第17話 安楽坂にて。 ―駿汰の思い―

 俺は今、安楽坂やすらぎざかを上っている。

 すぐ前には、時おり泣きじゃっくりをさせながら歩いている晶がいる。

 ようやく泣き止んだ晶の後ろ姿を眺めながら、俺はこの3年間のことを思い返している。


 ――――――


 晶とは中学2年のときに同じクラスになった。

 小学校は別だったけど同じテニス部だったし、親友の実樹といつも一緒に登下校しているから晶のことは顔と名前くらいは知っていた。

 4月、始業式で新しい教室に入ると晶がいた。

 晶は俺の顔を見ると親しげに近づいてきて笑顔で言った。

「実樹の友達の田澤駿汰くんだよね!あたし廣戸晶。よろしくね!」


 自慢にはならないが、俺はあまり女子とは絡まない。

 男とつるんでる方が楽しいし、愛想はよくないし、実樹みたいにイケメンでもない。

 俺に親しげに声をかけてくる女子も、こんな風に満面の笑みで話しかけてくる女子も初めてで、俺は少々面食らった。


 晶は教室でも何かと話しかけてくるし、部活の帰りにたまたま会うと、実樹と三人で帰ろうと誘ってきたりした。

(家の方角的に、引寺川の橋のたもとまでしか一緒にはならないんだが)


 最初は晶の扱いに戸惑ったけれど、晶は綺麗な顔立ちのわりにとっつきやすくて、何よりさっぱりした性格で俺とも気が合い、友達として普通に接することができるようになるのに時間はかからなかった。


 気の合う友達のはずだった晶に恋心を抱いたのはなぜだろう。


 同じクラスになってしばらく経った頃、実樹に中学で二人目の彼女ができた。

 初めての彼女のときは晶のことよく知らなかったし気にしたことはなかったが、この二人目のときに、晶の様子がいつもと違うことに気づいた。

 俺と実樹と3人でしゃべっていてもどことなく元気なく見えたし、実樹が彼女と帰ったときはとぼとぼと一人歩いていた。

 なんとなく、晶は実樹が好きなんだなって思った。


 元気がなくて可哀想だしと思って俺が冗談を言ってやると、晶は本当によく笑ってくれた。

 そしていつも「ありがとう」と微笑んだ。

 その「ありがとう」がなんだかすごく心地よくて、俺はもっと晶を笑わせてやろうと思うようになった。

 きっとその頃からだ。晶のことを好きになったのは。


 でも俺には最初からわかっていた。晶は実樹が好きだ。

 現時点では100%片想いだが、この先俺の想いが実ることはあるだろうか?


 実樹はどうやら晶のことを幼馴染みとしか見ていないようだ。

 けれども、あいつは晶のことをめちゃめちゃ大切にしている。

 見ようによっては自分の彼女よりも大事そうだ。

 実樹にとっても晶が特別な存在だということは確かだ。


 晶は自分を一番大切にしてくれる実樹を諦めることはできるだろうか?

 あんなにいつも一緒にいて大切にされていたら、それはできないだろうな。

 ってことは俺は永遠に片想いか?


 どう考えても自分の恋が実るとは思えなかった。

 辛くなるだけだから考えないことにした。

 晶の「ありがとう」が聞ければそれでいいやって思うことにした。


 ――――――


 けれど、実樹が森川一花と付き合うようになって俺ら3人の距離が変わってきた。

 晶は実樹が好きなくせに、実樹が森川さんと帰るように自分で仕向けてしょげかえっていた。

 そんな晶をバカだなぁと思った。愛おしく思えた。

 俺が少しでも寂しさを埋められるならって、晶を一人にさせないように一緒に登下校するようになった。


 最初は実樹のいないところで二人で一緒にいることに慣れなかったけど、晶が楽しそうにしてくれるからだんだん二人でいることが心地よくなってきた。

 でも俺は忘れてはいけない。晶は実樹が好きだ。きっとこれからもずっと。

 俺はそれを受け入れながら晶と一緒にいることにしたんだ。


 林間学校のファイヤーストームの後、晶と満天の星を見ていたらとうとう想いを隠すことができなくなった。

 ”実樹を好きなままでいい、ただ晶が好きなんだ”

 それだけは晶に伝えたくなった。

 このときも晶は俺に「ありがとう」をくれた。

 晶が俺の想いを受け止めてくれただけでほっとした。


 このまま俺たちは変わらないと思っていた。

 あの雷の夜までは。


 雷が怖くて俺に寄り添う晶に手が届きそうで、俺はとうとう自分の中で引いた一線を越えようとした。

 晶も拒否はしなかった。

 なのに、やっぱり俺は考えてしまった。


 ”晶は実樹が好きなんだぞ?”

 ”晶から実樹を引き離すことが俺にできるのか?”

 ”やっぱり実樹が好きだって言われたら俺は引き下がれるのか?”


 結局俺はその線を越えられなかった。

 晶には”なぜ抜け出させてくれないのか”となじられた。

 結局俺は自分が傷つくのが怖かったんだ。


 晶を手に入れたくなったら、俺は自分がもっと傷つくことを覚悟しなければならない。

 そして、手に入れられる可能性は限りなく低い。

 それがわかっていて今の状態から抜け出すことができるのか。

 俺は最後までこの葛藤から抜け出すことができなかった。


 葛藤しているのは俺だけではないようだった。

 実樹から「晶をよろしく頼む」と言われたときに俺は感じた。

 実樹も葛藤している。晶の存在を”幼馴染み”のままで良しとするのかどうか。

 そして晶も葛藤している。自分から前へ進むかどうか。


 ”幼馴染みじゃなきゃよかった”

 さっき晶から、実樹がこの言葉を漏らしたと聞いたとき俺は悟った。

 実樹は葛藤から抜け出したんだ、と。

 元々実樹にとっても晶は特別な存在だった。

 それは幼馴染みという関係を抜きにしても変わらないはずだ。

 それに実樹が気づいたのだと。

 葛藤から抜け出せなかった俺の負けだと思った。


 やっぱり晶を手に入れることはできないんだな――

 前に進めなかった俺は所詮ヘタレだ。

 ヘタレだが、せめて晶が葛藤から抜け出せるように背中を押してやろう。


 俺はそう思って、晶を抱きしめて、頭にキスをして、”さよなら”をした。

 俺の葛藤への”さよなら”だった。

 晶を好きな気持ちはすぐにはなくならないだろう。

 けれども、俺も迷うのはもうやめる。

 晶から「ありがとう」がもらえれば、俺はそれでいい。


 ――――――

 安楽坂を上り終えたときには、晶の泣きじゃっくりもだいぶおさまっていた。


「駿汰…。今日もありがとう」

 泣き腫らした目で微笑む晶を見て、”俺はこれでいいんだ”ともう一度心に言い聞かせた。







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