残酷な優しさ

第6話 残酷な人

 今年の梅雨は例年より数日早くあけた。

 おかげで、あたし達の林間学校は刺すような夏の日差しに晒されながら、トータル30kmの登山道や林道を歩き回るという過酷なものになった。

 過酷とはいっても、バスの中や休憩時間は高校生ならではのハイテンションぶりで、トレッキングの疲れも吹き飛ぶ楽しさだった。


 それに、林間学校の間は基本クラスや班単位で動くから、実樹と一花ちゃんのツーショットをあんまり見なくてすむのがありがたい。


 林道の途中にあった屋根付きの休憩所で、あたしや駿汰の班が休んでるときだった。

 一人の女子が、

「前から聞きたかったんだけど、田澤君と晶ちゃんて付き合ってるの?」と聞いてきた。


 面と向かって聞かれるとさすがにドキッとするけど、予測してない質問じゃなかった。

 毎日一緒に登下校してれば、そう思われるのも当然だもんね。

 動揺したとこ見せるとかえってあやしいし、駿汰に気を遣わせるのも…って思ったあたしは、極力平然と否定しようと思った、ときに。


「そうだよ」


 平然と、めっちゃ自然に、駿汰が言ってのけたのだった。


「えっ!!」

「やっぱそうなんだ〜」って納得してるみんなの前で、あたしのさらりと否定するはずだった態度は崩れ去った。

 顔から火が出そうなくらいカァッとなって、慌てた口調で

「ちがっ!違うし‼︎ なんで駿汰うそつくのよぉ〜⁉︎」ってまくしたてた。


 ムキになるあたしの様子にみんながキョトンとしてると、堪えきれなくなった様子で駿汰が大爆笑しだした。

「おま…リアクション予想どおりすぎるだろ!超ウケる〜‼︎」

 あたしですらこんな大爆笑の駿汰見たことないってくらい笑ってる。


 呆然するあたし達を前にしばらく笑ってた後、ニヤニヤしながら駿汰が言った。

「いや、こいつ、お守り役の実樹を森川さんにとられちゃっただろ?

 だから俺がお守りしてやってるだけ」

 初めからそう言えばいいのに、なんで嘘ついたんだろ。

 おかげで変に取り乱しちゃったじゃない。


「そうなんだぁ。晶ちゃん、いつも実樹君と一緒にいたもんね。幼馴染みを彼女にとられちゃうの寂しい?」


 久しぶりに聞いた"あの言葉"は、今もまだあたしの心臓をギュッと強く握って息苦しくさせる。


「まあでも、実樹にカノジョできるのは慣れっこだし、むしろあたしが実樹のお世話しなくて楽ってゆーか」

 心にもない嘘だけど、こういう嘘はつき慣れてる。


「でもさぁ、今回のカノジョの森川さんは長続きしそうだってみんな言ってるよね〜」


 やっぱりそう見えるんだ…。


 今までのカノジョは、告白されてなんとなく付き合ってるっていうのが実樹の態度から感じ取れた。

 だから、あたしもカノジョに対してヤキモチ焼いたことなかったし、実樹が好きなことを諦めようなんて思わなくてすんでた。

 でも一花ちゃんは、実樹がちゃんと自分で付き合おうって決めて付き合った相手だ。


 ヤキモチ――っていう感情より、見ていて苦しいって思う感情。

 諦めたいって願う気持ち。

 諦めちゃえっていう投げやりな気持ち。

 諦められないっていう自己嫌悪。


 実樹が一花ちゃんと付き合いだして初めて経験する、ぐちゃぐちゃな感情。

 実樹と長く付き合える子がいれば諦められるのになんて、簡単に考えてた頃からは信じられないくらい苦しんでる自分がいる。


「あー疲れた!!ちょっと中に入れて~!」

 後からやって来たグループが休憩所に入ってきた。

「うちらもう行くから使っていいよー」

 あたし達と駿汰達の班は休憩所を出ることにした。


 さっき、あんな嘘をつかれてドギマギしてしまったせいで、なんとなく駿汰の顔を見れない。

 でもこのまま顔見ないわけにもいかないしな…

 なんとなく照れくさくて、なじるように駿汰に話しかけた。

「もー!変なドッキリ仕掛けないでよ!超焦ったぁ」


「ああ言ったら晶がどんな反応するか、見たかったんだよ」


 何考えてるかわからない、飄々とした口調で駿汰が言う。

 どうしてあたしの反応見たかったんだろう?

