第20話 言葉よ、星と共に心に積もれ

 雲ひとつない冬の青空に、真っ黄色のボールが高く浮かぶ。

 最も高く、一瞬ボールが静止した瞬間に振りかぶっていたラケットで思い切り打ち抜く。


 パコーーン


 突き抜けるような気持ちのいい感触とともに、ボールはネットの向こうへ流れ星のようにまっすぐ消えていく。


「ナイスサーブ!」

 後輩たちの掛け声が冷たく澄んだ空気の中で響き渡る。


「晶、今日調子いいじゃん。ファーストサーブめっちゃ入ってる」

 後ろで順番を待つ奈央が声をかけてくれる。

「サンキュ」

 あたしは短くそう言うと、再びラケットを肩越しに振りかぶり、左手に持ったボールを空に返すようにまっすぐ投げ上げる。



 今日からテニス部の合宿が始まった。

 学校の宿泊施設を借りて、1泊2日で練習をする。

 コートでの練習やゲームだけでなく、ランニングや筋トレなんかの基礎練もみっちり入っていてけっこう厳しい。

 でも今は体を使って練習に打ち込むことが気持ちいい。


 あたしは心に決めたんだ。

 もう迷わない。


 額ににじんだ汗をリストバンドでぬぐって、どこまでも澄んだ青空を見上げた。


 たとえ自分が傷ついても、

 誰かを傷つけても、

 あたしはもう迷わない――


 ――――――


 青雲寮と呼ばれる宿泊施設の食堂は、普段は学食として生徒たちの憩いの場になっている。

 今日の夕食は、そこでの一番人気であるチキンカレーだった。

 夏休み以来の合宿とあって、顧問の先生も部員に混じって和気あいあいと談笑している。


 牧田君や後輩の男子達と盛り上がっている駿汰に声をかけた。


「駿汰。…ちょっといい?」

「ん?どーした?」

「後でさ、話があるんだ。

 消灯前に青雲寮の外にちょっと出られる?」

「…ん。わかった」


 駿汰はいつものようにニッと軽く微笑んだ。

 いつもと変わらない駿汰を見て、あたしの心は痛くなる。


 でももう決めたんだ。迷わないって――


 ――――――


 入浴をすませ、パジャマ替わりのスウェットの上にフリースのジャンパーを羽織って外に出た。

 青雲寮と体育館の間の中庭で、ベンチウォーマーを羽織った駿汰は上を向いて立っていた。


「ごめん…。待たせちゃった?寒かったでしょ」

「おお。けど、見てみ。星がよく見える」


 駿汰と同じように、上を見上げる。

 冷たく澄んだ冬の夜空にチラチラと優しく星たちがまたたいている。

 林間学校で駿汰と見上げたきらめくような星空には及ばないけれど、

 それでもあたしはあの時のことを、駿汰の言葉を思い出さずにはいられなかった。


「…泣かなくて大丈夫だよ」


 上を向いていたあたしに、駿汰が優しく言う。


「あ…あたし、いつの間に…」


 慌てて涙をふく。

 だめだ。ちゃんと言わなきゃ。


「駿汰。あたし…。あたしね…」


「わかってるって。実樹のとこへ行くんだろ?」


「……どうして…」


「そりゃあ、わかるよ。…てか、わかってた」

 駿汰はいつもどおりニッと微笑んで言った。


「実樹がさ…。晶に”幼馴染みじゃなきゃよかった”って言ったんだろ?

 実樹がその鎖を切ったらどうなるかくらい、俺はわかってた。

 だから、俺はあの時お前を抱きしめて”さよなら”したんだ」


「そう…だったんだ――」


 駿汰に多くを語るつもりはなかった。

 けど、この夜空のように広がる駿汰の心の大きさに、あたしは最後まで甘えてしまった。


「でもね…。実樹は結局鎖を切らないことを選んだの。

 これからもずっと、あたしと幼馴染みでいるよって…。

 あたしが実樹と幼馴染みでいることを望んでいるって思ってるみたい。

 だから――あたしからちゃんと鎖を切るって、足枷を外すって決めたんだ。

 実樹にまた足枷をはめられるかもしれないけど、あたしは何度でも外すって。

 たとえ実樹を失って、自分が傷つくことになっても」


「そうか」

 駿汰は白い息を吐きながら、何度も軽くうなずいていた。


「お前が傷ついたら、いつでも俺がいるよ。

 …って言いたいところだけど、それは言わないことにする。

 晶、後ろを向くなよ。

 傷ついても、前を向け」


 あたしをまっすぐに見つめる駿汰の目はとても優しかった。


「俺は実樹の親友だからわかる。

 あいつも今揺れている。

 晶が真剣にぶつかっていけば、実樹にきっと思いは通じるから」


「駿汰…」


 冷たくなった頬に涙が流れる。

 涙ってこんなに温かいんだって感じる。

 あたしは結局、駿汰の気持ちに応えられなかった。

 大きくて優しい胸に飛び込めなかった。

 けれど、「ごめんなさい」なんて言葉は駿汰にあまりにも失礼だ。


「ほんとに、ほんとに、ありがとう」


 あたしの気持ちが駿汰にまっすぐ届くように、

 この星たちと一緒に駿汰の心に降り積もるように、

 できるだけゆっくりと、そしてはっきりと言った。


「ん」

 駿汰はまたニッと微笑んだ。

 青雲寮の窓から漏れる光が、駿汰の目元で微かに反射していた。


「実樹、退院してもしばらくは登下校で歩けないだろうな…。

 俺はもうお前を送り迎えしないけど、お前は一人で大丈夫か?」

「うん。大丈夫。一人でも歩けるよ」

「そうか」


 駿汰を振り回したあたしのことをそこまで気遣ってくれるんだ。

 でも、あたしにはもう覚悟ができている。

 安楽坂やすらぎざかを一人で上る覚悟も。


「まあでも、あれだ。

 送り迎えはしねーけど、友達はやめないでくれよな」

「当たり前だよ!…むしろ、友達やめないでいてくれるの?」

「当たり前だろ?」

 駿汰とあたしはニッと微笑み合った。

 そして、どちらからともなく、また星空を見上げた。


 夏の日の星降る夜、あたしは駿汰に”変わらなくていい”って言葉をもらった。

 冬の星座が静かにまたたく夜、あたしは駿汰に”傷ついても前を向け”って言葉をもらった。


 正反対の言葉だけれど、どっちも星と一緒にあたしの心に降ってきた言葉だった。

 静かに。優しく。ゆっくりと――


 傷ついても、もう迷わない。


 冬の夜空を眺めながら、あたしはもう一度強く心に誓った。

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