第7話 星降る夜の言葉

 林間学校2日目の夕方。

 あたしのひねった足首は湿布と実樹のおんぶのおかげで腫れがほとんどひいた。

 今日は近くの牧場での体験学習だったから、あんまり歩かなくてすんだし、子牛のお世話や乳しぼり体験はなかなか楽しかった。

 昨日のやり場のなかった実樹への想いも、足首の腫れとともに少しは胸の内におさまった気がする。


 今日は林間学校で一番盛り上がるファイヤーストームがある。

 思いきり楽しんでもやもやした気持ちを吹き飛ばそうっと!


 食堂へ行く途中、「晶ちゃん!」と一花ちゃんが声をかけてきた。

「昨日足くじいちゃったんだって?大変だったね!もう大丈夫なの?」

 優しく声をかけてくれることに気がひける。

 きっと実樹から聞いたんだよね。


「うん。もうだいぶよくなったよ。ごめんね、」


 ―実樹のこと借りちゃって―

 っていう言葉は飲み込んだ。「ごめんね」が宙ぶらりんになった。

 なんで謝るの?って聞かれるかと思ったけど、一花ちゃんはニコッて微笑んだ。

「実樹君が肩貸したって。そんなの気にしないで!晶ちゃんのケガだもん、ほっとけないよ!」


 あたしをおんぶしたこと、一花ちゃんに話してないのかな――

 それはさすがに一花ちゃんが傷つくから?

 実樹の中にあたしをおんぶしたことの後ろめたさがあるの?


