第2話 諦めたいのに、諦めたくない。
朝練が終わった。
着替えて部室を出ると、男子テニス部の部室から田澤
「おっす」
「おはよー」
「今日は実樹と学校来たのか?」
「2か月ぶりにね。
…駿汰が実樹に言ったんだって?山井さんのこと」
「ああ、あれな。
実樹が、山井がすっげーヤキモチやきだってぼやいてたから、そういえばって感じで言っただけ」
駿汰はいつものように飄々として言った。
実樹のような人懐っこさはないけれど、この飄々として誰に対しても態度を変えないところがいいのか、男子には好かれるタイプみたい。
女子からしたらとっつきにくくて、あたしくらいしか仲良くしてる女子はいないけれど。
「あたしあんなこと慣れっこだから気にしてなかったけどさ」
「まあ、そうかなとは思ったけど。
同じクラスだから、山井が来てお前を呼び出すの、目につくじゃんね」
クラスの下駄箱に靴をしまう。
男女ごちゃまぜの出席番号順だから、駿汰の下駄箱はあたしのすぐ隣にある。
「それにしても、2か月しかもたなかったよねぇ。今回。
どうすれば実樹は長続きするんだろ」
―半分はほんとにそう願っている。
早くどん底まで苦しんで、実樹のこと諦めたい―
駿汰は上履きをぽいっと廊下に放り投げて履き替えた。
「非モテの俺が言うのもなんだけど、あいつ女を見る目ないよなー。
晶みたいないい女がすぐ横にいるのにな」
いつもみたいに飄々と言ってくれる。
「はい!今日もいただきましたー!あざっす!」
あたしはふざけて駿汰に敬礼した。
いつも駿汰は飄々としながらあたしのこと褒めてくれる。
それをあたしはふざけて返す。
このやりとりはあたし達のお約束の漫才みたいになってるんだ。
駿汰とのこういうやりとりに、あたしはいつも救われている。
朝練でほてった顔の熱が、ひんやりした廊下を歩く間にだいぶ引いていた。
「実樹、山井さんと昨日別れたんだって」
休み時間、あたしは早速隣のクラスの森川さんを呼び出して伝えてあげた。
「えっ!? もう!?…そっかぁ」
さすがの森川さんも、昨日の今日でこの話が聞けるとは思ってなかったみたい。
「教えてくれてありがとう!…実樹君、ショック受けてる感じ?」
「ううん。相手のヤキモチにうんざりしてたみたいでさ、実樹からフッたみたい。昨日はケロッとしてたよ」
「じゃあすぐに告白してもオッケーもらえる可能性あるかな?」
森川さん、他の子に先を越されたくないのか、かなり焦ってるみたい。
実樹はほんとによくモテる。
ちっちゃい頃からうちの母親も”みっくんはイケメンになるわよ”と予言してたっけ。
小学校では目立つ方ではなかったけど、必ずクラスに2~3人は実樹のことをかっこいいって言う女子がいた。
中学でテニス部に入った頃から本格的にモテだした。
涼やかな目元に、鼻筋のとおった小さめの鼻。
整いすぎてる顔が、笑うときは大きめの前歯がにかっと出て崩れるところが可愛い。
中2の終わり頃まで小さかった背が急激に伸びて、今では175センチはゆうに越えている。
テニスで鍛えられた適度な筋肉のついた手足は生まれつきしなやかに伸びていて、少し童顔の顔と絶妙なアンバランスさを保っている。
誰にでも優しくて明るい性格。
国語はからきしダメだけど、数学は学年トップクラスの理系男子。
あたしも高校で初めて実樹と出会っていたら、普通に告白して付き合えてた可能性はあるのかな――
「告ってオッケーもらえるかどうかまで、あたしは保証できないけど…」
森川さん、可愛らしくて印象悪くないから実樹もオッケー出すかもしれない。
そしたらまたあたしはカノジョの目を気にして遠慮する毎日になるのかな。
もし森川さんと実樹が長く付き合うことになったら…
これ以上苦しむくらいなら、いっそ諦めたい。
でもこんなに大好きな実樹のこと、やっぱり諦めたくない。
頑張れともやめておけともアドバイスできないのは、あたし側の事情もある。
「わかってる。ダメ元で告ってみようかなって思っただけだから。
このまま自分の気持ちを伝えられないのが嫌なだけなの。
だから廣戸さんは気にしないでね」
