最終話 今夜降り注ぐ星に願いを

 1月4日。


 今日は実樹が退院する日だ。

 みっくんママから母が聞いた話では、お昼前に退院手続きをとって、午後には帰宅しているらしい。


 あたしは自分の部屋の勉強机で、スマホを見つめている。


 ―傷ついても、傷つけても、もう迷わない―


 心に誓った言葉を、もう一度ゆっくりと心の中で繰り返す。


 ”傷ついても、前を向け”


 駿汰からもらった言葉も思い出す。


 あたしはゆっくりと1回深呼吸をして、スマホの画面をタップした。


 トゥルルルル…  トゥルルルル…  トゥルルルル…


「はい」


 大好きな人の声がした。


「退院…したんだよね?おめでとう」

「うん…。サンキュ」

「もう家にいるの?」

「ああ。さっき帰ってきた。

 久しぶり過ぎて、なんか浦島太郎になった気分だよ」

「そっか。松葉杖は?うまく使えてる?」

「うん、まあ。家の中は狭いし、ちょっと病院と勝手が違うけど、すぐ慣れるんじゃね?」

「そっか…」


 ―傷ついても、もう迷わない―


「あのね、実樹。今晩、マンションの屋上に来れる?」

「屋上?…ああ。大丈夫だけど」

「話があるんだ。8時に、屋上で待ってる」

「…わかった」


 それだけ話して、あたしは電話を切った。


 ―傷ついても、もう迷わない―


 あたしは心の中で何度も繰り返す。



 ――――――


「すいません。屋上の鍵を借りたいんですけど」

 管理人室に行くと、もうすでに鍵を借りて持って行った人がいると言われた。


 花火大会でもない限り、屋上を夜に使う人なんてめったにいない。

 実樹かな…?

 他の人がいたらどうしよう…?


 今日はどうしても、星空の下で実樹と話したかった。

 星を見ながらなら、実樹にちゃんと想いを伝えられるような気がした。

 エレベーターに乗り、最上階のボタンを押す。


 15階で降り、屋上へ続く外階段のドアのハンドルを握る。

 確かに鍵はかかっていなくて、キィッと少しきしんだ音を出してドアが開いた。

 外階段からは眼下に家々の明かりが星のようにまたたいているのが見える。

 あの少し暗い辺りが、実樹といつも歩いた安楽坂やすらぎざか

 星空のような夜景を分かつあの黒いラインが引寺川ひきじがわ

 踊り場を過ぎると屋上が見える。


 階段を上がりきった。


 あれ?

 誰もいない――?


 と思った瞬間、

 屋上のコンクリートの床に松葉杖を投げ出し、仰向けで寝転ぶ実樹を見つけた。


「ちょっと…実樹?」

 まさか倒れているんじゃ…


 慌てて近寄ると、実樹の目はちゃんと開いていて、夜空をまっすぐに見つめていた。


「今日、しぶんぎ座流星群が見えるんだって」

 実樹が口を開いた。


「しぶんぎ座…?」

「うん。ニュースでやってた。

 三大流星群のひとつだって」


 あたしは実樹の隣にしゃがんだまま夜空を見上げた。

 丘の上に建つマンションの周りには明るい照明がないせいか、星がはっきり見える。


「さっきから見てるけど、もう3個流れ星を見つけた」

「へえ…」


 服や髪が汚れるけど、もういいやって気分になって、

 あたしは実樹の横に仰向けで寝転んだ。

 屋上のコンクリ床は氷のように冷たくて、あたしの鼓動が早くなるのを鎮めてくれた。


 あたしが流れ星を見つけたら、願い事をかけよう。


 ”この関係を終わらせられますように”