 一花ちゃんは「出し物楽しみにしてるね」って手を振って、クラスの子と食堂の奥へ入っていった。


 食事の後、ぞろぞろとみんなが宿泊施設のグランドに集まる。

 グランドの真ん中にファイヤーストーム用の丸太が組まれている。

 施設側の一角がステージ用に空けられていて、そこで8クラスがそれぞれの出し物を披露するんだ。

 各クラスの学級委員がくじを引いて出し物の順番を決めた。


 一番手は一花ちゃんのいる2組だった。出し物は仮装ダンス。

 女子の制服や運動部のユニフォームを着て女装した男子が登場し、観客は大爆笑で盛り上がる。

 AKBの曲に合わせて投げキッスなんかをしている。よく見るとちゃんとお化粧もしていて、真っ暗闇に浮かび上がる顔は面白いというよりホラーだ。

 続いて登場した女子。一花ちゃんたちはメイド風のコスチュームで踊ってた。

 小柄な一花ちゃんはフリフリのメイドドレスがよく似合っていた。

 恥ずかしそうに踊る姿は実樹じゃなくても可愛いなと思ってしまった。


 ステージが終わった後、実樹がこっそりと観客の後ろを回って、引き上げていく2組の方へ歩いていくのが見えた。

 メイド姿の一花ちゃんと2ショットの写メを撮りに行ったのだ。

 実樹が自分から写メを撮りに行くなんて、ほんとに一花ちゃんが好きなんだろうな…。

 おんぶしたこと黙っていたのは、やっぱり一花ちゃんをちょっとでも傷つけたくないからなんだ。

 実樹があたしのことを大事にしてくれているのはわかる。

 でもそれ以上に一花ちゃんのことを大事にしているんだと思うとやっぱり胸が痛む。



 真ん中あたりで実樹のいる4組の出番になった。

 この出し物の研究のために、駿汰や一花ちゃんと4人で行った遊園地でパレードを見たんだった。

 実樹が一花ちゃんと付き合う前の”けじめ”だって言って、あたし達二人だけでパレードを見たんだっけ。

 その時の曲が流れ、電飾を黒い衣装につけた生徒たちが踊っている。

 暗闇に浮かび上がる色とりどりのライトが波のように揺れたり炎のようにゆらめいたりして綺麗だった。

 けど、あたしの目はダンサーの後ろで裏方をやっている実樹をずっと追っていた。


 うちのクラス、3組は最後の出番だった。

 先生役と生徒役に分かれて、職員室で起こる出来事のあるあるをコント形式で演じていく。

 駿汰がやる数学の先生のものまねがそっくりで、他のクラスから大爆笑されていた。

 駿汰は男子に人気があって友だちが多いから、いろんなところから野次がとんできてさらに盛り上がってる。

 こんなとき、駿汰と友だちであることがすごく嬉しくて誇らしくなるんだ。


 最後に燃え上がるファイヤーストームを囲んでダンスをした。

 各クラスが入り乱れて、激しく踊る男子達や、固まってステップを踏む女子、離れたところに座って踊りを眺める人たち、思い思いの時間を過ごす。


 実樹はきっと一花ちゃんと一緒にこの火を見てるに違いない。

 だからあたしは実樹の姿をあえて探さなかった。


 里佳子達としゃべりながら適当に踊っていると、一年生のとき同じクラスだった上野君が声をかけてきた。

「廣戸さん、あっちでちょっと話さない?」

「え…」

 予想外でちょっとびっくり。里佳子がニヤニヤして腕をつついてくる。

「晶やるじゃーん!いってこいいってこい!」

 里佳子達に押されて、「いいよ…」って言いかけたときだった。


「ひゅー!!!」

 めっちゃハイテンションの駿汰が激しく踊りながら間を割って入ってきた。

「ちょ!駿汰、なに!?」

「おまえら全然盛り上がってねーじゃん!!踊るぞ、おらぁー!」

 いつも飄々として、どっちかっていうとクールな駿汰が、お酒でも飲んだのかっていうくらいはしゃいでいる。

 その駿汰に続く男子達があたし達グループの輪に乱入してきたもんだから、上野君は完全に腰を折られたみたいになって、いつのまにかいなくなっていた。

 ちょっとほっとしながら、あたしは駿汰や里佳子達と炎が燃え尽きるまでの束の間の時間を楽しんだ。


 ファイヤーストームが終わり、出し物が最後だったうちのクラスだけが後片付けで居残った。

 寸劇で使った小道具を運ぶのに、グランドと体育館を往復している。


「ちょっと、晶」

 グランドに残った荷物を持ちに行こうとしたあたしを駿汰が呼び止めた。

「どうしたの?」

「ちょっとこっち」

 駿汰について体育館の脇まで回ると、裏山へ続く遊歩道の入口があってベンチが置かれてた。


「だるくなったし、ここでさぼろーぜ」と駿汰が座る。

「里佳子達に怒られるよー」と苦笑いするあたし。

「もうほとんど運び終わってるだろ。…見ろよ。すげー星空」

 上を見上げた駿汰が気持ちよさそうで、あたしも駿汰の横に腰かけて上を見上げた。


 すごい―――


「降ってくるような星空だね…」

 あたしは感動した。

 街中では見たこともないような星の数。

 星ってこんなにいっぱい空一面に瞬いていたんだ。


「あの辺が天の川だろ」

 腰を少し前にずらして、首までベンチにもたれかかった駿汰が上を指さす。

「ほんとだぁ。きれい…」

 私も同じような姿勢になって星を眺めた。


 あたし達はしばらく無言で星を眺めていた。

 そうしていると、なんだか星のきらめきで心が洗われる気がした。

 暗くもやもやした夜の霞のような思いが浄化されていくような…。


「こんな星空みてるとさ」駿汰が口を開いた。

「なんか、自分に正直になりたくなってくる」

 駿汰も心が洗われてるのかな。


「俺、今日くらいはちゃんと自分に正直になるよ。

 俺、晶が好きだ」


 上を向いたまま、いつもの口調で飄々と言う駿汰に、自分の耳を一瞬疑った。

「え?」

 駿汰は起き上がって体勢をととのえると、きちんとあたしの方を見て言った。


「ずっと好きだったんだ。お前のこと」


 頭が真っ白になって何も考えられない。

 とりあえずあたしも体勢を起こして座りなおす。

 けど、言葉が出てこない。


「何か返事しないととか、何か言わなきゃとか、気にしなくていい。

 ただお前に伝えたくなっただけ」

「……」

「俺はさ、お前がずっと実樹のこと好きだったの知ってる。今も好きだって知ってる」

「……」

「別に俺はそれでいいと思ってる。

 中学の時から、俺はお前が好きで、お前は実樹が好きで。

 その関係を変えたいとか、そういうんじゃないんだ」

「駿汰…」

「何かを得たいとかじゃない。

 だから聞いてくれるだけでいい。

 明日忘れてくれてもいい」


 淡々と重ねられていく駿汰の言葉に、あたしの心の中が少しずつ明るく照らされていく。

「嬉しい。ありがとう」

 ―あたしの正直な気持ち―


 駿汰が好きでいてくれたことは素直に嬉しい。

 そして、実樹を好きなあたしを知ってて見守ってくれていたことはありがたい。

 そして、これからもそのままでいいって言ってくれる駿汰の優しさがありがたい。


「でも…ほんとにこのままでいいのかな。

 こんなきれいな星空を見た後で、今まで通りぐちゃぐちゃの感情を抱えていくのって…」


 もう一度星空を見上げる。

 無数の星が、駿汰の言葉が、あたしの心に降ってきたんだ。

 ぐちゃぐちゃに荒れていたあたしの心の水面は今とても穏やかな凪になっていて、

 星の一粒一粒、駿汰の言葉の一言一言が落ちるたびに、波紋を広げながら心の奥底にゆっくり沈んでいくのがわかるんだ。


「俺の告白でお前が何か無理をするのは、俺は望まないよ。

 俺を避けないでいてくれればそれでいい」

「うん…。無理はしないよ。無理しない。

 でも、今は…少しずつ、前に進めそうな気がしてる」


 あたしは自然にそうしたくなって、駿汰の肩に自分の頭をのせた。

「ありがとね。駿汰。今日、この星空の下で、あたしに言葉をくれて」

「……」

 駿汰は何も言わなかった。そしてこないだの雨の日と同じように、あたしを抱きしめたり肩を抱いたり、言葉をかけたりもしなかった。

 あたしに無理をさせない駿汰の優しさだってわかるから、あたしはそれに甘えさせてもらって、しばらく駿汰の肩に頭を預けながら星空を見上げていた。

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