星に願いを

第18話 病室にて。 ―実樹の思い―

 大切なひとがいる。


 恋人のように想いが冷めることはない。

 友達よりももっと深い絆がある。

 きょうだいのようでいて、でもやっぱり少し違う。


 晶との関係を一番正確に表すのは、やっぱり”幼馴染み”という言葉しかないと思う。


 ――――――


 俺たちは生まれたときから同じマンションに住んでいる。

 2歳のときに近所の公園で偶然会い、同じマンションに住んでいるということがわかった母親たちはよく俺らを連れて一緒に遊ぶようになった。

 いつも二人でいることが当たり前で、幼稚園も、小学校も、中学校も一緒に通った。

 高校受験のとき、俺は担任から私立の有名進学校への受験を勧められた。

 けれども、彼女や親友の駿汰と同じ高校に行きたくて、県立高校を選んだ。


 晶は俺にとって本当に特別な存在だ。

 けれどもカノジョとはちょっと違う。


 俺だって年頃の男子だし、カノジョとあれやこれやしたい。

 けど何故か自分から好きになれるような女の子には出会わなかった。

 付き合ったら好きになるかもって思って何人かの子と付き合ってみたけど、やっぱりなんか違う。

 挙句の果てに晶を邪魔物扱いして、とやかく言う子がほとんどだった。

 俺と晶の関係を理解してもらえる子じゃないと付き合えないって思った。


 そして、そんな子がやっと現れた。


 森川一花。

 一年の頃から、体育祭で「がんばってください」と声をかけてくれたり、バレンタインデーにチョコレートをくれたりしていた。

 でも、そういう子はほかにもいたし、感じの良い子だな、くらいにしか思っていなかった。

 その子が俺に告白してきた。

 今まで失敗してきたから、今度は友達として知ることから始めることにした。

 親しくなるうちに、彼女の性格の良さを知り、今度こそ大丈夫だと思えるようになった。


 遊園地のパレードを見に、晶や俊太と4人で行ったときのことだ。

 俺は彼女に”付き合おう”と言うことにした。


 それまで俺は幼馴染みである晶の存在に甘えていた。

 これまでの嬉しいことや楽しいこと、辛いこと、悲しかったことはいつも晶と共有してきた。

 晶がいれば俺は安心できた。

 でも、いつまでも幼馴染みだからと晶を縛りつけていていいんだろうか?

 俺が晶を放さないから、あいつにカレシができないんじゃないか?

