第19話 幼馴染みのままでいい

 冬休みに入ってから、あたしはずっとそわそわしている。


 2週間ほどしかない短い休みのわりに、予定がつまっている。

 学校の宿泊施設での泊まり込みの合宿。

 家族でのお正月旅行。

 予備校での冬期講習。

 それに学校の課題もやらなくちゃ。


 実樹のお見舞いに行くとしたら今日しかない――


 一花ちゃんに会うかもしれないという心配はある。

 実樹の”誤解だ”っていう言葉を聞いてからは一花ちゃんへの嫉妬心も薄れた気がするけれど、

 一花ちゃんのいる前で実樹と込み入った話はできないし、二人が仲良くしているのを見るのはやっぱり辛い。


 けれども、一刻も早く実樹の言葉の続きが聞きたい。

 あたしが誤解していたとしたら、実樹の本心はどうなんだろう?

 ”幼馴染みじゃなきゃよかった”

 実樹の言った言葉の本当の意味を知れたら、あたしは安心できるのかな…


 家にいるとぐるぐると同じことばかり考えてしまう。

 あたしは意を決して実樹のお見舞いに行くことにした。


 昼下がりの病院はこないだテニス部で来たときよりも無機質な空間に思えた。

 冬の日差しが反射して明るすぎるほど白い壁の廊下を緊張しながら歩く。


 ドアの前で一つ深呼吸する。


 コンコン。


「はーい」


 あれ?この声―――


 ドアを開けると、みっくんママがいた。


「あらぁ!あーちゃん来てくれたの!?」

 みっくんママが嬉しそうに立ち上がる。

「こんにちは。冬休み、今日くらいしか来れそうになくて」

 実樹を見ると、母親がいるせいか少し照れくさそうにしている。

「よぉ」と、いつもよりぶっきらぼうな挨拶。

 みっくんママの前ではいつも少しぶっきらぼうな態度をとる実樹だけど、実はけっこう仲良しな親子なのをあたしは知っている。


「そんな忙しいときに、わざわざ来てくれてありがとうねー。

 あっ、お見舞いでいただいたお菓子あるから、あーちゃん食べて!」

「あ、ありがとう」

「あーちゃんのおうち、今度のお正月も旅行に行くんでしょう?

