星の降る夜、私たちはこの関係を終わらせる。

侘助ヒマリ

外せない足枷

第1話 大嫌いな言葉

 大嫌いな言葉がある。


 何百回、何千回も聞かされてきた言葉。

 私を15年間同じ場所に縛り続けてきた言葉。

 その言葉が、今日も私に”そこに居ろ”と重い足枷となってまとわりつく。


 ――――

「廣戸さん、いる?」

 教室でお弁当を食べていたあたしは、顔だけ見知っている隣のクラスの女子に声をかけられた。


 ―ああ、またいつもの話か―


「私に何か用?」

「うん、ちょっと…聞きたいことがあって」


 席を立つあたしに、親友の里佳子がからかうように言う。

あきらも毎日ってくらい大変だねぇ。恋のキューピッド役させられて」

「ほんと、あたしに相談したって何も協力できないんだけどね」

 苦笑いして、あたしは廊下で待つ女子のところへ向かった。


 新緑の匂いを含んだ風が吹き込む廊下の窓際で向かい合う。

「えっと…、何さん、だっけ?」

「森川です」

 ふんわりと肩まで伸びたくせっ毛。

 ほとんどスッピンなのに目元がぱっちりした、愛嬌のある可愛らしい人。


「森川さんも、実樹みきのこと、何か相談したいの?」

「……」

「あ、ごめんね。単刀直入で。もう、こういうのしょっちゅうでさ」

「だよね。知ってる」

 森川さんはそんなことわかってる、みたいな笑顔だ。


「実樹‎に今カノジョいるのは知ってるよね?」

「それはもちろん知ってるよ。

 むしろ知らない人はいないくらいだよね」

 ―それならあたしに何を期待するの?―


 森川さんは続けた。

「廣戸さんにお願いがあるの。

 実樹君と今カノの山井さんが別れたら、私にすぐに教えてもらえないかな?」

「…え?」

「実樹君これでカノジョ4人目でしょ?高校入学以来。

 きっとまたそんなに長く続かないよね?

 別れたら私にもチャンスあるかもだから、すぐに教えてほしいの。

 今まで何回も告白のチャンス逃しちゃってて…」

「教えることくらいはできるけど、あたしそれ以上のことは何もできないよ?

 森川さんみたいに相談してくる人ほかにも何人もいてさ。

 誰に加勢するってわけにもいかないし…」


 この手の話のときには、私はいつもそう断っている。

 けれども皆あたしに相談をするのをやめないんだ。

 理由はただ一つ――


「そうだよね。わかってる。

 でも、廣戸さんに相談するのがやっぱり一番手っ取り早いと思って。

 だって、廣戸さん…」


 ―来る。あの言葉。―


「実樹君の幼馴染みなんだもん」


 心臓がキュッて小さく鳴いた。


「…そのわりに役に立たなくてごめんね」

 いつもみたいに、あたしは笑顔で謝る。


「ううん。実樹君のいろいろ教えてもらえるだけで助かるから。

 これからもよろしくね」

 森川さんは可愛らしい笑顔をあたしに向けると、小さく手を振って教室に戻っていった。


「やっぱりまた実樹のことだったの?」

 ニヤニヤしながら里佳子が聞いてくる。

「まあね。ほんと、あたしが誰かに協力したことなんてないのに、なんでみんな言ってくるんだろ」

 固い椅子の背もたれに上半身の体重を預けて、あたしは憮然として言った。

「でも結果的にさぁ、晶に相談したコたちの誰かが実樹と付き合ったりするから、相談すると付き合えるかもって思うのかもよ?」

「…それは実樹が来る者拒まずのせいなんだけどねぇ」


 ほんとに実樹にはほとほと困ってる。

 どうせ付き合うなら、本気で好きになった女のコと付き合ってよ。

 そうしたらあたしも、もっと楽になれるかもしれないのに――


 ―――――

 今日も部活が終わった。

 着替え終わって部室を出る。

 さっきまで3年の先輩達が猛練習してたテニスコートは薄暗くなった風景の中に沈んで、ネットの白さだけがぼわんと浮かび上がっている。


 テニスコートの横を通っていつものように南門に向かうと、人の影が見えた。

 誰なのかはすぐわかる。

 シルエットだけであたしの鼓動を早くするのは、彼だけだから――


「山井さん待ってるの?」

 門の脇にたたずむ実樹にあたしは声をかけた。

「違う。お前を待ってたの」


 あたしを見て実樹が微笑む。

 少し大きめの前歯がこぼれる。

 形の整いすぎた涼やかな目元が少したれて細くなる。

 ああ。実樹の笑い方だ――


「ヤバイよ!用があるなら家に帰ってからにしてよ。

 こんなとこ見られたら、また山井さんになんて言われるか…」

 周囲をキョロキョロ見渡すあたしに、実樹がクスッと笑った。

「大丈夫だよ。あいつとは今日別れた」

「はぁ!?」


 ちょっとほっとする。

 けど、がっかりもする。

 今回も長くは続かなったんだ。

 実樹の隣を歩く女が再びあたしだけになる嬉しさ。

 でも、その場所はきっとまたすぐ誰かに奪われるっていう悲観的予測。

 予測が現実になったときの軽い絶望。

 あたしはこのアップダウンを何回繰り返せばダメージを受けなくなるんだろう?


「今回短すぎない?なんでそんなにすぐ別れるの?」

 あたしは口をとがらせて、筋違いの理由で実樹を責める。

「だってあいつ性格悪かっただろ?