森川さんはニコッと微笑んで、あたしにもう一度「ありがとう」って言って教室に戻っていった。
森川さんと実樹が二人並んで歩くところを想像してしまう。
背の高い実樹と、小柄な森川さん。
可愛らしいカップルでお似合いな気がする。
お願い。できれば告白しないで――
部活の帰り。あたしはドキドキしてた。
もしかしたら、実樹は今日は南門で待ってないんじゃないかって。
森川さんがもし告白してたら…。
実樹がオッケー出してたら、二人で先に帰ってしまったかもしれない。
森川さんに実樹が別れたって教えるの、もっと後にすればよかった。
心の底ではうまくいってほしくないくせに、どうしてすぐに
テニスコートを過ぎて、南門の脇に浮かび上がるシルエット。
小走りに駆け寄ると、実樹が前歯をこぼしていつものように微笑んでくれる。
あたしは涙が出るくらいほっとした。
「今日も一緒に帰れるの?」
あたしが尋ねると、実樹はなんでそんなこと聞くのかわからないといった不思議そうな顔をした。
引寺川の橋を今日も二人で歩く。
「お前、2組の森川さんて知ってる?」
実樹の言葉にあたしの心臓がドキンと音を立てた。
「うん。顔と名前くらいは、ね」
「今日さぁ…。告られたんだよね」
―やっぱり今日早速告白したんだ―
「けどさぁ、やっぱ山井と別れた昨日の今日で付き合うのもヤバイじゃん?
森川さんまで山井にシメられたらかわいそうだしさ」
「断ったってこと?」
ちょっとほっとしたような気持ちになる。
「断ったっていうか…。まずはお友達から始めましょうって言った」
「え?意外!実樹、今までそんなこと言ったことないっしょ!?」
「昨日お前に言われてちょっと反省したんだよ。長く付き合えるような子をいきなり見分けることはできねーし、どんな子かある程度知ってから付き合ってもいいんじゃないかって」
「ほほー。実樹クンも成長してるってことね」
「ムカつくな。晶のその言い方」
正直、混乱してる。
今までは、いきなり付き合い出したって長続きするわけないってタカをくくってた。
実樹と他の子がうまくいってるところを見て諦めてしまいたいと思いながら、
うまくいかないでほしいって願う矛盾に苦しんでた。
もし、実樹と森川さんがお互いを良く知った上で付き合い始めたら…?
今度こそ本当に長続きするカップルになってしまったら…?
あたしは本当に実樹のこと諦められるんだろうか――?
安楽坂を上る手前で、雨がぱらついてきた。
「やっべ!降ってきた」
「あ、あたし折り畳み傘持ってる」
「おっ!でかした晶!」
リュックから傘を取り出すと、実樹が遠慮なく傘をあたしから取り上げて広げた。
「折り畳みだからちっちぇーな。ま、ないよりマシか」
右手でさした傘を少し右に傾けて、あたしが入るスペースを作ってくれる。
肩幅が広くなった実樹だから、小さな傘から左肩はほとんど出てしまっている。
こんなふうに、当たり前に相合傘をしてくれるのは、あたし達が”足枷のついた関係”だから…。
「なにしてんだよ。早く入れよ。濡れるぞ」
「あ、うん」
大粒の雨はあっという間にアスファルトを真っ黒に濡らし、傘にボツボツと音を立てて落ちてくる。
遠慮がちに隣に入り込んだあたしの肩を、実樹が傘を持った手を回してぐいっと引き寄せた。
「もっとくっつかないと傘に入りきらねぇよ」
歩くたびに、実樹の肩にあたしの左耳が当たる。
湿気をおびた空気が、実樹の匂いに輪郭をつけてあたしの嗅覚を刺激する。
傘を持つ実樹の骨ばった手があたしのすぐ目の前で揺れる。
急な坂道を上る実樹の息づかいが、雨の音の中でかすかに規則的に耳に入り込んでくる。
いつもはきつい上り坂だけど、今日はこの雨の中、ずっと坂が続いていてほしい。
手が届きそうで届かない彼を、今だけはあたしの五感で感じさせていてほしい。
窒息しそうなほど苦しいあたしの想いを実樹に悟られないように、雨の音があたしの鼓動の音をかき消してくれますように――
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