 いいわねぇ。うちなんてパパの実家が田舎の旧家だから、親戚中がお正月に集まるのよ。

 私も新年会の手伝いに出なきゃだから、実樹にはお正月明けまで病院にいてもらうことになってね」

 いつものようにみっくんママがペラペラとおしゃべりする。


「母さん少し黙れよ。晶は母さんとおしゃべりしに来たんじゃねーよ

 見舞いだろ?」

 実樹が呆れたように言う。

「だって、あーちゃんと会うの久しぶりだもの。いいでしょ、お母さんがお話ししたって」

 みっくんママが少しすねる。

 確かに今日はあたし、実樹と話すために来たんですけどね…と思い、私も苦笑いしてしまう。


「今日は…一花ちゃんはもう来たの?」

「ああ。午前中に」

 ちょっとほっとした。


「一花ちゃんねぇ。毎日お見舞いに来てくれるのよ。

 ちょっとしたケンカくらい、恋人同士だったら誰でもあるのにねぇ。

 飛び出した実樹が不注意だったんだから、そんなに責任感じなくてもいいのに」


 みっくんママの”恋人同士”っていう言葉に心がチクンと痛む。

 と同時に、”誤解”に気を取られて忘れていたことを思い出す。


「ねえ、どうして一花ちゃんとケンカになったの?」


 あたしが実樹に聞くと、実樹は黙って目を伏せた。

 言いたくないって顔をした実樹に代わってみっくんママが口を開く。

「それがね、私が聞いても教えてくれないのよ。

 たいしたことじゃないって言うだけで。

 実際一花ちゃんと仲良くしてるところを見ると、たいしたことじゃなかったんだろうけど」


 また傷ついた。

 一花ちゃんは毎日病院に来て、実樹と仲良くしているんだ。

 みっくんママの何気ない一言一言に反応してしまう自分が情けない。


 下を向いて愛想笑いするあたしの気まずそうな雰囲気を実樹が察してくれた。

「母さん、お菓子だけ出してもしょうがないだろ。

 晶にコーヒーかなんか買ってきてやってよ」

「あ、それもそうね。あーちゃん、ちょっと待っててね」

「ついでに売店で俺にハードグミ買ってきて」

「また!?実樹、あんた運動してないのに太るわよ!」

「女じゃねーんだからそんな簡単に肉つかねーよ」


 時間稼ぎに売店まで行ってもらうことが見え見えで、あたしは二人の会話に思わず笑ってしまった。

 みっくんママは「実樹とゆっくり話でもしていてね」と言い残して病室を出た。


 こないだと同じように、しばらく二人で穏やかな沈黙にひたる。

 換気のために少しだけ開いた窓から入り込む冷たい風が白いカーテンを揺らす。

 そのパタパタという微かな音が耳に心地よい。


 こうしている時間が愛おしい。

 けど、今日は”誤解”をほどきにきたんだ。

 みっくんママが戻るまでに話さなきゃ。


「実樹…。今日は、こないだの話の続きをしにきたの」

「うん」

「あの、誤解…って、どういうこと?」

「…お前は、俺が”お前のこといらない”って言ったって思ったの?」

「うん…。幼馴染みなんていらない。あたしなんていらない。って言われたと思った」

「そっか…」


 実樹は少し考え込んでいるようだった。


「あの日さ」

 実樹は言葉を探しながら話を始めた。


「タウン誌の記事のことと、ハグのことと、色んなヤツから”ホントはどうなんだよ?”みたいに詮索されてさ。

 俺の人生の中で、いちばん”幼馴染み”って言葉を使って説明してたんだよ。

 ”幼馴染みだからつい冗談で取材受けた””幼馴染みだからハグくらいするよ”って…。


 でもなんか、言ってるうちに、なんで俺こんなに”幼馴染み”を言い訳にしなきゃいけないんだろうって思えてきて…」


 あたしは黙って聞いている。


「それでさ、”幼馴染みだから”って言い訳しなかったらどうなんだろうって考えた」


 胸の鼓動が早まる。

 実樹にとって絶対的存在だったあたしたちの関係を抜きにして考えたら――?


「タウン誌の取材でお前とカレカノって間違われたときはさ、素直に嬉しかったんだよね。

 だからつい悪ノリして、そのまま嘘をつき通してみたくなった。

 取材した人も全然疑わなくて”ほんとに仲良しなのね”なんて言われて、調子に乗ってた。

 お前に言われて、もしかしたら一花や学校のヤツがその記事見るかも…って思ったけど、”幼馴染み”が言い訳になると思って深く考えなかった」


 ”幼馴染みだから”カレカノのフリをしたわけじゃないってこと…?


「ハグのときも――。

 俺が最後抜かして優勝して、みんな喜んでたけど、晶が満面の笑みで駆け寄ってきて…。

 その笑顔見たら、抱きしめたくてたまらなくなったんだ。

 俺が晶を喜ばせたんだから、その笑顔は俺のもんだって思った」


 ”幼馴染みだから”ハグしてくれたわけじゃない――


「実樹…。それって…」


 体中が心臓になったみたいにドキンドキンといっている。

 涙がこみあげてくる。

 実樹のその先の気持ち、教えてもらえるの――――?


「”幼馴染み”っていう言い訳は、実は俺にはいらないんじゃないかって思った。

 ……

 けど――」


 …けど?


「あの日の帰り、お前は一花の誤解を解きに行けって俺に言った。

 …確かに、俺の軽はずみな行動で一花を傷つけたのはわかってる。

 そうすべきだっていうのも納得できる。


 けど、晶は俺に”幼馴染み”として忠告してくれたんだと思った。

 俺が一瞬棄ててもいいと思った関係を、お前は俺に突きつけた。

 それで俺は…”幼馴染みじゃなきゃよかった”って思ったんだ」


 どういうこと…?


 それって――――

 実樹が誤解してる……!!




 あまりのショックで声が出ない。

 実樹はさらに続けた。


「晶からしたら俺は”幼馴染み”だし、親身になって忠告してくれたんだよな。

 それに、お前にはもう駿太がいるし。

 今さら俺が”幼馴染み”をやめたいなんて言っても、お前や駿太を困らせるだけだよな」


「ちが…っ…!そうじゃない…!!」


 あたしは声をふりしぼった。


 のに――


 あたしの声は聞こえていないかのように、実樹が言葉をかぶせた。


「だから大丈夫だ。

 ”幼馴染み”のままでいいよ。

 これからも、ずっと」


 実樹がかすかに微笑んだのを見て、あたしの想いは堰を切った。


「そーじゃない!!!

 どうしてわかってくれないの!?

 あたしが、こんなに…!!

 こんなに!

 ずっと!

 棄ててしまいたいと思っていたのに…!!!」


 コツコツコツと急ぐ靴音。

 ドアがガラッと開く。


「ちょっと!あーちゃんどうしたの!?

 廊下まで大声聞こえてるわよ!?」


 缶コーヒーとハードグミを持ったみっくんママが慌てて部屋に入ってきた。


「え!?なに!?あんた達ケンカしたの!?」


「――――ごめん。帰る」


 あたしはぼろぼろとこぼれる涙を拭くこともせず、バッグを持って病室を飛び出した。

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