 俺、晶がそんなにヤキモチ焼かれてるの、知らなかった」

 街灯の明かりがついた引寺川ひきじがわの橋を二人で渡る。

「あたしがヤキモチ焼かれてるって…誰かになんか聞いたの?」

駿汰しゅんたが教えてくれた。晶が山井に何度も呼び出されて、俺に近づくな、みたいなこと言われてたって」

「そう…」

 また駿汰が助けてくれたんだ。

 駿汰は中学からの同級生で、実樹とは親友の間柄の人。

 すっごくいい奴で、あたしとも気の置けない友人だ。


「まあ、そんなの小学校のときからあたしは慣れっこだけどね!

 実樹はモテるからさ」

 あたしはそんなのなんでもない、って風に強がった。

「でもさ、俺の知らないとこで晶にあれこれ言うのは反則だろ。

 ほんと、女子は性格悪いやつ多いんだなぁ」

 実樹はうんざりしたようなため息をつきながら言った。

「そういう女子とばっか付き合うのは実樹に見る目がないからだよ!

 性格良い子だって結構いるよ?」

「いろんな子と付き合って見る目を養おうと思って、告られたらなるべくOKするようにしてるんだけどな」


 実樹のそのウェルカムすぎる性格で、あたしがどれだけ苦労してると思ってるんだろ?

 実樹が長続きするような良い子と付き合ったら、あたしはアップダウンに苦しまなくなるのかな。

 仲の良い二人を見せつけられれば、苦しくても諦められるようになるのかな――

 このままじゃ、あたしの想いはずっと実樹に縛られたままだ。


「実樹だって、あたしに”良い子いない?”って相談してくれれば、紹介できなくもないんだよ?」

「そんなのできるわけねーよ」


 丘の上のマンションに向かって続く安楽坂やすらぎざかを、実樹はあたしの前を下を向いて歩く。


 小学校も、中学校も、あたし達はこの安楽坂を二人で歩いて帰った。

 坂道は歩道が狭くて、いつも実樹が前で、あたしが後ろを歩くって決まってた。

 ランドセルを背負う後ろ姿を、

 まだぶかぶかの中学の制服の後ろ姿を、

 その制服が破けそうなくらい大きくなった背中を、

 あたしはいつも見つめながら上ってた。


「幼稚園の頃から何かとお世話してきてあげたじゃない?

 実樹が困ってるときには大抵あたしが助けたんだから」

 からうように言ったけど、坂道で息が上がって言葉が途切れ途切れになる。

 おかげで、本当に紹介を頼まれたらどうしようっていう動揺は隠せてるかな…。


「晶が紹介してくれたコと付き合ったら、お前がまた他の女に何か言われるんだろ?

 そんな迷惑かけられねぇよ」


 またあたしのことを気にしてくれている。

 実樹は優しいんだ。小さいころからずっと。

 あたしにすごく優しい。

 当たり前にあった優しさが、あたしにとって特別なものだって思うようになったのはいつからだろう。


「ま、幼馴染みがモテメンでお前も苦労するよな」

 坂を上がりきった実樹がいたずらっぽく笑いながら振り向く。


 実樹の口から出る”あの言葉”は、他の人の口から出るより百倍強くあたしの心を締めつける。


「自分でそれ言うな!」

 泣きそうになった顔を、ムカついたと言わんばかりの口調でごまかした。


 マンションの外通路に点けられた無数の明かりが街路樹の向こうに見えてくる。

 実樹の家とあたしの家は、同じマンションにある。

 そのおかげで、あたしと実樹は2歳の頃から一緒に遊ぶ公園友だちだった。

 母親同士も気が合うみたいで、お互いの家をしょっちゅう行き来していた。

 幼稚園も同じところに入園して、小学校の登下校も一緒にしてた。

 中学からは同じテニス部に入った。

 きょうだいのように、ずっと一緒にいるのが当たり前だった。


 いつからあたしの中で恋愛対象になっていたのかはわからない。

 実樹が好きだって気づいたきっかけははっきりとわかってる。

 小学校4年生の冬、実樹が初めてクラスの女の子と両想いになったときだった。


 自分以外の女の子が実樹にとって特別な存在になったことがショックだった。

 その子に遠慮しなきゃいけない立場になった自分がショックだった。

 実樹の優しい笑顔が、自分以外の人にとって特別なものになったのがショックだった。


 それ以来、あたしは自分から”あの言葉”を口にしたことはない。

 あたしたちの関係を、その一言だけで終わらせたくはない。

 けれど、あたしのそんな気持ちを、実樹も誰も気づいてはくれない――


「晶は明日朝練行くの?」

 マンションのエントランスをくぐったところで実樹が尋ねてきた。

 実樹の家は左のエレベーター、あたしの家は右のエレベーターで上がっていく。

「先輩達インハイ予選の練習がんばってるから…玉拾いとか手伝おうかなって」

「ん。じゃ7時ごろか」

「そだね。そのくらい」

「じゃな」

 実樹はいつものように、肩の高さまで右手を上げてバイバイのポーズをする。

 当たり前のように明日の朝の待ち合わせをする。


 けど、あたしは素直に喜べない。

 明日は一緒に学校へ行ける。

 けどまた実樹にカノジョができたら、またあたしは遠慮してしまう。

 引寺川の橋のたもとまで一緒に行ったら、学校までは実樹と距離をとって歩かなければならなくなるのがわかってるから――

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