 それは俺にとっても晶にとっても良いことだとは思えない。

 晶ではない他の誰かを特別に思うことができたら、俺も晶も俺たちの関係だけに縛られることはなくなるんじゃないか。

 そんなことを漠然と考えていた時に、一花が現れたのだった。


 一花はきっと俺にとって特別な存在になる。

 俺が幼馴染みとして縛りつけていた晶を解放する時がきたんだ。

 そんな思いから、俺は晶との”けじめ”のつもりで、幼い頃に二人で見たパレードをもう一度二人で見ることにした。


 パレードが終わって駿汰や一花と合流したとき、俺が晶と二人でパレードを見ていたことに彼女は嫉妬を見せなかった。

 むしろ、俺がファイヤーストームの研究のためにちゃんとパレードを見ることができたかを心配してくれていた。

 ―彼女ならきっと大切にできる―

 遊園地から帰った夜、一花に電話をした。


「この間の告白の返事、今してもいい?」

「えっ…!う、うん。お願いします…」

 電話越しからも緊張する様子が伝わった。

「俺と、付き合ってください」

「…え、…ほんとに、いいの!?…ありがとう…ありがとう」

 彼女の声が震えていた。


「うん。よろしく。…ただ、初めに言っておきたいことがあるんだ」

「なあに?」

「俺、森川さんのことを大切にするって約束する。

 けれど、俺にとって別の意味で大切なひとがいるんだ」


「それって…晶ちゃんのことだよね?」

「うん。晶はガキの頃からずっと一緒にいる、親友のような、きょうだいのような奴なんだ。

 今までの彼女は、俺と晶のそういう関係を理解してくれなくて、結局ケンカ別れのようになった。

 だから、森川さんともそのことでケンカ別れしないように今から伝えておきたいんだ。

 晶のことは大切だけど、森川さんのこともそれ以上に大切にする。

 だから、俺を信じて、晶とのこと誤解しないでほしいんだ」

「うん…。わかった。実樹君を信じるよ。

 私にはそういう特別な存在の人いないから、二人の関係はうらやましいな」


 こうして俺たちは付き合い始めた。


 一花はいつも俺のこと好きだっていう気持ちを全身から出してくれて、それでいて晶とのこともちゃんとわかってくれて、俺はどんどん彼女に魅かれていった。


 小柄で、女の子らしい雰囲気で、守ってやりたくなる。

 晶はわりと美人だけど、サバサバとして男らしいとこがあるから大違いだ。

 小学校低学年くらいまでは俺が晶に守ってもらっていたくらいだし…。


 俺が一花と電車通学するようになってから、いつも一緒に登下校していた晶の隣が俺から駿汰に代わった。

 寂しい気持ちはあったけど、妹にカレシができたらこんな感じなのかな、くらいに思っていた。

 駿汰は何も言わないけれど、晶のことを好きなんだろうっていうのは親友の俺にはわかっていた。

 駿汰は本当にいいヤツだ。

 晶のカレシが駿汰になるなら、幼馴染みとしてそれは許せるって思えた。


 それに俺には一花がいる。

 とにかく、一花のことをどんどん好きになっていく自分に、心のどこかで安心していた。

 晶以外に大切な女なんてできないんじゃないかっていう不安が薄れていった。



 そう。あの日までは――――



 雷の日に、俺の中で何かが変わった。


 ガキの頃のように泣きじゃくる晶を見て、俺はどうしていいかわからなかった。

 抱きしめてやりたかったけど、それは俺の役割じゃない。

 見守ることしかできない自分がもどかしかった。


「俺、駿汰に晶のこと頼むって言っとくよ。

 幼馴染みとして、お前が幸せになるようにいつでも見守ってる」


 俺が晶に示せる精一杯の優しさだと思った。


 けれど、晶は苦痛だと言わんばかりにくしゃくしゃに顔を歪めた。

 晶に初めて拒絶されたと思った。


 翌日、駿汰にも「お前に心配される筋合いはない」と言われた。

 確かに、駿汰と晶の問題に俺が口を出すべきではないと思った。

 さらに駿汰はこんなことも言った。


「もういい加減、晶を幼馴染みっていう鎖で縛るのはやめてやれよ」


 ショックだった。

 一花と付き合って、晶を”幼馴染みの鎖”から解放したつもりだった。

 けれどそれは俺の独りよがりで、俺はやっぱり晶を放していなかったのか――?


 晶が泣いていても、俺は手を差し伸べるべきではないのか…?

 けれど、あいつの涙を見るたびに、俺はいてもたってもいられなくなる。

 俺がどうにかしてやりたいと思わずにはいられない。

 ”幼馴染みだから”という理由に頼らなければ、こんなにもどかしい気持ちは説明できなかった。


 俺のもやもやした気持ちは、一花にも伝わっていたみたいだった。

「何か悩み事でもあるの?」

 一花はとても心配してくれているようだった。

 一花には言えない。心配させてはいけない。


 けれども、考えなしに心のままにとった俺の行動が、結果的に一花を傷つけた。


 タウン誌の取材。

 部活対抗リレーでのハグ。


 晶に対しての俺の気持ちや行動が、”幼馴染みだから”という理由では片づけられないことに気がついた。


 晶が幼馴染みじゃなかったら――

 晶を幼馴染みとして見なければ――

 俺にとって晶はどんな存在なんだろう?


