようなことだけはしたくない。

 駿汰はニッと軽く微笑むと、また飄々とした雰囲気のいつも駿汰に戻って教室に入っていった。


 授業を受けていても、実樹との噂のことで頭がいっぱいだった。

 駿汰は信じてくれてる。

 でも一花ちゃんは…?


 一花ちゃんを心配しているはずのあたしの心に、墨をたらしたような黒い染みが浮き出てくる。


 このまま一花ちゃんが誤解して、実樹とうまくいかなくなったら――?

 実樹と一花ちゃんが別れたら――

 実樹が誰かのカレシじゃなくなったら――…


 でも、その染みは胸の痛みを感じると同時にすぐにかき消される。

 もし実樹が一花ちゃんと別れても、あたしがその場所に取って替われるわけじゃない。

 だって、実樹は幼馴染みなんだからあり得ないっていう言い方で否定をしたんだもの。

 あたしの重い足枷はついたままだ。

 一花ちゃんを傷つけるだけで、実樹が失恋するだけで、あたしが得るものは何にもないんだ…。


 それだったら、一花ちゃんの誤解を解いてあげた方がいいかもしれない。

 こんな形で実樹と別れるようなことがあったら、あたしも罪の意識で余計に苦しくなる。


 やっぱり実樹と話して、一花ちゃんの誤解を解いてあげよう――


 昼休み、LINEで実樹に”部活の後で話がしたいから待ってて”と連絡した。

 実樹からは”了解”とだけ返ってきた。


 部活の後、南門に実樹のシルエットがあった。

 小走りに駆け寄ったけど、実樹にいつもの笑顔はなかった。


「駿汰には先に帰ってもらった」

「そっか」

「悪かったな。俺が悪ノリし過ぎた。タウン誌のことも、ハグのことも」

「あたしは平気だけど…。

 一花ちゃん、今日学校休んだんでしょ?」

「うん。朝連絡来た。体調悪くて休むって」

「やっぱり、今回のこと気にしてだよね?」

「…多分」


 実樹があたし達のマンションへ続く道へつま先を向けた。


「今から一花ちゃんに会いに行ってあげなよ!」

 あたしは門の前に立ち止まったまま言った。


「今から?」

「こういうのは早く誤解を解いてあげなきゃかわいそうだよ。一花ちゃんも、実樹から直接話を聞けること待ってると思う」

「…そっか」


 実樹はためらうように下を向いたまましばらく黙っていた。

 街灯の薄く白っぽい光の中で、実樹の顔がだんだん苦しそうに歪んでいくのが見えた。


「実樹…?」


 実樹はあたしから顔をそらしたまま言った。


「俺…今日初めて、お前が幼馴染みじゃなきゃよかったって思った」


 実樹はあたしに背中を向けて、駅へ向かう反対側の歩道へ走って渡って行った。




 そこから、どうやって家まで帰ってきたか覚えていない。

 ただ、自分の部屋に入った途端、ベッドに倒れ込んであたしは泣いた。


 ―幼馴染みじゃなきゃよかった―


 重い足枷だったけど、あたしが唯一すがることができた実樹との関係。

 それをいつか外すのは自分自身だと思っていた。

 こんな形で実樹から一方的に棄てられるなんて――

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