 そして、実樹に思いを伝えよう――


「こうして寝転がって夜空を見てると、星が降ってくるみたいだ」

「ほんとだね…」

 あの夏の日の星空を、そしてこないだ駿汰と見た星空を思い出す。

 今日は実樹の心に、星と一緒にあたしの気持ちを届けたい。


「あ!」


 一瞬、視界の隅で星がまたたきながら流れてスッと消えた。


「こっちも!」

 実樹が指をさすけれど、あたしが視線をうつした時にはもう消えていた。


「同じ流れ星を見るのって案外難しいな」

 実樹があたしの方を見て微笑む。

 大きめの前歯がこぼれるように笑う、実樹の笑い方で。


「でも、今日は俺、お前と同じ流れ星を見たい。

 お前と一緒にかけたい願い事があるんだ」


 実樹の続きの言葉が怖くなった。


 また、足枷を外せなくするような言葉がくるんじゃないかって――


「実樹。あたしね…」

 言いかけたあたしの言葉に実樹がかぶせた。



「幼馴染みという関係を終わらせられますように――って」





 心臓が止まりそうだった。


 その後で息苦しいくらいに心臓が激しく動き始める。


 涙があふれて星空が霞む――



 両手で顔を覆って泣いているあたしのおでこを実樹がなでて、前髪を優しくかきあげる。


「俺、決めたんだ。

 もう、幼馴染みっていう鎖にすがらない。

 晶…。俺と一緒に、流れ星に願ってくれるか?」


 両手で顔を覆いながら、あたしはうなずいた。


「泣いてたら流れ星が見えねーぞ」

 実樹はそっとあたしの右手を取って、そのまま手をつないだ。

 あたしは空いた左手で涙をふいて、流れ星を見逃さないようにじっと夜空を見つめた。


 涙でぼやけていた星たちの輪郭がはっきりしてくる。

 それとともに、あたしの実樹への想いが洪水のようにあふれ出す。


「実樹が好き――」


 ずっとずっと伝えたかった、あたしの想い。


 空をまっすぐ見つめながら、実樹がフッと笑った。


「お前、それフライングだぞ?

 俺は二人で流れ星に願ってから言おうと思ってたのに」


「…だって。ずっと言いたくて、抑えられなかった」


 手をつないで、仰向けのまま二人でじっと上を見上げる。


「俺ってつくづく左脳人間だったのな」

「へっ?どうしたの、いきなり」

「自分の考えることや行動に、いちいち理由をつけないと動けなかったんだなって思ってさ」

「理由…」

「うん。”幼馴染みだから”っていう理由」

「……」

「こないだお前が泣きながら病室を飛び出したときさ…。

 俺、もし足が折れてなかったら絶対お前を追いかけてた。

 それができなくて、悔しくて、俺も泣いた。

 なんか、理由なんてどうでもいいんだって思った。

 もうあれこれ考えるのやめた!って思ったらさ――

 俺は晶が好きなんだっていう気持ちしか残らなかった」


「実樹…。うれし…」

「あっ!今見た!?」

「えっ!あたし、実樹の方見ちゃってた…」

「なんだよー。ちゃんと願いをかけようぜ。

 俺はまだお前に言いたいことを取ってあるんだから」

「うん…」


 コンクリートで背中は冷やされているのに、体じゅうが熱い。

 涙を精一杯おさえて、あたしはじっと空を見上げる。



 ―幼馴染みという関係を終わらせられますように―



「あっ!!」


 二人同時に声を上げた。

 北斗七星の横を小さな光がまたたきながら消えた。


「見えたね…」

「ああ。見えた」


 実樹はつないだ手をぎゅっと強く握りしめた。


「今、終わったんだな。

 俺たちの幼馴染みの関係が」

「うん」


「長かったけど、楽しかったよ。

 …そして最後は辛かった」

「あたしは…けっこう前から辛かったよ」

「そうだったんだ」

「うん」


 あたし達は寝転がったまま夜空を見上げ続けた。


 視界には夜空いっぱいに広がる星しか見えない。

 大きく白く輝く星。小さくほのかに光る星。

 時折、儚く流れて消えていく星。

 それらすべての星が、私たちに向かって降り注いでくるように見えた。


「俺、晶が好きだよ」


 実樹があたしの方を見て微笑んだ。


「あたしも。実樹が好き」


 あたしも微笑み返す。

 そしてあたし達は手をつないだまま再び空を見る。


「…好きだ」

「好き」


「好きだ」

「好き」


「好きだよ」

「うん。あたしも好き」


 今まで言えなかった分、今まで悩んで苦しんだ分、

 あたし達は何度も何度もその言葉を繰り返した。


 あたしの心に。

 実樹の心に。

 星と一緒にお互いの「好き」っていう気持ちが言葉になって降ってくる。


 あたしの心はこれ以上ないってくらい実樹への想いでいっぱいなのに、

 さらにその上に実樹からの"好き"が積もってくる。


 息苦しいくらい、体じゅうが"好き"でいっぱいになる―――


「晶が好きだ」

「実樹が好き」


「好き…いててて!」

「えっ!?ちょ、大丈夫?」


 寝転がっていた実樹が上半身を起こしたのだった。

 足が痛そうで、心配になってあたしも体を起こした。


…っ」


 小さく声を漏らしながら、実樹は左へ体をひねり、あたしの方を向いた。


「俺、今すげー幸せ」


「あたしも…」


 "幸せ"と言おうとした唇が実樹の唇で塞がれた。


 今度は言葉の代わりに何度もキスを交わす。


 幼馴染みだった時には触れたことのなかった実樹のやわらかな唇に、

 今あたしは触れている。


 心臓がドキドキしすぎて、繰り返すキスが息苦しくて、

 体じゅうから”好き”があふれ出て、抑えていた涙が堰を切ったように流れ出す。


 夜空から降る星に願いをかけて、

 あたし達は足枷の関係を終わらせた。


 この涙がかわいたら、後でもう一度二人で流れ星に願いをかけよう。


 ――これからのあたし達の関係が、ずっとずっと続きますように――



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