 でもきっと、いつもみたいに駿汰はたいして考えてなくて、なんとなく見たいって思っただけだろうな。

 駿汰の態度がいつもとまったく同じだったから、あたしもそれ以上意識しなくてすんだ。


 ――――

 木々の隙間から漏れてくるきつい日差しの中に、からっとした涼しい風が少しずつ吹き込んでくる時間になった。

 今日宿泊する施設まであと2~3キロってところまで歩いてきた。

 日差しに体力と集中力を奪われて、足取りがだいぶ重くなっている。


「あっ!!」

 うっかりぬかるんだ斜面に左足を突っ込んでしまい、あたしの左半身がずるっと滑った。


 慌てて体勢を立て直したけど、変に左足をひねったみたいでずきずきする。

「晶、大丈夫?」そばを歩いていた里佳子が心配して近寄ってきてくれた。

「うん。大丈夫」

 そうは言ったけど、今までのスピードでは歩けない。

「先生に湿布もらってこようか?」

「ごめん。ありがと」

 里佳子は少し先を行く担任の元へ行ってくれた。


 後ろから歩いてくる人達が「大丈夫?」とあたしに声をかけながら、どんどん追い越していく。

 少しでも前へ進もうとびっこを引きながら歩いているうちに、後ろから来ていた別のクラスの集団と混じってしまった。


「晶!どうかしたのか?」


 一番聞きたくて、一番聞きたくない声がした。

「ちょっと足すべらせちゃってね」

 なんとなく気まずくて、あたしはたいしたことないって顔をしてみせた。

「ごまかすなよ。痛いんだろ?」


 ああ――。実樹はやっぱり私のことわかってくれてる。

 嘘が通じないところがどうしようもなく嬉しい。

 けど、そんなことでこんなに嬉しいと思う自分を馬鹿だと嫌悪する自分も同時に現れる。


「晶、お待たせ!湿布もらってきた!」里佳子が駆け戻ってきた。

「あ、実樹が追いついてたんだ」里佳子は当然のように実樹に湿布を渡す。

「そしたら安心!あたし、今日の夕食の配膳当番だから早めに宿に行かなきゃでさ。あとよろしくね!」

 里佳子はさっさと戻っていった。


「見せてみろよ。…あー、ちょっと腫れてんじゃん。湿布貼るぞ」

 実樹はあたしのジャージの裾をためらいもなくめくって、足首をさわる。

 実樹に触れられて、あたしは息が止まりそうなくらい緊張してる。

 実樹の骨ばった長い指が優しく触れるたびに、涙が出そうなくらいドキドキする。

 おかしいよね。小さい頃は手をつなぐの当たり前だったし、ぎゅーって抱き合ったりもしてたのに。


「ごめん。実樹の班ももう行っちゃったね」

「なんだよ、べそかいてんの!?そんな痛い?」

「うん…痛い」

 実樹がそばにいる嬉しさと苦しさと安心感とで涙が出てきてしまう。

「ここじゃ車呼べないし、歩くしかないよなぁ。おんぶしようか?」

「はっ!?そんなことしなくていいよ!!歩けるよ!!」

「じゃあ肩貸すよ。ほら」


 実樹はあたしの左側に回ると、左腕をとって自分の肩に回した。

 久しぶりすぎる。実樹の骨ばった体の感触とぬくもり――

「一花ちゃんに申し訳ないよ。実樹の肩借りたりなんかして…」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ?2組はずいぶん前の方だろうし、彼女なら大丈夫だよ。お前は特別だってわかってくれてるから」


 また心が痛くなる。

 実樹と一花ちゃんの間にはちゃんと信頼関係があるんだね。


 あたしの歩くペースを気にしながら、ゆっくりゆっくり実樹が歩いてくれる。

「お前と歩くの、なんかすげー久しぶりの気がするな」

 近すぎて顔をまともに見れないけど、きっと実樹はいつものように大きめの前歯をこぼしながら微笑んでるんだろうな。

「そうだね」あたしはそう返すのがやっと。


「なんかやっぱしっくりくるよなー。安心するっていうか」


「…一花ちゃんと歩くとドキドキしちゃうんでしょ?」

 答えを聞きたくないような質問をしてしまう。

「ま、そだな。なんか緊張するってゆーか。手をつなぐのもさ、つないでいいのかなーとかいちいちタイミング伺っちゃうよ」

 苦笑いする実樹。

 手をつないでる二人を想像して、やっぱりあたしは自分が質問したことを後悔する。


「でもさー、俺にはやっぱ必要なんだと思うよね、この安心感」

 実樹の声、あたしの背中に回した腕、あたしの左腕をつかむ指。

 あたしの体に触れる体。


 あたしも今、焦がれる気持ちと同時にとてつもない安心感を感じているよ――


「お前さ、最近ずいぶん俺らに遠慮してるじゃん?俺らなら大丈夫だから、そんなに遠慮すんなよ。

 たまにはまた二人で家まで帰ろうぜ」


 優しくて残酷な一言。


 残酷な実樹はさらに続ける。

「お互い、たった一人の幼馴染みなんだしさ」


 こんな心の弱っているときに、大嫌いなその言葉を実樹の口から聞きたくなかった。


「痛…っ」

 心の痛みを足の痛みとごまかして、あたしは止められない涙の理由をすげ替えた。


「おーい、廣戸!嶋田!大丈夫かぁ」

 集団の最後尾を歩いていた先生があたし達に追いついて声をかけた。

「なんだ、廣戸!そんなに痛いのか?」

「あ、じゃあ俺やっぱりおんぶします」

「宿まであと1kmないしな。よし嶋田、トレーニングだと思っておぶえ!」

 実樹があたしの前でかがんだと思ったら、ひょいとあたしの体が浮いた。

「背中汗ばんてて嫌かもしれないけど我慢しろよ」


 小学校低学年の頃まではあたしの方が体が大きくて、細くて軽い実樹をふざけておぶったりしてた。

 4年生くらいから実樹の方が大きくなってきて、あたしを自慢げにおんぶしたりした。


 久しぶりの実樹のおんぶは、背中の大きさも安心感もその頃とは全然違っていた。

 息をはずませながらあたしを背負う実樹に申し訳ないと思いながらも、この瞬間が永遠に続いてほしいと願わずにはいられなかった。

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