 考えれば考えるほどわからなくなる迷宮から俺が一歩踏み出そうとした時、

 晶が俺を止めた。


「今から一花ちゃんに会いに行ってあげなよ!」


 幼馴染みとして、至極もっともな忠告だった。

 俺が繋ぎ止めるべきは晶ではない。一花だ。

 それはわかっている。

 わかっているけれど、俺は晶との鎖を一度断ち切ってみたかったんだ。


 でも、晶はそれを許してはくれなかった。


「俺…今日初めて、お前が幼馴染みじゃなきゃよかったって思った」


 断ち切れなかった鎖の重みの苦しさから、そんな言葉で晶を傷つけた。


 晶に言われたとおり、一花の家の最寄り駅に向かった。

 駅近くのカフェから一花を呼び出すと、赤く泣き腫らした目をした一花がやってきた。


 このまでこれ以上傷つけるわけにはいかない。


 俺は自分の軽率な行動を話し、傷つけたことを謝った。

 彼女は「実樹君を信じるよ」と赤い目を細めて微笑んでくれた。


 これで大丈夫だ。

 俺さえ”幼馴染み”をやめなければ、俺たちは今までどおりにやっていける。

 晶とも、一花とも、駿汰とも、関係を壊さずに過ごしていける。

 俺たちにとって、それが最良の選択だと思った。


 ――――――


 けれども、次の日。

 朝、一花といつも待ち合わせている電車が俺の最寄り駅のホームに着いたときだった。


「おはよう。

 今日は一本早い電車に乗れちゃったから、先に学校に行ってるね」


 俺の携帯に一花から届いたメッセージ。


 こんなこと言うの珍しいなと思いながら、俺はいつもの電車に乗った。


 学校にいる間に、一花から再びメッセージが届いた。


「今日はやっぱり早く帰るね。

 実樹君は部活がんばってね」


 一花はいつも美術室で絵を描きながら、俺の帰りに合わせて待っていてくれる。

 今日俺を避けているのは、やっぱりまだ誤解が解けていないからか…?


 駿汰に今日は部活を休むと伝えて、俺は南門で一花を待った。

 制服姿で待つ俺に気づいて、一花は戸惑うような顔をした。

「どうして…?一人で帰るって伝えたのに」

「昨日の今日でそんなこと言うの、どう考えたっておかしいだろ?

 一花がまだ誤解しているようなら、ちゃんと説明したいから」


 俺がそう言うと、一花の顔がこわばった。


「誤解…なのかな。ほんとに」

「えっ…どういうこと?」

「私、昨日は実樹君を信じようって思った。

 わざわざ私に説明しに来てくれたのが嬉しかったし…。

 友達から送られてきたタウン誌の写メも削除してしまおうと思ったの。

 ――でも、消そうと思って改めて写メを見て気づいてしまったの。

 晶ちゃんと写ってる実樹君、私といるときより自然で優しい笑顔だった。

 誰が見ても恋人同士にしか見えないくらい、二人とも幸せそうだった…」


 一花の目が涙で潤む。


「それでね。最近、実樹君がいろいろ考え込んで悩んでいることに思い当たったの。

 もしかして、私が実樹君を苦しめてる原因なんじゃないかって」


「そんなこと…。一花が原因なんてことあるわけない」


「…私も、自分が原因なんて思いたくない。

 だから今日は実樹君に会いたくなかった。

 私に一日会わないことで、私を恋しいって思ってほしかったの」


 一花がそう言ったとき、南門の正面にある横断歩道の青信号が点滅した。

 一花は泣きながら走って横断歩道を渡った。


「一花!待てって…」


 今俺が一人になったら、また迷宮に入り込んでしまう。

 このままでいいんだって俺に思わせてほしい――


 俺はそんな自分勝手な理由で一花を追いかけようとした。



 そして、事故に遭った。


 事故に遭った日は朦朧とした意識の中で応急処置やいろいろな検査があったみたいだ。

 翌日、俺は大腿骨骨折の手術をした。

 手術の翌日、一花が初めて見舞いに来た。


「ごめんなさい…。本当にごめんなさい。私のせいで…」


 涙を流しながら謝る一花を見て、逆に申し訳ないと思った。


「飛び出したのは俺が悪いんだから、気にしなくていいよ。

 それにごめん。俺が思っていた以上に、俺は一花を傷つけてたんだな」


 けれども俺は今から一花をもっと傷つけることを言わなければならない。

 昨日の晩、ずっと俺が考えて出した結論を。


「…俺、自分で自分の気持ちがわからなくなったんだ。

 こんな状態で一花と付き合っていたら、この先もっと一花を悲しませるし、傷つける。

 だから――

 俺と別れてほしい」


 一花は大きく目を見開いて絶句した。

 それから、大粒の涙をぽろぽろとこぼして、声にならない嗚咽をもらした。


「それ…

 私が、実樹君をこんな事故に遭わせたから…?

