第5話 相合傘の罰
先週あたりから、梅雨が本格化してきた。
屋外コートしかないテニス部のあたし達は、体育館での筋トレや素振りしかできない日が多くなった。
駿汰はジョギングできる天気じゃないのに、毎日あたしをマンションまで迎えに来てくれた。
帰りも、毎日マンションまで一緒に坂を上ってくれた。
実樹の後ろ姿が見えない坂に、あたしも少しずつ慣れてきたような気がしていた。
―――――
「あー、やっぱ今日も降りだしたかぁ」
部活のない今日、あたしは里佳子と放課後にショッピングに行く約束をしていた。
もうすぐ林間学校だから、いろいろ買いそろえたいねって話をしたんだ。
3時間目あたりから厚くなってきた雲は昼頃には重たいグレーに変わり、昼休みが終わる直前くらいからぽつぽつと降りだしてきた。
「晶ー。これじゃ買い物濡れちゃうから、また今度にしよっかぁ」
里佳子が残念そうに窓の外を眺めている。
「だね。しゃーない」
今日は約束あるからって、駿汰が家まで送ってくれるのを断っちゃってたんだった。
―今日は一人でマンションまで帰るか…―
帰り際、細かい雨がしとしとと糸のように降っている。
下駄箱から靴を出してふと昇降口を見ると、庇の下に立つ実樹がいた。
「実樹。もしかして傘ないの?」
一緒に登下校しなくなってから、実樹に話しかけるときはなんだかドキドキしてしまう。
免疫が少し下がってしまったみたいだ。
実樹は振り向くときまり悪そうに、「朝降ってなかったから家に置いてきた」と苦笑いした。
「そしたら、あたしの傘に入ってく?」
ドキドキしながら、できるだけ平静をよそおってあたしは言った。
変じゃないよね?相合傘は昔から何度もしてるし…。
でも、あたしは見てしまった。
少し困ったような実樹の顔――
あたしと相合傘するのが嫌なの?一花ちゃんに嫌な思いさせるから…?
そう思った瞬間に、「お待たせ!」と一花ちゃんの声がした。
振り向いたあたしに、「あ、晶ちゃん!」と一花ちゃんがにっこりした。
あたしは状況を飲み込んだ。
「あ、そっか!今日は一花ちゃんと相合傘なんだね!
実樹、相合傘したくてわざと傘忘れたんじゃないのー?」
傷ついた表情をしてしまったことを悟られないように、あたしはテンション高めに実樹をからかった。
「違うって!マジで忘れたっつーの」
少し顔を赤らめて実樹が向きになる。
あたし、わかるよ。実樹。
実樹は一花ちゃんのこと、かなり本気で好きになってる。
どうしてこんなに実樹のことわかっちゃうんだろう。
「今日ね、実樹君の家に遊びに行くことになってて。晶ちゃんも一緒に帰ろ?」
一花ちゃんが屈託なく私に微笑みかける。
「えー!?あたし完全にお邪魔虫じゃん。いーよ、先帰って。あたし、駿汰待ってるから」
「え?駿汰ならさっき帰ってったぞ。お前、里佳子と出かけるからって」
「あ。そうだった!里佳子の間違い…」と言った瞬間、「里佳子も帰ったけどな」と実樹がツッコむ。
結局あたしは断る理由をなくしてしまった。
昇降口で、あたしがライムグリーンの傘を広げる。
その横で、一花ちゃんがピンク系の小花柄の傘を広げる。
実樹は、当然のようにピンクの傘に入った。
一緒に帰ろうって言ったって、雨だし、傘さしてるし、歩道だし、3人並んでおしゃべりできるわけじゃない。
必然的にあたしは二人の後ろをトボトボとくっついて行く形になっている。
それでも一花ちゃんはあたしに気を遣って、ちょこちょこ後ろを振り向いて話しかけてくれる。
けど、車道を走る車が水しぶきをあげる音とか、傘に雨がぶつかる音とかうるさくて、会話はどうしても途切れ途切れになってしまう。
いいよ。あたしの方に気を遣わないで。
二人の仲の良いところを見せつけてよ。
あたしが早く二人のことを心から祝福できるようになるために――
信号を渡り、安楽坂の歩道へ入る。
前にあたしと相合傘をしたときのように、実樹はさりげなく車道側に自分が回って、傘を持った右手をいちど一花ちゃんの肩に回して抱き寄せる。
実樹のその仕草に、あたしの心臓は深く深くえぐられる。
小柄な一花ちゃんが濡れないように、窮屈そうに猫背で傘をさす実樹。
あたしは二人の後ろ姿を見つめながら坂を上る。
坂で見る久しぶりの実樹の後ろ姿…。
けど、それはもう、あたしの知ってる懐かしい後ろ姿じゃない気がした。
「じゃな。また明日」
「またね。晶ちゃん」
「ん。またね」
エントランスに入って二人と別れる。
制服の肩が片方ずつ濡れている二人がとても幸せそうで直視できない。
今日の雨は、往生際の悪いあたしに与えられた罰だったんだ。
二人とは反対側の通路を歩こうとした時、かすかに「晶!」と呼ぶ声がした。
エントランスのガラス扉越しに、傘をさして走ってくる駿汰が見えた。
「駿汰…」
あたしはもう一度エントランスの外に出た。
「どうしたの?先帰ったんじゃなかったの?」
走ってきたのか、傘をさしてるのに制服はかなり濡れている。
「いや…。帰った…けど、途中で里佳子に会って…」
息を切らしながらしゃべるから、いつもの飄々としたしゃべり方になってない。
「お前を一人で帰したって、思って…」
わけがわからなかった。
次の瞬間、気がついたらあたしは駿汰の濡れた制服に顔を押し付けて泣いていた。
なんでこんなに泣いているのか自分でもわからなかった。
涙も嗚咽も止まらなかった。
きっと駿汰はわかってる。
あたしが実樹を好きなこと。まだ諦められていないこと。
駿汰はしばらくあたしに肩を貸したまま動かないでいてくれた。
あたしを抱きしめるでもなぐさめるでもない駿汰の優しさが、雨の音と一緒に、あたしの心の中にゆっくりと浸みていった
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