 それとも…

 やっぱり晶ちゃんが、好きだから…?」


「どっちでもないよ。

 俺、自分が今、一花のことをどう考えればいいのか、俺自身がどう行動すべきなのかわからなくなってる。

 一度ニュートラルに戻したいんだ。

 一人になって冷静に考えて、それでもやっぱり一花のことが好きだって思えたら、改めて一花に告白させてほしい。

 でも、絶対そうできるって約束はできない。

 だから、一度別れてほしいんだ」


 傷つけてるってわかっていて言うのは辛い。

 けれど、このままなんとなく続けていくのは駄目な気がした。


「そしたら実樹君、晶ちゃんのとこに行っちゃう…」


 嗚咽の中で一花がそんな言葉を漏らした。


「そんなことはないよ…

 晶にはもう駿汰がいるし、俺らはただの”幼馴染み”なんだから」


 自分で言った言葉に傷ついた。

 けれども晶にとって俺は幼馴染み以外の何者でもない。

 その関係を壊せば、俺は晶という存在そのものを失うことになる。


 だから決めたんだ。


 俺は晶とずっと幼馴染みのままでいる。

 その気持ちが揺るぎないものになるまでは、一花とも他の女とも中途半端に付き合って傷つけるべきではないって。


 しばらく漏れていた一花の嗚咽の間隔が開いてきた。

 真っ赤になった目で一花が俺を見て言う。

「私…入学してすぐのときから、ずっと実樹君のこと好きだった。

 晶ちゃんに相談して、実樹君とお友達になれてからも嫌われないように努力して、やっと実樹君の彼女になれたの。

 実樹君と付き合って、もっともっと実樹君のことを好きになった。

 だから急に言われても諦められないよ…。

 お願いだから、諦められるくらいまで、私に頑張らせてください」


「頑張るって…?」


「実樹君が事故に遭ったのは私にも責任がある。

 だから、実樹君が入院している間は、毎日お見舞いに来させてください。

 私、実樹君が私のことやっぱり好きだって思ってもらえるように頑張る。

 いっぱい頑張るから…

 頑張って、それでも実樹君の気持ちが変わらなかったら――

 その時は、実樹君の話を受け入れます」


 一花は泣きながらもきっぱりと言った。

 確かに、俺の話は一方的すぎると思う。


「…俺のこと、そこまで思ってくれてありがとう。

 ただ、今の俺は一花の気持ちに応える自信がない。

 それでも俺のために頑張ってくれるの…?」


「実樹君のためじゃない…っていうのもおかしいけど」

 一花は泣きながら苦笑いする。

「私のためなの。私が頑張りたいの。

 頑張らなきゃ諦められないから…。

 わがまま言ってごめんなさい」


「一花はわがままなんかじゃない。

 俺がわがままなんだ。

 ほんとに、ごめん…」


 ――――――


 次の日から、一花は本当に毎日見舞いに来てくれた。

 俺の前では涙を一度も見せず、いつものようにニコニコしている。

 きっと家では泣いているんだろうと思う。

 それを思うと本当に申し訳ないと思った。


 晶は一ヶ月以上、一度も見舞いに来なかった。

 こんなに晶の顔を見ないことはなかったと思う。

 胸が苦しくなったけど、これは晶と幼馴染みとしての関係を続けていくための試練だと思うことにした。


 終業式の日に、晶はテニス部の代表としてようやく俺の見舞いに来た。

 久しぶりに見る晶の顔に俺は懐かしさを覚えてほっとした。

 やっぱり晶の存在を失くしたくはないと心から思った。


 けれど、あの日俺が言った"幼馴染みじゃなきゃよかった"という言葉を晶が誤解していることを知った。

 晶は、俺があいつを要らないって言ったと勘違いしたようだった。


 そんなわけがない。

 もしそうなら、俺が迷宮で苦しむはずがない。

 俺はやっぱり一花の気持ちに応えられず、未だに迷宮の中にいる。


 冬休みに入って間もない今日、リハビリを兼ねてエレベーター前まで松葉杖で一花を送った。

 そのついでに、俺は携帯OKのエリアで電源を入れてメールチェックをした。

 すると、晶から、今日の午後見舞いに行くと連絡が入っていた。


 きっと晶はこないだの誤解を解きにくるはずだ。

 俺はちゃんと言わなきゃいけない。

 ちゃんと笑顔で晶に言えるだろうか。


 ”俺には晶が必要だ。

 だから幼馴染みでいるよ。

 これからも、ずっと”


 って。


 晶を失くさないために―――。

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